主戦騎手の中野渡騎手が、マルゼンスキーのことをこう表現した。
「外車の乗り心地」
世の中では、ランボルギーニやフェラーリ、ポルシェなどのスーパーカーが流行していた時代。この中野渡騎手の上記の言葉と共に、マルゼンスキーはその速さから、スーパーカーとの愛称で呼ばれるようになっていった。
とにかく速い!速すぎる!!
"スーパーカー"
これがマルゼンスキーなのである。
このマルゼンスキー、実はデビュー前買い手がつかず、橋本善吉氏自らが馬主となると言う後の活躍を知れば有りえない話もあるのである。
ちなみにマルゼンスキーに買い手が付かなかった理由は、前肢が外向していたためであった。
しかし、この外向していた前肢がさらにマルゼンスキーの凄さを物語らせることとなるのである。
なぜなら、ただの一度もマルゼンスキーは100%の仕上げをせずにレースに臨んでいたからである。それにも関わらず、凄まじい結果を残した奇跡のような名馬なのである。
そんなマルゼンスキーは昭和51年10月9日にデビュー、そこからはレース結果のとおりである。
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「外車の乗り心地」
世の中では、ランボルギーニやフェラーリ、ポルシェなどのスーパーカーが流行していた時代。この中野渡騎手の上記の言葉と共に、マルゼンスキーはその速さから、スーパーカーとの愛称で呼ばれるようになっていった。
とにかく速い!速すぎる!!
"スーパーカー"
これがマルゼンスキーなのである。
このマルゼンスキー、実はデビュー前買い手がつかず、橋本善吉氏自らが馬主となると言う後の活躍を知れば有りえない話もあるのである。
ちなみにマルゼンスキーに買い手が付かなかった理由は、前肢が外向していたためであった。
しかし、この外向していた前肢がさらにマルゼンスキーの凄さを物語らせることとなるのである。
なぜなら、ただの一度もマルゼンスキーは100%の仕上げをせずにレースに臨んでいたからである。それにも関わらず、凄まじい結果を残した奇跡のような名馬なのである。
そんなマルゼンスキーは昭和51年10月9日にデビュー、そこからはレース結果のとおりである。
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