高槻まつりの地域への警備対策について、会場になっているけやき通り、みずき通りの関係自治会の皆さんと、高槻まつりの地域安全対策委員会のメンバーとで考えました。41回の高槻まつりを展開してきました。1993年の高槻市制50周年記念の年からけやき通りとみずき通りをメイン会場にして高槻まつりを展開してきました。それまでは今の「JT生命誌館」の場所を出発点にして、芥川商店街、出屋敷通り、高槻センター街、城北通り、北大手通り、市民グランドとなっていました。けやき通りが4車線の大通りになったことで、高槻市の一番の真ん中で「高槻まつり」をやろうということになり、けやき通り、みずき通りですることになりました。もともとは狭い1.5車線の道路でしたので4車線歩道付の道路は夢のような広場に見えました。みづき通りは「阪急の高架」工事までは道がありませんでしたので、町がまったく新しくなったと感じたことでした。24回からこの会場ではじめました。ここでの祭りも17回を数えています。けやき通りだけでは狭いということで桃園小学校のグランドを会場に増やしました。初めのころは桃園小学校のほうの会場に行かれる方が少なくて「呼び込み」をしなければならない状態でした。通路も一箇所から二箇所にしていただき今の全体風景になりました。ごみの問題も、はじめのころは交差点にごみを集めて翌日に収集する体勢でしたが、いまは、200個のゴミ箱を配布して、大通りは夜中に、あとは早朝に収集していただいています。
高槻まつりも、大勢の市民の参加をいただき毎年盛大になってきております。しかしながら、その一方で、地元にお住まいの皆さんには多大なご苦労をおかけしているのが現状です。今日は、その負担を軽減させるための会議でした。地元自治会の皆さんの積極的な発言を頂きました。いままで以上に「安全で楽しい」高槻まつりを目指すとともに、地元のみなさんにも負担の少ないまつりを創らなければならないと思いました。高槻まつりは「高槻」にはなくてはならないイベントのひとつです。多くの出演者と多くの見物の方がまつりの会場で「楽しい出会い」を作ることができたらいいなと思います。みんなの笑顔で「いいイベント」にしたいと思います。私は、ボランティア部会長16年やっているようです。次回からは酒井さんにバトンタッチします。長い間ありがとうございました。まつりは、予期しないいろんなことが起こります。そのことがいいことばかりであるようにやっていきましょう。