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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

上尾駅近くの川越旧街道踏切の道

2016年01月18日 | 日記
2016年01月16日ブログで私は上尾駅近くの川越旧街道踏切を見た。
7K651Mというのは大宮駅の高崎線0キロポストからの距離が7.651kmということだと思う。高崎線0キロポストに関する平成26年1月19日読売新聞埼玉版『えきものがたり』大宮駅(中)の記事。当時私が撮った写真

川越旧街道踏切の位置をヤフー地図に赤丸で示す。踏切を渡って東に向かうと旧中山道に突き当たる。
突き当たりで右を見た2014年9月の写真。右折するとバス停(上尾原市新道)である。原市新道の一部を赤で示す
明治38年出版『埼玉県地理案内』の上尾町略図に原市道と表示されているのが原市新道で、川越道と表示されているのが川越旧街道踏切の道だと思う。

明治45年発行『旅の友』の上尾駅には “ 此地は川越町へ通ずる要路にして乗合馬車の便あり賃金十五銭なれば信越高崎方面より来るの人士は当駅に下車し川越へ至るの便利最もよしとす ” と案内されている。
昭和16年発行『上尾町要覧』概況には “ 川越、原市の両県道は町の東西を走りて ” 記述されているのだが、松波成行氏(国道愛好家)のサイト japan.road.jp 道路法令集2の埼玉県府縣道ノ認定を見ると、「十四 川越上尾線」と「八九 上尾原市線」がある。

昭和9年度荒川上流改修工事平面図(内務省土木局)を見ると上から下に、原市町から上尾町・平方町を経由して川越市に至る道が描かれている。その道が大正9年認定の「埼玉県道14号 川越上尾線」および「埼玉県道89号 上尾原市線」だと思う。

昭和4年頃の地図で原市町から荒川までを見る。県道と思われる道を赤で示す
拡大して中山道から西を赤で示す
現在の地図にその道を示すとこのようになると思う。

現在の西宮下歩道橋あたりを昭和21年の空中写真で見る。
県道川越上尾線はこの道(赤)だと思う。
2016年01月16日ブログで私は赤矢印のように見た。この道は大正9年認定「埼玉県道14号 川越上尾線」の上尾方面で、反対側(青矢印)は大正9年認定「埼玉県道14号 川越上尾線」の川越方面だったと思う。

昭和4年頃の地図で県道が荒川を越える付近を見る。大正9年認定の県道川越上尾線はこの道(赤)だと思うが、現在地図ではこの道だと思う。県道51号は現在の「川越上尾線」である。

昭和4年頃の地図では荒川と入間川の川筋は現在とかなり異なっている。
上尾市と川島町の境界線を茶で、上尾市と川越市の境界線を紫で、川島町と川越市の境界線を緑で示す。
茶と紫の境界線が旧荒川流路だと思う。そして三つの境界線が交わったところが入間川と荒川の旧合流点だったと思う。
昭和22年の空中写真に当時の県道川越上尾線と思われる道を赤で示す

明治14年の迅速測図を見ると荒川に架かる橋はなく、平方渡があった。
上尾市Webサイト上尾歴史散歩拝見すると、ここに初めて橋が架けられたのは明治16年で、船橋だったとある。先ほどの明治45年発行『旅の友』に乗合馬車の便ありとあったが、船橋を馬車で渡るというのは疑問である。明治43年の大洪水後木造橋に改められたとあるから、乗合馬車の開通は木造橋完成後ではなかったかと思う。
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