平成12年発行大宮市立博物館編集『文明開化の意匠 陸蒸気がやってきた』の大宮市鉄道関係事項略年表に、
・明治40年4月 大宮~原市間に乗合馬車運行(安藤馬車)
・大正5年2月9日 大宮~原市間に総武鉄道乗合自動車運行
という記事がある。
昭和39年大宮市立大砂土小学校発行(非売品)『大砂土郷土誌』には原市新道について “ 上尾川口線の東側にある道路が原市新道である。大宮と原市を結んでいた道路で産業道路の誕生完成によって影がうすい存在となった。明治41年(1908)に改修されて県道となった原市新道はそれ以後大砂土地区の主要道路として種々な面に貢献してきた。” と記述され、そして “ 明治43年(1910)にこの原市新道に乗合馬車が通るようになり…中略…大正3年(1914)に乗合自動車が原市新道を通るようになった ” と記述されている。
冒頭の大宮市鉄道関係事項略年表と年代のずれはあるが、大宮~原市間の乗合馬車・乗合自動車は原市新道を通っていたことがわかる。
昭和55年大宮市発行『大宮のむかしといま』所載の写真(安藤馬車)。
『大砂土郷土誌』に掲載の大砂土地区主要交通路を見る。原市新道と矢印で指している道を赤で示す。
産業道路から分岐し、産業道路に合流している。産業道路が出来る前の大宮~原市間の道筋はこれではわからない。
昭和4年頃の地図を見る。このころ原市新道は県道だったと思われる。
松波成行氏(国道愛好家)のサイト japan.road.jp 道路法令集2の埼玉県府縣道ノ認定を見ると、64号大宮菖蒲線は大宮町を起点として原市町を重要経過地の一つにしている。明治41年に改修されて県道となった原市新道は、大正8年公布、9年施行の道路法によって、埼玉県道64号大宮菖蒲線に認定されたのではないかと思う。
明治43年出版『大宮案内』の大宮町全図を見ると、岩槻新道から分岐する大砂土村原市町道がある。
大正3年出版『大宮案内』の挿入略図には原市道と出ている。
昭和9年1月発行大宮商工並二名勝案内地図には原市街道と出ている。
大宮市の昭和37年10月実施駐車禁止区域を示す図では原市新道と岩槻新道が交差している。
昭和4年頃の地図に原市新道と思われる道を赤で示す。
拡大し、3分割する。3-1、3-2、3-3。
現在の地図を見る。
拡大し、3分割して昭和4年頃の地図に赤で示した道と概ね重なると思われる道を赤で示す。
3-1、3-2、3-3。
元の全体地図に示す。
2017年03月29日ブログで歩いた道の南から北に歩いた道、2017年04月02日ブログで綴った東北本線陸橋から北に歩いた道は原市新道だと思う。
東北本線陸橋の下で、2011年9月私は「1969-3」のプレートを見た。これを見て、この陸橋は1969(昭和44)年3月に竣工したのではないかと思った。
昭和45年度の空中写真を見ると陸橋は出来ている。
昭和41年度の空中写真を見ると陸橋はないように見える。
・明治40年4月 大宮~原市間に乗合馬車運行(安藤馬車)
・大正5年2月9日 大宮~原市間に総武鉄道乗合自動車運行
という記事がある。
昭和39年大宮市立大砂土小学校発行(非売品)『大砂土郷土誌』には原市新道について “ 上尾川口線の東側にある道路が原市新道である。大宮と原市を結んでいた道路で産業道路の誕生完成によって影がうすい存在となった。明治41年(1908)に改修されて県道となった原市新道はそれ以後大砂土地区の主要道路として種々な面に貢献してきた。” と記述され、そして “ 明治43年(1910)にこの原市新道に乗合馬車が通るようになり…中略…大正3年(1914)に乗合自動車が原市新道を通るようになった ” と記述されている。
冒頭の大宮市鉄道関係事項略年表と年代のずれはあるが、大宮~原市間の乗合馬車・乗合自動車は原市新道を通っていたことがわかる。
昭和55年大宮市発行『大宮のむかしといま』所載の写真(安藤馬車)。
『大砂土郷土誌』に掲載の大砂土地区主要交通路を見る。原市新道と矢印で指している道を赤で示す。
産業道路から分岐し、産業道路に合流している。産業道路が出来る前の大宮~原市間の道筋はこれではわからない。
昭和4年頃の地図を見る。このころ原市新道は県道だったと思われる。
松波成行氏(国道愛好家)のサイト japan.road.jp 道路法令集2の埼玉県府縣道ノ認定を見ると、64号大宮菖蒲線は大宮町を起点として原市町を重要経過地の一つにしている。明治41年に改修されて県道となった原市新道は、大正8年公布、9年施行の道路法によって、埼玉県道64号大宮菖蒲線に認定されたのではないかと思う。
明治43年出版『大宮案内』の大宮町全図を見ると、岩槻新道から分岐する大砂土村原市町道がある。
大正3年出版『大宮案内』の挿入略図には原市道と出ている。
昭和9年1月発行大宮商工並二名勝案内地図には原市街道と出ている。
大宮市の昭和37年10月実施駐車禁止区域を示す図では原市新道と岩槻新道が交差している。
昭和4年頃の地図に原市新道と思われる道を赤で示す。
拡大し、3分割する。3-1、3-2、3-3。
現在の地図を見る。
拡大し、3分割して昭和4年頃の地図に赤で示した道と概ね重なると思われる道を赤で示す。
3-1、3-2、3-3。
元の全体地図に示す。
2017年03月29日ブログで歩いた道の南から北に歩いた道、2017年04月02日ブログで綴った東北本線陸橋から北に歩いた道は原市新道だと思う。
東北本線陸橋の下で、2011年9月私は「1969-3」のプレートを見た。これを見て、この陸橋は1969(昭和44)年3月に竣工したのではないかと思った。
昭和45年度の空中写真を見ると陸橋は出来ている。
昭和41年度の空中写真を見ると陸橋はないように見える。
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