ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

二・二六事件

2017年02月26日 | 歴史資料

二・二六事件(ににろくじけん、にいにいろくじけん)は、1936年昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官を率いて起こした日本クーデター未遂事件である。

この事件の結果岡田内閣が総辞職し、後継の廣田内閣思想犯保護観察法を成立させた。

 

概要

陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら(陸軍幼年学校旧制中学校から陸軍士官学校に進み任官した、20歳代の隊附の現役大尉中尉少尉達)は、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えていた。彼らはこの考えのもと、1936年(昭和11年)2月26日未明に決起する。

決起将校らは歩兵第1連隊歩兵第3連隊近衛歩兵第3連隊野戦重砲兵第7連隊等の部隊中の一部を指揮して、岡田啓介内閣総理大臣鈴木貫太郎侍従長斎藤實内大臣高橋是清大蔵大臣渡辺錠太郎陸軍教育総監牧野伸顕前内大臣を襲撃、総理大臣官邸警視庁、内務大臣官邸、陸軍省参謀本部、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞を占拠した。

そのうえで、彼らは陸軍首脳部を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えたが、天皇はこれを拒否。天皇の意を汲んだ陸軍と政府は彼らを「叛乱軍(反乱軍)」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。叛乱(反乱)将校たちは下士官兵を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。しかし、事件の首謀者達は銃殺刑に処された。

事件後しばらくは「不祥事件(ふしょうじけん)」「帝都不祥事件(ていとふしょうじけん)」[3]とも呼ばれていた。
算用数字226事件2・26事件[4]とも書かれる。

 

Wikipedia  より

 

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2016年09月07日 | 日記・紀行

 

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中華人民共和国

2016年06月05日 | 北東アジア問題資料

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、中国語: 中華人民共和國/中华人民共和国: People's Republic of China, PRC)、通称中国(ちゅうごく、: China)は、東アジアに位置する主権国家である。同国は、13億5千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。同国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である[4]

第二次世界大戦における大日本帝国降伏後、中国大陸において国民党を破った共産党により、1949年10月1日に北京市にて建国された。

同国は、22省級行政区、5自治区、北京市・天津市上海市重慶市の4直轄市、大部分が自治的な香港マカオの2特別行政区を法域とする。

同国は、今日では台湾として一般に知られ、分離した政治的実体である中華民国により統治される台湾地区の領有をも主張する。この主張には、台湾省として台湾島を、福建省の一部として金門県及び馬祖島を、海南省の一部として南シナ海で中華民国が支配する島嶼を各々含み、複雑な台湾の政治的立場のため論争の的になっている。[5]

計測方法によるが、陸地面積では世界第2位[6]総面積では世界第3位又は第4位である。同国の地形は、乾燥した北の森林ステップゴビ砂漠タクラマカン砂漠から、多湿な南の亜熱帯の森林まで広大かつ多様である。ヒマラヤ山脈カラコルム山脈パミール高原天山山脈により、同国は及び中央アジアから切り離されている。長さ世界第3位長江及び同世界第6位黄河は、チベット高原から人口密度の高い東の沿岸地域に流れる。同国の太平洋に沿った海岸線は14,500kmの長さで、渤海黄海東シナ海南シナ海に囲まれている。

中国は、繁栄及び衰退の繰り返しだと考えられる過去200年間の大部分で世界最大かつ最も複雑な経済を有した。[7][8]1978年における改革開放の導入以来、中国は世界で最も成長率が高い主要経済大国のうちの1つになった。2013年時点で、同国は名目GDP及び購買力平価のいずれにおいても世界第2位の経済大国であり(2014年には国際通貨基金世界銀行CIAワールドファクトブックによると購買力平価は世界最大のGDPとなった[9][10][11])、世界最大の輸出国及び輸入国である。[12]同国は核保有国に認められ、世界第2位の防衛予算世界最大の常備軍を有する。中華人民共和国は1971年以来国際連合加盟国であり、中華民国の後任として安全保障理事会常任理事国である。中国は多数の公式及び非公式の多国間機構加盟国であり、WTOAPECBRICs上海協力機構BCIMG20がこれに該当する。中国はアジアの地域大国であり、多数の解説者により潜在的な超大国として特徴付けられてきた。[13][14]

 

※出典 Wiki

中華人民共和國 の項

https://goo.gl/pgAWFO

 

 

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“物神崇拝狂”西尾幹二の「魔の祈祷書」十巻 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(18)b

2015年01月30日 | ニュース・現実評論資料集

中川八洋論考資料

※引用出典

http://goo.gl/uy0va5

“物神崇拝狂”西尾幹二の「魔の祈祷書」十巻 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(18)b

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

>><<転載続き

西尾幹二の物神崇拝狂は、どこから?

 大東亜戦争崇拝教というカルト宗教の犯罪性というか、この宗教団体が日本国を根底から最も毀損している問題は、靖国神社をその教団本部に改造した、靖国神社に対する冒涜行為。言うまでもなく、昭和天皇暗殺団の一味だった松平永芳が、昭和天皇憎しと、昭和天皇が断固として排除せよと命じていたA級戦犯靖国神社に祀る狂気の蛮行を強行して、靖国神社を簒奪したのである。一九七八年であった。

 大東亜戦争崇拝狂教団が、日本国民の永遠の聖なる社を乗っ取ったのである。松平永芳が、「皇国史観」という四文字で隠した昭和天皇暗殺団の教祖・平泉澄の愛弟子であることは、つとに知られたこと。だが、神官の資格もない、使い物にならない馬鹿軍人だった松平永芳は、ただひたすら、昭和天皇に叛旗を翻すことのみを信条として生涯を終えた“反日の奇人”。

 松平永芳は、A級戦犯を「殉教者」として靖国神社祭神として祀り崇拝する事は昭和天皇の逆鱗に触れることだから、どうしてもそれをしたかった。これが靖国神社を解体消滅せんと戦後一貫して暗躍したコミュニスト美山要蔵の播いた罠に飛びついた理由である。これによって、大東亜戦争崇拝狂教団はまた、靖国神社破壊もその教義の一つにしてしまった。松平永芳については、本格的な論文がすでに完成しているのでそれに譲るとして、本稿の論点である西尾幹二に話を戻す。

 松平は、処刑されたA級戦犯の犯罪を個々に再吟味することなく、米国主導の軍法会議の判決で処刑されたとの上っ面の理由において“聖戦の殉教者”とした。このやり方は、例えば、キリスト教において布教の地で殺された宣教師などの扱いで見られる、中世ヨーロッパ型の宗教儀式の踏襲である。A級戦犯“聖戦の殉教者”とみなす事は、歴史学と軍刑法学的に完全な間違いだから断じて許されないが、このタイプの宗教儀式が存在しうる事は認めざるを得ない。

 だが、西尾幹二のような、GHQに市販を禁止されただけで、この市販禁止のリストにあがった本を、“聖戦の殉教書籍”とみなす奇々怪々な宗教信条は、この地球上のいかなる人類にもかって散見されたことが無い。人間でなく物である本を礼拝するとは、まさにカルトの中のカルトである。

 西尾幹二のこの狂的礼拝儀式こそは、マルクスの言葉を用いれば、物神崇拝 fetischismusでなくで何であろう(注4)。ニーチェには物神崇拝の狂癖はないから、西尾のこのカルト、一体どこから伝染したのだろう。それとも、西尾幹二は生まれながらに物神崇拝の狂気に犯されていたのだろうか。

 

1、多くの史料が残っているが、たとえば、ヒトラーの側近アルベルト・シュペーアの『第三帝国の神殿にて』下巻、中公文庫、三二四頁、等をみよ。そこに、ヒトラーの発言「ドイツ民族は、極めて原始的な生存に要する基礎的なものすら不要だ。ドイツ民族は、自分でそれらのものすら破壊する方がよい(=ドイツ全土を焦土化し、ドイツを廃墟とせよ)」が記録されている。

2、尾崎秀実の獄中手記や検事訊問調書の類はすべて、『現代史資料2 ゾルゲ事件2』、みすず書房、に収録されている。

3、例えば、次のような文献がある。『毛沢東思想万歳』下巻、三一書房、一八七頁。李志綏『毛沢東の私生活』下巻、文藝春秋、三五〇~三頁。

4、マルクス資本論 一』、岩波文庫、一六七頁。

 

 

 

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“物神崇拝狂”西尾幹二の「魔の祈祷書」十巻 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(18)a

2015年01月30日 | ニュース・現実評論資料集

 

中川八洋論考資料

※引用出典

http://goo.gl/uy0va5

“物神崇拝狂”西尾幹二の「魔の祈祷書」十巻 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(18)a

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 西尾幹二の、真赤な嘘で塗り固められた“悪魔の対日本人洗脳教宣本”シリーズ『GHQ焚書図書開封』も、いよいよ第十巻になった。ルソーやニーチェを挙げるまでもなく、古来より国家社会に害をなす執筆者は精力的に悪書を大量かつ無尽蔵に垂れ流す。これら「悪書は、必ず良書を駆逐する」。

 大量執筆を誇る煽動家で売文専業作家の西尾幹二も、この好例。苦笑して見過ごして済むならそうしたいが、そんな無責任が祖国日本に禍をもたらす。逃避は悖徳。

スターリン大東亜戦争に日本国民を駆り立て日本を亡国に突き落した、真赤な「反日」教宣本が、“殉教の聖なる書籍群”とはいったい何だ?

 それはともかく、スターリンと結合していた「帝国陸軍」という名の実態は「赤軍」であった日本陸軍が、逆検閲で大東亜戦争中に強制的に出版させた、日本国民を騙す目的の戦時洗脳宣伝本を、何か聖なる書物かのごとくに崇める西尾幹二の異常で異様な『GHQ焚書図書開封』を、さらりとだが、改めて第一巻から第十巻まで通読してみた。貫かれている、ある特殊な特性の存在に気付いた。

 すなわち、『GHQ焚書図書開封』から漂う、異様なカルト的な宗教性は、GHQが市販を禁じただけの、戦後日本人の眼にはただ呆れるばかりでだれ一人として読むものがいなかった大量のペテン本を、祭壇に祀る宗教儀式で論を進めているからだ。つまり西尾幹二は、GHQが市販を禁じた、ただそれだけの事由において、これら日本国民騙しの真赤な反・歴史本を、「米国に殉死させられた“殉教の聖書群”」と崇めている。本の市販禁止(所有は容認)をもって人間の殉死や死刑と同視するのは、精神医学的に正常の範囲と看做せるか。

 第二に、西尾幹二は、狂人特有の思い込みに過ぎないのだが、「GHQの犠牲となった“殉教の聖なる書籍群”」を弔慰し鎮魂を祈るための祈祷書として、『GHQ焚書図書開封』を書いている。『GHQ焚書図書開封』は、明らかに黒魔教的な“祈祷書”であって、それ以外の性格のものではない。

 第三に、西尾幹二は、この二十一世紀において、一九三七年に日本が始めた大東亜戦争を、これからの日本は再開すべきと妄想する。いわゆる「第二の対英米戦争」をしきりに訴える“狂人”西尾の狙いは、日本から戦争を仕掛けられた米国に再び報復され、今度こそは日本民族が根こそぎ殺戮される究極の大敗北(日本国の廃墟化)なのは言うまでもなかろう。

 そうなれば、『GHQ焚書図書開封』全十巻は、“新たな対米戦争の祈祷書”でもある。『GHQ焚書図書開封』に漂う、薄気味の悪い嫌な気配を超えた、時に戦慄が背筋を走るような血腥さを感じる読者がいるが、決して過敏すぎる反応ではない。

 西尾幹二は、米国に転嫁しているが、インカ帝国のインカ民族を皆殺しにした“ピサロの再来”を無意識下に自認している。かつてのインカ民族のように日本民族を絶滅するまで殺戮したくてしたくてたまらないのが、西尾幹二の心底の真意だろう。日本民族殺戮の方法として、みずからの手を汚さず、米国にそうさせることを思いついたに過ぎない。

スターリンの対日侵略策謀の模倣か、ヒトラーのドイツ廃墟主義の踏襲か

 傘寿となった西尾幹二の、この日本版ピサロの自画像は、スターリンから学んだのだろうか、それともヒトラーから学んだのだろうか。

 かつてスターリンが日本列島すべてを無血占領すべく、日本に対米戦争を宣戦させ、米国に報復させ、日本男児の激減と兵力の蕩尽をきたしたところに対日侵略を開始することを考え、その旨に沿っての戦争を近衛文麿帝国陸軍に命じた。西尾は、このスターリンのアイディアを踏襲しているのだろうか。

 それとも、ヒトラーとは実は、連合国の空襲と地上戦闘でドイツをして廃墟とし、またドイツ民族が絶滅するのを企図していたが、このようなニーチェに始まりヒトラーに実行されたドイツ廃墟主義思想を、西尾は、日本に適用したいのだろうか。

 ヒトラーユダヤ人絶滅の次段階で考えていたのはドイツ人絶滅であった。ドイツ人が、このヒトラーの真意に気付くのは、一九四四年頃。すでにヒトラーがその方向に走り出した後だった(注1)。「ドイツ千年王国」とか、「ドーバー海峡からボルガ川までの)ドイツ生活圏の創造」とか、ドイツ人に夢想の甘言を振り撒く男に、ドイツへの愛国心などひとかけらも存在しない。

 真正の愛国者の言葉は、いかなる国家においても、ただひたすら苦く、甘さなど全く無縁だった。人類六千年間の国家と愛国者の歴史を紐解けば、この事実は自明で常識。西尾幹二が日本人に垂れる甘言ばかりの大量の雑文が、日本国への憎悪なしに可能だろうか。日本人への呪詛なしに可能だろうか。

 さて、レーニンに始まる共産主義であれ、ナチズムという名のヒトラー廃墟(国家廃滅)主義であれ、これら政治権力を求めるカルト宗教は、徹底弾圧しない限り、その自然消滅もしくは自然的な有害性の喪失まで、おおむね九十年はかかる。ソ連というテロルのカルト政教一致国家は、七十四年目に崩壊してロシアに回帰し、消滅まで九十年はかからず、十五年間ほど早かった。

 レーガン大統領の核戦争脅迫にソ連共産党が真に恐怖したことと、ソ連共産党の盾であった身内KGB第二総局がアンドロポフの命令で共産党に叛旗を闡明したことの新事態が、どうやら十五年ほどの短縮に貢献したようだ。

 以上のカルト宗教盛衰の一般原則に従えば、軍事史や国際政治学の対象でしかない大東亜戦争を、あろうことか聖戦であるかに崇める大東亜戦争のカルト宗教化は、一九六三年に新型アナーキスト林房雄によって開始されたから、二〇〇八年からの“祖国呪詛祈祷師”西尾幹二が暗躍する現在まで、まだ五十年しか経っていない。

 どうやら、大東亜戦争崇拝教の狂徒たちは、消滅するまでの今後四十年間は、この日本国を踊り騒いで喰い尽くすらしい。

 これでは日本国は、シロアリに内側を喰われた床の間の銘木のようなもの。四十年も経ずして遠からず空洞化と腐食において倒壊に至るは必然。

 本稿は、大東亜戦争を論じるものではないからその分析は割愛する。が、大東亜戦争とは何であったかを端的に正しく知りたい読者には、尾崎秀実の尋問調書(注2)を越えるものはないのだから、その一読を勧める。

毛沢東支那全土共産化戦争/金日成の韓国侵略戦争は、大東亜戦争を後継したその嫡統の“拡大大東亜戦争

 大東亜戦争について唯一つだけ注意をしておきたい。大東亜戦争が一九四五年八月のポツダム宣言受諾と九月二日の戦艦ミズーリーでの降伏文書調印で終了したとの浅薄な誤解が、共産党員以外の戦後の日本人の間で常識になった深刻な無知無教養な問題についてである。

 スターリンが計画しコミュニスト近衛文麿にその実行を命じた大東亜戦争(1937年7月~1945年9月)は、毛沢東金日成ホーチミンの三名に正統に継承され、拡大(enlarged)大東亜戦争となる。拡大大東亜戦争は、三戦争により構成される。

 第一の戦争が、毛沢東による支那全土赤化のための、蒋介石の国民党政権の支那からの追放であり、世に言う国共内戦である。一九四九年十月、毛沢東の共産軍が勝利し、中共という赤い帝國が東アジアに君臨することとなり、今では日本列島に侵攻する態勢まで完備した。尖閣諸島はもとより沖縄すら中共の侵略に風前の灯となっている、日本の亡国まっしぐらの今日の情況は、七十年を経た今もなお、大東亜戦争が日本国に叛逆し続けていることを示していよう。

 なお毛沢東は、日本の大東亜戦争が、毛沢東に代理して蒋介石の国民党政権つぶしであった歴史を正しく認識していた(注3)大東亜戦争をそうではなく、さも「已むを得ざる自衛の戦争だった」などと真赤な歴史偽造を狂信し教宣する西尾幹二ら嘘歴史屋/歴史偽造集団ばかりの「民族系」という“売国奴日本人たち”は、北朝鮮かシベリアに追放されねばならない。

 日本人から歴史の真実を剥奪せんとする、「反日」が秘めた信条の「民族系」は、スターリンが日本国内にでっちあげた妄想上の蜃気楼“英米の対日侵略”を妄信する反・歴史の狂った低級人士たちである。通常の日本国民として扱ってよいレベルではなく、国外追放処分が適切な、一種の犯罪者群。

 拡大大東亜戦争の第二は、一九五〇年六月、北朝鮮の韓国への侵略で開始された朝鮮戦争。この戦争は、マッカーサーの迅速な対応と米国の数万人の兵士の命を代償に旧分割線の三十八度線にて再び朝鮮半島を分割して一時停戦し今に至っている。

 朝鮮半島の全土赤化に失敗した金日成を慰めるために企画されたのが、林房雄の『大東亜戦争肯定論』だった。「北朝鮮発祥の原点である近衛文麿首相以降の)赤色日本国も対米戦争に敗北し“共産国・日本づくり”をふいにしたのだから、金日成様が朝鮮半島全域の赤化に失敗したことをそんなに悔恨する必要はありません。米国に敗北しても大東亜戦争が肯定されるように、朝鮮戦争も必ず肯定されます」、と。

 拡大大東亜戦争の第三は、ベトナムの共産化に成功したホー・チミンの対仏戦争(1945~54年)と対米戦争(1960~75年)だが、これは省略しよう。

アジア共産革命戦争だった大東亜戦争を崇拝し教宣する“反日の嘘宣伝屋”

 大東亜戦争は、戦後日本において、昭和天皇を頂点に、圧倒的多数の健全な日本国民に全面否定された。大東亜戦争が、祖国叛逆の“反日の戦争”だったと正しく観るのが、一九六〇年代までの日本だった。

 自衛だとか侵略だとかの論争も、国内共産勢力側が仕掛けた対日共産革命の罠・策謀ではないかと喝破して、これにかかわらない賢明さも圧倒的多数の日本国民の智慧であった。が、これら一九六〇年代までの多数派は、大東亜戦争が「スターリン企画・主導の戦争であること」「帝国陸軍が共産軍であったこと」「英米との戦争は英米に反撃されて廃墟となって、日本に共産革命の土壌が造られるのを狙ったもの」など大東亜戦争史の最重要核心について、漠然とした常識のままに放置して、これを定説化する努力をいっさいしなかった。

 それが、大東亜戦争崇拝教というカルトを、一九八〇年代以降の日本に勃興させる隙を与えることとなった。それはともかく、大東亜戦争崇拝教の開祖から現在も暗躍中の黒い祈祷師まで、代表的なプロパガンディストたちを表1にリストしておく。いずれも大東亜戦争崇拝教の札付きの嘘宣伝家。彼らの本性は、ヒットラーの側近ゲッベルスそのもので、日本の近未来をナチ・ドイツと同様に奈落の亡国へと突き落さんとすることに、その詐術を駆使した/している。

表1;狂気「大東亜戦争崇拝教」の四大ゲッベルス(嘘宣伝家)

日本版ゲッベルス

悪の教典

血統

祖国の有無/イデオロギー

背後

林房雄(開祖)

1963年に連載開始の『大東亜戦争肯定論』。

日本人

祖国なし。日本国廃滅主義。共産党を離党し、共産主義思想のニヒリズム(プレ・ポストモダンの先駆者。

中央公論』編集長・笹原金次郎(北朝鮮)、朝鮮総連金日成

松平永芳

A級戦犯を聖戦殉教者とするカルト狂。1978年決行。

日本人

祖国はソ連。「日本の天皇」に“スターリン”を置換したいスターリン狂。昭和天皇暗殺教教団平泉澄の「皇国史観」教団)の最後の狂徒。

戦前は満洲ソ連軍無血占領を瀬島龍三らと画策し、戦後は靖国神社潰しに集中したソ連KGB工作員・美山要蔵の一派。

名越二荒之助

大東亜戦争を見直そう』(1968年)、1980年代に大々的に教宣活動を展開。

北朝鮮

祖国はソ連共産主義者。日本のソ連属国化を狙う。一九八〇年代初頭から「日本会議」のイデオローグ。その事務総長・椛島有三の同志。

ソ連KGB第一総局キリチェンコ機関に所属する、その対日情報工作員

北朝鮮工作員も兼務。長男の健郎もKGB工作員

西尾幹二(黒魔術的な祈祷師)

GHQ焚書図書開封』、第一巻2008年。

日本人

祖国なしの無国籍人、精神病から自国が認識できない。ニーチェヒトラー主義。プレ・ポストモダン

チャンネル桜朝鮮総連北朝鮮

 

 この四名のリストを眺めると、四名に共通している重大なことが判明する。四名とも、背後の北朝鮮ソ連かに操られている、外国と通謀している事実である。簡単に言えば、ソ連北朝鮮の対日工作網が、もし仮に日本に存在しないならば、この四名はむろん、大東亜戦争崇拝教そのものが、日本国には存在しないということである。

 要するに、日本を破壊せんとする敵性外国に使嗾された、これら売国奴たちが、さも愛国行動かに嘘演技して嘯くカルト宗教、それが大東亜戦争崇拝教である。大東亜戦争崇拝教の本質は、反日極左の祖国反逆で、オウム真理教と同様、破防法的な立法をもって弾圧を合法化し、この日本国から一掃しなくてはならない。これが国を守るということであり、真正な愛国的行動である。

 ※転載続く

 

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日米安全保障条約

2014年07月17日 | 歴史資料

 

「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」
「TREATY OF MUTUAL COOPERATION AND SECURITY BETWEEN JAPAN AND THE UNITED STATES OF AMERICA」

昭和三十五年六月二十三日、条約第六号
1960(昭35)・1・19 ワシントンで署名、
1960・6・23 批准書交換、発効(昭35外告49)


 日本国及びアメリカ合衆国は、両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、
 また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条件を助長することを希望し、
 国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、
 両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、
 両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、
 相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よって、次のとおり協定する。


第一条:
 締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしない ように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合 の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。
 締約国は、他の平和愛好国と協同して、国際の平和及び安全を維持する国際連合の任務が一層効果的に逐行されるように国際連合を強化することに努力する。
ARTICLE I
The Parties undertake, as set forth in the Charter of the United Nations, to settle any international disputes in which they may be involved by peaceful means in such a manner that international peace and security and justice are not endangered and to refrain in their international relations from the threat or use of force against the territorial integrity or political independence of any state, or in any other manner inconsistent with the purposes of the United Nations. The Parties will endeavor in concert with other peace-loving countries to strengthen the United Nations so that its mission of maintaining international peace and security may be discharged more effectively.


第二条:
 締約国は、その自由な諸制度を強化することにより、これらの制度の基礎をなす原則の理解を促進することにより、並びに安定及び福祉の条件を助長すること によって、平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する。締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協 力を促進する。
ARTICLE II
The Parties will contribute toward the further development of peaceful and friendly international relations by strengthening their free institutions, by bringing about a better understanding of the principles upon which these institutions are founded, and by promoting conditions of stability and well-being. They will seek to eliminate conflict in their international economic policies and will encourage economic collaboration between them.


第三条:
 締約国は、個別的及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。
ARTICLE III
The Parties, individually and in cooperation with each other, by means of continuous and effective self-help and mutual aid will maintain and develop, subject to their constitutional provisions, their capacities to resist armed attack.


第四条:
 締約国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締約国の要請により協議する。
ARTICLE IV
The Parties will consult together from time to time regarding the implementation of this Treaty, and, at the request of either Party, whenever the security of Japan or international peace and security in the Far East is threatened.


第五条:
 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
 前記の武力攻撃及びその結果として執ったすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従って直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならな い。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執ったときは、終止しなければならない。
ARTICLE V
Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and safety and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes. Any such armed attack and all measures taken as a result thereof shall be immediately reported to the Security Council of the United Nations in accordance with the provisions of Article 51 of the Charter. Such measures shall be terminated when the Security Council has taken the measures necessary to restore and maintain international peace and security.


第六条:
 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリ力合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
 前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。
ARTICLE VI
For the purpose of contributing to the security of Japan and the maintenance of international peace and security in the Far East, the United States of America is granted the use by its land, air and naval forces of facilities and areas in Japan. The use of these facilities and areas as well as the status of United States armed forces in Japan shall be governed by a separate agreement, replacing the Administrative Agreement under Article III of the Security Treaty between Japan and the United States of America, signed at Tokyo on February 28, 1952, as amended, and by such other arrangements as may be agreed upon.


第七条:
 この条約は、国際連含憲章に基づく締結国の権利及び義務又は国際の平和及び安全を維持する国際連合の責任に対しては、どのような影響も及ぼすものではなく、また、及ぼすものと解釈してはならない。
ARTICLE VII
This Treaty does not affect and shall not be interpreted as affecting in any way the rights and obligations of the Parties under the Charter of the United Nations or the responsibility of the United Nations for the maintenance of international peace and security.


第八条:
 この条約は、日本国及びアメリカ合衆国により各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない。この条約は、両国が東京で批准書を交換した日(昭和三五年六月二三日)に効力を生ずる。
ARTICLE VIII
This Treaty shall be ratified by Japan and the United States of America in accordance with their respective constitutional processes and will enter into force on the date on which the instruments of ratification thereof have been exchanged by them in Tokyo.


第九条:
 千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約は、この条約の効力発生の時に効力を失う。
ARTICLE IX
The Security Treaty between Japan and the United States of America signed at the city of San Francisco on September 8, 1951 shall expire upon the entering into force of this Treaty.


第十条:
 この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。
 もっとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する。
ARTICLE X
This Treaty shall remain in force until in the opinion of the Governments of Japan and the United States of America there shall have come into force such United Nations arrangements as will satisfactorily provide for the maintenance of international peace and security in the Japan area. However, after the Treaty has been in force for ten years, either Party may give notice to the other Party of its intention to terminate the Treaty, in which case the Treaty shall terminate one year after such notice has been given.


以上の証拠として、下名の全権委員は、この条約に署名した。
1960年1月19日にワシントンで、ひとしく正文である日本語及び英語により本書2通を作成した。
 日本国のために
  岸信介
  藤山愛一郎
  石井光次郎
  足立正
  朝海浩一郎

 アメリカ合衆国のために
  クリスチャン・A・ハーター
  ダグラス・マックアーサー二世
  J・グレイアム・パースンズ
条約第6条の実施に関する交換公文〔昭35・1・19岸・ハーター交換公文〕
 (日本側往簡)
書簡をもつて啓上いたします。本大臣は、本日署名された日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に言及し、次のことが同条約第6条の実施に関する日本国政府の了解であることを閣下に通報する光栄を有します。
合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更並びに日本国から行なわれる戦闘作戦行動(前記の条約第5条の規定に基づ いて行なわれるものを除く。)のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする。本大臣は、閣下が、前記のこ とがアメリカ合衆国政府の了解でもあることを貴国政府に代わつて確認されれば幸いであります。
本大臣は、以上を申し進めるに際し、ここに重ねて閣下に向かつて敬意を表します。
 (合衆国側返簡)
書簡をもつて啓上いたします。本長官は、本日付けの閣下の次の書簡を受領したことを確認する光栄を有します。
 〔日本側書簡省略〕
本長官は、前記のことがアメリカ合衆国政府の了解でもあることを本国政府に代わつて確認する光栄を有します。
本長官は、以上を申し進めるに際し、ここに重ねて閣下に向かつて敬意を表します。


以下、英文による「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」
「Japan-U.S. Security Treaty」
外務省ホームページの次のURLに掲載されています。
http://www.mofa.go.jp/region/n-america/us/q&a/ref/1.html


「TREATY OF MUTUAL COOPERATION AND SECURITY BETWEEN JAPAN AND THE UNITED STATES OF AMERICA」


ARTICLE I
The Parties undertake, as set forth in the Charter of the United Nations, to settle any international disputes in which they may be involved by peaceful means in such a manner that international peace and security and justice are not endangered and to refrain in their international relations from the threat or use of force against the territorial integrity or political independence of any state, or in any other manner inconsistent with the purposes of the United Nations. The Parties will endeavor in concert with other peace-loving countries to strengthen the United Nations so that its mission of maintaining international peace and security may be discharged more effectively.


ARTICLE II
The Parties will contribute toward the further development of peaceful and friendly international relations by strengthening their free institutions, by bringing about a better understanding of the principles upon which these institutions are founded, and by promoting conditions of stability and well-being. They will seek to eliminate conflict in their international economic policies and will encourage economic collaboration between them.


ARTICLE III
The Parties, individually and in cooperation with each other, by means of continuous and effective self-help and mutual aid will maintain and develop, subject to their constitutional provisions, their capacities to resist armed attack.


ARTICLE IV
The Parties will consult together from time to time regarding the implementation of this Treaty, and, at the request of either Party, whenever the security of Japan or international peace and security in the Far East is threatened.


ARTICLE V
Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and safety and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes. Any such armed attack and all measures taken as a result thereof shall be immediately reported to the Security Council of the United Nations in accordance with the provisions of Article 51 of the Charter. Such measures shall be terminated when the Security Council has taken the measures necessary to restore and maintain international peace and security.


ARTICLE VI
For the purpose of contributing to the security of Japan and the maintenance of international peace and security in the Far East, the United States of America is granted the use by its land, air and naval forces of facilities and areas in Japan. The use of these facilities and areas as well as the status of United States armed forces in Japan shall be governed by a separate agreement, replacing the Administrative Agreement under Article III of the Security Treaty between Japan and the United States of America, signed at Tokyo on February 28, 1952, as amended, and by such other arrangements as may be agreed upon.


ARTICLE VII
This Treaty does not affect and shall not be interpreted as affecting in any way the rights and obligations of the Parties under the Charter of the United Nations or the responsibility of the United Nations for the maintenance of international peace and security.


ARTICLE VIII
This Treaty shall be ratified by Japan and the United States of America in accordance with their respective constitutional processes and will enter into force on the date on which the instruments of ratification thereof have been exchanged by them in Tokyo.


ARTICLE IX
The Security Treaty between Japan and the United States of America signed at the city of San Francisco on September 8, 1951 shall expire upon the entering into force of this Treaty.


ARTICLE X
This Treaty shall remain in force until in the opinion of the Governments of Japan and the United States of America there shall have come into force such United Nations arrangements as will satisfactorily provide for the maintenance of international peace and security in the Japan area. However, after the Treaty has been in force for ten years, either Party may give notice to the other Party of its intention to terminate the Treaty, in which case the Treaty shall terminate one year after such notice has been given.


IN WITNESS WHEREOF the undersigned Plenipotentiaries have signed this Treaty.

DONE in duplicate at Washington in the Japanese and English languages, both equally authentic, this 19th day of January, 1960.

FOR JAPAN:
Nobusuke Kishi
Aiichiro Fujiyama
Mitsujiro Ishii
Tadashi Adachi
Koichiro Asakai

FOR THE UNITED STATES OF AMERICA:
Christian A. Herter
Douglas MacArthur 2nd
J. Graham Parsons

 

 

 

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日米安全保障条約

2014年07月17日 | 憲法論資料

 


日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約

    通称:日米安全保障条約
    昭和三十五年六月二十三日条約第六号

前文

日本国及びアメリカ合衆国は、両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条件を助長することを希望し、国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よって、次のとおり協定する。

第一条

締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。

締約国は、他の平和愛好国と協同して、国際の平和及び安全を維持する国際連合の任務が一層効果的に逐行されるように国際連合を強化することに努力する。

第二条

締約国は、その自由な諸制度を強化することにより、これらの制度の基礎をなす原則の理解を促進することにより、並びに安定及び福祉の条件を助長することによって、平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する。締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する。

第三条

締約国は、個別的及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。

第四条

締約国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締約国の要請により協議する。

第五条

各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。

前記の武力攻撃及びその結果として執ったすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従って直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執ったときは、終止しなければならない。

第六条

日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリ力合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。

前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。

第七条

この条約は、国際連含憲章に基づく締結国の権利及び義務又は国際の平和及び安全を維持する国際連合の責任に対しては、どのような影響も及ぼすものではなく、また、及ぼすものと解釈してはならない。

第八条

この条約は、日本国及びアメリカ合衆国により各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない。この条約は、両国が東京で批准書を交換した日(昭和三五年六月二三日)に効力を生ずる。

第九条

千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約は、この条約の効力発生の時に効力を失う。

第十条

この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。

もっとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する。

署名

  以上の証拠として,下名の全権委員は,この条約に署名した。
  千九百六十年一月十九日ワシントンで,ひとしく正文である日本語及び英語により本書二通を作成した。

  日本国のために

    岸信介
    藤山愛一郎
    石井光次郎
    足立正
    朝海浩一郎

  アメリカ合衆国のために

    クリスチャン・A・ハーター
    ダグラス・マックアーサー二世
    J・グレイアム・パースンズ

 

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集団的自衛権 行方を問う

2014年06月09日 | ニュース・現実評論資料集

 

1)(集団的自衛権 行方を問う)解釈改憲には訴訟リスク

                   憲法学者・木村草太氏

2014年6月7日05時00分

 集団的自衛権の行使を容認するのか、その手段として解釈改憲が適当か。二つを分けて考えるべきだ。登山にたとえると、政府は「あの山(集団的自衛権の行使)にこの崖(解釈改憲)から登ろう」と言っている。山に登るかは意見が分かれるが、憲法学者として、そもそもこの崖からは登れないと指摘したい。登ろうとすると、訴訟リスクが待ち受けているからだ。

 国家は、憲法で禁止された行動ができないだけでなく、憲法に根拠規定がない行動もできない。違憲だと訴えられたら致命的だ。

 憲法学者の間に「自衛隊違憲論」は根強いが、従来の政府解釈は、国民の生命や幸福の権利を尊重する憲法13条を根拠に、個別的自衛権は許容してきた。しかし集団的自衛権を基礎づける文言は、憲法上にない。

 つまり、集団的自衛権の行使の結果、政府が訴えられれば、巨額の賠償責任を負う可能性があるということだ。たとえば命令を拒否して懲戒処分になった自衛官や、本土への報復攻撃で被害を受けた人々から、国家賠償訴訟を提起される可能性がある。不安定な法的基盤のもとでは、首相は不安を抱えて集団的自衛権を行使することになる。

 情勢が緊迫しているから憲法を無視してもいいと開き直るのは、自ら違憲と認める自白に等しい。司法の現場では、政府がどれだけ必要だと言っても、違憲は違憲。多くの法学者が解釈改憲を違憲だと言っているのは、政治的な反対ではなく技術者としての忠告だ。

 国内の憲法を無視すると、国際法もないがしろにすると見られ、外交上もリスクが高い。三権分立をやっていない国はあるが、国際社会で信用されていない。その仲間入りをしてもいいのだろうか。支持を得る自信がないから解釈改憲に行くのだろうが、本気で集団的自衛権が必要だと考えるなら、真正面から憲法改正を提案するしかない。

 私自身は、行使容認自体にも、現段階では反対だ。アメリカに守ってもらうためのご機嫌取りが目的ならば、日米安保の枠組みでなぜ不十分なのかが疑問だ。

 (聞き手・高重治香)

    *

 きむら・そうた 首都大学東京准教授。専門は憲法学。東大助手を経て06年から首都大学東京准教授。著書に「憲法の急所」ほか。33歳。

 
2)(集団的自衛権 行方を問う)行使容認で外交に説得性 
                      
                                             政治学者・櫻田淳氏

2014年6月7日05時00分

 集団的自衛権の行使容認に、安倍晋三首相が解釈改憲という道筋を模索するのは確かに邪道だと思う。

 しかし、中国が海洋進出を進める緊迫した情勢を前にして、我々が戦後70年近く享受してきた平和の護持に関心を払うのであれば、憲法改正という迂遠(うえん)な道筋を選ぶわけにはいかない。解釈改憲に、法理上の疑義が生じたとしても、政治上は相応の合理性がある。

 集団的自衛権に伴う軍事手段を「刀」にたとえれば、考慮しないといけないのは「鈍(なまく)らな刀」であってはならないということだ。政府は事例を提示するが、いくら机上でシミュレーションしても、想定外のことが起こった時はどうするのか。集団的自衛権は本来、限定されるものではない。有事に際しての自衛隊の活動の幅は、できるだけ広く考えるべきだろう。

 集団的自衛権の行使を容認することは、米国のほか中国の圧力に直面する国々に対して相応の安心感を提供する意味で日本外交に従来以上の説得性を与えることになる。だが、重要なことは、刀を抜くか抜かないかという究極の判断だ。

 反対派は集団的自衛権の行使を容認すれば、米国の戦争に日本は必ず巻き込まれると主張する。だが、ベトナム戦争時、英国は米国のために参戦しなかった。フォークランド紛争時、米国は、対英支援のために物資を供給しても戦闘部隊を派遣したわけではない。

 集団的自衛権の行使が前提となる「同盟」の枠組みにおいても、他国の紛争に対する無限定の関与を意味しない。このことを忘れた議論は、思考停止である。

 武士道で は、刀を研ぎ、訓練もするが、刀は抜くものではないという考えがある。日本を取り巻く国際情勢を前にすれば、そうした「普通の国」としての安全保障論議の 構えを手にすることは、日本外交の真の背骨を作る意味でも急ぐべきだ。1960年代半ば、憲法学者の小林直樹と政治学者の永井陽之助が憲法9条の理想と国際情勢の現実論で対峙(たいじ)したように、安全保障論争の不毛な風景は、半世紀を経た今も変わっていない。

 (聞き手・池尻和生)

    *

 さくらだ・じゅん 東洋学園大学教授。専門は国際政治。自民党衆院議員の政策担当秘書を経て現職。著書に「『常識』としての保守主義」。49歳。

 
 
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6月2日(月)のTW :アルバム「詩仙堂・曼殊院」

2014年06月03日 | 北東アジア問題資料
 

6月2日(月)のTW :アルバム「詩仙堂・曼殊院」

2014年06月03日 | 日記・紀行

日経新聞、左翼記者の編集委員。 佐藤賢氏、独裁覇権中国を容認する事実上の属国主義者。中立を装って自らの価値観を明確にしない記事を書くことによって、実質的に中国を支持し「安倍外交」を非難している。【「安倍外交」の死角 中国けん制の本音】 nikkei.com/article/DGXNAS…

Facebookのアルバム「詩仙堂・曼殊院」に写真を15枚アップロードしました fb.me/6QR8KqvVO

新しい写真をFacebookに投稿しました fb.me/2e4FCObRH

返信 リツイート お気に入り                                                                     
 
 
※上記リンク先、日経新聞、左翼記者の編集委員、佐藤賢氏の記事。

日本経済新聞社

「安倍外交」の死角 中国けん制の本音

2014/6/2 7:00

日本経済新聞 電子版

安倍晋三首相は何を考えているのか――。中国政府が最近、外務省幹部にこんな質問を露骨にぶつけてくるという。「対話のドアはオープン」と 言いながら、中国に譲歩する余地を見せないからだ。どれほど摩擦が強まっても、対中けん制に軸足をがっちり置く安倍外交。単に中国が嫌いなのか、それとも 本音は別のところにあるのか。安倍は日本をどこへ連れていこうとしているのか。

 

■安倍ドクトリンの3本柱

 
 
共同

共同

 

「あなたの外交理念は何ですか?」

 4月8日、安倍は首相官邸を訪れた米ソフトウエア大手オラクルの最高経営責任者(CEO)、ラリー・エリソンから単刀直入にこんな質問を受 けた。エリソンは新経済連盟が開いた「新経済サミット」に出席するため来日し、新経連代表理事の三木谷浩史が連れてきた。関心は経済政策「アベノミクス」 だけでなく外交政策にも向いた。

 安倍は「3つある」と答え、ゆっくりとした口調で説明した。

 「1つ目は日米同盟を軸にしてアジア太平洋地域や世界の平和と安定を確保することだ。2つ目は環太平洋経済連携協定(TPP)など経済統合を進めていくこと。3つ目は自由と民主主義、法の支配など普遍的価値を広げていくことだ」

 安保、経済、価値意識の3つの角度からなる外交理念。政府高官は「これが安倍ドクトリンの3本柱」と位置づけたうえで「いずれも進めていけば、中国に対する抑止戦略に行き着く」と解説する。

 

■異口同音の「中国ナショナリズム」

 
 
すし店での夕食会で、歓談するオバマ米大統領と安倍首相(4月23日、東京・銀座)=内閣広報室提供

すし店での夕食会で、歓談するオバマ米大統領と安倍首相(4月23日、東京・銀座)=内閣広報室提供

 4月23日、東京・銀座のすし店「すきやばし次郎」。「中国は軍事費が10年間で4倍、20年余りで40倍に増えている。南シナ海では力に よる現状変更の試みを続けている。アジアに強く関与するメッセージを出すべきだ」。すしをつまみながら安倍がこう語りかけると、米大統領のオバマはうなず いた。

 ケミストリー(相性)が合わないとされる安倍とオバマだが、安倍は「ビジネスライクなオバマは嫌いじゃない」と周囲に漏らす。ビジネスライクな相手のやり方には、こちらも実務的に論理で攻める。沖縄県の尖閣諸島の防衛義務を負う言質をオバマから取り付けた。

 
 
 

 安倍は4月21日には官邸で米共和党の下院院内総務、カンターや下院予算委員長、ライアンらと会談し「中国は中国共産党の国だ。中国共産党 が一党支配を維持するためによりどころにしているのは2つ。一つは経済成長、もう一つはナショナリズムだ」と分析。「中華民族の偉大な復興」をスローガン に国威発揚をはかる習近平指導部の危うさを説いた。

 
ドイツのメルケル首相(右)との首脳会談では「中国ナショナリズム」が話題になった(4月30日、ベルリン)=共同

ドイツのメルケル首相(右)との首脳会談では「中国ナショナリズム」が話題になった(4月30日、ベルリン)=共同

 この9日後の4月30日。安倍が触れた「中国ナショナリズム」を異口同音に警告した外国首脳がいた。ドイツを訪問した安倍が首相のメルケル に「ウクライナ問題は欧州の問題だけでなく、アジアの問題でもある。中国には法の支配、海洋の自由を求めていく」と語ると、メルケルからは「中国はナショ ナリズムだ」との反応が返ってきた。

 中国の軍備増強と異質さが、日米欧の連携を強める「触媒」になっている。

 

■「世界の目指すべき姿を主張していく」

 

 「中国包囲網」を狙っているように見える一連の動きだが、安倍は「単なる中国けん制に矮小(わいしょう)化してもらいたくない」と不満を示すこともある。どういうことなのか。

 2012年12月に発足した第2次政権の外交のスローガンは「積極的平和主義」。当初、外務省の事務方が「能動的平和主義」という表現を提案したが、安倍が「能動的では分かりにくい」と難色を示して「積極的」に変えた。

 安倍にとっては、まずはこうした大きな総論の戦略に主眼があり、そのうえで各論として対中抑止の戦術がある。つまり、安保、経済、価値意識 という3つの外交理念を推し進めるというのが総論。それを実現しようとすると中国とぶつかってしまい、抑止戦略が必要になる、というのが各論だ。単に中国 が嫌いなわけではない、というわけだ。

 安倍は外務省幹部に次のようにも説明している。

 「戦後の日本は自分からは何も言わず、国際社会から『日本はこれをやってください』と言われて、まじめにそれをやっていた。これからは世界 の目指すべき姿を主張すべきだ。自由や民主主義の普遍的価値を広めることで、豊かで平和な世界が実現できるという概念を日本も明確に示していく」

 安倍はこれまでのような対米追随路線だけでは日本の国益は守れないと考え、日本人としての価値観を積極的に世界に向けて発信していくことに国益を見いだす。それが日本人の民族意識を刺激し、保守層を中心とする高い支持率につながっているといえる。

 
 
 

■国家主席へのメッセージ

 

 「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」を掲げる安倍が就任から約1年5カ月で訪問したのは37カ国。安全保障と経済の両輪で各国との連携の輪を広げる。だが、日本にとって肝心の隣国である中国と韓国はまだ訪れていない。地球儀外交に死角が残る。

 「外交は結果がすべてだ」。安倍からこう聞いた政府関係者は多い。交渉の過程がどうあろうとも、最終的に国益につながる結果を出せるかが、首相としての責任になる。

 
首相官邸に入る中国の胡徳平氏(4月8日)

首相官邸に入る中国の胡徳平氏(4月8日)

 4月8日、安倍は官邸で故・胡耀邦元中国共産党総書記の長男、胡徳平と会談した。国家主席の習近平と胡徳平はともに「太子党」と呼ばれる高 級幹部の子弟で、関係は近い。胡徳平は官邸を去る際に記者団に「民間の訪問」とだけ述べ、安倍と会談したかなどは一切明らかにしなかったが、実は安倍から 習近平へのメッセージを携えていた。

 「日中関係は最も重要な2国間関係の一つだ。課題があるからこそ対話すべきで、大局的見地からあらゆる分野で未来志向の協力関係を発展させていきたい。戦略的互恵関係の原点に立ち戻りたい」。安倍がこう語ると、胡徳平は習近平に伝える考えを示した。

 安倍の投げた「戦略的互恵関係の原点に戻る」というボール。どういう意味だろうか。

 「戦略的互恵関係」は06年10月に第1次政権の初の外国訪問先として中国を訪れた安倍が当時の国家主席、胡錦濤と合意して打ち出した日中 関係のキーワードだ。安倍の前任者、小泉純一郎による靖国神社参拝で冷え込んだ日中関係を仕切り直し、歴史問題の比重を下げ、問題があっても直接会って話 し合う関係を示していた。

 いまや習近平は歴史問題を再び日中関係の中心に据え、首脳会談の実現に条件を付けている。「原点に戻る」とは、首脳同士が直接会って話し合った06年の胡錦濤時代に戻ってほしいとのメッセージにほかならない。

 

■「友好は手段で目的ではない」

 

 一方、中国にとって「原点に戻る」とは12年の尖閣諸島の国有化や昨年末の安倍の靖国神社参拝の前の状態にすることだ。だから中国側は「尖閣」と「靖国」の2つの課題を関係改善の条件として安倍に突き付ける。

 
 
 

 5月9日、自民党の議員連盟「アジア・アフリカ問題研究会」(AA研)会長の野田毅と北京で会談した中国共産党序列4位で人民政治協商会議主席の愈正声が中国の立場を明確にした。

 「A級戦犯がまつられている靖国神社を参拝することは中国人民の心を傷つける。二度と傷つけるようなことをしてほしくない」。安倍が二度と 靖国神社に参拝しないよう求めた。尖閣諸島(中国名・釣魚島)を巡る日中の対立では「釣魚島は係争地である。係争地であることを認めれば関係打開の道が開 ける」と力説した。

 安倍は自民党関係者に「靖国神社に行かないと約束することは中国の内政干渉を許すことになる。しかも国のために戦った英霊に対する冥福を祈る行為自体に対する内政干渉で、許してはならない」と強調する。尖閣諸島を係争地と認める提案も完全に拒んでいる。

 安倍は周囲にこう話している。「外交は国益を実現する場だ。友好は手段であり、目的ではない。中長期的に国益にかなう判断をすれば、一時的に関係が崩れても仕方がない」。歴史や領土の問題では譲れない一線があり、固い信念と国益観が現実主義外交の前に立ちはだかる。

 

■一触即発のリスク

 

 だが、安倍の考える国益の追求は、「一時的な関係悪化」にとどまらない危うさもはらむ。自らの外交理念を推し進めていくことが、意思に反して思わぬ対立を招く可能性もある。

 5月24日には中国の戦闘機が東シナ海の公海上空を飛行していた自衛隊機に異常接近した。同日夜に防衛相の小野寺五典から電話で報告を受け た安倍は「引き続きしっかりした態勢をとってほしい」と指示。28日の衆院予算委員会では「偶発的事故につながりかねない危険極まりない行為」と批判し た。

 中国側は「日本側が(中ロ演習空域の)通告を無視して偵察機を中国の防空識別圏に進入させ、演習を妨害した」(外務省の秦剛報道局長)と反論。中国共産党は外交より内政や軍事を優先する。東シナ海で一触即発の事態が起きかねない現実が浮かび上がる。

 
「アジア安全保障会議」に出席し、講演する安倍首相(30日、シンガポール)=共同

「アジア安全保障会議」に出席し、講演する安倍首相(30日、シンガポール)=共同

 5月30日夜、シンガポール。「既成事実を積み重ね、現状の変化を固定しようとする動きは強い非難の対象とならざるを得ない」。アジア安全 保障会議に日本の首相として初めて出席した安倍は基調講演で、中国による防空識別圏の設定や南シナ海での衝突を念頭に中国を批判した。南シナ海の領有権争 いで中国と対立するベトナムとフィリピンへの支持も表明し、中国へのけん制を強めた。

 11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議は北京で開かれる。安倍はこれに合わせて2国間の首脳会談を実現させたい考えだが、 中国外務省の幹部は「このままでは難しい」と語る。習近平指導部には経済や地方、民間の交流は広げる一方、安倍を相手にしない空気が漂う。安倍と習近平が 探り合う妥協点と、そこへ向かうための腹合わせのパイプはまだ何も見えない。

=敬称略

(編集委員 佐藤賢)


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安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書 全文(5)

2014年05月17日 | ニュース・現実評論資料集

 

安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書 全文(5)

 

4、おわりに

 日本国憲法は、前文で「平和的生存権」を確認し、第13条で「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利」を定めているが、これらの権利は 他の基本的人権の根幹と言うべきものであり、これらを守るためには、主権者である国民の生存の確保、そして主権者である国民を守る国家の存立が前提条件で ある。また、憲法は、国際協調主義を掲げている。平和は国民の希求するところであり、国際協調主義を前提とした日本国憲法の平和主義は、今後ともこれを堅 持していくべきである。その際、主権者である国民の生存、国家の存立を危機に陥れることは、そのような憲法上の観点からしてもあってはならない。

 わが国を取り巻く安全保障環境は、技術の進歩や国境を超える脅威の拡大、国家間のパワーバランスの変化等によって、より一層厳しさを増してい る。また、日米同盟の深化や地域の安全保障協力枠組みの広がり、国際社会全体による対応が必要な事例の増大により、わが国が幅広い分野で一層の役割を担う ことが必要となっている。このように、安全保障環境が顕著な規模と速度で変化している中で、わが国は、わが国の平和と安全を維持し、地域・国際社会の平和 と安定を実現していく上で、従来の憲法解釈では十分対応できない状況に立ち至っている。

 憲法第9条の解釈は長年にわたる議論の積み重ねによって確立したものであって、その変更は許されず、変更する必要があるならば、憲法改正によ る必要があるという意見もある。しかし、本懇談会による憲法解釈の整理は、憲法の規定の文理解釈として導き出されるものである。すなわち、憲法第9条は、 第1項で、わが国が当事国である国際紛争の解決のために武力による威嚇または武力の行使を行うことを禁止したものと解すべきであり、自衛のための武力の行 使は禁じられておらず、国際法上合法な活動への憲法上の制約はないと解すべきである。同条第2項は、「前項の目的を達成するため」戦力を保持しないと定め たものと解すべきであり、自衛やいわゆる国際貢献のための実力の保持は禁止されていないと解すべきである。「(自衛のための)措置は、必要最小限度の範囲 にとどまるべき」であるというこれまでの政府の憲法解釈に立ったとしても、「必要最小限度」の中に個別的自衛権は含まれるが集団的自衛権は含まれないとし てきた政府の憲法解釈は、「必要最小限度」について抽象的な法理だけで形式的に線を引こうとした点で適当ではなく、「必要最小限度」の中に集団的自衛権の 行使も含まれると解すべきである。

 個別的自衛権の行使に関する見解としては、自衛権発動の3要件を満たす限り行使に制限はないが、その実際の行使に当たっては、その必要性と均 衡性を慎重かつ迅速に判断して、決定しなければならない。集団的自衛権については、わが国と密接な関係にある外国に対して武力攻撃が行われ、その事態がわ が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるときには、わが国が直接攻撃されていない場合でも、その国の明示の要請または同意を得て、必要最小限の実力を 行使してこの攻撃の排除に参加し、国際の平和および安全の維持・回復に貢献することができることとすべきである。そのような場合に該当するかについては、 わが国への直接攻撃に結びつく蓋然性が高いか、日米同盟の信頼が著しく傷つきその抑止力が大きく損なわれ得るか、国際秩序そのものが大きく揺らぎ得るか、 国民の生命や権利が著しく害されるか、その他わが国への深刻な影響がおよび得るかといった諸点を政府が総合的に勘案しつつ、責任を持って判断すべきであ る。実際の行使に当たって第三国の領域を通過する場合には、わが国の方針としてその国の同意を得るものとすべきである。集団的自衛権を実際に行使するに は、事前または事後の国会承認を必要とすべきである。行使については、内閣総理大臣の主導の下、国家安全保障会議の議を経るべきであり、内閣として閣議決 定により意思決定する必要があるが、集団的自衛権は権利であって義務ではないため、政策的判断の結果、行使しないことがあるのは当然である。

 軍事的措置を伴う国連の集団安全保障措置への参加については、わが国が当事国である国際紛争を解決する手段としての「武力の行使」には当たら ず、憲法上の制約はないと解すべきである。参加に関しては、個々の場合について総合的に検討して、慎重に判断すべきことは当然であり、軍事力を用いた強制 措置を伴う国連の集団安全保障措置への参加に当たっては、事前または事後に国会の承認を得るものとすべきである。

 いわゆる「武力の行使との一体化」論は、安全保障上の実務に大きな支障となってきており、このような考えはもはやとらず、政策的妥当性の問題 と位置付けるべきである。PKO等や在外自国民の保護・救出、国際的な治安協力については、憲法第9条の禁ずる「武力の行使」には当たらず、このような活 動における駆け付け警護や妨害排除に際しての武器使用に憲法上の制約はないと解すべきである。

 このほか、武力攻撃に至らない侵害への対応については、「組織的計画的な武力の行使」かどうか判別がつかない侵害であっても、そのような侵害 を排除する自衛隊の必要最小限度の国際法上合法な行動は憲法上容認されるべきである。また、自衛隊の行動については、平素の段階からそれぞれの行動や防衛 出動に至る間において、権限上の、あるいは時間的な隙間が生じ得る可能性があることから、切れ目のない対応を講ずるための包括的な措置を講ずる必要があ る。以上述べたような考え方が実際に意味を持つためには、それに応じた国内法の整備等を行うことが不可欠である。

 さかのぼってみれば、そもそも憲法には個別的自衛権や集団的自衛権についての明文の規定はなく、個別的自衛権の行使についても、わが国政府は憲法改正ではなく憲法解釈を整理することによって、認められるとした経緯がある。

 こうした経緯に鑑みれば、必要最小限度の範囲の自衛権の行使には個別的自衛権に加えて集団的自衛権の行使が認められるという判断も、政府が適 切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正が必要だという指摘は当たらない。また、国連の集団安全保障措置等へのわが国の参加に ついても同様に、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能である。

 以上が、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」としての提言である。政府が安全保障の法的基盤の再構築に関して、この提言をどのよう に踏まえ、どのような具体的な措置を取るのか、それは政府の判断に委ねられるのは言うまでもないが、懇談会としては、政府が本報告書を真剣に検討し、しか るべき立法措置に進まれることを強く期待するものである。

 

 

 

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安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書 全文(4)

2014年05月17日 | ニュース・現実評論資料集

 

安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書 全文(4)

 

4、いわゆる「武力の行使との一体化」論

 08年の報告書でも言及したとおり、「武力の行使との一体化」というのはわが国特有の概念である。特に90年代、湾岸戦争のころから、にわか に声高に議論され、精緻化が進んだ。それ以前に「武力の行使との一体化」の問題が国会で答弁されたことはあまりない。しかし、この議論は、国際法上も国内 法上も実定法上に明文の根拠を持たず、最高裁判所による司法判断が行われたこともなく、国会の議論に応じて範囲が拡張され、安全保障上の実務に大きな支障 を来たしてきた。

 それ自体は武力の行使に当たらないわが国の補給、輸送、医療等の後方支援でも「他国の武力の行使と一体化」する場合には憲法第9条の禁ずる武 力の行使とみなされるという考え方は、元来日米安全保障条約の脈絡で議論されたものである。このような考え方を論理的に突き詰める場合には、例えば政府は 現在行われている日米同盟下の米軍に対する施設・区域の提供は米国の武力行使と一体化しないとしているが、現S実に極東有事の際日米安全保障条約第6条の 下で米軍が戦闘作戦行動のためにわが国国内の基地を使用し始めれば、わが国の基地使用許可は、米軍の「武力の行使と一体化」するので、日米安全保障条約そ のものが違憲であるというような不合理な結論になりかねない。

 このほか、国連平和協力法案(廃案)、PKO協力法案、周辺事態法案、テロ対策特別措置法案およびイラク復興支援特別措置法案の国会審議の際 にもしばしば問題になったように、「武力の行使との一体化」論は、後方支援がいかなる場合に他国による武力の行使と一体化するとみなすのか、その判断を誰 が行うのか、「戦闘地域」と「非戦闘地域」の区分は何か等、そもそも事態が刻々と変わる活動の現場において、観念的には一見精緻に見える議論をもって「武 力の行使との一体化」論を適用すること自体、非現実的であり極めて困難である。例えば、ミサイル等軍事技術が急速に発達した現下の状況では、どこが「非戦 闘地域」かを定性的に定義することは現実的でなくなっている。

 「武力の行使との一体化」の論理のゆえに、例えば、日米間で想定した事態の検討にも支障があり得るとすれば、わが国の安全を確保していくため の備えが十分とは言えない。この問題は、日米安全保障条約の運用のみならず国際的な平和活動への参加の双方にまたがる問題である。「武力の行使との一体 化」論は、憲法上の制約を意識して、新たな活動について慎重を期すために厳しく考えたことから出てきた議論である。したがって、国際平和協力活動の経験を 積んだ今日においては、いわゆる「武力の行使との一体化」論はその役割を終えたものであり、このような考えはもはやとらず、政策的妥当性の問題として位置 付けるべきである。実際にどのような状況下でどのような後方支援を行うかは、内閣として慎重に検討して意思決定すべきものであることは言うまでもない。

 5、PKO等への協力と武器使用

 (1)わが国は、92年6月のPKO協力法制定以来、PKO協力法に基づき、延べ約1万人(14年3月末時点)の要員をPKO等に派遣し、着 実に実績と経験を積み上げ、国民の支持と国際社会からの高い評価を得てきている。PKO等への協力は、わが国が国際社会の平和と安定に責任を果たすための 最も有効な手段の一つであり、今後もPKO等への要員派遣を積極的に実施していくべきである。

 他方、これまで、わが国のPKO等に対する協力は、当事者間の停戦合意を支える平和維持活動を中心とするPKO協力法制定当時のPKO等の実 態を踏まえつつ、当時の国内世論にも配慮して抑制的に構築された制度に従って、いわゆるPKO参加5原則の下、運用上も慎重に行われてきた。国連は「主た る紛争当事者」の同意を基本原則としてPKOミッションを設立しているのに対し、現行PKO協力法の下では、「全ての」紛争当事者の受入れ同意が必要だと して運用してきた。また、停戦合意についても、国連では、停戦合意がない場合でも事実上の停戦状態を前提としてPKOミッションを設立しているが、わが国 では、紛争当事者間の停戦合意を要件としている。このような状況は、全ての「紛争当事者」の特定が容易であり、紛争当事者間の明確な停戦合意の確認が容易 であった国家間紛争から、「紛争当事者」を特定することが困難な場合もある内戦型または複合型へと紛争が質的に変化し、PKO等の役割・態様も多様化し、 国連憲章第7章下の一定の強制力を付与された「強化されたPKO」も増えてきている今日の実態にそぐわない。

 このようなPKOの実態との相違ならびにPKOの任務および活動主体の多様化を踏まえた上で、わが国のより積極的な国際平和協力を可能とするためには何が必要かとの観点から、いわゆるPKO参加5原則についても見直しを視野に入れ、検討する必要がある。

 (2)PKOの活動の性格は、「武力の行使」のような強制措置ではないが、紛争当事者間の停戦の合意を維持し、また、領域国の新しい国づくり を助けるため、国連の権威の下で各国が協力する活動である。このような活動における駆け付け警護や妨害排除に際しての武器使用は、そもそも「武力の行使」 に当たらず、憲法上の制約はないと解釈すべきである。

 一方、政府は、これまで、PKO等におけるいわゆる駆け付け警護や妨害排除のための武器の使用に関しては、いわば自己保存のための自然権的権 利に当たるものとは言えず、現行の憲法解釈の下では、相手方が「国家または国家に準ずる組織」である場合には、憲法で禁じられた「武力の行使」に当たるお それがあるので認められないとしてきた。たとえば03年5月15日の参院外交防衛委員会において宮崎礼壹内閣法制局第一部長が「自衛隊の部隊の所在地から かなり離れた場所に所在します他国の部隊なり隊員さんの下に駆け付けて武器使用するという場合は、わが国の自衛官自身の生命または身体の危険が存在しない 場合の武器使用だという前提だというお尋ねだと思います。(略)このような場合に駆け付けて武器を使用するということは、いわば自己保存のための自然権的 権利というべきものだという説明はできないわけでございます。(略)その駆け付けて応援しようとした対象の事態、あるいはお尋ねの攻撃をしているその主体 というものが国または国に準ずる者である場合もあり得るわけでございまして、そうでありますと、(略)それは国際紛争を解決する手段としての武力の行使と いうことに及ぶことが、及びかねないということになるわけでございまして、そうでありますと、憲法九条の禁じます武力の行使に当たるおそれがあるというふ うに考えてきたわけでございます」と答弁している。

 しかしながら、08年の報告書でも指摘したとおり、そもそもPKOは武力紛争の終了を前提に行う活動(あるいは武力紛争の開始・再発前にこれ を予防するための活動)であり、PKOの国際基準で認められた武器使用が国連憲章で禁止された国際関係における「武力の行使」に当たると解釈している国は どこにもなく、自衛隊がPKO等の一員として、駆け付け警護や妨害排除のために国際基準に従って行う武器使用は、相手方が単なる犯罪集団であるか「国家ま たは国家に準ずる組織」であるかどうかにかかわらず、憲法第9条の禁ずる武力の行使には当たらないと解すべきである。さらに、近年の複合型PKO等におい ては、国内紛争や脆弱(ぜいじゃく)国家への対応として、治安維持や文民の保護等の業務が重要となっており、具体的検討に当たっては、駆け付け警護や妨害 排除のための武器使用を可能にするとともに、法制度上、こうした業務も実施できるようにすべきである。

 重要なことは、このような武器使用は、国連においては明確に国連憲章第2条4により禁止されている国際関係における「武力の行使」とは異なる 概念であると観念されていることである。PKOは、不偏性を持ち、主たる紛争当事者の同意を得て行われる活動であり、その任務は武力の行使が発生するのを 防ぐための予防的活動か、武力行使が収まった後の平和維持や人道・復興支援である。その意味で、PKOは国連憲章が加盟国に対して禁じている国際関係にお ける「武力の行使」を行う活動ではない。PKOは国連決議の下に組織されるいわゆる多国籍軍のような大規模な軍事活動を伴い得る平和執行とは峻別(しゅん べつ)されるものである。また、国連憲章第7章下の一定の強制力を付与された「強化されたPKO」も、その実態はPKOの範疇(はんちゅう)を出ず、平和 執行とは峻別されているものである。

 6、在外自国民の保護・救出等

 13年1月の在アルジェリア邦人に対するテロ事件を受けて、政府は、同年11月、外国におけるさまざまな緊急事態に際してより適切に対応でき るよう、自衛隊による在外邦人等輸送(自衛隊法第84条の3)について、輸送対象者を拡大し、車両による輸送を可能とすること等を内容とする自衛隊法の改 正を行った。しかし、この職務に従事する自衛官の武器使用の権限については、いわゆる自己保存型のままとし、救出活動や妨害排除のための武器使用を認める には至らなかった。現状の解釈のままでは、必要な武器使用権限が確保されないため、現場に自国民救出のために自衛隊が駆け付けることはできない。

 国際法上、在外自国民の保護・救出は、領域国の同意がある場合には、領域国の同意に基づく活動として許容される。在外自国民の保護・救出の一 環としての救出活動や妨害排除に際しての武器使用についても、領域国の同意がある場合には、そもそも「武力の行使」に当たらず、当該領域国の治安活動を補 完・代替するものにすぎないものであって、憲法上の制約はないと解釈すべきである。

 なお、領域国の同意がない場合にも、在外自国民の保護・救出は、国際法上、所在地国が外国人に対する侵害を排除する意思または能力を持たず、 かつ当該外国人の身体、生命に対する重大かつ急迫な侵害があり、ほかに救済の手段がない場合には、自衛権の行使として許容される場合がある。憲法上認めら れる自衛権の発動としての「武力の行使」をめぐる国会の議論においては、在外自国民の保護・救出のための自衛権の行使が否定されているように見受けられる が、多くの日本人が海外で活躍し、13年1月のアルジェリアでのテロ事件のような事態が生じる可能性がある中で、憲法が在外自国民の生命、身体、財産等の 保護を制限していると解することは適切でなく、国際法上許容される範囲の在外自国民の保護・救出を可能とすべきである。国民の生命・身体を保護することは 国家の責務でもある。

 7、国際治安協力

 在外自国民の保護・救出以外の活動であっても、領域国の同意に基づいて、同国の警察当局等の機関がその任務の一環として行うべき治安の回復お よび維持のための活動の一部を補完的に行っているものと観念される活動や、普遍的な管轄権に基づいて海賊等に対処する活動、すなわち国際的な治安協力につ いては、国際法上は、国連の集団安全保障措置ではなく、国連憲章第2条4で禁止されている国際関係における「武力の行使」にも当たらない。このような活動 についても、そもそも「武力の行使」に当たらず、憲法上の制約はないと解釈すべきである。そのような事例は、国連決議によって求められることもあれば、領 域国の同意や要請の下で行われることもあれば、公海上のような国際公域における自発的な秩序維持の場合もある。端的な例として、アデン湾の海賊対処をこの 観点から位置付けることも可能である。これには「アタランタ」作戦を開始した欧州連合(EU)諸国、北大西洋条約機構(NATO)諸国のほか、日本、中 国、イラン、韓国等が参加している。国連は安全保障理事会決議第1816号等によって加盟国の協力を要請している。日本は09年から自衛隊と海上保安庁が 協力して参加している。

 このような治安協力は、国連憲章第2条4の禁ずる国際関係における「武力の行使」ではなく、武器の使用を伴う治安活動であるので、基本的に憲 法問題は生じず、活動根拠の付与は法律レベルにより行うことができる。政府も国会において、海賊対処法案の審議の中で、自衛隊を派遣するに際し、「国や国 に準ずる者と申しますか、国等が国等の行為として行われるものは、その定義上海賊行為からは除外されております。したがいまして、御懸念のような、憲法第 九条によって禁じられた『武力の行使』に及ぶということはないものと考えております」と答弁している(09年6月4日参院外交防衛委員会における横畠裕介 内閣法制局第2部長答弁)。

 8、武力攻撃に至らない侵害への対応

 一般国際法上、自衛権を行使するための要件は、国家または国民に対する「急迫不正の侵害」があることなどとされているが、わが国の国会答弁に おいては、「わが国に対する急迫不正の侵害」があった場合は、「武力攻撃」、すなわち、「一般に、わが国に対する組織的計画的な武力の行使」があった場合 として極めて限定的に説明されている。また、自衛隊法等の現行国内法上、自衛権の発動としての武力を行使できる「防衛出動」は、「武力攻撃」、すなわちわ が国に対する組織的計画的な武力の行使を前提としている。このことから、「武力攻撃」に至らない侵害への対応は、自衛権の行使ではなく、警察比例の原則に 従う「警察権」の行使にとどまることとなる。しかし、事態発生に際し「組織的計画的な武力の行使」かどうか判別がつかない場合において、突発的な状況が生 起したり、急激に事態が推移することも否定できない。「組織的計画的な武力の行使」かどうか判別がつかない侵害であっても、そのような侵害を排除する自衛 隊の必要最小限度の行動は憲法上容認されるべきである。かかる自衛隊の行動は、その事態、態様により、国際法上は、自衛権に包含される活動として区分され る場合もあれば、国際法の許容する法執行活動等として区分されることもあり得るが、いずれにせよ、国際法上合法な行為である限り許容されるべきである。

 警察権の行使である自衛隊の行動類型としては、治安出動、警護出動、海上警備行動などがあり、また武器等防護という武器使用権限もあるが、治 安出動のほか、警察権の行使としての自衛隊の行動による対処に当たり、事態認定や命令を出すための手続きを経る間に、状況によっては対処に事実上の間隙 (かんげき)が生じ得る可能性があり、結果として事態の収拾が困難となったり、相手を抑止できなくなったりするおそれがある。また、対処に先立って自衛隊 部隊を行動させるためには、治安出動下令前の情報収集(自衛隊法第79条の2)や防御施設構築措置(同法第77条の2)等の規定によるが、それぞれ「治安 出動命令が発せられることおよび不法行為が行われることの予測」と「防衛出動命令が発せられることの予測」を下令要件とし、実際の下令までの手続き面で高 い敷居が存在する。したがって、現行の自衛隊法の規定では、平素の段階からそれぞれの行動や防衛出動に至る間において権限上の、あるいは時間的な隙間が生 じ得る可能性があり、結果として事態収拾が困難となるおそれがある。自衛隊法に切れ目のない対応を講ずるための包括的な措置を講ずる必要がある。

 問題となる事例としては次のようなものがある。例えば、わが国領海で潜没航行する外国潜水艦が退去の要求に応じず徘徊を継続する場合への対応 に際しては、一義的には海上警備行動による対応となるが、現行の国内法上は「武力攻撃事態」と認定されない段階では、「武力の行使」はもとより、それに至 らない武器の使用による当該潜水艦の強制退去は困難である。したがって、軍艦または政府公船である外国船舶を停止させるための武器使用がどの程度認められ るかについて、国際法の基準に照らし、警察官職務執行法の範囲にとらわれず、国内法における検討を進めていく必要がある。

 また、国境の離島等に対して特殊部隊等の不意急襲的な上陸があった場合、仮に警察権の行使により対応する場合においても、自衛隊には平素から の同権限が認められているわけではなく、ましてや「武力攻撃事態」と認定されない段階では、防衛出動下での対応はできない。いったん離島が攻撃を受けれ ば、その攻撃の排除には相当の規模の部隊と期間が必要となる。同様に、原子力発電所等の重要施設の防護を例にとってみても、テロリスト・武装工作員等によ る警察力を超える襲撃・破壊行動が生起した場合は、治安出動の下令を待って初めて自衛隊が対応することにならざるを得ない。警察力を超える襲撃・破壊行動 によるわが方の犠牲を最小限に抑えるためには、早い段階から速やかに自衛隊に十分な活動をさせることが有効だが、治安出動の発令手続きを経る間に、仮にも 対応の時機を失するようなこととなれば、テロ、サボタージュ行為が拡大するなどして、その影響は甚大なものとなる可能性がある。

 上記の例にもみられるように、武力攻撃に至らない侵害への対応について、現代の国際社会では、その必要性が高まってきており、各種の事態に応 じた均衡のとれた実力の行使も含む切れ目のない対応を可能とする法制度について、国際法上許容される範囲で、その中で充実させていく必要がある。また、法 整備にとどまらず、それに基づく自衛隊の運用や訓練も整備していかなければならない。

 なお、武力攻撃に至らない侵害に対して措置を取る権利を「マイナー自衛権」と呼ぶ向きもあるが、この言葉は国際法上必ずしも確立したものではなく、また、国連憲章第51条の自衛権の観念を拡張させているとの批判を内外から招きかねないので、使用しないことが望ましい。

 3、国内法制の在り方

 以上述べたような新たな考え方が実際に意味を持つためには、それに応じた国内法の整備等を行うことが不可欠になる。ここではその際に考えるべき主な要素につき述べたい。

 国内法の整備に当たっては、まず、集団的自衛権の行使、軍事的措置を伴う国連の集団安全保障措置への参加、一層積極的なPKOへの貢献を憲法 に従って可能とするように整備しなければならない。また、いかなる事態においても切れ目のない対応が確保されることと合わせ、文民統制の確保を含めた手続 き面での適正さが十分に確保されると同時に、事態の態様に応じ手続きに軽重を設け、特に行動を迅速に命令すべき事態にも十分に対応できるようにする必要が ある。

 このため、自衛隊の行動を定めている自衛隊法や事態対処に係る基本事項を定めた「武力攻撃事態等におけるわが国の平和と独立ならびに国および 国民の安全の確保に関する法律」(武力攻撃事態法)および関連の法制である周辺事態法、「周辺事態に際して実施する船舶検査活動に関する法律」(船舶検査 活動法)、「武力攻撃事態における捕虜等の取り扱いに関する法律」(捕虜取り扱い法)、PKO協力法等について、自衛隊の活動等に係る各種特別措置法の規 定ぶりや、現在の安全保障環境の実態、国連における標準に倣った所要に合わせ、広く検討しなければならない。

 自衛隊法については、任務や行動、権限等の整備が考えられる。自衛隊法は、安全保障環境の変化に伴うさまざまな事態に対応するため、そのたび に制度の見直しが図られてきたところではあるが、手続き面での適正さを確保しつつ、これまで以上により迅速かつ十分な対応を可能とするための制度的な余地 がないか再検討する必要がある。また、行動が命ぜられていない時点でも、現場の自衛官がどのような対応をすることが認められるかという観点からの検討も必 要である。PKO等への参加に際して新たにどのような任務が付与されるべきかとともに、これを安全かつ確実に遂行するため、従来の「いわば自己保存のため の自然権的権利」等としての武器使用権限をどのように見直すかについても、先進民主国家の軍やPKOミッション等において一般に行われているようなケース を踏まえて、他国のROE(rules of engagement)に相当する「部隊行動基準」の整備により、文民統制の確保を図りつつ、国際法上許容 される「部隊防護(unit self―defense)」や任務遂行のための武器使用に係る権限を包括的に付与することができないか、検討を行う必要が ある。

 PKO協力法も「主たる」紛争当事者間の合意に基づく活動の実施、停戦合意要件の見直し、PKOの武器使用基準に基づく武器の使用といった国 連における標準に倣った所要の改正を行うべきである。周辺事態法についても、周辺事態に際して米軍はもとより米軍以外の他国軍も対処することが十分に考え られることから、後方地域における対米軍支援に限定することなく、このような他国軍をも対象として、より広い地域において必要な支援を提供できるよう検討 する必要がある。また、米国とオーストラリアとしか締結していない物品役務相互提供協定(ACSA)をその他の国とも締結するなど、必要な国際約束の締結 についても併せて検討の対象とすべきである。

 

 

 

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「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書 全文(3)

2014年05月17日 | ニュース・現実評論資料集

 

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書 全文(3)

 

2、あるべき憲法解釈

 上記1で述べた認識を踏まえ、本懇談会は、あるべき憲法解釈として、以下を提言する。

 

 1、憲法第9条第1項および第2項

 

 (1)憲法第9条は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使 は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これ を認めない」と規定しており、自衛権や集団安全保障については何ら言及していない。しかしながら、わが国が主権を回復した52年4月に発効した日本国との 平和条約(サンフランシスコ平和条約)においても、わが国が個別的または集団的自衛の固有の権利を有することや集団安全保障措置への参加は認められてお り、また、わが国が56年9月に国連に加盟した際も、国連憲章に規定される国連の集団安全保障措置や、加盟国に個別的または集団的自衛の固有の権利を認め る規定(第51条)について何ら留保は付さなかった。

 

 憲法第9条第1項がわが国による武力による威嚇または武力の行使を例外なく禁止していると解釈するのは、不戦条約や国連憲章(45年)等の国 際法の歴史的発展および憲法制定の経緯から見ても、適切ではない。46年に公布された日本国憲法は、20世紀前半の平和主義、戦争違法化に関する国際法思 潮から大きな影響を受けている。わが国憲法第9条の規定は、20世紀に確固たる潮流となった国際平和主義の影響を深く受けているのであり、国際社会の思潮 と孤絶しているわけではない。不戦条約は、「国際紛争解決ノ為」に戦争に訴えることを非とし、「国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争」を放棄することを規定する ことで、締約国間の侵略戦争の放棄を約束した。この戦争違法化の流れをくんで作成された国連憲章は、日本国憲法公布の1年前に採択されたものである。国連 憲章は、加盟国の国際関係における「武力の行使」を原則として禁止したが、国連の集団安全保障措置としての軍事的措置および個別的または集団的自衛の固有 の権利(第51条)の行使としての「武力の行使」を実施することは例外的に許可している。また、日本国憲法の起草経緯を見れば、憲法第9条の起点となった マッカーサー三原則(46年2月3日)の第二原則は、日本は自らの紛争を解決するための手段としての戦争を放棄する(Japan renounces  it as an instrumentality for settling its disputes)となっている。政府も46年の時点で既に吉田 総理が新憲法草案に関し、先述のとおり「戦争抛棄ニ関スル本案ノ規定ハ、直接ニハ自衛権ヲ否定ハシテ居リマセヌ(略)」と述べていた(衆院本会議(46年 6月26日))のであり、また、自衛隊創設時の国会答弁においては「戦争と武力の威嚇・武力の行使が放棄されるのは『国際紛争を解決する手段としては』と いうことである」「他国から武力攻撃があつた場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違 う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない」と述べていたのである(前掲の大 村清一防衛庁長官答弁)。

 

 これらの経緯を踏まえれば、憲法第9条第1項の規定(「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、 武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」)は、わが国が当事国である国際紛争の解決のために武力による 威嚇または武力の行使を行うことを禁止したものと解すべきであり、自衛のための武力の行使は禁じられておらず、またPKO等や集団安全保障措置への参加と いった国際法上合法的な活動への憲法上の制約はないと解すべきである。

 

 なお、PKO等における武器使用を、第9条第1項を理由に制限することは、国連の活動への参加に制約を課している点と、下記5で述べるとおり「武器の使用」を「武力の行使」と混同している点で、二重に適切でない解釈であることを指摘しておきたい。

 

 (2)憲法第9条第2項は、第1項において、武力による威嚇や武力の行使を「国際紛争を解決する手段」として放棄すると定めたことを受け、 「前項の目的を達するため」に戦力を保持しないと定めたものである。したがって、わが国が当事国である国際紛争を解決するための武力による威嚇や武力の行 使に用いる戦力の保持は禁止されているが、それ以外の、すなわち、個別的または集団的を問わず自衛のための実力の保持やいわゆる国際貢献のための実力の保 持は禁止されていないと解すべきである。これら(1)および(2)と同様の考え方は前回08年6月の報告書でもとられていた。

 

 (3)上述の前回報告書の立場、特に(2)で述べた個別的または集団的を問わず自衛のための実力の保持や、いわゆる国際貢献のための実力の保 持は合憲であるという考え方は、憲法第9条の起草過程において、第2項冒頭に「前項の目的を達するため」という文言が後から挿入された(いわゆる「芦田修 正」)との経緯に着目した解釈であるが、政府はこれまでこのような解釈をとってこなかった。再度政府の解釈を振り返れば、前述のとおり、政府は、46年の 制憲議会の際に吉田総理答弁において自衛戦争も放棄したと明言していたにもかかわらず、54年以来、国家・国民を守るために必要最小限度の自衛力の保持は 主権国家の固有の権利であるという解釈を打ち出した。この解釈は最高裁判所でも否定されていない。しかし、その後の国会答弁において、政府は憲法上認めら れる必要最小限度の自衛権の中に個別的自衛権は入るが、集団的自衛権は入らないという解釈を打ち出し、今もってこれに縛られている。集団的自衛権の概念が 固まっていなかった当初の国会論議の中で、その概念の中核とされた海外派兵の自制という文脈で打ち出された集団的自衛権不行使の議論は、やがて集団的自衛 権一般の不行使の議論として固まっていくが、その際どうしてわが国の国家および国民の安全を守るために必要最小限の自衛権の行使は個別的自衛権の行使に限 られるのか、逆に言えばなぜ個別的自衛権だけでわが国の国家および国民の安全を確保できるのかという死活的に重要な論点についての論証は、上記1・1・ (1)の憲法解釈の変遷で述べたとおり、ほとんどなされてこなかった。すなわち、政府は「外国の武力攻撃によって国民の生命・自由および幸福追求の権利が 根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その 措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである」(72年10月に参院決算委員会に提出した政府の見解)とし て、集団的自衛権の不行使には何の不都合もないと断じ、集団的自衛権を行使できなくても独力でわが国の国家および国民の安全を本当に確保できるのか、とい うことについて詳細な論証を怠ってきた。

 

 国家は他の信頼できる国家と連携し、助け合うことによって、よりよく安全を守り得るのである。集団的自衛権の行使を可能とすることは、他の信 頼できる国家との関係を強固にし、抑止力を高めることによって紛争の可能性を未然に減らすものである。また、仮に一国が個別的自衛権だけで安全を守ろうと すれば、巨大な軍事力を持たざるを得ず、大規模な軍拡競争を招来する可能性がある。したがって、集団的自衛権は全体として軍備のレベルを低く抑えることを 可能とするものである。一国のみで自国を守ろうとすることは、国際社会の現実に鑑みればむしろ危険な孤立主義にほかならない。

 

 そもそも国連憲章中の集団的自衛権の規定は、45年の国連憲章起草の際に国連安全保障理事会の議決手続きに拒否権が導入されることになった結 果、国連安全保障理事会の機能に危惧が抱かれるようになり、そのため個別的自衛権のみでは生存を全うできないと考えた中南米のチャプルテペック協定参加国 が提唱して認められたものであるという起草経緯をあらためて想起する必要がある。

 

 国連憲章では、第2条4により国際関係における武力の行使が禁じられているが、第51条に従って個別的または集団的自衛のために武力を行使す る権利は妨げられない。これは、同条に明記されているとおり、自衛権が国家が当然に有している固有の権利(「自然権」(droit naturel))で あるからである。また、今日、集団的自衛権は慣習国際法上の権利であるとされており、この点については国際司法裁判所もその判決中で明確に示している (86年6月「ニカラグア軍事・準軍事活動事件(本案)」国際司法裁判所判決)。国際社会における諸国間の国力差および国連安全保障理事会における拒否権 の存在やその機能・手法を考えれば、国連の集団安全保障体制が十分に機能するまでの間、中小国は自己に対する攻撃を独力で排除することだけを念頭に置いて いたら自衛は全うできないのであって、自国が攻撃された場合のみならず、他国が攻撃された場合にも同様にあたかも自国が攻撃されているとみなして、集団で 自衛権が行使できることになっているのである。今日の安全保障環境を考えるとき、集団的自衛権の方が当然に個別的自衛権より危険だという見方は、抑止とい う安全保障上の基本観念を無視し、また、国連憲章の起草過程を無視したものと言わざるを得ないのである。以上を踏まえれば、上述した政府のこれまでの見解 である、「(自衛のための)措置は、必要最小限度の範囲にとどまるべき」という解釈に立ったとしても、その「必要最小限度」の中に個別的自衛権は含まれる が集団的自衛権は含まれないとしてきた政府の憲法解釈は、「必要最小限度」について抽象的な法理だけで形式的に線を引こうとした点で適当ではない。事実と して、今日の日本の安全が個別的自衛権の行使だけで確保されるとは考え難い。したがって、「必要最小限度」の中に集団的自衛権の行使も含まれると解釈し て、集団的自衛権の行使を認めるべきである。

 

 (4)なお、上記(3)のような解釈を採る場合には、憲法第9条第2項にいう「戦力」および「交戦権」については、次のように考えるべきである。

 

 「戦力」については、自衛権行使を合憲と踏み切った主権回復直後の自衛隊創設後に至る憲法解釈変遷の際に「近代戦争遂行能力」と定義されたこ ともあったが、その後は、自衛のための必要最小限度の実力を超えるものとされ、72年11月、吉國一郎内閣法制局長官は、「昭和29年12月以来は、憲法 第9条第2項の戦力といたしまして、(略)近代戦争遂行能力という言い方をやめております」と明言した。現在では「自衛のための必要最小限度の実力」の具 体的な限度は防衛力整備をめぐる国会論議の中で国民の支持を得つつ考査されるべきものとされている。客観的な国際情勢に照らして、憲法が許容する武力の行 使に必要な実力の保持が許容されるという考え方は、今後も踏襲されるべきものと考える。

 

 「交戦権」については、自衛のための武力の行使は憲法の禁ずる交戦権とは「別の観念のもの」であるとの答弁がなされてきた。国策遂行手段とし ての戦争が国連憲章によりjus ad bellum(戦争に訴えること自体を規律する規範)の問題として一般的に禁止されている状況の中で、個別的およ び集団的自衛権の行使や国連の集団安全保障措置等のように国連憲章を含む国際法に合致し、かつ、憲法の許容する武力の行使は、憲法第9条の禁止する交戦権 の行使とは「別の観念のもの」と引き続き観念すべきものである。ただし、合法な武力行使であってもjus in bello(戦時における戦闘の手段・方 法を規律する規範)の問題として国際人道法規上の規制を受けることは当然である。

 

 2、憲法上認められる自衛権

 

 (1)個別的自衛権の行使に関する見解として、政府は、従来、憲法第9条の下において認められる自衛権の発動としての武力の行使については、 /(1)/わが国に対する急迫不正の侵害があること、/(2)/これを排除するために他の適当な手段がないこと、/(3)/必要最小限度の実力行使にとど まるべきこと、という3要件に該当する場合に限られるとしている。このように、この3要件を満たす限り行使に制限はないが、その実際の行使に当たっては、 その必要性と均衡性を慎重かつ迅速に判断して、決定しなければならない(武力攻撃に至らない侵害への対応については後述する)。

 

 (2)集団的自衛権とは、国際法上、一般に、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていない場合にも、実力を もって阻止する権利と解されている。また、集団的自衛権の行使は、武力攻撃の発生(注・着手も含まれる)、被攻撃国の要請または同意という要件が満たされ ている場合に、必要性、均衡性という要件を満たしつつ行うことが求められる。

 

 わが国においては、この集団的自衛権について、わが国と密接な関係にある外国に対して武力攻撃が行われ、その事態がわが国の安全に重大な影響 を及ぼす可能性があるときには、わが国が直接攻撃されていない場合でも、その国の明示の要請または同意を得て、必要最小限の実力を行使してこの攻撃の排除 に参加し、国際の平和および安全の維持・回復に貢献することができることとすべきである。そのような場合に該当するかについては、わが国への直接攻撃に結 びつく蓋然(がいぜん)性が高いか、日米同盟の信頼が著しく傷つきその抑止力が大きく損なわれ得るか、国際秩序そのものが大きく揺らぎ得るか、国民の生命 や権利が著しく害されるか、その他わが国へ深刻な影響がおよび得るかといった諸点を政府が総合的に勘案しつつ責任を持って判断すべきである。また、わが国 が集団的自衛権を行使するに当たり第三国の領域を通過する場合には、わが国の方針として、その国の同意を得るものとすべきである。さらに、集団的自衛権を 行使するに当たっては、個別的自衛権を行使する場合と同様に、事前または事後に国会の承認を得る必要があるものとすべきである。

 

 集団的自衛権は権利であって、義務ではないので、行使し得る場合であっても、わが国が行使することにどれだけ意味があるのか等を総合的に判断 して、政策的判断の結果、行使しないことがあるのは当然である。わが国による集団的自衛権の行使については、内閣総理大臣の主導の下、国家安全保障会議の 議を経るべきであり、内閣として閣議決定により意思決定する必要がある。なお、集団的自衛権の行使を認めれば、果てしなく米国の戦争に巻き込まれるという 議論が一部にあるが、そもそも集団的自衛権の行使は義務ではなく権利であるので、その行使はあくまでもわが国が主体的に判断すべき問題である。この関連 で、個別的または集団的自衛権を行使する自衛隊部隊の活動の場所について、憲法解釈上、地理的な限定を設けることは適切でない。「地球の裏側」まで行くの かうんぬんという議論があるが、不毛な抽象論にすぎず、ある事態がわが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるか、かつわが国の行動にどれだけの効果が あるかといった点を総合的に勘案し、個別具体的な事例に則して主体的に判断すべきである。なお、繰り返しになるが、集団的自衛権は権利であって義務ではな く、先に述べたような政策的判断の結果として、行使しないことももちろんある点に留意が必要である。

 

 (3)本来は集団的自衛権の行使の対象となるべき事例について、個別的自衛権や警察権をわが国独自の考え方で「拡張」して説明することは、国 際法違反のおそれがある。例えば、公海上で日米の艦船が共同行動をしている際に、自衛艦が攻撃されていないにもかかわらず個別的自衛権の行使として米艦を 防護した場合には、国連憲章第51条に基づきわが国がとった措置につき国連安全保障理事会に報告する義務が生じるが、「わが国に対して武力攻撃が発生し た」という事実がないにもかかわらず個別的自衛権の行使として報告すれば、国連憲章違反との批判を受けるおそれがある。また、各国が独自に個別的自衛権の 「拡張」を主張すれば、国際法に基づかない各国独自の「正義」が横行することとなり、これは実質的にも危険な考えである。

 

 (4)情報通信技術の発展に伴い、今やサイバー空間は人々の生活に必要不可欠なものとなっている。サイバー空間は、インターネットの発達によ り形成された仮想空間であり、安全保障上も陸・海・空・宇宙に続く新しい領域であると言えるが、その法的側面については議論が続いているところである。ひ とたびサイバー攻撃が行われれば、政府機関から企業に至る社会の隅々にまで深刻な影響を及ぼすこととなり、この問題の重要性が認識されるに至っている。現 実にも、近年、諸国の政府機関や軍隊などに対するサイバー攻撃が多発しており、各国政府による取り組みや国際的な議論が行われているところである。

 

 日進月歩の技術進歩を背景とするサイバー攻撃は、攻撃の予測や攻撃者の特定が困難であったり、攻撃の手法が多様であるといった特徴を有してお り、従来の典型的な武力攻撃と異なる点も少なくない。そのため、サイバー攻撃の法的位置付けについて一概に述べるのは困難である。これまでのところ、サイ バー攻撃が「武力攻撃」に該当しないと位置付けられている事例が多いように見受けられる。他方、一定の場合には、サイバー攻撃が、「わが国に対する急迫不 正の侵害があること」という要件を含め、自衛権発動の3要件を満たす場合もあると考えられる。いずれにしても、どのような場合がそれに該当するかという点 や、外部からのサイバー攻撃に対処するための制度的な枠組みの必要性等について、国際社会における議論にも留意しつつ、引き続き、検討が必要である。

 

 3、軍事的措置を伴う国連の集団安全保障措置への参加

 

 軍事的措置を伴う国連の集団安全保障措置への参加については、上記Iで述べたとおり、これまでの政府の憲法解釈では、正規の国連軍については 研究中としながらも、いわゆる国連多国籍軍の場合は、武力の行使につながる可能性のある行為として、憲法第9条違反のおそれがあるとされてきた。しかしな がら、上記2・1・(1)で述べたとおり、憲法第9条が国連の集団安全保障措置へのわが国の参加までも禁じていると解釈することは適当ではなく、国連の集 団安全保障措置は、わが国が当事国である国際紛争を解決する手段としての武力の行使に当たらず、憲法上の制約はないと解釈すべきである。国連安全保障理事 会決議等による集団安全保障措置への参加は、国際社会における責務でもあり、憲法が国際協調主義を根本原則とし、憲法第98条が国際法規の誠実な遵守を定 めていることからも、わが国として主体的な判断を行うことを前提に、積極的に貢献すべきである。近年わが国は、武力の行使以外の後方支援等の領域において は、国際社会の秩序を維持するための活動への貢献の幅を着実に広げてきている。先に述べたとおり、01年9月に米国で同時多発テロ事件が発生したことを受 け、同年11月には「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国連憲章の目的達成のための諸外国 の活動に対してわが国が実施する措置および関連する国連決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」(テロ対策特別措置法)を制定して、インド洋に自衛 艦を派遣し補給支援活動を行った。また、03年には、「イラクにおける人道復興支援活動および安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」(イラク人道復 興支援特別措置法)により、戦後初めて多国籍軍が占領行政を行っている他国領域の陸上において自衛隊が人道復興支援活動に従事した。

 

 国連憲章第7章が定める国連の集団安全保障措置には、軍事的措置と非軍事的措置があるが、非軍事的措置を規定した国連憲章第41条に基づく経 済制裁への参加については、わが国はこれまでも、関連の国連安全保障理事会決議に基づく北朝鮮の核関連、その他の大量破壊兵器関連および弾道ミサイル関連 計画に関与する者に対して資産凍結等の措置を講ずるなど、積極的に協力を行ってきている。憲法前文で国際協調主義を掲げ、国連への協力を安全保障政策の柱 の一つとしてきたわが国が、同じ国際社会の秩序を守るための国連安全保障理事会決議等に基づく国連の集団安全保障措置であるにもかかわらず、軍事力を用い た強制措置を伴う場合については一切の協力を行うことができないという現状は改める必要がある。

 

 このように国連等が行う国際的な平和活動については憲法上制約がないとするとしても、国連憲章が本来予定した、国連軍の創設を含む形での集団 安全保障体制が実現しておらず、また、国連安全保障理事会決議に基づく平和活動にも種々の段階があり、その原因、国連の参加の態様も個々の事例に応じて多 様であるので、平和活動への参加に関しては、個々の場合について、政策上わが国が参加することにどれだけ意味があるのかなどを総合的に検討して、慎重に判 断すべきことは当然である。

 

 なお、言うまでもなく、軍事力を用いた強制措置を伴う国連の集団安全保障措置に参加するに当たっては、事前または事後に国会の承認を得るものとすべきである。

 

 

 

 

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「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書 全文(2)

2014年05月17日 | ニュース・現実評論資料集

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書 全文(2)

 

2、わが国を取り巻く安全保障環境の変化

 わが国を取り巻く安全保障環境は、一層厳しさを増している。このような傾向は、08年の報告書の時に比べ、一層顕著となっている。

 第1は、技術の進歩と脅威やリスクの性質の変化である。今日では、技術の進歩やグローバリゼーションの進展により、大量破壊兵器およびその運 搬手段は拡散・高度化・小型化しており、また、国境を越える脅威が増大し、国際テロの広がりが懸念されている。例えば北朝鮮は、度重なる国連安全保障理事 会による非難・制裁決議を無視して、既に日本全土を覆う弾道ミサイルを配備し、米国に到達する弾道ミサイルを開発中である。北朝鮮は、また、核実験を3度 実施しており、核弾頭の小型化に努めているほか、生物・化学兵器を保有しているとみられる。また現在、さまざまな主体によるサイバー攻撃が社会全体にとっ て大きな脅威・リスクとなっている。その対象は国家、企業、個人を超えて重層化・融合化が進み、国際社会の一致した迅速な対応が求められる。すなわち、世 界のどの地域で発生する事象であっても、直ちにわが国の平和と安全に影響を及ぼし得るのである。したがって、従来のように国境の内側と外側を明確に区別す ることは難しくなっている。また、宇宙についても、その利用が民生・軍事双方に広がっていることから、その安定的利用を図るためには、平素からの監視と ルール設定を含め、米国との協力をはじめとする国際協力の一層の強化が求められている。

 第2は、国家間のパワーバランスの変化である。このパワーバランスの変化の担い手は、中国、インド、冷戦後復活したロシア等国力が増大してい る国であり、国際政治の力学にも大きな影響を与えている。特にアジア太平洋地域においては緊張が高まっており、領土等をめぐる不安定要素も存在する。中国 の影響力の増大は明らかであり、公表国防費の名目上の規模は、過去10年間で約4倍、過去26年間で約40倍の規模となっており、国防費の高い伸びを背景 に、近代的戦闘機や新型弾道ミサイルを含む最新兵器の導入とその量的拡大が顕著である。中国の国防費に関しては引き続き不透明な部分が多いが、14年度公 式発表予算額でも12兆円以上であり、わが国の3倍近くに達している。この趨勢(すうせい)が続けば、一層強大な中国軍が登場する。また、領有権に関する 独自の主張に基づく力による一方的な現状変更の試みも看取されている。以上のような状況を踏まえれば、これに伴うリスクの増大が見られ、地域の平和と安定 を確保するためにわが国がより大きな役割を果たすことが必要となっている。

 第3の変化は、日米関係の深化と拡大である。90年代以降は、弾道ミサイルや国際テロをはじめとした多様な事態に対処するための運用面での協 力が一層重要になってきており、これまでの安全保障・防衛協力関係は大幅に拡大している。その具体的な表れとして、装備や情報を含めたさまざまなリソース の共有が進んでおり、今後ともその傾向が進むことが予想される。13年10月に開催された日米外務・防衛閣僚協議(「2プラス2」)において、「日米防衛 協力のための指針(ガイドライン)」の見直しを行うことで合意され、日米間の具体的な防衛協力における役割分担を含めた安全保障・防衛協力の強化について 議論していくこととなっている。日米同盟なくして、わが国が単独で上記第1および第2のような状況の変化に対応してその安全を全うし得ないことは自明であ るとともに、同時に半世紀以上前の終戦直後とは異なり、わが国が一方的に米国の庇護(ひご)を期待するのではなく、日米両国や関係国が協力して地域の平和 と安全に貢献しなければならない時代になっている。同盟の活力を維持し、さらに深化させるためには、より公平な負担を実現すべく不断の努力を続けていくこ とが必要になっているのである。このように、安全保障の全ての面での日米同盟の強化が不可欠であるが、これに加え、地域の平和と安定を確保するために重要 な役割を果たすアジア太平洋地域内外のパートナーとの信頼・協力関係も必要となっている。

 第4の変化は、地域における多国間安全保障協力等の枠組みの動きである。67年に設立された東南アジア諸国連合(ASEAN)に加え、冷戦の 終結や共通の安全保障課題の拡大に伴い、経済分野におけるアジア太平洋経済協力会議(APEC、89年)や外交分野におけるASEAN地域フォーラム (ARF、94年)にとどまらず、東アジア首脳会議(EAS、05年)の成立・拡大や拡大ASEAN国防相会議(ADMMプラス、10年)の創設など、政 治・安全保障・防衛分野においてもさまざまな協力の枠組みが重層的に発展してきている。わが国としては、こうした状況を踏まえ、より積極的に各種協力活動 に幅広く参加し、指導的な役割を果たすことができるような制度的・財政的・人的基盤を整備することが求められる。

 第5の変化は、アフガニスタンやイラクの復興支援、南スーダンの国づくり、また、シーレーンを脅かすアデン湾における海賊対処のように、国際 社会全体が対応しなければならないような深刻な事案の発生が増えていることである。また、PKOを例にとれば、停戦監視といった任務が中心であったいわゆ る伝統型から、より多様な任務を持つように変化するなど、近年、軍事力が求められる運用場面がより多様化し、復興支援、人道支援、海賊対処等に広がるとと もに、世界のどの地域で発生する事象であっても、より迅速かつ切れ目なく総合的な視点からのアプローチが必要となっている。こうした国連を中心とした紛争 対処、平和構築や復興支援の重要性はますます増大しており、国際社会の協力が一層求められている。

 最後に、第6の変化は、自衛隊の国際社会における活動である。91年のペルシャ湾における機雷掃海以降今日まで、自衛隊は直近の現在活動中の 南スーダンにおける活動を含めて33件の国際的な活動に参加し、実績を積んできた。その中には、92年のカンボジアにおけるPKO、93年のモザンビーク におけるPKO、94年のザイール共和国(当時)東部におけるルワンダ難民救援のための人道的な国際救援活動、01年の米国同時多発テロ事件後の「不朽の 自由作戦」に従事する艦船に対するインド洋における補給支援活動、03年から09年に至るイラク人道復興支援活動等が含まれる。海外における大規模災害に 際しても、近年、自衛隊は、その機能や能力を生かした国際緊急援助活動を積極的に行ってきており、最近の例を挙げれば、13年11月にフィリピンを横断し た台風により同国で発生した被害に関し、1200人規模の自衛隊員が、被災民の診療、ワクチン接種、防疫活動、物資の空輸、被災民の空輸等の活動を実施し た。07年には国際緊急援助活動を含む国際平和協力活動が自衛隊の「本来任務」と位置付けられた。自衛隊の実績と能力は、国内外から高く評価されており、 復興支援、人道支援、教育、能力構築、計画策定等さまざまな分野で、今後一層の役割を担うことが必要である。

 以上をまとめれば、わが国の外交・安全保障・防衛をめぐる状況は大きく変化しており、最近の戦略環境の変化はその規模と速度において過去と比 べても顕著なものがあり、予測が困難な事態も増えている。これまでは、少なからぬ分野において、いわば事態の発生に応じて、憲法解釈の整理や新たな個別政 策の展開を逐次図ってきたことは事実であるが、変化の規模と速度に鑑みれば、わが国の平和と安全を維持し、地域および国際社会の平和と安定を実現していく 上では、従来の憲法解釈では十分に対応することができない状況に立ち至っている。

 3、わが国として取るべき具体的行動の事例

 08年の報告書では、4類型(/(1)/公海における米艦の防護、/(2)/米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃、/(3)/国際的 な平和活動における武器使用、/(4)/同じPKO等に参加している他国の活動に対する後方支援)のそれぞれに関し、懇談会の提言を提示した。本懇談会で は、これに加え、上述のようなわが国を取り巻く安全保障環境の変化に鑑みれば、例えば以下のような事例においてわが国が対応を迫られる場合があり得るが、 従来の憲法解釈や法制度では十分に対応することができず、こうした事例に際してわが国が具体的な行動を取ることを可能とするあるべき憲法解釈や法制度を考 える必要があるという問題意識が共有された。なお、以下の事例は上述の4類型と同様にあくまで次ページ以下で述べる憲法解釈や法制度の整理の必要性を明ら かにするための具体例として挙げたものであり、これらの事例のみを合憲・可能とすべきとの趣旨ではない。

 /(1)/事例1…わが国の近隣で有事が発生した際の船舶の検査、米艦等への攻撃排除等

 ―わが国の近隣で、ある国に対する武力攻撃が発生し、米国が集団的自衛権を行使してこの国を支援している状況で、海上自衛隊護衛艦の近傍を攻 撃国に対し重要な武器を供給するために航行している船舶がある場合、たとえ被攻撃国および米国から要請があろうとも、わが国は、わが国への武力攻撃が発生 しない限り、この船舶に対して強制的な停船・立入検査や必要な場合のわが国への回航を実施できない。現行の憲法解釈ではこれらの活動が「武力の行使」に当 たり得るとされるためである。しかし、このような事案が放置されれば、紛争が拡大し、やがてはわが国自身に火の粉が降りかかり、わが国の安全に影響を与え かつ国民の生命・財産が直接脅かされることになる。

 ―また、被攻撃国を支援する米国その他の国々の艦船等が攻撃されているときには、これを排除するようわが国が協力する必要がある。この点に関 連して、現行の「周辺事態に際してわが国の平和および安全を確保するための措置に関する法律」(周辺事態法)では、自衛隊による後方地域支援または後方地 域捜索救助活動は、後方地域、すなわち「わが国領域ならびに現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われる ことがないと認められるわが国周辺の公海およびその上空の範囲」でしか実施できず、また、弾薬を含む武器の提供や戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機 に対する給油および整備については当時は米軍からのニーズがなかったとして含まれていないなど、米国に対する支援も限定的であり、また、そもそも米国以外 の国に対する支援は規定されておらず、不可能である。

 ―そもそも「抑止」を十分に機能させ、わが国有事の可能性を可能な限り低くするためには、法的基盤をしかるべく整備する必要がある。

 /(2)/事例2…米国が武力攻撃を受けた場合の対米支援

 ―米国も外部からの侵害に無傷ではあり得ない。例えば、01年の米国同時多発テロ事件では、民間航空機がハイジャックされ、米国の経済、軍事 を象徴する建物に相次いで突入する自爆テロが行われ、日本人を含む約3千人の犠牲者が出た。仮に米国が弾道ミサイルによる奇襲といった武力攻撃を受け、そ の後、攻撃国に対して他の同盟国と共に自衛権を行使している状況において、現行の憲法解釈では、わが国が直接攻撃されたわけではないのでわが国ができるこ とに大きな制約がある。

 ―わが国を攻撃しようと考える国は、米国が日米安全保障条約上の義務に基づき反撃する可能性が高いと考えるからこそ思いとどまる面が大きい。 その米国が攻撃を受けているのに、必要な場合にもわが国が十分に対応できないということであれば、米国の同盟国、日本に対する信頼は失われ、日米同盟に甚 大な影響が及ぶおそれがある。日米同盟が揺らげばわが国の存立自体に影響を与えることになる。

 ―わが国は、わが国近傍の国家から米国が弾道ミサイルによる奇襲といった武力攻撃を受けた場合、米国防衛のための米軍の軍事行動に自衛隊が参 加することはおろか、例えば、事例1で述べたように、攻撃国に武器を供給するために航行している船舶の強制的な停船・立入検査や必要な場合のわが国への回 航でさえも、現行の憲法解釈では「武力の行使」に当たり得るとして実施できない。船舶の検査等は、陸上の戦闘のような活動とは明らかに異なる一方で、攻撃 国への武器の移転を阻む洋上における重要な活動であり、こうしたことを実施できるようにすべきである。また、場合によっては米国以外の国々とも連携する必 要があり、こうした国々をも支援することができるようにすべきである。

 /(3)/事例3…わが国の船舶の航行に重大な影響を及ぼす海域(海峡等)における機雷の除去

 ―湾岸戦争に際してイラクは、ペルシャ湾に多数の機雷を敷設し、当該機雷は世界の原油の主要な輸送経路の一つである同湾におけるわが国のタン カーを含む船舶の航行の重大な障害となった。今後、わが国が輸入する原油の大部分が通過する重要な海峡等で武力攻撃が発生し、攻撃国が敷設した機雷で海上 交通路が封鎖されれば、わが国への原油供給の大部分が止まる。これが放置されれば、わが国の経済および国民生活に死活的な影響があり、わが国の存立に影響 を与えることになる。

 ―武力紛争の状況に応じて各国が共同して掃海活動を行うことになるであろうが、現行の憲法解釈では、わが国は停戦協定が正式に署名されるなどにより機雷が「遺棄機雷」と評価されるようになるまで掃海活動に参加できない。そのような現状は改める必要がある。

 /(4)/事例4…イラクのクウェート侵攻のような国際秩序の維持に重大な影響を及ぼす武力攻撃が発生した際の国連の決定に基づく活動への参加

 ―イラクのクウェート侵攻のような国際秩序の維持に重大な影響を及ぼす武力攻撃が発生し、国際正義がじゅうりんされ国際秩序が不安定になれ ば、わが国の平和と安全に無関係ではあり得ない。例えばテロがまん延し、わが国を含む国際社会全体へ無差別な攻撃が行われるおそれがあり、わが国の安全、 国民の生命・財産に甚大な被害を与えることになる。

 ―わが国は、国連安全保障理事会常任理事国が一国も拒否権を行使せず、軍事的措置を容認する国連安全保障理事会決議が採択された場合ですら、 現行の憲法解釈では、支援国の海軍艦船の防護といった措置が取れないし、また、支援活動についても、後方地域における、しかも限られた範囲のものしかでき ない。加えて、現状では国内法の担保もないので、その都度特別措置法等のような立法も必要である。

 ―国際の平和と安全の維持・回復のための国連安全保障理事会の措置に協力することは、国連憲章に明記された国連加盟国の責務である。国際社会全体の秩序を守るために必要な貢献をしなければ、それは、自らのよって立つ安全の土台を掘り崩すことになる。

 /(5)/事例5…わが国領海で潜没航行する外国潜水艦が退去の要求に応じず徘徊(はいかい)を継続する場合の対応

 ―04年11月に、先島群島周辺のわが国領海内を潜没航行している中国原子力潜水艦を海上自衛隊のP3Cが確認した。また、13年5月には、 領海への侵入はなかったものの、接続水域内を航行する潜没潜水艦を海上自衛隊のP3Cが相次いで確認した。現行法上、わが国に対する「武力攻撃」(=一般 に組織的・計画的な武力の行使)がなければ、防衛出動に伴う武力の行使はできない。潜没航行する外国潜水艦がわが国領海に侵入してきた場合、自衛隊は警察 権に基づく海上警備行動等によって退去要求等を行うことができる(04年のケース)が、その潜水艦が執拗(しつよう)に徘徊を継続するような場合に、その 事態が「武力攻撃事態」と認定されなければ、現行の海上警備行動等の権限では自衛隊が実力を行使してその潜水艦を強制的に退去させることは認められていな い。このような現状を放置してはならない。

 /(6)/事例6…海上保安庁等が速やかに対処することが困難な海域や離島等において、船舶や民間人に対し武装集団が不法行為を行う場合の対応

 ―このような場合、海上における事案については、当該事案が自衛隊法第82条にいう「海上における人命もしくは財産の保護または治安の維持の ため特別の必要がある場合」に該当すると判断される場合は、内閣総理大臣の承認を得て防衛大臣が命令することによって、自衛隊部隊が海上警備行動を取るこ とができる。また、陸上における事案については、当該事案が自衛隊法第78条にいう「一般の警察力をもつては、治安を維持することができないと認められる 場合」に該当すると判断される場合は、内閣総理大臣が命令することによって、自衛隊部隊が治安出動することができる。さらに、防衛大臣は、事態が緊迫し、 防衛出動命令が予想される場合には、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の部隊等にあらかじめ展開させることが見込まれる地域内において防御施設を構築する 措置を命ずることができる。

 ―しかし、このような海上警備行動や治安出動、防御施設構築の措置等の発令手続きを経る間に、仮にも対応の時機を逸するようなことが生じるの は避けなければならないが、部隊が適時に展開する上での手続き的な敷居が高いため、より迅速な対応を可能とするための手当てが必要である。

 ―事例5および6のような場合を含め、武力攻撃に至らない侵害を含む各種の事態に応じた対応を可能とすべく、どのような実力の行使が可能か、国際法の基準に照らし検討する必要がある。

 ―現在の法制度では、防衛出動との間に権限の隙間が生じ得ることから、結果として相手を抑止できなくなるおそれがある。

 

 

 

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「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書

2014年05月17日 | ニュース・現実評論資料集

 

【安保法制懇報告書 全文】

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書 全文(1)

 2007年5月、安倍晋三内閣総理大臣は、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置した。これまで、政府は、わが国は国際連合憲 章第51条および日米安全保障条約に明確に規定されている集団的自衛権を権利として有しているにもかかわらず、行使することはできないなどとしてきた。安 倍総理が当時の懇談会に対し提示した「四つの類型」は、特に憲法解釈上大きな制約が存在し、適切な対応ができなければ、わが国の安全の維持、日米同盟の信 頼性、国際の平和と安定のためのわが国の積極的な貢献を阻害し得るようなものであり、わが国を取り巻く安全保障環境の変化を踏まえ、従来の政府の憲法解釈 が引き続き適切か否かを検討し、わが国が行使できない集団的自衛権等によって対応すべき事態が生じた場合に、わが国として効果的に対応するために取るべき 措置とは何かという問題意識を投げかけるものであった。これら「四つの類型」は、(1)公海における米艦の防護、(2)米国に向かうかもしれない弾道ミサ イルの迎撃、(3)国際的な平和活動における武器使用、(4)同じ国連平和維持活動(PKO)等に参加している他国の活動に対する後方支援についてであっ た。

 これを受け、当時の懇談会では、わが国をめぐる安全保障環境の下において、このような事態に有効に対処するためにはわが国は何をなすべきか、 これまでの政府の憲法解釈を含む法解釈でかかる政策が実行できるか否か、いかなる制約があるか、またその法的問題を解決してわが国の安全を確保するにはい かなる方策があり得るかなどについて真摯(しんし)に議論を行い、08年6月に報告書を提出した。報告書では、「四つの類型」に関する具体的な問題を取り 上げ、これまでの政府の解釈をそのまま踏襲することでは、今日の安全保障環境の下で生起する重要な問題に適切に対処することは困難となってきており、自衛 隊法等の現行法上認められている個別的自衛権や警察権の行使等では対処し得ない場合があり、集団的自衛権の行使および集団安全保障措置への参加を認めるよ う、憲法解釈を変更すべきであるなどの結論に至った。具体的には、4類型の各問題について以下のように提言を行った。

 (1)公海における米艦の防護については、日米が共同で活動している際に米艦に危険が及んだ場合これを防護し得るようにすることは、同盟国相 互の信頼関係の維持・強化のために不可欠である。個別的自衛権および自己の防護や自衛隊法第95条に基づく武器等の防護により反射的効果として米艦の防護 が可能であるというこれまでの憲法解釈および現行法の規定では、自衛隊は極めて例外的な場合にしか米艦を防護できず、また、対艦ミサイル攻撃の現実にも対 処することができない。よって、このような場合に備えて、集団的自衛権の行使を認めておく必要がある。

 (2)米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃についても、従来の自衛権概念や国内手続きを前提としていては十分に実効的な対応ができな い。米国に向かう弾道ミサイルをわが国が撃ち落とす能力を有するにもかかわらず撃ち落とさないことは、わが国の安全保障の基盤たる日米同盟を根幹から揺る がすことになるので、絶対に避けなければならない。この問題は、個別的自衛権や警察権によって対応するという従来の考え方では解決し得ない。よって、この 場合も集団的自衛権の行使によらざるを得ない。

 (3)PKO等の国際的な平和活動への参加は、憲法第9条で禁止されないと整理すべきであり、自己防護に加えて、同じ活動に参加している他国の部隊や要員への駆け付け警護および任務遂行のための武器使用を認めることとすべきである。

 (4)同じPKO等に参加している他国の活動に対する後方支援については、これまでの「武力の行使との一体化論」をやめ、政策的妥当性の問題として検討すべきである。

 以上の提言には、わが国による集団的自衛権の行使および国連の集団安全保障措置への参加を認めるよう、憲法解釈を変更することが含まれていた が、これらの解釈の変更は、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正を必要とするものではないとした。

 わが国を取り巻く安全保障環境は、前回の報告書提出以降わずか数年の間に一層大きく変化した。北朝鮮におけるミサイルおよび核開発や拡散の動 きは止まらず、さらに、特筆すべきは、地球的規模のパワーシフトが顕著となり、わが国周辺の東シナ海や南シナ海の情勢も変化してきていることである。この ような中で、国際社会における平和の維持と構築におけるわが国の安全保障政策の在り方をますます真剣に考えなくてはならない状況となっている。また、アジ ア太平洋地域の安定と繁栄の要である日米同盟の責任も、さらに重みを増している。

 このような情勢の変化を踏まえて、安倍総理は、13年2月、本懇談会を再開し、わが国の平和と安全を維持するために、日米安全保障体制の最も 効果的な運用を含めて、わが国は何をなすべきか、過去4年半の変化を念頭に置き、また将来見通し得る安全保障環境の変化にも留意して、安全保障の法的基盤 について再度検討するよう指示した。

 その際、08年の報告書の4類型に限られることなく、上記以外の行為についても、新たな環境の下でわが国が対応する必要性が生じることを確認 しつつ、わが国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために取るべき具体的行動、あるべき憲法解釈の背景となる考え方、あるべき憲法解釈の内容、国内 法制の在り方についても検討を行うこととなった。

 以上を踏まえ、本報告書においては、以下、1において、まず政府の憲法解釈の変遷を概観した後、憲法第9条の解釈に係る日本国憲法の根本原則 は何であるかを明確にし、わが国を取り巻く安全保障環境にどのような変化があったのかを検討し、従来の憲法解釈や法制度では十分に対応することができない と考えられる具体的な事例を示す。その上で、2において、わが国の平和と安全を維持し地域および国際社会の平和と安定を実現していく上であるべき憲法解釈 を提示する。さらに、3においてこれを踏まえた国内法の整備等を進めるに当たって考えるべき主な要素について提言することとする。

 1、憲法解釈の現状と問題点

 1、憲法解釈の変遷と根本原則

 (1)憲法解釈の変遷

 あるべき憲法解釈について論じる前に、まず、憲法第9条をめぐる憲法解釈は、国際情勢の変化の中で、戦後一貫していたわけではないということを見ていく必要がある。

 1946年6月、当時の吉田茂内閣総理大臣は、新憲法を審議し制定した旧憲法下の帝国議会において、「自衛権ニ付テノ御尋ネデアリマス、戦争 抛棄ニ関スル本案ノ規定ハ、直接ニハ自衛権ヲ否定ハシテ居リマセヌガ、第九条第二項ニ於テ一切ノ軍備ト国ノ交戦権ヲ認メナイ結果、自衛権ノ発動トシテノ戦 争モ、又交戦権モ抛棄シタモノデアリマス」と述べた。(衆院本会議(46年6月26日))。また、同年吉田総理は、「國際聯合に日本が獨立國として加入致 しました場合に於ては、一應此の憲章に依つて保護せられる」と述べており、このような帝国議会における議論を見れば、日本国憲法が制定された当時、少なく とも観念的にはわが国の安全を1年前の45年に成立したばかりの国連の集団安全保障体制に委ねることを想定していたと考えられる。

 しかし、その後、このような考え方は大きく変化した。すなわち、冷戦の進行が始まり、国連は想定されたようには機能せず、50年6月には朝鮮 戦争が勃発し、52年4月にわが国が主権を回復し、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧・日米安全保障条約)を締結し、54年7月に自衛隊が 創設されたが、54年12月、大村清一防衛庁長官は、「憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。(略)他国から武力攻撃があつた場合 に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合 に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。(略)自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲 の実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない」と答弁し、憲法解釈を大きく変えた(衆院予算委員会(54年12月22日))。

 また、最高裁判所は、59年12月のいわゆる砂川事件大法廷判決において、「同条(引用注・憲法第9条)は、同条にいわゆる戦争を放棄し、い わゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平 和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地 上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうち に生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりう ることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」という法律判断を示したことは特筆すべきである。この砂川事件大法廷判決は、憲 法第9条によって自衛権は否定されておらず、わが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を取り得ることは国家固有 の権利の行使として当然であるとの判断を、司法府が初めて示したものとして大きな意義を持つものである。さらに、同判決が、わが国が持つ固有の自衛権につ いて集団的自衛権と個別的自衛権とを区別して論じておらず、したがって集団的自衛権の行使を禁じていない点にも留意すべきである。

 一方、集団的自衛権の議論が出始めたのは、60年の日米安全保障条約改定当時からである。当初は、同年3月の参院予算委員会で当時の岸信介内 閣総理大臣が、「特別に密接な関係にある国が武力攻撃をされた場合に、その国まで出かけて行ってその国を防衛するという意味における私は集団的自衛権は、 日本の憲法上は、日本は持っていない」、「集団的自衛権という内容が最も典型的なものは、他国に行ってこれを守るということでございますけれども、それに 尽きるものではないとわれわれは考えておるのであります。そういう意味において一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは私は言い過 ぎだと、かように考えております」と答弁しているように、海外派兵の禁止という文脈で議論されていた。それがやがて集団的自衛権一般の禁止へと進んでいっ た。

 政府は、憲法前文および同第13条の双方に言及しつつ、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置を取ることができ ることを明らかにする一方、そのような措置は必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの見解を示すに至っ た。すなわち、72年10月に参院決算委員会に提出した資料において、「憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止 しているが、前文において『全世界の国民が・・・平和のうちに生存する権利を有する』ことを確認し、また、第13条において『生命、自由および幸福追求に 対する国民の権利については、・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする』旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに 生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは とうてい解されない」とした。続けて、同資料は、「しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制 限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底からくつがえされるという 急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するた めとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである」とし、さらに、「そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国 に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛 権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」として、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの見解を示した。

 同様に、政府は、81年5月、質問主意書に対する答弁書において、「わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国 家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると 解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている」との見解を示した。加えて、同答弁書は、「集 団的自衛権の行使が憲法上許されないことによつて不利益が生じるというようなものではない」とした。集団的自衛権の行使は憲法上一切許されないという政府 の憲法解釈は、今日に至るまで変更されていない。

 そもそも、いかなる組織も、その基本的な使命達成のために、自らのアイデンティティーを失うことのない範囲で、外界の変化に応じて自己変容を 遂げていかなければならない。そうできない組織は、衰退せざるを得ないし、やがて滅亡に至るかもしれない。国家においても、それは同様である。国家の使命 の最大のものは、国民の安全を守ることである。その目的のために、外界の変化に対応して、基本ルールの範囲の中で、自己変容を遂げなければならない。さら に言えば、ある時点の特定の状況の下で示された憲法論が固定化され、安全保障環境の大きな変化にかかわらず、その憲法論の下で安全保障政策が硬直化するよ うでは、憲法論のゆえに国民の安全が害されることになりかねない。それは主権者たる国民を守るために国民自身が憲法を制定するという立憲主義の根幹に対す る背理である。

 軍事技術が急速に進歩し、また、周辺に強大な軍事力が存在する中、わが国を取り巻く安全保障環境がますます厳しさを増している中で、将来にわ たる国際環境や軍事技術の変化を見通した上で、わが国が本当に必要最小限度の範囲として個別的自衛権だけで国民の生存を守り国家の存立を全うすることがで きるのか、という点についての論証はなされてこなかった点に留意が必要である。また、個別的自衛権と集団的自衛権を明確に切り分け、個別的自衛権のみが憲 法上許容されるという文理解釈上の根拠は何も示されていない。この点については、「2、あるべき憲法解釈」の章で再び取り上げる。

 また、国連等が行う国際的な平和活動への参加については、60年代には、内閣法制局は、わが国が正規の国連軍に対して武力行使を含む部隊を提 供することは憲法上問題ないと判断していたが、その後、たとえば稲葉誠一衆院議員提出質問主意書に対する答弁書(80年10月28日)において、「・・・ いわゆる「国連軍」(引用注・国連がその「平和維持活動」として編成したいわゆる「国連軍」)は、個々の事例によりその目的・任務が異なるので、それへの 参加の可否を一律に論ずることはできないが、当該「国連軍」の目的・任務が武力行使を伴うものであれば、自衛隊がこれに参加することは憲法上許されないと 考えている」とされ、また、88年5月14日の衆院安全保障委員会において秋山收内閣法制局第一部長が「もとより集団的安全保障あるいはPKOにかかわり ますいろいろな行動のうち、憲法第9条によって禁じられている武力の行使または武力による威嚇に当たる行為につきましては、わが国としてこれを行うことが 許されない」と答弁しているとおり、政府は、武力の行使につながる可能性のある行為は憲法第9条違反であるとしてきた。一方で、いわゆる「正規の国連軍」 参加の合憲性についてはこれを憲法第9条違反とは判断せず「研究中」(衆院予算委員会(90年10月19日)における工藤敦夫内閣法制局長官答弁)、「特 別協定が決まらなければ、そのあたりの確定的な評価ができない」(衆院予算委員会(98年3月18日)における大森政輔内閣法制局長官答弁)としている。

 (2)憲法第9条の解釈に係る憲法の根本原則

 次に、上記(1)で述べたこれまでの憲法解釈の変遷の経緯を認識した上で、下記2で述べるわが国を取り巻く安全保障環境の変化を想起しつつ、憲法第9条の解釈を考えるに当たって、最も重要なよりどころとすべき憲法の根本原則を確認する。

 (ア)基本的人権の根幹としての平和的生存権および生命・自由・幸福追求権

 上述の72年の政府の見解にあるように、日本国憲法前文は、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと 努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有す ることを確認する」として平和的生存権を確認し、また、同第13条は、「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限 り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」として国民の生命、自由および幸福追求の権利について定めている。これらは他の基本的人権の根幹と 言うべき権利である。これらを守るためには、わが国が侵略されず独立を維持していることが前提条件であり、外からの攻撃や脅迫を排除する適切な自衛力の保 持と行使が不可欠である。つまり、自衛力の保持と行使は、憲法に内在する論理の帰結でもある。

 (イ)国民主権

 また、日本国憲法前文は国民主権を「人類普遍の原理」とし「これに反する一切の憲法・・・を排除する」と規定している。「国民主権原理」は、 「基本的人権」と同様、いかなる手段によっても否定できないいわば根本原則として理解されている。「国民主権原理」の実現には主権者たる国民の生存の確保 が前提である。そのためには、わが国の平和と安全が維持されその存立が確保されていなければならない。平和は国民の希求するところである。同時に、主権者 である国民の生存、国家の存立を危機に陥れることはそのような憲法上の観点からしてもあってはならない。国権の行使を行う政府の憲法解釈が国民と国家の安 全を危機に陥れるようなことがあってはならない。

 (ウ)国際協調主義

 さらに、日本国憲法は、前文で「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則 は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」とうたい、国際協調主義を 掲げている。なお、憲法第98条は「日本国が締結した条約および確立された国際法規は、これを誠実に遵守(じゅんしゅ)することを必要とする」と述べて国 際法規の誠実な遵守を定めている。このような憲法の国際協調主義の精神から、国際的な活動への参加は、わが国が最も積極的に取り組むべき分野と言わねばな らない。

 (エ)平和主義

 平和主義は日本国憲法の根本原則の一つであり、今後ともこれを堅持していかなければならない。後述するとおり、日本国憲法の平和主義は、沿革 的に、侵略戦争を違法化した戦争放棄に関する条約(不戦条約)(28年)や国連憲章(45年)等、20世紀前半以降の国際法思潮と密接な関係がある。憲法 前文の「日本国民は、(略)政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」という文言に体現されているとおり、わが国自身 の不戦の誓いを原点とする憲法の平和主義は、侵略戦争と国際紛争解決のための武力行使を永久に放棄することを定めた憲法第9条の規定によって具体化されて いる。他方、憲法前文が「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思 ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と定めるとともに、「われらは、いづれ の国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と定め、国際協調主義をうたっていることからも、わが国の平和主義は、同じく日本国憲法の 根本原則である国際協調主義を前提として解されるべきである。すなわち、日本国憲法の平和主義は、自国本位の立場ではなく、国際的次元に立って解釈すべき であり、それは、自ら平和を乱さないという消極的なものではなく、平和を実現するために積極的行動を取るべきことを要請しているものと言える。政府は、 13年12月17日に閣議決定された「国家安全保障戦略」において、わが国が、国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、わが国の安全およびアジア 太平洋地域の平和と安定を実現しつつ、国際社会の平和と安定および繁栄の確保にこれまで以上に積極的に寄与していくことを掲げているが、日本国憲法の平和 主義は、この「国際協調主義に基づく積極的平和主義」の基礎にあるものであるといえる。

 

 ※出典

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/anzenhosyou2/dai7/houkoku.pdf

 

 

 

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“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅱ)

2014年02月08日 | 歴史資料

 

※先の投稿に引き続き、中川八洋氏の論考を記録しておきます。今更言うまでもないことですが、中川八洋氏の見解に同意するかどうかということとは無関係です。様々な観点から検証するための一つの参考意見です。

論考の中で中川氏は西尾幹二氏について、「ソ連は天使、米国は悪魔」として冤罪化を試みているかのように主張されていますが、中川八洋氏の断定は、逆にむしろ「ソ連は悪魔、米国は天使」と主張しているかのような神学論争に堕しかねない感想ももちます。そうであれば愚劣な議論でしょう。知者、知に溺れる。

いずれにしても歴史認識とは神ならぬ利害にとらわれる人間の行うことですから、一筋縄には行かないことはわかります。

「人は心で謀事をするが、物事を決めるのは神である。人の目には自分の行く道はすべて正しいかのように思うが、ただ神のみが真実を裁定される」(箴言16:1、2)

 

中川八洋掲示板
@中川八洋

 
“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅱ)
――“冤罪捏造”の<西尾史観>と分裂症の妄想・幻覚
                    
筑波大学名誉教授 中 川 八 洋 

西尾幹二の作品はことごとく、妄想性思考と論理障害が顕著である。特に、強度の妄想性思考(幻覚)において、西尾幹二の職業は、サイケデリック・アート(psychedelic art)の画家なら問題はなかっただろうが、史料に基づく歴史事実を積み重ねていく歴史学には最も不向きな人物である。歴史に係わる西尾の大量の雑文すべてが、歴史事実を歪曲した大捏造の噴飯物なのは、西尾の病的な妄想性思考の産物。余りに当然。
『GHQ焚書図書開封』全八巻の分析に入る前に、西尾が昵懇な北朝鮮工作員・金完燮との対談本『日韓大討論』(注1)に、少しばかり脱線する。この対談でデッチアゲに狂奔する西尾流妄想の偽造歴史が、西尾特有の病気である“冤罪づくりの犯罪”という悪意の意図(malicious intent)に発生しているのを端的に明らかにするからだ。
蛇足。一定以上の教養さえあれば、諜報情報など無くとも、誰でもこの対談をすれば「金完燮とは<親日>演技を通じて、日本人を“反・韓国”に誘導洗脳し日韓分断を工作する北朝鮮の対日工作員」だと見破れる。だが西尾は、国際政治や歴史を洞察する知見も能力も欠く、水準以下の低級な売文業者。この程度の判別すらできない。

「北海道を守る代償に、米国は日本男児のシベリア強制労働をスターリンに承認する協定に署名した」だって?????

『日韓大討論』で、西尾は、ここまで嘘だらけの創り話ができるものかと絶句するほど、真赤な嘘をでっち上げる。 

「米国大統領トルーマンが、それ(=ソ連の北海道南北分断と北側占領要求)をさせない交換条件として、シベリアにいた日本人を約八十万人を強制労働につかせることをソ連のスターリンに対して認めてサインをしたのです。日本人の頭越しで行われた協定で、日本には知らされませんでした」
「収容所に入れられ恐怖の強制労働に従事させられた日本人約八十万人のうち、約十万人が亡くなりました。それは北海道が守られた犠牲であるということを、戦後三十年ぐらい経って知らされました。歴史の非情です」(注2)。

スターリンがトルーマンに対し発した(留萌と釧路を結ぶ線で)北海道北半占領要求の通知は、一九四五年八月十六日。日本は前日十五日正午の停戦に合意したが、この時点、降伏はしていない。十六日は、日米はまだ相互に交戦状態の戦争相手国だった。日本の連合国への降伏は、九月二日、東京湾に停泊する戦艦ミズーリー艦上。“戦闘停止”を指す「停戦」は、「降伏」(戦争終結、戦勝国の敗戦国の占領開始)ではない。
だから、九月二日以降の日本軍の降伏相手国&占領地域をめぐる一九四五年八月十六~二十五日の米ソ間のやり取りを、米国は日本側に連絡する義務などない。それなのに西尾は、「一九四五年八月」時点で、米国は日本側への協議義務が発生する日米同盟を締結していたと主張する。
分裂症の狂気がひどい西尾幹二とは、時間軸が非在の、時間経過の識別ができない。だから、このように、「一九四五年八月」を、七年後の日米安保条約が発効した「一九五二年四月二十九日以降」だと“妄想”する。西尾における「一九四五年八月=一九五二年四月二十九日以降」のような症状を、分裂症患者に特有な“幻覚”ともいう。
産経新聞社やワック社は、西尾幹二が重度の分裂症罹患者だと知ったうえで付き合っているようだ。精神分裂症の文筆家の作品の方が、正常な論客や学者のより、よく売れて商売になるからだ。絵画と同じである。分裂症の画家ゴッホ、ムンク、ゴヤ、ボッシュなどを思い出せばわかるだろう。
画家に限らず文筆家(文学者、哲学者、思想家)もまた、分裂症患者の作品の方が、日本では高い評価を受け読者も多い。ルソー、ヘルダーリン、フーコー、ドウルーズ、コント、保田與重郎、サイード、ハイデカー、ヴィトゲンシュタインなど挙げるときりがない。なお、ニーチェの狂気は、分裂病と酷似した症状を示す脳梅毒であって、分裂病ではない。
話を戻す。トルーマンは、上記スターリン要求をにべもなく拒絶回答した。二日後の八月十八日だった。代りに、国後・択捉島およびその北に位置するクリル諸島へのソ連軍の進駐・占領を認めた。このとき米国は、択捉島に米国のB29爆撃機用の航空基地を設置させる条件を附けた。
八月二十二日、スーターリンは、択捉島のアメリカ軍航空基地建設を拒否した。これは、北海道北半占領を断念する旨の間接的な通知でもあった。二十五日、米国は米軍基地拒絶への抗議文をソ連に発信し、これをもって本件に絡む米ソ間交渉は終了した(注3)。
このソ連の北海道北半占領要求について、日本側(外務省)は、占領開始後の一九四五年九月にGHQ(米国)から詳細に聞かされており、西尾幹二の意味不明な「戦後三十年ぐらい経って」(一九七五年頃)は、妄想上に浮かんだ真赤な嘘話。医学的には“分裂病の幻覚”。西尾幹二のこのような狂気の妄想には、限度がない。
すなわち、「北海道北半のソ連軍への降伏・ソ連の占領地域」という純粋に戦勝国・米ソ間の問題は、日ソ間の問題でポツダム宣言違反のシベリアへの日本男児百五万人強制連行・強制労働事件(四十~五十万人大量殺戮事件)とは、ひとかけらも関係しない。だのに、世界中でただ一人西尾幹二だけは、上記引用文のように、全く無関係な両問題が結びつき連結してしまう。西尾幹二が幻覚(妄想性思考)に浮遊する重度の分裂症患者でないとすれば、この異常な“連結”が発生する狂気の思考メカニズムを説明できない。
シベリア強制連行は、共産主義者(ソ連工作員)の牙城となっていた帝国陸軍参謀本部や近衛文麿らが、一九四五年四月頃から、ソ連大使館と打ち合わせていたもので、“半ばスターリンの対日要求、半ば日本側の同意”から生まれた世紀の蛮行である。
このことは、近衛の代理としてソ連大使館(の中の、ベリアが直轄するNKGB部局)との間を頻繁に行き来していた酒井鎬次(予備役陸軍中将)が近衛と二人で執筆したと詐称する「近衛文麿の対ソ仲介案」に明記されている(注4)。このところは、「近衛らが、ソ連大使館のNKGB将校と一緒に執筆した」と正しい歴史事実に修正されるべきだ。
また、在満州の関東軍(帝国陸軍の在満洲総軍)のソ連軍への降伏とシベリアへの連行が合意されたジャリコーワでの日ソ間の協議は、一九四五年八月十九日(注5)。
すなわち、北海道北半をめぐる米ソ間の応酬があった八月十六日~十八日、日本陸軍(関東軍)とソ連軍は、まだ満洲の荒野で最後の戦闘中であった。日本の将兵は誰一人としてシベリアなどにはいない。しかし、西尾幹二は、「シベリアに八十万人いた」という。
重度の分裂症の西尾幹二にとって、「満洲」と「シベリア」が同一だし、「一九一八年のシベリア出兵」と「一九四五年のシベリアへの拉致連行」とが同一である。論理障害で妄想性思考の症状である。なお、引用文の「八十万人」とか「十万人」とかの数字ミスは、西尾が歴史音痴で文献を渉猟しないズブの素人だからであって、西尾の分裂症とは関係しない。

ついでにシベリア拉致強制連行・大量殺戮事件について、その基本概要を述べておこう。八月十九日から武装解除が始まった関東軍の将兵が、鉄格子つきの貨車に載せられシベリアへと北送されていく強制抑留は、九月二日の降伏の日から開始された。八月十八日に事実上終了した北海道北半占領問題から二週間たった後。シベリアへの強制連行の最盛期は一九四五年十月~十一月で、翌年春まで続いた。
シベリアに拉致・強制連行された日本人男児はおよそ百五万人。帰還した数を差し引けば、四十~五十万人が殺害された。死亡したのではなく、ホロコーストの大量殺戮である。これが、ほぼ正確な確定数字である。
これに関して多くの資料があるが、最も学術的に高い評価を得ているのは『シベリア強制抑留の実態』(注6)。この本への言及がないシベリア抑留問題の書物など、信用が措けない。
さて、上記の引用文には「トルーマンは、在シベリアの日本人八十万人を強制労働させることをスターリンに同意し協定に署名(サイン)した」との、西尾幹二の真赤な嘘創作がある。そのような「米ソ協定」など、幽霊ですら実態物に思えるほど、むろん存在しない。西尾幹二の分裂症の幻覚は、これほどひどいのである。
西尾幹二が、強度の幻覚症状の中で嘘歴史を綴っていく様は、チェーホフの小説『第六病棟』の主人公さながら。戦慄するほかない。
なお、米国こそは、ソ連に抑留された日本人男児の解放に全力あげてソ連に圧力をかけ続けた最高の偉大な友邦であった。米国の援護なしに、約半数の五十万人帰還は、ありえなかった。

西尾幹二を精神病院に入院させなくて、本当に大丈夫か

『日韓大討論』は、西尾幹二が重度の精神異常者であることを示す多くの嘘歴史の陳列館だが、事例をもう一つ。次の荒唐無稽な嘘話は、馬鹿馬鹿しくて読む気になれないだろうが、我慢して読んでいただきたい。
 
「(米国は、日本の)真珠湾攻撃より前に東京空襲が計画されていました。使用しようとしていた飛行機がドイツの方に必要になったので取りやめになったのですが、いきなり東京を攻撃する計画でした。ですからもし日本が真珠湾をやらなければ、アメリカが日本に先制攻撃していました」(注7)。

幻覚で歴史をデッチアゲル西尾幹二の、上記の嘘歴史は、私立中学を受験する東京の小学生五年生でもわかるもので、わざわざ解説するのは気が重い。が、以下の通り。
一九四一年末までの米国には、政府にも軍にも東京空襲などの計画は全く不在で煙ほどにも無い。そんな渡洋爆撃(空襲)ができる武器=航空機が存在せず、計画検討すら発想する以前だった。
どうやら西尾幹二は、一九四四年秋に実戦配備になったB29爆撃機が、一九四一年に米国に存在していたと“幻覚”している。そして、一九四一年の半ば、米国はB29爆撃機の大部隊で横須賀軍港を先制攻撃することができたと“妄想=幻覚”している。
だが、B29の初飛行は、一九四二年九月二十一日。運用開始は、一九四四年五月八日。シナの成都から九州への爆撃は、一九四四年六月十六日が最初。東京への最初の爆撃は、一九四四年十一月二十九日の二十九機。その発着基地はテニアン島。
要は、西尾幹二は、「一九四一年」と「一九四四年」の相違が、“分裂病の狂人”らしく、識別できない。だから、「一九四四年に初めて戦場に現れた米国のB29の爆撃機は、一九四一年に実戦配備されていた」と妄想し、「この対日用B29が、ドイツ空爆に転用され、一九四一年に使われた」とのもう一つの大妄想(幻覚)を重ねている。

西尾の“妄想”は、一九四二年四月十八日のドーリットル中佐が率いるB25爆撃機十六機と空母「ホーネット」による東京ほかへの対日空襲を、「米国は一九四一年に実行する予定だった」の“妄想”とも考えられるので、不必要かもしれないが、補足しておく。
ルーズベルト大統領は、真珠湾の奇襲攻撃で意気消沈する米軍の士気を昂揚させるべく、東京を含めた日本本土攻撃の研究を命じた。一九四二年一月十六日だった。だが、日本近海に米国の航空基地がなく、また艦載機の爆撃では効果が弱すぎるので、陸軍の双発爆撃機B25十六機を空母から離艦させ(帰還のための着艦はできないので、空襲終了後は)支那大陸に逃避してその沿岸にパラシュートで着地する(爆撃機は全機墜落自壊)というサーカスのような戦術を思いついた。
勇敢さで歴史に名を遺した「ドーリットル空襲」で日本側が蒙った被害は、横須賀の軍港が破壊されたわけではなく、若干の人命喪失と家屋被害が出たのみで、パールハーバーの被害とは比較にならない軽微なレベル。米国が喪失した爆撃機やシナ大陸に不時着した乗員の処刑等による犠牲に比すれば割りの合わない、軍事合理性のまったく無いもの。パールハーバー・ショックから米軍の士気を立ち直らせる目的がなければ考案されることはなかった。
それなのに西尾ときたら、「米国は一九四一年、パール・ハーバーより先に、先制的な横須賀奇襲攻撃/東京空襲をしたはず」と主張する。狂気の幻覚や妄想なくして、とても発想できるものではない。西尾幹二の偽造歴史は、“嘘づくり妄想の連鎖”ででっち上げられている。

日露間の明快な国境(ロシアが侵略している日本国領土)が、はっきりしない???
――「ロシアへの日本の北方領土返還要求の根拠は無い」と主張する西尾幹二 

西尾の歴史偽造には、一貫しているものがある。それは、真偽を越えて何事であれ、「米国が悪魔、ソ連が天使」という構図。これは、虚偽歴史を書きなぐる厖大な数の雑文すべての基本構造となっている。

「アメリカ政府は、ソ連と日本が永久に仲が悪くなるように、アメリカ政府は、サンフランシスコ講和条約において、北方領土の境界をはっきりさせず、あえて国境線を不明確にし、どこまでが日本領なのかをわからないようにしました。これは永遠の争いのタネにするためです」(注7)。
 
これを読んだ時、思わず、西尾幹二はロシアの情報工作員かと思ったが、たまたま彼をよく知るので、それはありえない。つまり、ロシア工作員でないが、西尾とは、過激な親ロ人士で、ロシア一辺倒の“反日の言論ボス”。
日本国にとって、日本固有の領土である樺太を奪い、ニコライエフスク港で日本の一般邦人七百名を虐殺し(一九二〇年三月)、満洲で(一九四五年八月~四六年四月)日本人婦女子二十万人を殺害した“永遠の敵性国家”ロシアとは、日本は万が一にも仲良くなってはいけない。
ところが、日本の国益が転倒的に見える“狂気の非国民”西尾幹二は、逆さにも「日本はロシアと仲良くすべきだ」を強い信条とする。西尾幹二に“性悪の売国奴”を感じない日本人は、共産党員でないなら、自らが売国奴の資質濃厚だと猛省されたい。
上記の引用文は誤謬満載の放言暴言のたぐいともいえるが、それ以前に、このように、西尾幹二とは、シベリア追放処分が急がれる、祖国叛逆の犯罪者的な思考しかできない人物。
なぜなら、日露間の係争は、樺太や国後・択捉・千島列島の領土問題だけではない。ロシアによる残虐極める日本人大量殺戮問題がある以上、万が一にも、日本はロシアと友好関係をもつことはできない。もし仮に、日本がロシアと友好な関係をもつならば、それこそ人倫の道に違背し祖先を足蹴にする、祖国を冒涜する行為ではないか。日本国の存続のレーゾン・デートルすら瓦解する。

ロシアは、一九四五年八月、日ソ中立条約を蹂躙しての満洲侵略・朝鮮北部侵略・樺太侵略を今なお詫びてはいない。この時、日本人男児百五万をシベリアに拉致して極寒の中での強制労働で四~五十万人を殺戮したことを今なお詫びてはいない。このとき、満洲や樺太で日本の婦女子に対して言語に絶する陵辱をなし殺戮を縦にしたが、これについてもロシアは一言も詫びてはいない。
満洲で十歳以上の日本人女性はほぼことごとくレイプされた。とりわけ、十代の日本女性に対するレイプは、阿鼻叫喚の地獄絵であった。例えば、一週間で百名から二百五十名のロシア兵に犯され、そのまま死亡した者は数知れず。また多くは、レイプされた後、自殺した。母親や祖母が発狂した日本人の女児・女子を殺してあげた。レイプ殺戮の日本女性の被害者数の総計は、一万人を超える。
ために、満洲から十代の女学生で生きて福岡県博多港に引き揚げてきた者はわずかであった。また、博多港の岸壁では、レイプされて妊娠した日本女性の掻爬が行われたが、この掻爬の順番待ちをして長々と並ぶ光景は、鬼気迫るものがあったという。

ロシアと仲良くするのが良いなどとは、西尾幹二が悪魔すらたじろぐ人間性皆無(ヒューマニズム欠如)の人格の持ち主だからである。西尾が、事の理非や善悪を弁えない無道徳・反倫理の人間以下の犯罪者精神の人格だからである。
米国は、日本の北方領土返還問題では、絶えず日本側を応援した。例えば、「ヤルタ秘密協定は、米国政府はいっさい関与していない、ルーズベルトが大統領ではなく個人としてスターリンと交わした私文書である」との国務省声明(一九五六年九月)まで発出したように、あらゆる手を尽くしてくれた。また、国後・択捉島は日本領土である旨の公文書をロシアに突きつけたり、その奪還にかける情熱は、日本人以上である(注8)。
サンフランシスコ講和会議において、ロシアは、「南樺太とクリル諸島(得撫島以北の千島列島)と国後・択捉・歯舞・色丹の領有を講和条約に明記しろ」「宗谷海峡/根室海峡などに面する北海道側を非武装化する旨を明記しろ」などを要求したが、これをすべて拒絶したのが米国政府であった。
ダレス全権は、サ講和条約をヤルタ秘密協定の無効宣言をかねるものとするぞと意気込んでいたが、日本国へのこの約束を完全に守りぬいた。怒ったソ連の全権グロムイコ外相は退場し、講和条約を調印しなかった。ために、南樺太とクリル諸島は日露間では今なお“日本領土”である。
上記の引用文での西尾幹二の主張は、“北方領土をロシアに譲渡し、海峡に面した北海道の一部の主権をロシアと共同主権とせよ”とのことだから、西尾幹二とは、まさに反日の非国民である。そればかりか「日ロ間の国境の境界は、はっきりしない」との西尾幹二の謂いは、「日本の対ロ北方領土返還要求には、正当な根拠が存在しない」との意味だから、「対ロ領土返還要求をするな!」との西尾の真意が言外に露である。
日本領土をすべてロシアに貢がんとした帝国陸軍参謀本部のコミュニスト種村佐孝大佐の継承者のような西尾幹二は、潜在意識では“スターリン万歳のロシア人”だと断定してよかろう。

「ソ連は天使、米国は悪魔」
――“西尾流偽造の嘘歴史”を貫く米国冤罪化

これまで『日韓大討論』の三ヶ所を引用したわけだが、一番目と三番目は、西尾のもう一つの異常な歴史観を暴いている。それは、ロシアがなした明々白々な対日領土侵略や日本人大量殺戮事件を「米国がなしたもの」と米国に転嫁する、米国に冤罪の濡れ衣を着せる歴史捏造がパターン化していること。換言すれば、「敵国ロシア、友邦アメリカ」を異論なく示す明らかな歴史事実を転倒して、日本人が「ソ連は天使、米国は悪魔」の構図に洗脳されるよう嘘歴史をデッチアゲルのが、西尾流歴史偽造の手口だということだ。
要は、米国を無実の罪で糾弾するための、嘘歴史への歴史事実の転倒である。このような悪意の冤罪づくりは、共産主義者なら当然の行為だろう。だが西尾は、マルクス・レーニン主義者ではない。とすれば、分裂症患者では常態の、善悪を転倒させて入れ替える思考だと考えざるを得ない。西尾幹二は、重度の精神分裂症の狂気によって、善者と悪者のすり替え妄想に遊んでいる。
 

1、『日韓大討論』で、西尾幹二は、私(中川八洋)の著『歴史を偽造する韓国』からかなりの量の知見を“盗用”している。学術論文または学術性のある著作の場合は、引用箇所を明記すれば済むが、一般向きの対談本などでは、他人の作品から一定以上の分量を利用する場合、法律も「許諾が必要」だと定めている。西尾幹二は、著作権法に明白に違反する「許諾なき無断利用」、つまり“盗用”事件を犯している犯罪者である。
また、歴史の偽造のトンデモ本を売りまくる卑しく下劣な売文業者・西尾幹二に、私は、学者としてまた平成日本を代表する知識人として、私の学術的な研究成果を“許諾する”ことは決してしない。そのようなことをすれば、日本国の国益一途の私の学問研究が冒涜的に穢れることになるし、何よりも私個人の名誉と信用が毀損される。すなわち、幻覚と嘘つき常習の“狂気の人”西尾幹二による拙著盗用事件は、私に対する名誉毀損事件でもある。
2、『日韓大討論』扶桑社、三四頁。
3、南方同胞援護会『北方領土の地位』、一三四~六頁。この他にも多くの文献があるが、皆同じ。
4、江藤淳監修『終戦工作の記録 下』、講談社文庫、二三四~九頁。近衛文麿がスターリンに提案する予定の『和平交渉にかかわる要綱案』には、「賠償として一部の労力を提供するころには同意す」との一文がある。
戦後、シベリア抑留問題で、“日本側の主犯”近衛文麿が糾弾されないのは、朝日新聞などソ連や共産党に支配された極左マスメディアの情報工作・洗脳工作の成果である。だが、忘れてはならないのは、これに加えて、西尾幹二のような“歴史の偽造家”のトンデモ著作を面白がって読む“民族系の売国奴集団”がソ連側・日本側の極左を支援し擁護するからである。
5、コワレンコ『対日工作の回想』、文藝春秋、三〇頁下段。
6、阿部軍治『シベリア強制抑留の実態』、彩流社、二〇〇五年刊。
7、上掲『日韓大討論』、一六二頁、一七七頁。
8、中川八洋『尖閣防衛戦争論』、PHP、二一〇~三三頁を参照のこと。

 

※出典

中川八洋掲示板
@中川八洋

http://yatsuhironakagawa.blog.fc2.com/blog-entry-7.html

 

 

 

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