感想日記

生活の感想を書き綴る場所。
日常の感想とか、本の感想とか。

まあ色々と

2007-06-29 23:55:34 | Weblog
 SC2の話題はひとまず置いといて、前回に続いて非公開掲示板について。
 ………鎮火するかな~、と一時淡い期待を抱いたんですが、どうやら某人とは無関係に、あの場を掻き回したいだけの愉快犯が一人もしくは複数人粘着してるようですね。迷惑この上ない。
 掲示板管理人さんに負担かけるのもなんですし、前も書きましたけれど、あの掲示板は捨てるしかないのでしょうか。むう~。


 今日も今日とて上司と口論。
 だからさぁ、人間謙虚さが無いとダメだと思うのね。上司だけでも私だけの話でもなくて。最近は朝一番で言い争うのがデフォになってきてますですよ。なんで毎日数十分無駄にしてんだろ。


 久しぶりにジョン・カーペンター監督の「遊星からの物体X」を見る。やっぱ面白いなぁ。見返すと最初は気付かなかったラストシーンの仕掛けは、ちょっとあからさま過ぎるなぁ、と思える(気付かなかった人間が言えた台詞ではないが)。それにマクレーンの台詞も、ちょっと悲しい。何のため基地の人間達は頑張ってたんだよぅ。最後の最後でそれを捨てて欲しくは無かったな。


 さらに久しぶりにまほろまてぃっくを見た。
 DVDは全巻持っているんですが、実はそれほど思い入れは無いアニメなんですよね。この頃はとにかく「趣味にお金を使いたい!」という気持ちが先行してたんだよな、確か。
 その結果、捨てるに捨てれなくなってしまっている。そういうものは他にも結構多い。常に処分することを考えているはずなのに、貯めるスピードの方が速いのもまた困りもの。
 でも、今回改めて見直してみるといいシーンもあって(2話分しか見てないけれど)良かったです。メイドさん大好きさ。もっとも、えっちネタはちょっとな~なんてどうしても考えてしまうんですが。


 今日のはかどり具合:0行
 最近怠け癖がビシバシです。つーか精神的ストレスが……

もう

2007-06-26 23:35:06 | Weblog
 もうあの非公認掲示板ではまともなお話をするのは不可能と思うのです(私はもう長いこと、あの掲示板には書き込んでいません)。
 某人かそれ以外の騙りの人か、とにかく露骨な悪意によってどうしても話題が止まる。
 そうなると誰にも嗅ぎ付けられない場所でしか会話が出来なくなり、それは当然内輪だけの会話となります。
 すると新規参加者やそれに近い興味を持っている人たちには、企画の不透明さ・内輪的要素が強調されてしまい、御祭り気分に浸れなくなり(蚊帳の外の気分を味わってしまう)、興味が持続しなくなってしまうのですよね。
 もうあそこは捨てて、まともな提案や議論をしたいなら、こんぺの公式掲示板でするべきだと思う。
 話題のチェックのためにちょくちょく覗いているのですが、最近はもう読むことすら辛くなってきた。例え疎遠にはなっていても、自分の好きだった場所・思い出の場所が換わっていく様を目にするのは悲しいなぁ・・・・・・


 ショートサーキット2、つまりは電波ソング集、聞いてます。
 プリンセスブライドやプリンセスブレイブ(今回の大きな目的さ!)がいいのはもちろん、青春ロケットがとっても気に入っています。
 ま、SC2に付いての話題は明日にでも。

ひとつ、解決策発見。

2007-06-25 00:15:10 | Weblog
 つい先程書いた「戦う司書と荒縄の姫君」の感想ですけれど。
 教団の教義と、ノロティの考え方、そして天国の破壊。
 この三つは、シリーズの今後のためにここで提示されてしかるべきものだったような気がしてきました。

 というのも、先程の感想では「教団の教義とノロティの幸福の考え方に違いを作るべきだったのでは」というようなことを書いていたのですが、これはむしろ「同じ」だとしていたほうが、シリーズの方向性としてはすっきりしてくるかもしれないからです。

 もしシリーズ終盤に「天国」を破壊することになった場合、おそらく武装司書や教団は、破壊する側に対して問いかけてくるでしょう。すなわち
「天国がなくなるのならば、人間の魂の安寧はどうやってはかられるのか?」
これに対して、返答できるようになるからです。
「神による魂の安寧はいらない。天国がなくとも、ノロティのように、人は自らの手で幸福を分かち合うことが出来る」
 つまりシステムに頼ることなく、人それぞれの心の中に天国を持つことが出来る、と、そう反論することが今巻により可能になったからです(飽くまでシリーズ中の話ですね。作品を超えて現実の・メタの話になるとまた別)。
 ま、実はこれも教団の幸福観の否定にはならないんですけれど、体制の否定には繋がる。それこそが武装司書側を「悪」とみなさずに済む方法じゃないかな、とも思えるのです。
 つまりは王政から議会制へ移るように、人が神のシステムに頼るしかなかった未成熟な状態から抜け出して、自らの足で歩き始めるようになる物語。そう考えれば、現体制下での武装司書や教団の幸福観を否定する必要はないのですから。
 そして幸福そのものを体制から切り離して考えられるようになれば、シガルの幸福もノロティとは真逆のものとして受け取れるようになります。一人の幸福が皆の幸福になるのは「天国」システムの存在によってであり、そのシステムがなくなれば、シガルのような存在は今後は否定されるのですから(天国システムが存在している状況で教団の真人である限り、やはりノロティと変わらないと思うけれどね。もっとも「他のゴミどもの本も~」という台詞を見ると、何かフェイクがありそうで怪しいけれど)。他人の否定を踏みにじる「幸せ」は、他の人の「幸せ」と共存することが不可能になるのですから。

 というわけで、なんとか心の整理が付きました。教団も武装司書もノロティも望むものに違いはない。神のシステムによる「幸福」の矛盾や欺瞞を明らかにして(天国システムがあるとシガルの幸福をノロティと同じように肯定しなくてはならなくなる。それが欺瞞or矛盾)、今後教団の存在や神の存在を不必要なものにして人間が自立していくいくためのターニングポイントとなる話だったのだろう、というのがわたしの結論です。

 飽くまでわたしの心の中だけの結論ですし、上手く説明できているかはわかりませんが、ま、そーゆーことで。

「戦う司書と荒縄の姫君」(著者:山形石雄)

2007-06-24 23:00:30 | Weblog
 読了。面白かった。つーか、泣きました。あう。涙ぐんだり泣きそうになったりしたんじゃなくて、文字通りに泣きました。うあーん!
 話の構成上、設定的にご都合主義な面とか感じたり説明不足に思えたりとか色々あるんですが、この6巻までの積み重ねの中でもう色々と降参してしまいます。これで心動かされないヤツは、そもそもここまでシリーズ読み続けているはずねーよ! あーもうっ!
 しっかし、作者の考える幸福観はそろそろ品切れかなぁ。今回の話ではアルメの幸福、シガルの幸福などと多少重なる部分が出てきます。いや、実は形を変えただけの全く同じもの。読者の側としてはノロティの行動やその理念は無私のものと映るかもしれませんが、「世界は私の物」がその根底にあり「みんなの幸せがあたしのもの」が言葉どおりだとするのなら、いくら純粋でひたむきで献身的だろうとも、それはシガルの考えと表裏一体のものだからです。
 幸福量が一定だと考えるから、シガルは自分以外の全てのものが不幸になることこそが、自分に最高の幸せをもたらすものだと考えた。人の不幸と自分の幸せがイコールで繋がっていた。
 ノロティは、誰かの幸せが自分のものとなるから、自分ひとりの苦労は世界の、ひいては自分の幸せになると考えた。自分の幸せと他人の幸せをイコールで考えようとした。
 そう考えなければ諦められなかったノロティは、最終的に「自我」から抜け出せていないのです。もちろんこれはノロティ自身がイレイアに殺されかけてすら「諦められない」ことに対して、悩んだ末に後付けで行った理由ですが、残念なことに作品ではそのさらに根底にあるものとして「父親の言葉」を出してしまった。
 「殺せない」行動の後付けのままにしておけば、それはシガルなどの真人、或いはハミュッツなどの武装司書との違いとして説得力が出たでしょう。しかし、この父親の言葉を、行動の更なる理由として設定してしまったため、ノロティの理念の裏には「あたしのもの」があり、自我の境界線が他人より遥かに広いだけなのだという結果になってしまっているのです。言うなれば、他の人とノロティは何も変わらない。ただボタンを一つ掛け違えただけ。それはシガルのために働くことが無上の喜びとするアルメとも変わらず、ただ「○○のため」の対象が無制限に広がっているだけなのです。

 そして、その境界の広がり、対象の無制限さによる違いですら、シガルやアルメが教団の一員であった事を考えると、そこに違いを見出せなくなってしまう。
 シガルの幸福は、天国に住む全ての人々の幸福なのですから。

 これが今回の話で一番残念なところです。このノロティの考えは、実はそのまま天国の設定と同じなんですよね。教団の真人の幸せ探求は、天国に住む全ての人間と分かち合うためなのですから(天国へ向かう人への選別はあるのですが)。ここでノロティと教団とに決定的な違いを描写できなかったのは、今後のシリーズの流れとして非常に痛い。今後は選別行為を問題視するしか方法はなくなってしまう。もちろん、教団と武装司書とが裏で繋がりがあり、平和のために共存していることを考えれば、教団の天国(幸福観)を否定することはないのですが……まだ、オリビアという第3勢力が残っていますから。
 今回天国の正体がおぼろげながら表示されました(魂の集積所? ひょっとして追憶のひとつ? 神そのものではなく、単なるシステムの一つのような印象です)。当然、シリーズの今後はこの天国の打倒へと進んでいくでしょう。そしてそれの中心人物としては、人の繋がりを力にしてハミュッツに勝利したオリビアとなるでしょう。
 その時、彼女はどうやって教団の幸福を否定するのか? 今のままでは教団の幸福の否定はノロティの幸福の否定ともなってしまい、今巻の否定となってしまいます。選別行為を問題とするならば、それは天国を隠匿している武装司書への非難にしかならず、教団の否定にはなりえません。それどころか、神の法則の下で、教団や武装史書の支配の下で、働くことが幸福だという結論に落ち着いてしまうでしょう。
 これを覆すためには、「天国」の存在を偽りだとする以外にないような気がします。今巻ではラスト近くで擬人たちが天国の存在を疑うような台詞が出てきました(「天国とはどこにあるのだろうな」)。これは直後のマットアラストとミンスの会話する最終章へ繋げる為かも知れませんが、同じ最終章でも楽園管理者の中に天国行きを拒むものが居り、それも当然だとされています。それを考えると、天国という存在は不可避の覆せないものではなく、神の意思でもなく、追憶の戦器のように神が置いていったシステムの一つに過ぎないのかもしれません。そうすれば、このシステムを壊すことによって、教団や武装司書の擬似支配から人間は抜け出せる、とシリーズ的な終りは付けられるかもしれません。
 ただし、その場合でも、ノロティの幸福と教団の幸福の、根本的な考え方が同じだという点は解決できないと思うのですが……その点が、この作者の幸福観のネタが尽きてきたかな、と思う故であります。

 しかしここらへんの問題は、オリビアやミンスが今後物語へどのような関わり方をして、どのように物語が展開していくかによって、まだまだシリーズの可能性は大きく開けていると思うので、今後に超期待です。


 うーん、ノロティと教団の違いは何かいい解決策がないか、或いは自分が誤解していないか、もうちょっと考えてみよう。
 あ、それともう一つ。
 アルメの自分にすら哀れまれたくない、という願いと、父親の自分を惨めだと思うな、も、これまた似たような表現だよなぁ、と思いました。今回の日記ではちょっと触れられなかったけれど。
 ではでわ。



 今回のはかどり具合:5行。
 もう今書いているもの全て破棄して、また一から作り直してみるです。はい。

「戦う司書と追想の魔女」(著者:山形石雄)

2007-06-24 10:59:12 | Weblog
 読了。面白かった!
 前半……もとい、終盤にさしかかるまでだらだらと続いている印象があったのですが、終盤からが一気にキマシタ、コレ。
 追憶の戦器によってことがなされた、というのがいささか釈然としないものはあるけれど(もちろん、それを成し得たのはオリビアやレナスやその他大勢の人間達の力によるものですが)、最終的には力無き者たちの決起により神の支配から人間を解き放とう、みたいな流れになりそうだなぁ。しかしそうなるとやはり「石」の存在と「天国」の存在を何らかの形で無くすか、否定しなければならなくなるかな。
 この巻のどこかで「天国を壊す」というような言葉が出てきたから、おそらく作者さんは考えているのでしょう。今の流れからいくと、そういった願いを叶える戦器とかまた出てきそう。ひょっとしたらユックユック使うかも。あれは人間でも作れるようだし。そもそもの「魔術審議」が神の理を改変することなのだから、「石」は厳然たるルールに見えるけれど、世界設定としては引っくり返すことも可能だと作られているような気もしてくる。う~ん。
 とにかくこの巻でオリビアという第3勢力となる存在を出してきたことで、今まで5巻刊行されてきた物語の内容ががらりと変わってきました。商業的な部分かと思われていたことは伏線へと、見事に。先日の日記で書いた「あまり個々の事件やキャラクターを繋げていくのはイカンぜよ」も、このオリビアへと繋げるためだと理解できるように。ラスコールが「全て人間が為すこと」と言葉にしているとおり、作者は一巻から最終巻までを全て「一冊の本」としてまとめ上げる気なのだろうな、と思えます(似た表現が作中のどこかでありましたね)。
 今巻でそれが見えたということは、ターニングポイントに指しかかっているということでしょう。一巻一話完結タイプとはいえ、終りは近付いてきていると思えます。早ければ後3冊、今までどおりなら後5冊くらいで完結するかな~、と予想。ま、一巻完結のままでいくともっとかかりそうだけど。


 しかしまあ、教団の格が下がったのは残念かな。ハミュッツが憎まれ役として固定されかかっているのも残念。○を取り戻した(クリスタルキングat北斗の拳)エンリケ君と、拳に荒縄付けてるノロティが次巻で活躍することは表紙や題名から想像に難くないですが、おそらくミレポも活躍してくれることでしょう。「これからの教団との戦いで必要となってくる」人間だし「一人では戦えない」人間だし。ミンスは「いつか本気で戦うことになると思う」人間だし。問題はマットアラストか。力による最強を心の繋がりで打倒するには、マットアラストのような強すぎる人間には「最強側」に居てもらった方がテーマとしてしっくり来る気もするけれど、それだとキャラ的にもバランス的にもきつくなるかなぁ。
 とにかくシリーズ全体として俄然面白くなってきました。次巻に超期待。