咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

旧浦和市の大谷場の範囲

2021年08月17日 | 日記
2021年08月07日ブログはこのような道筋を綴った。
私は赤丸の三差路東から西直進したのだが、その際右前方のブロック塀に設置された町名番地表示板を見た。
ここの住所は現在「浦和区神明1丁目」だと思うが、以前は「浦和市大谷場」だったということである。大谷場というのは競馬場の辺りと思っていたので、ここが大谷場というのは意外だった。
そこで、今日は大谷場というところについてみてみようと思う。

平成4年浦和市発行『わがまち浦和 地域別案内(改訂版)』を見ると、「大谷場・南本町・南浦和」が一括りとして案内されている。あらましはこのようである。「大谷場・南本町・南浦和」は主として江戸時代の大谷場村の地域であるという。

新編武蔵風土記稿には足立郡浦和領に大谷場村はある。大谷場村は “ 東は小谷場村に隣り、南は文蔵村に及び、北は本太・大田窪の二村に界へり ” と新編武蔵風土記稿に記述されている。
新編武蔵風土記稿の正保年中改定図を見ると大谷場村は①のところである。そして小谷場村は②、文蔵村は③、本太村は④、大田窪村は⑤のところに見える。
新編武蔵風土記稿には大谷場村の西隣りの村については触れられていないのだが、正保年中改定図を見ると浦和町と岸村がそこに当たると思う。
正保年中改定図を見ると、この辺り、大谷場村、小谷場村、大谷口村、針谷村 と谷の字が多い。大田窪村、浦和町、岸村、根岸村 も地形に関係する村名だと思う。この辺りは南の川口低地と北の大宮台地の境目にあるため、地形に由来する名前が多いのだと思う。大谷場、小谷場というのは傾斜地の高い方を「大」低い方を「小」としたのかも知れない。

日文研サイトデーターベース所蔵地図から東京近傍図 : 明治20年 : 東京近傍北部を開く
大谷場村付近を見る。大谷場村、小谷場村、文蔵村、本太村、太田窪村 の表示を赤で囲む

昭和25年3月の都市計画区域図で浦和駅の南側を見る。大谷場の表示を赤で囲む
拡大する。南浦和駅はまだない。大谷場は線路の近くである。
ウィキペディア大谷場には “ もとの大谷場は現在の南浦和駅周辺の南浦和等も含める地域であったが、現在は住居表示により、南浦和駅より少し離れた地域が大谷場となっている ” との記述がある。
昭和51年の地図を見る。南浦和駅の西側に大谷場があり、東側は南浦和(一)(二)(三)でさらにその東に大谷場(一)(二)がある
ウィキペディア大谷場の歴史には “ 1964年(昭和39年)4月1日 - 大字大谷場の一部から住居表示を実施して大谷場一丁目・二丁目、南浦和一丁目~三丁目が成立 ” との記述がある。

平成3年の地図を見る。南浦和駅の西側は大谷場から南本町に変わっている。
ウィキペディア大谷場の歴史には “ 1980年(昭和55年)11月1日 - 大字大谷場の一部が南本町の一部となる。これにより大字大谷場は消滅 ” との記述がある。

ところが、「浦和市大谷場1655」の表示板があったのは南本町ではなく神明1丁目である。
昭和51年の地図のここ(赤矢印)だと思う。
ウィキペディア神明(さいたま市)には “ 1980年(昭和55年)11月1日 - 浦和市岸町二丁目、大字大谷場、白幡、文蔵、根岸の各一部から神明一・二丁目が成立 ” との記述がある。浦和市大谷場1655はこの時浦和市神明1丁目に変更したのではないかと思う。

2016年3月、私は赤矢印方面を見た。

前方に見える橋の近く橋名板を見た。
昭和45年3月31日竣功の大谷場跨道橋だった。この橋が開通した頃、ここは浦和市大谷場だった。

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2 コメント

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泰成光学機器製作所 (真下康弘)
2024-02-11 23:04:32
はじめまして!「泰成光学機器製作所」を検索してましてこちらにたどり着きました。
この会社は昭和25年に大谷場の北原に工場を作ったそうで、その跡地を探してます。
このサイトのおかげで北原の範囲が分かってきまして助かります!場所特定に一歩近づきました!
因みに「泰成光学機器製作所」はレンズのタムロンの元の会社です。
大谷場の北原 (咲いた万歩)
2024-02-12 07:53:35
コメントありがとうございます。お役に立ててよかったです。
昭和25年浦和市に泰成光学機器製作所を創業というのは、タムロンさんのホームページで知りましたが、浦和市というのが大谷場の北原というのは知りませんでした。南浦和駅の東側になるのでしょうか?
どこにあったのか興味ありますね。

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