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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

大正期さいたま市域の自動車所有者

2017年10月21日 | 日記
国立国会図書館サイトのデジタルコレクションで『全国自動車所有者名簿』(大正12年出版)を検索して開く
目次を見ると現在の都道府県の他、朝鮮、台湾、関東州、樺太まで含まれている。

埼玉県はコマ番号178と179に掲載がある。埼玉県は合計で137台である。94年前はこの程度だった。
ちなみに自動車検査登録情報協会サイトの都道府県別・車種別保有台数表を見ると、埼玉県は乗用車のみで300万台を超えている。

現在のさいたま市域を見ると、自動車持ち主は①~⑩の10人、台数合計は19台になる。
法人持ち主は、①の岩槻自動車株式会社5台、③の大宮運送株式会社2台、④の高砂自動車株式会社3台である。

大正6年の岩槻市街図を見ると、自動車會社というのがある。この時代自動車会社はいくつもないから、①の岩槻自動車株式会社はここではないかと思う。
緑の目安線を引いて現在の地図と照合すると、武蔵野銀行岩槻支店のあたりではないかと思う。

③の大宮運送株式会社は、2016年01月24日ブログで触れた。
大正6年出版『大宮写真帖』の大宮運送会社案内文写真
大正3年出版『大宮案内』の広告。広告の写真人物は社長飯野喜四郎氏ではないかと思う。蓮田市サイトの郷土の人物(飯野喜四郎)の銅像と似ている。
大宮運送株式会社は昭和9年大宮商工名勝案内地図の丸大自動車(黄囲み)だと思う。
現在の地図で見ると、赤丸あたりになるのではないだろうか。

④の高砂自動車株式会社は浦和町とある。
昭和2年出版『浦和総覧』にこういう広告がある。高砂自動車は高砂自動車運輸のことだと思う。
場所は調神社前とある。
平成21年さいたま市立博物館発行『街にキネマがあったころ』所載の昭和7年の地図で調神社前を見る。ここ(黄囲み)が「高砂自動車會社」ではないかと思う。
現在の地図で見るとこのあたり(赤囲み)になるのではないかと思う。

②は個人持ち主で、大宮町の角田米吉である。
明治43年出版『大宮案内』の広告に「若木屋 角田米吉」というのがある。
大正3年出版『大宮案内』附録の大宮商工者案内には料理店の業種で「大門町 若木樓 角田米吉」と出ている。
また、昭和3年出版『名勝案内 全国著名旅館名録』には「大宮遊園ホテル」の館主に角田米吉の名前がある。

昭和8年大宮町全図に大宮遊園地ホテルがある。大宮遊園ホテルのことだと思う。
現在のこのあたり(赤丸)だと思う。
『写真でみる大宮の昔と今』所載の大宮遊園地ホテル写真
角田米吉氏は大正12年当時、2台の自動車を持っていた。ホテル客の送迎にも使用していたのではないかと想像するのである。
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