咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

藤倉ゴム浦和工場があった場所

2016年06月22日 | 日記
平成4年浦和市発行『わがまち浦和 地域別案内(改訂版)』に、浦和区常盤5丁目の浦和公共職業安定所は “ 藤倉ゴム浦和工場跡地に昭和48年3月建設されたもの ” と記述されているのだか、昭和44年測量
国土基本図でその敷地を見ると概ねこの範囲(赤囲み)になるのではないかと思う。
現在の地図に示すとこの範囲になるのではないかと思う。広大な敷地だった。

昭和9年の地図でも藤倉工業であるが、大正11年の地図では日本製麻になっている。
平成21年さいたま市立博物館発行『街にキネマがあったころ』所載の浦和駅周辺の映画館 昭和7年(1932)でその場所を見ると帝国製麻である。

そこにあった工場を時系列で見ると、①日本製麻 ②帝国製麻 ③藤倉ゴム になると思う。
2016年02月28日ブログで紹介した浦和市史に掲載の昭和46年藤倉ゴムニュースを見ると、藤倉ゴム浦和工場の操業は昭和12年ではないかと思う。しかし昭和9年の地図に藤倉工業があるのでその前とも思える。
昭和54年発行『浦和市史第四巻 近代史料編Ⅱ』に日本製麻浦和工場閉鎖の記事(昭和2年東京日日新聞)がある。
これを見ると、日本製麻浦和製品工場は大正9年8月創設された。そして昭和2年帝国製麻に吸収合併となり、日本製麻は閉鎖されたのだと思う。

日本製麻浦和工場閉鎖の記事の右下に赤羽製品工場も帝国製麻に引継がれることが触れられている。
HP北区の街角の北区の産業と文化から産業の発展(大正)を開くと、“ 大正4年 現在のダイエー赤羽店の地(赤羽二丁目)に日本製麻設立。後に合併し帝国製麻となる。” との記述がある。
日文研データベース一覧の所蔵地図から昭和7年の大東京最新明細地圖隣接町村合併記念を見る
製麻会社赤羽工場と表示されたところが帝国製麻だと思う。
現在の地図でダイエーあたりを見る

コメント (6)    この記事についてブログを書く
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6 コメント

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藤倉ゴム (セミオート)
2016-06-24 12:39:44
5丁目で生まれたから、この藤倉は大変に懐かしい存在です。
小学校の頃、授業でここを見学しに行ったこともあります。
工場見学 (咲いた万歩)
2016-06-24 13:58:49
学生時代の工場見学、なつかしいですね。
昔、浦和市の北部は工業が盛んだったのではないでしょうか。
Unknown (田口俊夫)
2022-12-06 22:00:51
藤倉ゴム浦和工場は戦争中、何を製造していたのでしょうか。亡くなった父と母が戦争中にこの工場で働き出会ったようなので気になりました。
藤倉ゴム浦和工場 (咲いた万歩)
2022-12-07 07:44:05
おはようございます。
浦和市史に掲載の昭和46年藤倉ゴムニュースに製造品目が記されておりますが、戦時中はどうだったのでしょうか。軍事関連のものがあったのかどうか興味ありますけど・・・。
Unknown (セミオート)
2022-12-27 17:40:50
久しぶりにここを見ました。
日本に来て4年ほど経ち、ワクチン接種をしない私は飛行機に乗れないまま今に至っています。
なんだかこのまま日本で余生を過ごすことになりそうな感じです。
藤倉ゴムに見学で行った頃、まだテレビはどの家にもありませんでした。そんな時代です。
ワクチン (咲いた万歩)
2022-12-27 19:20:21
こんばんは。
私の場合ワクチンについてはこれまでに4回打ちました。有料になったらどうするか考えます。
藤倉ゴムの工場見学とは貴重な体験でしたね。
私は我が家にテレビがなかった時代、銭湯でよくテレビを観てました。懐かしいです。

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