咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

大砂土東小学校付近を昔の地図でみる

2014年12月07日 | 日記
一昨日(12月5日)私は大砂土東小学校(見沼区大和田町)の傍を歩いたのだが、大砂土東小学校HPの校長あいさつによれば、“ 大砂土東小学校は、昭和7年に開校し、今年で83年目を迎える ” そうである。
大砂土東小学校が開校した頃の地図(昭和4年頃)を見る。現在地図のこのあたりになる。当時大和田は大砂土村に所属していた。

12月5日ブログで、大和田駅から大砂土東小学校まで歩いた道をヤフー地図に赤で示すとこのようであるが、昭和4年頃の地図にもよく似た道(赤)がある。
ヤフー地図に大和田駅から北に向かった道の南北をさらに赤で延ばし、右折して、突き当たりを左折した道を反対方向(右)に赤で延ばす
昭和4年頃の地図も同様にする

明治13年の迅速測図でこのあたりを見る。
先ほど赤で示した道に対応する道を迅速測図に示すとこのようになると思う。

迅速測図の左に土呂学校がある。
芝川に架かる橋(黄丸)は現在のこの橋(赤丸)に対応すると思う。この橋神明下橋(2013年3月撮影)である。
土呂学校については、昭和63年発行『GUIDE BOOK 大宮をあるく Ⅰ ~東部編~』(大宮市 教育委員会編集)によれば、阿弥陀堂のところである。ここには江戸時代、寺子屋が開かれた浄(城)職院という寺院があったが、明治5年に廃寺となり、明治7年3月高林寺にあった「本郷学校」がここに移され、校名を「土呂学校」と改めたという。

大砂土東小学校の場所は迅速測図のこのあたりだと思うが、周囲は松林と畑である。きへんに「ハロ」という漢字は「松」の異体字
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