絵画はもとよりアンティーク家具からペルシャじゅうたん、さらには著名人の私物にいたるまで、欧米ではなにかとオークションが盛んで、長い伝統をもつ。
しかし、道昌が絵画のオークションに興味を抱いた頃の日本ではまだ一般人が気軽に参加する段階にはなく、参加者のほとんどが画商達であり、当然のことながら、競り価格は低水準に抑えられていた。
それなりの勉強をした上で、道昌はオークションに参加していく。初のオークションでミレーの素描「カテルの答」を取得、それをキッカケとして、ミレーのパステル、デッサン、ドローイングなどを集中してコレクトしていくが、「ミレーの油彩画のある美術館」として、村内美術館が知られるようになるまでには、なお多くの月日を必要とする。
その後、道昌の関心はバルビゾン派の中でも、ロマンティックな作品から印象派の作品へ幅を広げ、機が熟する様に、ほんの数年のうちにミレーの代表的作品やコロー、クールベなどの大作を次から次へ手に入れることになる。
ミレーの「鏡の前のアントワネット・エベール」、「ミレー夫人の肖像」、クールベの「フラジェの樫の木」「ボート遊び」、コローの「ヴィル・ダヴレーのカバスュ邸」---など。中でもミレーの「鏡の前のアントワネット・エベール」は昭和六十一年の海外オークションで、米国ヒューストン美術館と最後まで競い合うことになる。
しかし、道昌が絵画のオークションに興味を抱いた頃の日本ではまだ一般人が気軽に参加する段階にはなく、参加者のほとんどが画商達であり、当然のことながら、競り価格は低水準に抑えられていた。
それなりの勉強をした上で、道昌はオークションに参加していく。初のオークションでミレーの素描「カテルの答」を取得、それをキッカケとして、ミレーのパステル、デッサン、ドローイングなどを集中してコレクトしていくが、「ミレーの油彩画のある美術館」として、村内美術館が知られるようになるまでには、なお多くの月日を必要とする。
その後、道昌の関心はバルビゾン派の中でも、ロマンティックな作品から印象派の作品へ幅を広げ、機が熟する様に、ほんの数年のうちにミレーの代表的作品やコロー、クールベなどの大作を次から次へ手に入れることになる。
ミレーの「鏡の前のアントワネット・エベール」、「ミレー夫人の肖像」、クールベの「フラジェの樫の木」「ボート遊び」、コローの「ヴィル・ダヴレーのカバスュ邸」---など。中でもミレーの「鏡の前のアントワネット・エベール」は昭和六十一年の海外オークションで、米国ヒューストン美術館と最後まで競い合うことになる。