咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

昭和30年頃の浦和銀座(旧中山道)

2016年04月07日 | 日記
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーで公開中の「旧浦和市域 昭和32年 旧中山道 浦和銀座」を見る
左端に「佃文教堂」の看板が見える。現在の地図に佃文教堂さんを赤で囲む
商店街振興組合高砂共栄会HPの昭和30年頃の中山道の地図のここ(赤囲み)だと思う。

平成12年浦和市立郷土博物館発行『記憶の中の風景 -写された20世紀の浦和-』所載の「中山道の市街地-1(昭和初期)」と「中山道の市街地-2(昭和28年)」はほぼ同じ位置から見ていると解説されている。
昭和28年の写真は先ほどのギャラリー公開中写真とほぼ同じところが写っていると思われる。
この建物(赤)矢印はこの建物だと思う。昭和30年頃地図の日本勧業銀行だと思う。
その手前「松沢」は昭和初期のここ(松澤薬局)だと思う。

昭和初期の奥に見えるこの建物はギャラリー公開中写真のこの建物(赤矢印)だと思う。
大正11年の地図に農工銀行と表示されているところが、その後の日本勧業銀行だと思う。
農工銀行の北に中井銀行がある。
平成5年浦和市発行『図説 浦和のあゆみ』所載の中井銀行浦和支店を見る。屋根の部分がここに写っているのだと思う。
大正11年地図の中井銀行、農工銀行は平成2年地図の富士銀行と第一勧銀だと思う。
現在の地図にその位置を赤丸で示すとこのようになると思う。
平成10年頃の写真。富士銀行と第一勧業銀行の看板だと思う。
平成23年5月の写真。同日のみずほ銀行
ちなみに、みずほ銀行さんの北側は現在工事中(2016年02月13日ブログ)である。

昭和30年頃の地図には日本勧業銀行の北隣りに「国際ゲームセンター パチンコ」と表示されている。
ギャラリー公開中写真にゲームセンターの看板が見える。
昭和30年頃の写真に「埼玉ゲームセンター」が写っている。「国際」ではないが、場所的には同じだと思う。
南隣りのこの建物(赤矢印)は昭和初期のこの建物と同じだと思うのである。
ゲームセンターは現在の「あづまビル」のところあったのではないだろうか?
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