マーシャの闘病日記

自らを襲った悪性リンパ腫に関する闘病談及び経験談、また最近の社会・政経に対する自らの考えをコラム風に掲載したブログ

続き4

2006-11-28 14:45:27 | Weblog
コメントを頂きましたネオさん頑張ってください。
抗がん剤はCHOP療法でしたね!6クールか8クールの予定でしょうが、最近は1クール目は入院が必要ですが、病院の体制も整ってきつつありますので、2クール目からは外来になると思いますよ。この癌は若いからと言って進行が早いものではないので、耐えて治療を受けてください。

リツキサン(リツキシマブ(遺伝子組換え)製剤)は使ってもらってください。少し高価ですが、かなり奏効します。文献でも示されていますし、実際にそれで治療した私が言うのですから、間違いないかも!!
リツキサンの詳しい事を知りたい方は、コメントください。悪性リンパ腫の方なら誰でもご存知だと思いますが.....

さて、今日は酉の日ですね。特に今日は三の酉です。暦で見てください。毎年十一月の酉の日は、各地の鷲(おおとり)神社(大鳥神社)で行われている祭礼を「酉の市(とりのいち)」と言います。
昔は「酉のまち」と言っていたようです。この「まち」は「祭り」という意味で、本来は正月を迎える祭りとして行われていました。
酉の市の祭礼では、金銀財宝を詰め込んだ熊手で運を「かっ込む」、福を「はき込む」と言って、開運招福や商売繁盛を祈願する縁起物の熊手を売っていたり、それを売り子と掛け合いをして、値切って買いつつ定価を支払い、値切った分の金額を祝儀として返すと言うような習慣です。

今日は大安でもあり、『年末ジャンボ宝くじ』買ったら当たるような気もしない訳ではありません。

いつもいつも脱線ばかりで、自分の闘病日記を忘れてしまいます。

この前書いたように、6月23日の癌の告知で一度は奈落の底に落ちた自分が、癌ではあるけれど比較的放射線治療化学療法が効く癌であることを知り、余命は一年ではないと確信しました。

8月7日に正式に悪性リンパ腫との診断が下りました。
その後、8月8日にガリウムシンチのための注射、8月11日にガリウムシンチ検査を行い、8月14日にはガリウムシンチの結果が出ました。結果は、心臓の裏側の部分と縦膜にリンパ腫は認められるが、それ以上の広がりは無く、Ⅰ期と言われました。そのまま、その日から放射線治療が始まり、結果を聞きに行ったつもりが、いきなりリニアックですから驚きました。

8月14日13時30分より1回目の治療を始める。
照射量1回1.8GYを25回(最終日は9月18日になる予定)

医師の説明
K放射線科
①心臓の方へ食い込むことが怖いので、早く照射したほうが良い(これが前にも書いた不整脈の原因です→読んでいない人はこちら!)
②数ヶ月様子を見ることはもう出来ない。
③小さくなっても心臓の方へくっついていないかどうか心配。
④心臓にも当てる(隣の臓器にも当てるのが普通)。
⑤心臓に当てるので、普通より弱い線量で照射する。
⑥副作用としては、食道や気管支がやけど状態になるので、食べ難くなったり、少し呼吸がしずらい事がある。

その後の経過については今後書いていきますが、その時はO病院に血液内科が無く、呼吸器科で診察・治療を受けていました。
それが再発再燃を招く大きな原因になったのではないかと今は思っています。

悪性リンパ腫は治癒は無いものの、寛解状態が長く続くような医者とのインフォームドコンセントの必要性を強く感じています。

続き3

2006-11-24 15:30:13 | Weblog
11月17日から書くことを少しやめていました。ようやく書こうかなという気分になりました。
その前に、私のこのブログを引っ越そうと思います。
今のタイトルは『雅の悪性リンパ腫 闘病日記』ですが、今後は『マーシャの闘病日記』となります。今後はこちらのブログでお願いします。

さて、今年も残すところ1ヶ月になりましたね。光陰矢の如しとは言いますが、1日が、1ヶ月が、1年が本当に早く過ぎ去ります。子供の頃はお正月が早く来ないかなぁなんて思っていましたが、この年になると、またお正月が来て年をとるのだと思ってしまいます。

いろいろ書きたいのですが、今日は自分の悪性リンパ腫について書いていこうと思います。
私の悪性リンパ腫は「非ホジキン濾胞性B細胞混合型リンパ腫」です。一般的にリンパ腫は40位の型に分けられると思います。私のものは、低悪性癌ですが、再発し易く、治癒は無いとされているものです。現在は3年に1度位の割合で再発再燃を繰り返しています。

さて、悪性リンパ腫は30年位前は原因や治療法も確立しておらず、不治の病だったのですが、現在は治る部類の癌になってきました。
悪性リンパ腫は、その患者数は1990年頃の本には10万人に6人程度、最新の本には10万人に10人程度と増加しています(人間の免疫力の低下が原因なのでしょうか?)患者数の割には一般的に馴染みの少ない病気だと思います。実際に現れる症状も、最初はリンパ節が腫れたりする程度でなかなか気付き難い事も多いようですが、私の場合は、微熱とか寝汗がありました。だから、多くの患者さんは医師にこの病名を言われたときに、戸惑いを感じ大きな不安を覚えるのが実情ではないでしょうか。
この癌は沢山の分類上の型があり、この型毎に、また患者さん本人の身体条件等によっても、治療法がそれぞれ異なってくるのが特徴ですが、私見では、ほとんどのこの癌は、後程書きますが、同じ治療法だと思います。

この癌には、病気Ⅰから病気Ⅳまであります。
病気Ⅰ:一箇所のリンパ節領域又は節外性部位
  Ⅱ:横隔膜の片側の2箇所以上のリンパ節領域
  Ⅲ:横隔膜の両側のリンパ節領域
  Ⅳ:1つ以上のリンパ節外臓器へのび慢性の湿潤
ということになります。

私はどの時点をとっても、初期、末期という言い方は無いと思います。
例えば、胃がんであれば大体正確に医師は初期か中期か末期を判断します。
悪性リンパ腫(特に血液がん)に限ってみれば、その型がその人の運命を分けるものだと思っています。私はもう10年生きました。何人かの同じ入院患者さんの死にも会っています。

次回は、現在の治療法や自分の闘病を書いていきたいと思っています。
『マーシャの闘病日記』でお会いしましょう



続き2

2006-11-17 18:46:37 | Weblog
16日は今年のボジョレ・ヌーボーの解禁日でした。名前はワインブームと共に知れ渡って来ていますが、詳しくはこの解禁日、フランス・ブルゴーニュ地方のボジョレ地区で作られるワインの今年の新酒が、世界で一斉に発売される日の事であるということです。日本人は何でも「初物」を好む傾向にあるといいます。他人より少しでも早く、少しでも手に入れようとします。私も例外ではありませんが!!しかしこの解禁日、現地時間午前零時と決められているので、時差の関係から世界の先進国の中では、日本が一番早くその時を迎えるのではないでしょうか?

さて、前回のブログの中で、「劇的な変化」という言葉を使いましたが、この劇的とは誤診があったということです。ブログの題名の悪性リンパ腫が私の癌でした。
ここで、始めて私の癌が何であったかを書くことになりましたが、その後、今日まで癌との戦いが続いています。またいつ癌に背中を叩かれるかも知れません。

誤診のときのS主治医とのやり取りを再現します。
S:○○さん、N大学とF大学の病理学教室の教授から、取り出した細胞は肺癌ではなく血液の癌という判定になりました。
私:先生、この6月27日から今日まで肺のあらゆる検査をしましたよね!誤診ということですか?
S:.....(全く無言)

沈黙が続き、重苦しい時間が(そんなに長くは無いとは思いますが)流れました。
医師は決して誤診を認めませんでした。これが当たり前のことかもしれません。

私:どうして変わったのですか?
S:(標本を見せながら)肺の小細胞癌の細胞と悪性リンパ腫の細胞は同じように見え、ただ特殊な染色によってのみ違いが分かるからです。今後はその方向で治療しましょう。

まだ沢山の会話はありましたが、医師と私のインフォームド・コンセントは今後の治療に全力を挙げましょうと言う事で終わりました。
私は癌には相当知識を持っていたつもりですが、どうしてか悪性リンパ腫だけは頭から欠落していました。それから本を買い漁り、この癌を猛勉強することになります。

ご存知の方には失礼ですが、癌とは多細胞生物の細胞分裂が不規則になり、無制限に増殖して周囲の組織を犯したり、他の臓器に移転したりして生体を死に至らしめる病気のことであり、上皮性の悪性腫瘍のみを指すこともあります。また、次のように分けることもあるそうです。
大腸がん、胃がん、肝臓がん、肺癌は固形癌。悪性リンパ腫は肉腫。白血病や骨髄腫は液体癌と言われます。

やっと自分の癌の名前を知ることが出来、治療への出発となるのですが、これからは治療の苦しさや、死との恐怖等、闘病日記になってしまいます。そのような事を書くべきか迷っていますが、悪性リンパ腫については医師よりも勉強していますので、自分の闘病日記と合わせながら今後の治療についても考察していきたいと思っています。

またブログで会いましょう。

続き1

2006-11-16 09:27:38 | Weblog
朝夕はめっきり寒くなり、犬の散歩にもジャンパーや帽子や手袋がいる季節になりました。皆様の地方ではいかがでしょうか?さて、アクセスしていただけることは私にとってこのうえもない喜びですが何かコメントがほしいなぁ~なんて思っています。
さて、前回の続きです。H病院にて2週間あらゆる検査をして大丈夫といわれO病院にて肺の小細胞癌であると告知されたことは私にとってまさに晴天の霹靂でした。それまで肺癌の症状である咳・痰・血痰の他何の症状もありませんでしたが、前回書いたように右肺下葉部の陰影は気になるところでありました。癌については相当の知識は持っていましたので、内心疑念はありましたが余命一年はショックでした。その夜は病院より帰宅し、頭が真っ白な状態で過ごしました。病院から私の後輩のかかりつけのO医師に電話をいれPM9時に来てもらい、詳しい状況を話しました。彼は呼吸器専門医でしたから小細胞癌には否定的でした。
彼はG大学出身、私が診察を受けている病院はN大学系なので彼をしても直接私の症状を聞けない状態でした。これが医学部の閉鎖的なところではないでしょうか?白い巨塔みたいでした。現在はセカンドオピニオン制等垣根が外れつつあると聞いています。
次の日O医師がO病院のS主治医に電話を入れてもらうことにし、その日は今後のことを話し合っていた当時のことを今も鮮明に覚えています。次の日O医師はもう一度検査のやり直しをS医師に依頼してくれました。それは気管支鏡の検査です。(私の検査でこれほどつらいものはありませんでした。これを受けられた方は知ってみえると思いますが)
S医師には肺より取り出した細胞を特殊染色してもらう事をお願いしました。S医師も快諾してくれたとのことでした。平成9年6月27日に二度目の気管支鏡を実施し、その結果はその後2週間でわかりましたが劇的な変化でした。
この続きは次回にしたいと思います。癌のことばかりじゃなくて他のことも書きたいと思っています。
いつもアクセスしていただきありがとうございます。コメント頂けたら嬉しいのですが!!!

最初の告知

2006-11-14 16:22:25 | Weblog
癌の患者さんは日本に120万人みえ、毎日苦しんで見えることと思います。そんな私が癌の闘病を書き綴ったところで何の意味があるかと思いますが、とりあえず癌を告知された時のことから書いてみたいと思います。
平成7年8月31日自宅の階段を上っていたとき不整脈を感じました。それが癌の始まりだとはそのとき全く気付きませんでした。それ以後不整脈は続き、平成8年3月31日にうつ病と診断され、それ以後パニック障害に陥りました。不整脈は1日最高3万回打つこともありました(心臓は平均して1日十万回打ちます)。
不整脈治療はしましたが、心臓自体に異常は無く時は経過しました。段々パニック障害は酷さを増し、外出もままならぬ状態になりました。
平成9年5月8日胸のレントゲンを撮ったところ、右肺下葉部に影が写りました。主治医から15日から2週間検査入院を受けてくれと言われ、種々の検査をしましたが、異常は見られず、院長はじめ主治医にも大丈夫という太鼓判を押され、退院となりました。
しかし、自分では納得がいかないため、高校時代の友人の勤めるO病院呼吸器科を紹介され、6月3日より気管支鏡等あらゆる検査を受けました。
運命の6月23日がやってきました。その日は、午後6時から8時まで主治医の今までの経過の説明があり、肺の小細胞癌で、余命一年という告知を受けました。
今日はここまでにします。
この後、3回癌を再発しますが、また続きを書きたいと思います。

ブログを開設致しました!!

2006-11-11 11:28:58 | Weblog
皆さん…こんにちわ!!

念願であったブログをようやく開設致しました。

当ブログでは今から約8年前に自らを突然襲った悪性リンパ腫に関する闘病談及び経験談…そして今もなお続く治療に対する精神的及び身体的なモチベーションの保ち方ついて自分なり綴っていこうと思っています。
同じ病気等でお悩みの方々と当ブログ上で意見交換や情報収集をさせて頂く上で…自分や当ブログを訪問された方々の元気の糧になればと思っております。

また不定期的に現在の日本を取り巻く社会問題や外交問題や経済問題についても自分なりに意見等をコラム風に綴っていきたいと思っております(更に不定期的に自分の持つ趣味や薀蓄についても語っていきたいと思っておりますので暇のある方は覗いてみて下さい)。

どうか今後とも宜しくお願い致します。