福原一間
篠笛を携え訪れた
国々での体験談
 



28年前、ガンジス川を眺めながら100年後もこのままの風景だろうと思いました。
確かにガンジス川に沿った建物は殆ど同じように見えましたが、それでも真新しいホテルがありました。
どこの国もそうであるように特別に町並みを保存しない限り急激な変貌を遂げるようです。
人力車は見かけることが無く、自転車式かこのオート三輪。



 思い出話

タイガーバーム売りのおじさんが移動し夜行列車も静になりました。

二人分の座席にあぐらを組んだおじさんは未だ20センチしか譲ってくれません。
さすがにオシリが痛い。
私のオデコを突き上げるおじさんは幸い眠っています。
やっと眠れる。

気がつくと外は明るくなっていました。 リュックが無い!
そうだ網棚のおじさんに預けたのだった。
見上げると「君はろくに寝ていないだろう。ここで寝なさい。」
確かにそう聞こえたのだが、インドの言葉は分からないし間違いなら叱られる。

おじさんは既に下りている。戸惑う私に網棚を指差し早く上りなさいと言う。
おもわず合掌し上る。
ジャガイモらしき物が入った丈夫な布の袋を枕に眠りに落ちた。

突然の騒音に目を覚ます。
列車は鉄橋を渡っていた。ガンガだ!心の中で叫んだ。
初めて見る川だが、ガンジス川と確信した。

おもえば水も食料も持たず長時間よく身体がもったものだ。
当時はやたら水は飲むものではない、という考え方が一般的でスポーツ飲料も売られていなった。 私はヨガで最低一月に一度は水も飲まず24時間断食をしていたのでさほど苦しくはなかった。

breakfast朝食とはfast断食をbreak止めることから朝食に成ったと聞いたが、一度お試しあれ。先ず頭痛がしてくる。そしてやたら臭覚が敏感になり五感が、いや六感がとても良く働きます。空腹より頭痛が辛かったと思います。

昔はブタの様に食うなどと言っていましたが、今や人間はブタさん以下の飽食。
日本人にとって「飢える」ことは何よりもまして妙薬では。

富める国は貧しい国々に年間800万トン食糧支援していますが、日本人は年間2000万トン捨てています。
毎日がお盆と正月と言われて久しい今日この頃ですが既に食糧難は始まっています。
自給自足を目指し25年前に田舎に住み着いた私ですが、十数年前から篠笛の演奏家になりました。せめて野菜だけでも作らないといけませんね。



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