城壁の街で : At The Walled City Blog

カナダ・ケベックシティ在住、ラヴァル大学院生の生活雑記
Université Laval, Québec City

北の大地から番外: 雑感集

2007-07-22 | 北の大地から
とりあず、この夏の北極圏 (sub-arctic) での活動報告は前回の記事で終わりです。
この記事は、番外編として今回の研究活動中に感じた事を幾つか書きます。


雑感1
今回の研究活動は、ケベック人と一緒に仕事をする始めての機会だった。

うちの研究室は基本的に「完全自己裁量制」で運営されている。つまり、すべて個人の責任にまかされている形となっていて、さらに同じ研究室内に「似た研究」をやっている人というのがいないため「誰かと一緒に仕事する」機会というのはこの一年と数ヶ月の間一度も無かった。

で、今回始めてケベック人の皆さんと「チームで」仕事する事になったのだけれど


仕事、しにくい


「何がどうやりづらいのか?」をはっきりと説明できるほど周りを観察する余裕は無かったので、上手く解説できないのがもどかしいけれど、2週間を通して個人的に非常に動きづらかった。

僕がフランス語が全くわからない、というのも大きな原因の一つなのだけれど、それ以上に仕事に対する姿勢と言うか、物事の優先順位の付け方が日本人ともアメリカ人とも微妙に違うので、どこかでいつもかみ合っていなかった気がする。

個人的な感覚で言うと「合理主義」の権化のアメリカ人の方がまだ理解しやすかった気がする。


雑感2
今回、僕のアシスタントを務めてくれたトミー君だけれど、物凄く優秀でとても助かった。

彼の英語力はかなり低くて、所々コミュニケーションを取りづらくてイライラする事もあったのだけれど、きらりと光る人柄の良さと、おそらく1000人に1人というレベルの頭の良さですべてをカバーしてくれた。特に素晴らしかったのは、物事の2手3手先を読みながら働いてくれる点。おかげで、大抵のことはスムーズに進んだし、本来なら学部生のアシスタントに任せきるなんて事が出来ない部分も任せてしまう事が出来たので、全体的に本当に楽をさせてもらった。うちの御大も、トミー君の活躍ぶりが気に入ったらしく、来夏から修士の学生としてリクルートしてしまった(教授としては、「本当に優秀な学生」は中々手に入らないものなので、もし見つけたら意地でも確保したいもの)。

ただ、一つ思ったのは


あんまりにも賢いのも考えもんだな

ということ。

というのも、トミー君は物凄く飲み込みが早くて、ちょっと仕事するとすぐに要領をつかんでしまう。それはとても良い事なのだけれど、その反面「すぐに飽きてしまう」のが問題。

大体、普通の人が仕事にやっと慣れてきて「さぁ、要領よくがっつりと働こうか!」となる頃には、トミー君の中では「すべての行程が頭に入ってしまい、さらに可能限りの創意工夫も終わってしまっている」段階に突入している。改善できるところはすべて改善してしまっているから、あとは完全なルーティーンになってしまっているのだ。しかも、物事の2手3手を読める力を持っているから、ルーティーン突入すると「わかりきっている手順をこなすのがダルい」状態になっている。

だから、みんなが仕事にも慣れて、最後の詰めに向けてエンジン全開になっている最後の二日間ほどは、トミー君は露骨に退屈そうだった。

この辺、妙に賢いと「知らなくていい退屈」を味わわなければならないのがちょっとかわいそうと言うか、不憫に思えた。


雑感3
どこまで締めて、どこを抜くのかと言う問題。

チーム内に中ボスというかお局という感じの立場の人がいて、この人は普段自分の周りの人に物凄く厳しく、信じられないくらい細かい指摘をする。

僕は、どちらかというと絶対にハンパは出来ない部分以外は「ま、少々のミスは黙認しようよ」「どうせ、出る結果はそんなに変わらないべさ」と考えているいい加減な人間なので、あまりに細かい点まで文句を付けてくる態度に辟易していた。

で、今回の研究活動中に、その人の仕事ぶりやら生活態度をつぶさに見る事が出来たのだけれど、

自分に甘めぇんじゃねぇかよ、てめえ!

なんかね、こまごまと緻密には作業をしている。その辺は普段の言動と違う部分は無い。でもね、「それはダメだろ、オイ」という致命的な部分でミスしたり、「なぜ、それを持ってきていないんだ!」と思うようなものを忘れてきたりしていた。

なんつうか、いろいろと気が付くのは科学者をやるには重要な資質だとは思うのだけれど、「自分が出来ない事を他人に厳しく要求する」態度っつうのは、求心力というか信頼の度合いというかを一気に低下させるなぁと思った。今後、自分は彼女の細かい指摘に耳を貸さないと思う。

ただ、ここで難しいのは、自分みたいに大局に影響を与えない細かいポイントにかんしては「見なかった事にする、聞かなかった事にする」という奥義を多用するスタンスを貫きすぎると、それはそれでメンバーの士気を殺し、研究の本当に重要な部分での緻密さも失わせてしまう可能性があること。

今後、アシスタントの学部生の面倒を見たり、入学したての大学院生の世話をする機会も増えると思うけれど、その辺のコントロールはしっかり考えながら身につけて行かないとダメだなぁと思った。

嫌がられない程度に締める。 難しいなぁ。



まぁ、こんなところか・・・・・

北の大地から7-2

2007-07-18 | 北の大地から




さて、今回は現地の研究所の様子を少しだけ紹介しようと思う。
これが、研究所の外観。



一番手前の二階建ての建物がメインの施設で、二階部分が宿泊施設、一階が研究施設となっている。その左隣の平屋(手前)が食堂、その奥は研究施設の管理人の住居、あとはガレージと倉庫がある。

宿泊施設の最大収容人数は24人。

で、これが研究施設その一



英語で Dry Lab と呼ばれるコンピュータやら顕微鏡やらを使って仕事をする部分。夕食後から就寝時間にかけてはかなりの人数が働いていた。ただ、自分は大人数の中で仕事をするのが非常に苦手なので、ここで仕事をせず別のところでひっそりと活動していた。

ちなみに、一番左から三人目の青Tシャツのでかいやつがストロマトライトを見つけてきたドイツ人。水棲の節足動物の分布とその決定要因を研究している。基本的に良いやつなんだけれど、非常に分かりにくいドイツ的な皮肉を言う。でもそこがツボ。その隣の丸坊主が一緒にストロマトライトを見に行ったパンク少女。ピストルズとNOFXのファン。パンクとかロックの人にありがちな「見た目は怖いけれど、じつは信じられないくらい良いやつ」の典型例だった。


で、これが自分が仕事をしていた部分。


先ほどのDryLabの隣にあって、元々はソファーなんかがおいてある休憩室を無理矢理改造して使っていた。おそらく、研究所内の誰よりも広い空間を占拠していたと思う。

写真の左半分に写っているのは、採ってきた水を濾過する機材(水関係の研究は濾過が基本中の基本です)。で、右半分が高けぇ機材を操作してた部分。機械とそれを操作するためのPCがある。

朝、ヘリコプターに乗って現地へ行き、4-6時間野外で作業した後、ここに戻ってきて水を濾過したりしていた。三時頃に研究所に戻ってきていたのだけれど、夕食を挟んで夜の10時くらいまではふつーに働いていますな。だから、毎日フラフラ。



あと、この部屋の隣に「研究所らしい」施設があるのだけれど、撮るのを忘れていた。そして、さらに居住空間の撮影も忘れていた。来年の宿題ですな。



最後、これが食堂の様子。


ここで、20人くらいで食事をとる。ただ、会話はすべてフランス語なので、自分はさっさと済まして仕事に戻っていた(さみしいな、オイ)。

ポーズをとっているのがアメンボの分布を遺伝子レベルで研究している人。生物学科の中での数少ない「英語しかしゃべれない妙なアジア人の相手をしてくれる人」のうちのひとり(まともに世間話を出来る相手は学科内で二人くらいしかいないので、貴重な存在)。

食事は学校が寮母のような人を雇っていて、その人が作ります。ことしは「典型的なケベックの家庭料理」だったようで、全体的に好評でしたな。ただ、、、、自分には味が濃かった。


ま、こんな感じです。

北の大地から7-1

2007-07-16 | 北の大地から


さて、ネタも切れてきて、いくら何でもこれ以上続けるのは不可能な様相を呈しているので今回のシリーズは後二回で終わりです。

で、研究活動の様子やら、ヘリのおっかなさやら、ストロマトライトの偉大さなんかに関しての記事は書いているのに、よくよく考えたら「どんなところで、どんな生活をしていたのか?」というかなり大きなポイントに関して言及するのを忘れていました。

今回の記事はその点に関してです。



さて、今回の研究活動のベースとなる大学の研究施設は Kuujjuarapik もしくは Whapmagoostui もしくは Poste-de-la-Baleine もしくは Great Whale River と呼ばれる村というか町というかにある。 四つ名前を挙げたけれど、正式名称となっているのは前の三つ。自分たち研究所の人間は主に Kuujjuarapik で呼んでいた。「クジュアラピック」と読んでもらえれば良いと思う。

なんで四つも名前があるかというと、イヌイットとクリーという二つの民族が住んでいるケベック州内の村なのだけれど、元々交易のためにこの地を開いた白人はイギリス系だったからなんですな。

ん?何の事かさっぱり?

だから、 Great Whale River 名付けたのは、クジラの売買のためにここを開いたイギリス系の人で、Poste-de-la-Baleine (これもクジラがどうのという意味)と名付けたのはフランス系の人(現在、ケベック州政府的な正式名称はこれになる)。

で、First Nation と言われる原住民の言葉でも名前がついている訳なんだけれど、その原住民が二種類いて、当然のごとく異なる言語と文化を持っているから、その両方の言語で名前があるということ。

ちなみに、Kuujjuarapik が北極圏に広く住んでいるイヌイット系の民族の言葉で「小さな川」という意味。Whapmagoostui がアメリカのネイティブアメリカン達にに近い民族であるクリー系の民族の言葉で「クジラがいる場所」という意味らしい。(参照記事:英語です

その村をヘリから撮った写真がこれ

ハドソン湾に流れ込む Great Whale River の河口付近の砂州(だと思う)の上にある。海のうえにうっすらと見える白い線は波ではなく海氷。


で、村の裏手にある丘の上から撮った写真がこれ


さらに、この村の典型的な街角の風景がこれ

なんだかんだと、建物がある様子が分かると思う。


人口は1000人程度(イヌイットとクリーで半々らしい)。イヌイットとクリーの人たちの生活は完全に分断されていて、それぞれに学校やら診療所やらがある。だから、人口500人のコミュニティが二つ並んで存在していると考えた方がわかりやすいと思う。

研究でい忙しすぎて、地元の人たちの交流は全くなかったので、彼らの生活がどのようにして成り立っているのか(収入源やら、日々の暮らしの様子)なんかは全く知らないので、その辺に関するコメントはなにも出来ない。あと、性格的に人にカメラを向けるのがためらわれたので(自分がカメラを向けられるの嫌いだからだな・・・)、町中をうろついている人たちや、体育館や酒場の前でたむろしている人たちの写真が無いんですな。

要するに、地元の人に関する事は何も書く事が出来ませんです、はい。

ただ、彼らの着ているものとか、町のスーパーマーケットで売っているものを見る限り、南の方と生活手段はあまり変わりがないように思えた。普通にスニッカーズとか売ってたし・・・・・

ただ、それを買うための収入源がわからん・・・・・昼間もそこら中で人がたむろしていて、働いている気配はほとんどなかったしなぁ・・・

聞くところによれば、James Bay and Northern Quebec Agreement とやらで生活が保障されているとかいないとか・・・・・

なんか、この辺カナダという国の非常に不思議な部分だと思う。


あと、原住民だけではなくて、空港関係者、医療関係者、学校教師、インフラの技師、あと自分たちのような研究者として白人もぱらぱらといる。でも、そんなに多くないし、白人同士はほとんど全員が知り合い同士だったようだ。

ただ、日本人は・・・・・自分一人だったとおもう。


んな感じでした。


これが空港の写真。物凄く普通の施設でした。




北の大地から6-3

2007-07-15 | 北の大地から





ジェットコースターよりも遥かに怖い一時間の行軍の後にたどり着いたのが上の写真の場所。この岩全部がストロマトライトの化石です。海岸沿いに先カンブリア時代の地層がむき出しになっていて、それがすべてストロマトライトの痕跡でした。

二枚目の写真で写っている恐竜の卵みたいな丸いの一つ一つがストロマトライトです。シアノバクテリアの活動に従って球体が成長していったのがきれいに残っていますな。下の三枚目と四枚目の写真では、波に洗われている部分でストロマトライトの層構造がくっきりと観察できます。球体の成長が年輪のように残っているのです。

さて、今回は数十億年単位のロマンに思いを馳せる事が出来るように、大きな写真も見られるようにしてみました。下の写真をクリックすれば大きめの写真が登場します。



























ハドソン湾の海水はこんなに澄んできれいでした。


北の大地から6-2

2007-07-12 | 北の大地から
今日は、前日の続きでストロマトライト探しの旅です


さて、今回向かおうとしているストロマトライトの化石。水中にすむ節足動物の研究をしているドイツ人のポスドクが「研究対象を探すために村の周辺をぐるぐると回っている間に見つけた」と言って教えてくれたのだけれど、その場所の説明というのが

「海岸線沿いを延々と北に向かって、道が途切れたところにある」
「大体45分くらいで到着すると思う。まぁ、行けばわかるよ」

とだけ。「おいおい、こいつはドイツ人を名乗っているけれど、本当はスペインとか南米の育ちとかじゃないのか?」と疑いたくなるくらいおおざっぱで、たどり着けるかどうか本当に不安だった。

大体、「道が途切れたところにある」なんて言われても、こんな北の果ての村の郊外には、ちゃんとした車が通る事が出来る道なんてものは存在するはずが無い。しかも、主な作戦会議は当然のようにフランス語でなされているので、自分は何がおこっているのかさっぱりわからない。なので「一体どうやって行くんだろう、どうなるんだろう」と小心者の日本人はビクビクしていたんだけれど、同行するのはラテンの血を引くケベック人が二人、しかも一人はパンクロッカー。「ま、とりあえずは、予備の燃料と飯だけ持って行ってみるべ」「ストロマトライト!イイェイ!」てなかんじで物凄く楽観的だった。で、それがさらに自分の不安をかき立てて・・・・・・・



ま、愚痴を言っても仕方ないですね。

んだもんで、"どんな道を""どのように"突き進んで行ったのかということを、さっさと公表しちゃいましょうか、うん、それが良いですね。


では、








こんなをですね




こんな乗り物にまたがってですね





こんな感じでガンガン行くんですよね、これが。




その模様を撮影したビデオクリップが以下でご覧になれますので、興味のある方はどうぞ。

YouTubeへ





非日常である


実に度を超した不可解な活動かと思う





あまりの非日常的光景の連続に、自分で記事を書き始めておきながら、どこから解説を始めて良いのか全くわからない、というのが今の正直な心境である。研究活動もたいがいブッ飛んでいる内容だと思うが、それに付随してきたエクスカーションもかなりのブッ飛び具合だったのだ。もうねぇ、この映像の解説なんかやめて、自らの「人生の道の外し具合」に関して記事を一本書けそうなくらい、非日常的な光景だと思う。なんだろうね、親や教師に従いつつ、まじめな優等生として育ってきて、その後も問題事を避けながら静かに暮らして行こうと思っていたはずなのに、どこで間違えてこんな冒険野郎になったのやら・・・・・・ブツブツ


さて、愚痴っていても仕方が無いので、さらっと解説しておくと。。。

一応、「道」らしいものはあった。前にも別のマシンが通った形跡があったし、所々にきちんとした橋もかかっていたり、板も渡してあったりした。が、主にはただの岩場だった。

それを1時間くらいかけて爆進しました。

そして、乗っている乗り物は ATV (all terrain vehicle) とか呼ばれている代物で、北米では割と一般的なレジャーの道具。ロングストロークの単気筒エンジンを積んだ四輪駆動のバイクで、かなり無茶な道も進んで行ける仕様となっている。実は、まともな道があまりないこの地域では、住民の夏の間の主な移動手段として使われているので(冬はむろんスノーモービル)、村中がこの乗り物であふれていた。

んで、この乗り物・・・二輪車と似ているようで微妙に似ておらず、元ライダーには非常に扱いづらい乗り物であり、さらに、道のはっきりしない岩場を進んで行くのはとんでもなく恐ろしかったので、自分はもっぱら運転をトミー君に任せて、後に乗っていたり、降りて歩いていたりした。

たぶん、乗っている時間よりも歩いている時間の方が長かったと思う。


ま、そんなこんなで、ストロマトライトの地までは迷いながら1時間ほどでつきましたよというところで次回へ続きます。

北の大地から6-1

2007-07-11 | 北の大地から
さて、サンプル採取自体が終わり、機材の後片付けをすませてしまってから2日ほど「自由にできる時間(本来はデータ解析などに使う)」があった。ので、ストロマトライトの化石ハントに出かけてきましたよ、というのが今日のテーマ。




「ストロマトライトを見に行くぞ!」と坊主頭で変なピアスをしているパンクロック系生物学科生(女子)が言うので、アシスタントのトミー君も連れて三人で見に行ってきた。

はじめは、生きているストロマトライトが見れるのかと思って大興奮していたのだけれど、後でちゃんと聞いたら「非常に状態のいい化石」ということだったので少しがっかりした。まぁ、よく考えてみればオーストラリアにある超特殊な湾でしか見られない物がカナダにあるはずが無い。いくら Sub Arctic で、色々と変わった物ばっかりあるからといって、ストロマトライトまで現存しているはずが無いのだ。「妙に北で研究している」ということに興奮しすぎて我を見失っていたと自分でも思う。この辺は素直に反省したい。

とはいっても、ストロマトライトはかなり古い地層じゃないと見つからないものなので、状態のいい化石を素人がホイホイと採取できるのはかなりうれしい。



さて、ここまで「ストロマトライト」という単語を何気なく5回使っているが、それが何を指すかわかっている「城壁の街で:Blog読者」はいないと思うので、ここで少しだけ説明しよう。

ストロマトライトは物凄く原始的な「シアノバクテリアの集合体」で、先カンブリア紀には世界中の海で普遍的に存在していたらしい。シアノバクテリアって何?とか言い出されると説明がややこしくなるので省くけれど、要は光合成をする単細胞生物の固まりだと思ってもらえばいいと思う。

最も古いストロマトライトの化石は35億年だか20億年前の物で、その後5億年前までの地層ではよく発見されるものなんだそうだ。ただ、その後ストロマトライトは急激に衰退して(捕食者の出現が主因だろうと言われている)、今ではオーストラリアの物凄く辺鄙なところでしか見る事が出来ない(むろん世界遺産だ)。

さて、このストロマトライト、地球上の生物進化に関してきわめて重要な役割を担っていたと考えられている。それは、酸素を含んだ大気の生成に大きく貢献したという事だ。もともと、酸素は反応しやすい不安定な物質なので大昔の大気には含まれていなかった。そこへ、ストロマトライト(シアノバクテリア)が何十億年という長い時間をかけて好気生物が活動できる酸素を含んだ大気を作り上げたのだといわれている。前に「沼気を放つ」という記事でも少し触れたけれど、酸素の有る無しでは生物的というか化学的な反応系が完全に変わってしまう。だから、ストロマトライトが酸素の入った大気の生成に貢献した、というのは生物進化考える上でかなり重要な出来事だったのだ。

まぁ、荒っぽく言えば、「今、我々が住んでいるこの世界の土台を築いたのが、ストロマトライトと呼ばれている生物群なのだ」といえるかな。

ストロマトライトに関する更なる情報が欲しい場合はGoogle大先生にでも相談してみてください。



で、そのストロマトライトのかなり状態のいい化石が見られるというので行ってきました。




つづく



北の大地から5

2007-07-10 | 北の大地から




予定より二日早くケベックシティに戻ってきた。道中は預けたクーラーボックス(サンプル満載)がモントリオール空港で出てこなかったり、そのせいで乗りたかったバスに乗れず帰宅が深夜になったりした。非常に疲れた。なんかね、すんなりと旅程をこなした事ってほとんどないよな。



さて、今回の研究活動では、生まれて初めてヘリに乗ったので、その小市民的な自慢話でもしてみようかと思う。




全く道路も何もないところに水を採取しに行かなければならないので、研究所のある村(?)から現地への移動はヘリを使う。

出発は小さな空港から飛び立つのだけれど、現地では沼地の近くにあるちょっと開けた岩場に降り立つ。

これが、その「ヘリポート」でヘリを待っているところ。




前も書いたけれど、見回す限り人工物も無ければ人の気配もない。


そして、ヘリが到着したら、みんなでワラワラと荷物を積み込んでから乗り込む。ちなみに、ヘリが到着するときは風が物凄く、さらには「もし突風が吹いてあれがこけたら、ローターに巻き込まれて即死だな」とかよけいな事を考えてしまうので物凄く不安。


写真じゃぁわからんが、ローター回っています。


で、これが中の様子。



前2名、後4名の7人乗りだが、状況によっては無茶して7人詰め込んだりした(そのとき、あまりの狭さに肥満は犯罪だと改めて思った)。で、下がヘリの中の写真。一枚目が後席から前を写したもので、二枚目が前席から後を写したもの。まぁ、それは狭くてうるさいですよ。たぶん、トヨタのエコーの車内くらいの広さしかないと思う。


で、乗っている間、眼下に広がる光景がこれ。








こんな感じです。






なんか、写真付き「城壁の街で:ブログ」の評判は非常に良いみたいなんだけれど、ついつい写真に頼って文章がおろそかになりがちな気がします。なんか、その点は気に入らんというか、注意せんといかん気がするというか。。。。。

実際、この記事もほとんど何も書いていないぞ。

北の大地から4

2007-07-06 | 北の大地から


さて、霧でヘリが飛ば無かった事が何度かあり、かなり余裕を持って計画を立てていたにもかかわらず、野外での作業はギリギリまで押した。 つか、「もしかしたら機材を回収できないかもしれない」という恐れまで出ていたけれど、最後の最後に霧が晴れたので、なんとか無事に終わった模様(自分の使う機材は数百万単位の物ばかりで、面倒でも毎日ステーションに持ち帰っていたのから、このハラハラを味わう事は無かった)。

とりあえず、大きな作業はすべて終わって、大きなプレッシャーからは開放された。




今日は、野外での作業を紹介してみようと思う。




前回の航空写真の場所を陸上で撮影するとこうなります。discontinuous boreal forest と呼ばれる針葉樹林地帯と永久凍土地帯の境目で、薮の中にこんな感じの沼が散在しています。

何気なく草原が広がっているように写っていますが、これはすべて深い薮となっています。ヘリでいくとかなり簡単に到着できるのですが、冷静に考えると、「見渡す限り人間は自分たちしかいない」という恐ろしい状況です。何あっても逃げる手段がない・・・・・・・



ちなみに、薮というのはこんな感じ。



この中をクーラーボックスを持って歩くのは・・・・それはもう。





沼にゴムボートを浮かべて機材をおろしているところ、前回「笑っていない」コメントされた写真に写っている妙チクリンな機械をおろして水中の光の量を測っています。アシスタントのトミー君をボートに乗せて機材の操作をさせて、僕は岸辺でPCの画面とにらめっこです。

ちなみに、機材も重かったけれど、この白のゴムボートも恐ろしく重く、薮の中でなんども「ダボが!」と叫んでいました。

ま、こんなかんじです


北の大地から3

2007-07-04 | 北の大地から



とりあえず生きていますが、研究活動は思ったよりも遥かに過酷で、肉体的な疲労で全身がミシミシと音をたてております。

信じられないくらいの悪路を(基本的に深い薮のなか)、普通では考えられないくらい重い機材を担いで移動しているのですが、今回ほど高校生のときに山岳部を選んだ自分に感謝した事はありません。

上の写真は、今回サンプリングしている現場をヘリから撮ったもの、下の写真は現地で移動している姿。この写真では笑っていますが、実際は10キロあまりの水が入ったクーラーボックスを運ばなければならなかったりするので、あまりのキツさにぶつぶつ文句をいいながら移動しています。













北の大地から2

2007-06-29 | 北の大地から
今日は霧のためヘリが飛ばず、研究施設にとどまって荷物の整理やら今後の計画を話し合ったりになっています。



ここで、研究活動の一こまを。





手前の青シャツが自分で、奥にいるのがアシスタントのトミー君。

トミー君の前にある黒い筒のような物が、大昔にちょっとだけ話題に出したベンツが買えるほど高い機材。彼が持っている漏斗から試料(湖の水)を送り込んで光学的な水の性質を調べます。本来は室内で使う機材ではないのですが、研究対象の性質上、こういう使い方になっておりますな。

まぁ、こんな感じです。



なんか、今日の記事は「物凄くまともな留学日記」みたくなっているので、非常に満足しております。

ちなみに、実際の研究対象となっている地域には、まだ一回しか行っていないので写真はありませぬ 雨が降っていたので、デジカメを持っていきたくなかったのです(防水のフィルムカメラは持っていったのですがねぇ)。