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和泉守兼定(之定)・関兼定二代

2006-04-09 12:57:44 | 刀工
 兼定二代目で永正年間・美濃国関の鍛冶。
 初代兼定(親兼定)の子。
 明応頃は、「定」の字をそのまま切るが、永正の初年より「ウ冠に之」という字に切るため「之定(のさだ)」と称される。
 次郎右衛門、吉右衛門ともいう。
 永正7年から8年頃に和泉守を受領する。永正14年頃、伊勢山田にても作刀。
 永正14年頃は、伊勢の内宮と外宮との間に社領争いがあり、刀の政策を必要とした物と思われる。また、同時期の桑名に初代村正(初代は応仁、二代が文亀の人との資料もあるが、このあたりは村正の項に記す)がおり、両工の作風が相似しているのは技術の交流があったものと考えられている。
 末古刀最上作、最上大業物。
 銘は「濃州関住兼定作」「和泉守藤原兼定作」。

○土方歳三の愛刀か?
 刃に魔性があると称された利刃。
 司馬遼太郎の「燃えよ剣」の中で、主人公の土方歳三の愛刀として登場。
 ただし、土方の佩刀は「和泉守兼定」としか記録には残っていないため、11代兼定(会津兼定)説の方が説得力があると思われる。

○西郷隆盛の愛刀
 さて、土方の兼定には諸説あるが、西郷隆盛の遺愛刀は之定に間違いないようだ。
 東京上野にある西郷隆盛像が腰に差しているのが、その脇差である。

○木村重成の愛刀
 もう一人、之定を愛した人物を紹介しよう。
 豊臣秀頼配下の木村重成である。
 端正な容姿ながら、大坂冬の陣で講話の使者として家康との会見に臨んだ際、家康が押した血判が薄かったため堂々とやり直しを求めるほどの剛胆さを秘めた人物であった。
 そんな彼の愛刀之定には、金象嵌で「道芝の露」の銘が切られていたという。

○その他
 現存する之定では、銘脇に「臨兵闘者皆陣列在前(へいのたたかいにのぞむものはみなじんれつのまえにあれ)」という言葉が切られている物が有名。
 この敵が生身の敵であったのかどうか。
 「人外の何かではないでしょうかね」という言葉を、とある宗教学の教授に聞いたことがある。


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