美術と本と映画好き...
徒然と(美術と本と映画好き...)




そういえば、私は長距離走者だった...
というよりは、健康ランナーか。

学生時代にオリエンテーリングというスポーツ(!?)に親しんで、そ
のトレーニングがてら走っていた。土曜日はサークルの仲間と皇居
の周りを、平日は実家の近所の砂浜に、足取られながら...多い月に
は三百キロは走っていただろうか。

学生の頃はあくまでもトレーニングの一環だったのが、レースに出
始めたのは社会人、埼玉県は森林公園の駅伝大会や、皇居の駅伝、
富士登山競走(!?)やら各種ハーフマラソン...沖縄のフルマラソンに
行ったり、ホノルルマラソンに行ったり...私のジョギングシューズ
はあちこちの道を踏みしめた。

ハーフマラソンの自己ベストは1時間20分くらいだったか。あれは
東京シティハーフマラソン、今はもうなくなってしまったマラソン
大会...

この大会、コースが高級で、新宿は都庁から外堀通りに出て、日比
谷公園の脇を抜けて、ゴールは大井競馬場だった。コースのあちこ
ちに大きな時計がある。五キロごとにラップを確認する。キロ4分
くらいのラップを守りながら、どこまでもどこまでも続きそうな道
を走る。

いつもは自動車ばかりの道、この日ばかりはランナーに開放される。
青い空の下、だんだんと気持ちが高揚してきて、足が前へ前へと進
んでいく...

この日ばかりは五キロのラップが先に進むにしたがって短くなって
いった。懐かしい思い出...

走るのをやめたのは常陸太田のフルマラソンに出てからだ。あの日
は確か、目標タイムを四時間に決めてる大先輩と、短距離が専門の
中先輩、あとは同い年の友人との四人で参加した。その頃はすっか
りトレーニングができていなくて『参加すること(と帰りの温泉)に
意義がある』のだとうそぶくような状態、それでも昔のように走れ
る気がして序盤から飛ばして...

ふらふらし始めた二十キロ付近で中先輩が私を抜いていった。十年
ちかく一緒に走ってきて、先輩の背中を見るのは初めてだった。呆
然とした。

二十五キロの給水所で中先輩が給水していた。私は黙って抜いてっ
た。その時のことは、今でもからかわれる...

三十キロを過ぎて私は座り込んだ、路上の視点から延々と続く道、
途切れないランナーを見送った。辛かった、もうだめだと思った。

そこへ私の名前を怒鳴る声、大先輩が通り過ぎた。

普段は温和なその先輩は、とても粘り強い人、各地の百キロマラソ
ンを完走しては、年賀状の写真にする、そんな大先輩の、思いもよ
らない怒鳴り声に、私は奮い立った...

結局、私は四時間を切った。その先輩は四時間と数分だった。あれ
から私は走るのが怖くなってしまった。大先輩とも会っていない。

今日、こんな写真集を手に取った。
・『Race Against Time

ヨット乗りのエレン・マッカーサーさんの、世界一周の記録...

八十日間世界一周なんて話があったけど、マッカーサーさんは七十
日ちょっとで世界を一周してきた女性、それも世界最高記録を樹立
して...

時間との戦い...

私はもう、まっぴらな気がする。どちらかと言えば、海の上にゆっ
たりと浮かんでいたい。だけど、たまにこんなスーパーマンの話を
聞くと、どこか、熱く、うずいてくるものが、ある。


おまけ
・『富士登山競走』について...

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