エドルネ日記

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荒川・中川・葛西臨海公園サイクリング・その2 東京湾入口にある「中川」の標識

2015-09-25 | 江戸川区

清砂大橋を渡たり、ふたたび江戸川区に入る。

カメラを江東区方面に向ける。中川(手前)と荒川が並流

両川を仕切る土堤の上を首都高速中央環状線が走る。

 

時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」利用(左の古地図は明治42年測図のもの)

以前のブログ(今昔の葛西橋その1 2013-11-02)から引用。

今回の撮影ポイントは、赤い●印から南へ数メートル、上の地図でいうと数ミリ

下にずれるって感じかな。その少し先で荒川と中川が合流する。

ここから先は、埋立地、かつては砂州が広がる海だ。

 

荒川河口橋

江戸川区側サイクリングロードより上流に向け撮影

下流にむけ撮影。対岸には江東区若洲の「東京ゲートブリッジ」が見える

 

カーブの先は、葛西臨海公園。

前方には東京都23区内で唯一の海水浴場、葛西海浜公園西なぎさ

写真左には舞浜のホテル群が見える。

 

振り返って荒川河口橋を撮る。

案内板に「なかがわ」の表記が!

ちゃんと撮ってくれば良かった。見づらいが「東京都」の文字が見える。

何度もここを通っていのに、気づかなかった。

中川と荒川の合流後は、荒川として海にそそぐものだと思っていたのでびっくり。          

 

goo地図

※中川の標識の場所は[+]

〇地理院地図

http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.642859,139.849949&z=14&base=std&vs=c1j0l0u0

 地理院地図には、「荒川」の表記が見られる。

〇 国土情報ウェブマッピングシステム

http://nrb-www.mlit.go.jp/WebGIS/

ネット検索でたどり着いたページ。専門的で難しそうだけどいろいろな情報が見られる。

今後の参考にメモ。

 


 地図表記と違うようなので、いろいろ調べたが、結局わからなかった

というのが、今回の結論。川の管理上の問題とかかな?

備忘録として今回参照したサイトをアップ。

 

荒川下流河川事務所「荒川放水路変遷史」pdf

・・・『コラム「埋立により延びた荒川放水路」』にある「0kp」ってなんだろう?

  計画当初の放水路の終点をゼロキロポイントとしたとかかな。ところで海と川の明確な境界線はあるの?

第五建設事務所管内図

・・・中川は荒川との合流後も見えない境界により中川として海にそそいでいる。

江戸川河川事務所 「中川(新中川)」pdf

「解説シートNo4-2荒川・中川」 江戸川区郷土資料室

〇:首都国道事務所>道づくりと地域フォトギャラリー>【国道357号・江戸川区】

・・・荒川河口橋について調べた際に見つけたサイト。フォトギャラリーには

「首都国道事務所が戦後50年にわたり道路整備事業を行ってきた記録」写真があり興味深い。

 


 

今回調べていくうちに、私のなかで印象の薄かった中川の

荒川開削前と後の姿を改めて学ぶ機会となった。

たとえば

・中川は、江戸時代の中頃に利根川の流路を利用して開削

・北関東からの重要な舟運路で東京湾にそそぐ川であった。

・荒川放水路計画では中川を分断、「荒川放水路を中川に合流させる」とあり

・中川が旧中川と中川に、そして現在は新中川が加わり三本の川に・・

・放水路開削後、江戸川区・江東区側両岸の埋め立てにより川が伸びていった。 

・荒川と中川の並流部分は、逆流防止のためだったなど・・なんかタイムリー。

などなど、中川も深いなぁ・・・というのが今回の感想。

 

* * * * * * * * * * * * * 

 

川の標識にまつわるトリビア

結局、調べたものをそのままアップしただけなんだけれど

そこには人と川の歴史があった!

なんてね。^^

澄んだ空、爽やかな風、これからサイクリングに最高の季節!

荒川と中川の見えない境界線や変化していった川と海岸の姿を、

想像しながら走るのも楽しい♪

 


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
看板のある所は海ですね! (ハマちゃん)
2015-09-27 09:47:09
実にすばらしい発見ですよ!!
北千住の「千」に同等のするどい指摘です!新聞社に連絡しましょうね?!

私が読み解いてみました。(独断と偏見で!?)
●荒川河口橋がある所は川ではなく既に海(東京湾)になります。よって名称も本来は不正確なものだと思います。しかし河口とあるので良いでしょうね。
●goo地図や地理院地図(1/1万程度)に書かれている様に荒川の中心に書かれている区界線が川と海の境です。よって地図通り荒川と中川がそれぞれ独立して海に接している事になります。
●ですから荒川河口橋近くにある東京都の「中川」の看板表記は間違いです。その部分は海になります。
●なお第五建設事務所管内図に書かれている中川の延長線上に「五管管理河川海岸区域」が水部に書かれていますが、これは海部分で管理する海岸区域に該当するのでしょう。川ではありませんね!

●地理院の地形図では行政界線は海上には書かないのです。ですから地形図上で中東半端な所で区界線が
止まっているのです。

※参考までに地理院地図に参考になる地図があります。表示方法を記載します。

①地理院地図の画面の左上にある「情報」をクリックすると、真ん中に「表示できる情報」とあります。それをクリックしてください。
 ②一番上の「地図・空中写真」をクリックしてください。
 ③その中に「治水地形分類図」をクリックしてください。
 ④上の初版をクリックしてください。
 ⑤分類図の地図が表示されます。(荒川の河口付近を拡大してください)
 ⑥河川と海の管理区域界線が書かれています。それにぶつかる所まで区界線が表示される訳です。

参考になれば幸いです!?
※HPのアドレスが変わりました!
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Unknown (エドルネ)
2015-09-27 20:23:51
ご教授ありがとうございます!
地図の見方も勉強になります。
川の歴史を考えると中川は中川として海に注いでいということがわかってなんだかほっとしました。
「北干住」ほどのインパクトはないかもしれませんが、なんでだろうとますます謎が深まりました。
ぜひハマちゃんさん、解明してください!私にはこれが限界です。
あるいは・・・
境界好きとか川好きとかには結構面白い「東京ふしぎ探検」ネタかも??なんてね。(^m^)
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Unknown (エドルネ)
2015-09-27 20:28:16
コメントを書きながら、旧中川沿いにあえて「中川」と書いている看板のことを思い出しました。随分前に東京スカイツリーまでのサイクリング時見つけたものですが、整理が悪く見つかりません。(-_-;)そこにはあえて「中川」に旧をつけたくない住民の愛着も書かれていました・・・そんな記憶があります。その看板とは別ですが、この春、河津桜シーズンに撮ってきた旧中川沿いの看板にも「中川」と先に銘打って旧中川の文字が。これ自体はおかしくはないのですが、いろいろ気になりますし、わかりにくい写真なのでまた写真とってきます。https://www.flickr.com/photos/edorune/21761791661/in/dateposted-public/
場所はこちらhttps://www.city.edogawa.tokyo.jp/odekake/hanadayori/kawaduzakura.html
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