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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

さいたま市の東端にあった飛行場

2017年11月14日 | 日記
さいたま市サイト(岩槻区)(地域情報)(各種マップ)から岩槻散策マップ11「新和地区(南)」を見ると、新和飛行場跡の案内がある。
旧岩槻市の成立の過程を見ると明治22年から昭和29年まて「新和村」があった。

昭和60年発行『岩槻市史 通史編』には新和飛行場についてこのように解説されている。挿入写真をアップする。
また、昭和62年発行『岩槻・城と町まちの歴史』にはこのよう記述されている。
平成4年発行さきたま双書『埼玉ふるさと散歩(岩槻市)』にはこの飛行場のイラスト地図があって、点線で飛行場跡が示されている。
点線を赤で示す
イラスト地図の点線範囲を参考に、『岩槻市史 通史編』の挿入写真に飛行場の用地と思われる範囲を赤で囲む
現在の地図(ヤフー)に描くとこんな感じになるのではないだろうか。

歩道橋が滑走路の北端にあたるという。
2011年8月その歩道橋から南を見た。

南に歩いて歩道橋方面を振り返った。

ウィキペディア越谷陸軍飛行場には “ 正式名称は設定されなかったため、新和飛行場(にいわひこうじょう)、荻島飛行場(おぎしまひこうじょう)、論田飛行場(ろんでんひこうじょう)などとも呼ばれた ” との記述がある。
昭和4年頃の地図を見るとそれぞれの地名が表示されている。
2011年8月滑走路跡地の道路を歩きながら電柱番号札の「論田」を見た。

2016年04月29日ブログで私は岩槻区南平野の西福寺本堂前を左折し、元荒川堤防道の石碑見た
正面見た。逆光で刻まれている文字がよくわからないのだが、『埼玉ふるさと散歩(岩槻市)』によれば、地元の人々によって昭和26年に建てられた「興農事業完成記念碑」で、“ 本搭の高さ二メートル六三センチ、新和にあった陸軍飛行場から運搬したコンクリートを使っている。台石には「さし昇る朝日の光さわやかにわれ等村民栄にさかえ、あら川の清き流れは幾年か栄ゆ村民千代に八千代に」と刻まれており、敗戦間もない頃、荒廃した農地を一致団結して開墾した地元の人々の気概を強く感じさせる。”と記述されている。
2011年に碑文を撮影した写真を見ると「茲ニ記念碑建設ニ当リ碑石ハ新和飛行場ヨリ運搬使用セル一片ヲ残シ両氏ノ設計工作ニヨリ碑ノ完成ヲ見タリ」と刻まれているのがわかる。
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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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新和飛行場跡 (shige)
2017-11-15 09:17:57
万歩さんこんにちは。

今年の紅葉はあまり冴えない感じですね。それとも、これから良くなって行くのでしょうか。寒さばかりが先行している様で、どうぞお体にもお気を付けください。

新和飛行場を初めて見に行ったかなり昔、既に一帯の耕地整理も終わっており、全ての道がそれと見える直線路でした。いったいどこが滑走路跡か地上からでは良くわからず、もし当時、航空写真を見れていたなら面白かったのにと思います。

さいたま市近辺では、他にも荒川にあった浦和飛行場が有名でしたが、大宮には中島飛行場という飛行機会社の滑走路もあった様ですね。
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市内の飛行場 (咲いた万歩)
2017-11-15 13:27:32
こんにちは。
紅葉はこれからに期待しましょう。
せっかく苦労して建設した飛行場なのに陽の目を見ないで消滅したことは残念です。
大宮競馬場跡地に中島飛行機大宮製作所があったことは知ってましたが、中島飛行場というのは知りませんでした。
大宮にも飛行場があったのなら、旧浦和市、旧大宮市、旧岩槻市にそれぞれ飛行場があったということになりますね。
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