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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

浦和競馬場と馬場先通り

2015年06月28日 | 日記
ウィキペディア埼玉県道34号さいたま草加線を見ると、起点は浦和駅西口交差点とある。
ヤフー地図のここ(赤丸)だと思う。
この交差点の東西に延びる道は「県庁通り」である。
5月20日、私はコルソさんの前で県庁通り道路案内標識を見た。
コルソさんを通過して信号交差点道路案内標識を見た。県道34号は「さいたま草加線」である。
6月22日、私は京浜東北線の電車から県道34号を見た。
ヤフー地図に県道34号を赤で示す

平成11年浦和市発行『浦和市史第五巻 現代史料編Ⅰ』掲載の昭和43年道路愛称募集で決定した10路線を見る。
この略図に県道34号を赤で示す
県道34号は「東通り」と交差し、「日の出通り」「馬場先通り」「南大通り」の一部になっている。浦和市史には、東通りは中心街の東側を通るから、日の出通りはいつまでも朝日の美しい通りであるように、馬場先通りは競馬場の門前を通るから、南大通りは南浦和駅前の大通り、とそれぞれ愛称の理由が記されている。

2015年06月22日ブログで私は⑥馬場先通り(黄)を少しの区間歩いた
その日私は南浦和駅東口を出てこのよう(緑)に歩いた。
馬場先通りは赤のようである。
中山道側を示す

昭和41改44修地図に馬場先通りを赤で示す。
昭和24修33資修地図に馬場先通りを赤で示す。ここ(赤丸)から東、産業道路まで延びる道がない。

先日私は浦和競馬場の中を通過し、このように(緑)進んで浦和駅に向かった。
その道を昭和41改44修地図に緑で示す
昭和24修33資修地図に緑で示す。藤右衛門川を青で示す

先日私は競馬場内の橋の上で藤右衛門川の上流を見た。
この橋は昭和24修33資修地図のここ(赤丸)だと思う。このころ、浦和競馬場の中には川も道もなかったと思う。
昭和41改44修地図の競馬場を茶色で示す。
昭和24修33資修地図にその場所を描いてみる。

平成4年浦和市発行『わがまち浦和 地域別案内(改訂版)』によれば、浦和競馬場は昭和22年建設に着手、翌23年春完成、その後整備拡張を重ねた。

昭和21年3月の空中写真はまだ建設に着手していない。馬場先通りを赤で、私が歩いた道を緑で示す。
工事中と思われる昭和22年11月の空中写真を同様にする。

昭和25年3月の地図を見ると、競馬場は川と2本の道路を含める規模に拡張されている。
柳橋の道(馬場先通り)は競馬場の拡張によって分断されたこの道(赤)の迂回路として開削されたと思うのだが、意外にも昭和36年の空中写真にその道(馬場先通り)はない。
昭和40年では柳橋は架かっており、産業道路方面は出来ているが、西側が開通していない。
昭和44年5月の空中写真を見ると開通している。昭和43年の道路愛称募集で馬場先通りになった道路の県道34号~産業道路間は昭和41年前後に開通したと思われる。
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