読書日記と読書ノート 第三部(2013年6月~2015年6月) 吉野三郎

退職してから読書中心の生活をしています。読んだ本の感想を日記に記し、要点をノートに書いています。その紹介です。

250、共同研究「転向 6」(東洋文庫)

2017-12-10 06:54:49 | 読書日記

(1)日記から

・2015年5月27日(水)

「転向 6」を読み終わった。今、「転向」の語は死語。あるのはなし崩しの相対的な変節。本人も無自覚な。おそらく、峻厳な価値観の対立が前時代的なものになったせいだろう。生死をかけた対立が消え、一方から他方への転換(転向)もなくなった。マスとしての大衆の総体的な嗜好傾向があるだけ。今の世の7~8割を占めるのは何となく派。天皇制のような、マルクス主義のような、革命のような、クリアな対立軸はない。「転向」のような価値の転換は起こらない。

 

(2)ノートから

藤田

 僕らはやっぱり国家と状況と両方を超えていくという視点が根本的に必要で、それは人間の課題なんだという、人間の核心や人間の経験や、いろんな繊細な局面を持つ人間の経験の多面性のひだの中に入るということが、おそらく私たちの課題だろうと思うのです。

 

高畠

 人間の思想や言論というものは、必ずしも言論指導者や知識人の独占物ではない。…ミニコミや集会の中で民衆自身が自分たちの言論を持ち思想を語りだした…。そこでは言論や思想というものの機能が、いわゆる公人としての職業的知識人の場合とは違う。

 

高畠

 敗戦前の日本の問題は単に国家や時代のナショナリズムという圧力に巻き込まれたというだけにとどまらなくて、そのナショナリズムによってアイデンティティを立てるということと、アンチ・ナショナリズム、家族や友人であるとか、そういうものによってアイデンティティを立てる、この二つのアイデンティティの立て方の相克という問題があるわけです。

 

大野

 日本の経済力が非常に膨張して、国際的な相互関係が密接になってきた結果、日本がちょっと動けばすぐ外国が騒ぐというような、そういうような状態にもなってきているわけで、そうすると再び経済的な発展というものを確保するためにも、日本の国としての発言力、威力を持たなければならないということで、ひとつの時代思潮としての新ナショナリズムみたいなようなものが出ているような気がする。

 

(了)