先日買い物帰りに、花の写真でもと立ち寄ったなぎさ公園と富士公園をむすぶ富士見橋・・・下は道路で陸橋です。
ふと富士見橋の「富士見」に反応してしまい、いろいろな年代の空中写真がみれる電子国土で、このあたりをみる。
→ http://portal2.cyberjapan.jp/site/mapuse/index.html?longitude=139.87980597691&latitude=35.648061983495
※中心点が上の写真の富士見橋です。
旧江戸川をへだてて、浦安をみると、そこにたくさん「富士見」の町名が見られる。
この界隈は富士山がきれいにみえたのか・・・?
ウィキによると、浦安市の「富士見」の地名の由来は
「当地にある境川に「富士見橋」があり、橋の上から遠く富士山を望むことができたことから。」
ということで今昔マップ2を利用して、昭和51年の地図をグーグルアースに重ねてみた。
あいかわらず、地図に線をひくのが好きなので、橋のポイントから富士山まで引いてみた・・・。(;^_^A
(ウィキやその他サイトなどで、おおよそかつての橋の場所の推測はできたが、確証がないので
バス停「富士見橋」をポイントアップした。
これは昭和51年の地図を今昔マップ2を利用してグーグルアースでみたものなのだが、
昭和51年といえば、ついこの間のようなもの!・・なのに、かつての堀江、現在の富士見のあたりは
なにもない。視界がひらけて、海からの風が気持ちよさそうな場所よね♪(*'ー'*)
(※ウィキによると「昭和57年10月1日に浦安市大字堀江字富士見・字旭・字吹上・字河口の区域を以って、
浦安市富士見一丁目~五丁目を新設。住居表示施行。」・・・とのこと。)
きょうのブログのタイトルだけど、旧江戸川をへだてたこのあたりを「ツインシティ」「ツインヴィレッジ」と
表した、「昭和30年・40年代の江戸川区―なつかしい青春の記憶」(三冬社)
のp49の山田安雄氏の言葉をかりたもの。
昭和初期から30年代半ばまで旧江戸川をへだてたふたつの町は相似していたという。
川をへだてたふたつの富士見橋は、いずれもかつて「堀江」とよばれた地にある。(橋自体は古くない。詳細は他日)
今までのこの地の歴史も少ししらべてみたい。
そして、これからふたつのまちは、どのような歴史を刻んでいくのだろう。
作りかけの地図だけど、ぼつぼつ図書館や実際あるいてわかったことなど書き込んでいこうかな。
※江戸川区の富士見橋ですが、図書館で名前の由来を探し切れていません。
そんなこんなで、まだ調べが足りてませんので、わかったことを都度ブログでアップしたいと思います。