母の膵臓癌日記

膵臓癌を宣告された母の毎日を綴る

いままでの経緯 (17)

2009年09月27日 23時45分56秒 | 日記
9月23日(水)
朝、母の顔色が冴えず笑顔がない。前日、夕食がほとんど食べられなかったと言うので引き続き調子が悪いのかと思うが
今朝少しは食べられたと言う。
「なんだかね、つわりみたいなのよ。料理を作ってると匂いが鼻について気持ち悪くなるし、甘いものがだめなの。」
味覚が変わるというのは確か抗がん剤の冊子に書いてあった。
先週くらいは市販の果物のゼリーを食べやすいといってよく食べていたのだが、もう食べたくないと言う。

「夕食はあなたが作ってくれない?他人が作ってくれたものなら食べられるかもしれない。」
私は遅かれ早かれそうなることは覚悟している。
「いいよ。ここで作ってK(夫)やF子(次女)も下りてきてもらってみんなで一緒に食べるようにする?」
こう提案した理由は、食べ物の好き嫌いが激しく味付けにもうるさい父の気に入る料理がわからないので
母がそばにいて指導してほしいということと
母も気難しい父と二人で食べるより多い人数で賑やかに食べた方が食が進むのでは、と考えたのだ。

しかし母はうーん、と困ったような表情をして少し考えてから言いにくそうに言う。
「あのね、一度に食べられなくて、何かしながら合間合間に食べたりしてるのよ。
立ったり座ったり落ち着かなくてみんなに悪いから…」
「そんなの誰も気にしないよ。気を使うことないよ。」
「でも、2階で作ってくれた方が匂いもしないし」
ああ、そうか。と納得するが、ちょっと困ったな、と思う。母はそれを察したのか、
「自分たちで食べてるものと同じでいいのよ。それをちょっと。本当にちょっとだけ持ってきてくれればいいから。」と言う。
「わかった。じゃ、そうするね。」

そんな話を母と私で交わしているとき父が思い出したように、11月にある弟の3回忌の出欠をまだ伝えていないと言う。
法事を報せる往復ハガキを出してみると出欠の締め切り日は4日前だった。
報せのハガキはだいぶ前に来ていたのだが、その後母の病気がわかり、そちらの方で母も父も頭がいっぱいだった。
「私はちょっと行けないからあなた一人で行ってきてくれる?」
「うん、じゃ電話で理由も話して断ってよ。」と父。

母方の親戚には他の用で電話する機会があったので、そのときに母が自分の病気のことを話したのだが
父方の親戚にはなにも報せていなかった。
母が伯母の家に電話をすると息子が出て、今手が離せないから後で電話させると言った。

午後には母は久しぶりに社交ダンスのサークルにに顔を出すので仲間が車で迎えに来るという。
私は先日のカラオケボックスで父と母がダンスを踊ったときのことを思い出す。
あの時は1曲を踊りとおせずシートに倒れこんで肩で息をしていたではないか。
「ダンスなんか踊ったら疲れるんじゃない?」
「踊らない。座って見てるだけで帰ってくるから。」
母がみんなが踊っているのを見て我慢できるんだろうか。誘われたらじゃあちょっとだけ、と言って席を立つ母が容易に想像できる。
しかし母の楽しみを片っ端から奪うわけにはいかない。仕方なく気をつけて行ってきて、と言う。

母がダンスに出かけるために洗面所でシャンプーしているとき、タイミング悪く伯母から電話が入る。
まだ髪を泡だらけにして洗っている母のところに父が受話器を持ってきて伯母から電話だと伝える。
今電話に出られないからあなたが話していて、と母が言うと仕方なく父が話を始める。
両親とも耳が遠いためハンズフリー設定にしているので、そばにいる私にも伯母の声がよく聞こえる。

「実はM代(母)が腸にできものができて…」
「えっ?」
「抗がん剤治療を始めてるんだけど、副作用であまりものが食べられなくて」
「あらあら」
私は冷や汗が出るような気持ちで聞いていた。腸にできもの?なにそれ。間違ってるじゃない。
詳しいことはあとでまたM代から電話させると言って父は電話を切る。

シャンプーを終えた母に、父に聞こえないようにそのことを話すと母は
「パパは何もわかってないんだから」とため息をついて自分から伯母に電話し、
自分の癌を知ることになったきっかけから今の体の状態についてまで事細かに話した。
夫を血液の癌、多発性骨髄腫で亡くした伯母は母の話から、どれだけ病気が進んでいるかを察知した様子だった。
母が法事は欠席すると言うと
もちろんそれどころではない、ご自分の体のことを第一に考えてお大事にしてくださいと伯母は言い、電話を終える。
そして母は迎えの車でいそいそとダンスサークルに出かけていった。

悪い予感は当たった。ダンスから帰ってきた母はこれまでになく生気のない顔をしていた。目は落ち窪んで、皺が深く刻まれている。
疲れたの?踊ったんでしょうと訊くと
「いつもの4分の1くらいね。3曲休んで1回踊るくらいなんだけど、やっぱり疲れるわね。」
母はちょっと休むわ、と言って寝室に行く。その背中がやけに小さく見えた。

夕食のメニューは秋刀魚の生姜煮と筑前煮、里芋の味噌汁になった。
秋刀魚は塩焼きにして大根おろしを添える予定だったが、母が生姜で煮たほうが良い、と言ったので急遽圧力鍋で煮たのだ。
秋刀魚は焼くと脂の匂いが鼻につくのだろうか、失敗したと思う。主菜も副菜も煮物になってしまった。

それぞれ1つの器に二人分盛り、味噌汁は小鍋に入れて階下に持って行く。
母に気分はどうかと訊くと、まだ食欲がわかないと言う。
「どうもありがとう。私は食べたくなったら食べるから。あなたたちもまだ食べてないんでしょう?」と
早く2階に戻って家族と夕食をとるように促された。私がそばで見ているとプレッシャーなのかなと思う。

8時ごろ、インターホンが鳴り、受話器をとると父の声で「ちょっと下に来て」と言う。
下りて行くと父が一人でダイニングテーブルに座っていて私にも座るように言う。
父の話によると、あの後母は夕食が全く食べられずに自分の部屋へ戻り泣いていると言う。
「S子(私)がせっかく夕食を作ってくれたのに食べられなくて申し訳ない」
「どうせ治らないならこんなに苦しい思いをするより、抗がん剤を止めてみんなと一緒に楽しく食事したい。」
そして、父に抗がん剤治療について書いてある書類を渡し、
「これ読んで。抗がん剤はいつ止めてもいいって書いてあるから。」
と言ってまだ部屋で泣き続けているらしい。
「かわいそうだな、あんなに落ち込んで。」
父の声も震える。

母が病気になってから初めて、母を哀れむ気持ちになった父を見た気がする。
父はこれまで膵臓癌を「腸にできもの」と言うくらい、母の病気について認識していなかったのだ。
先日、母に向かって
「あんたはまだ10年生きるよ。そして俺を見取ってから死ぬんだ。」と笑って言った時は
母への励ましで言っているのか、それとも本気でそう思っているのかと私は訝ったが
やはりほぼ本気だったのだろうと思う。
身の回りのことをほとんど母に依存した父の生活の仕方は病気とわかっていても全く変わらない。

「抗がん剤で癌は治るのか?」と父が訊き
「治りはしないよ。」と私が答えると父は一瞬黙り込む。
「抗がん剤はね、効くかどうかはひとによって違うけど効果があれば癌の進行を遅らせるんだよ。」
「じゃ、やらなければどんどん進むんだな?」
「普通はそうだと思う。」

父は震える手で母に渡された書類をがさがさ音を立ててめくり、
「抗がん剤はいつやめてもいいって、これに書いてあるっていうんだけど
どこに書いてあるのかさっぱりわからないんだよ」とせわしなく視線を動かす。
傍目から見て父は動揺しきっているように見える。

ちょっと貸して、と言って父の手から書類を受け取り眺めると、それは抗がん剤の副作用について書いてあるもので
確かに「いつ止めてもよい」という意味の言葉はない。
「これにはそういうことは書いてないね。でも、患者の体力ばかり落ちて効果がないと止めることもあるんだよ。」と話す。

そうこうするうち、母が寝室からダイニングに来る。瞼は泣き腫らして目の周りが赤い。父が慌てて
「これを読んでいたらS子(私)が来たんだ」と見え見えの嘘を言う。そして
「これには抗がん剤をいつやめてもいいって書いてないぞ。」
と、動揺してろくに読んでいないことを隠して、さも自分が確認したように言う。
「あっ、それじゃないわ。」母は別の書類を部屋から持ってくる。
見るとそれは抗がん剤治療の同意書で、但し書きとして本人の自由意志で止めることができると書いてあった。

「原因がわかっているんだから…疲れすぎたから食欲がなくなったんでしょう?
今度から気をつければ大丈夫よ。食べられないときばかりじゃないんだから。」
と私が言うと
「確かにね、疲れちゃうとだめみたいなのね。」
「昨日の朝なんか気分がよくてよく食べられたって言ってたじゃない。
裏庭の掃除したときもだけど、ママさんは調子良いとあれもこれもやりたくなって、やりすぎちゃうのよ。」
「そうなのよ。気分がいいときはつい『このくらいは大丈夫だろう』って思っちゃって」
「自分でセーブしなくちゃな」と父も会話に入る。
「そうね。自分で身をもってわかったからこれからは気をつけるわ。
せっかくSちゃんが夕飯作ってきてくれたのに悪いと思っちゃって情けなくてね。」
「そんなこと考えなくていいのよ。病人は自分なんだから周りに気を使わなくていいの。」私はつい声を荒げてしまう。
母は今度は父に対して
「あなただって私が動かないでいると嫌な顔するでしょう?」と言う。
父が答えるより前に私は
「そんなこと思うわけないよ、病人に対して。ねえ!」と父に言うと
「うん、言わないよ」と笑って答える。
やっと事態が収拾し、母も少し表情が和らぐ。
「夕食、食べられなかったけど後でお腹がすいたら食べるからね。」

2階に戻り私はふうー、と深いため息をつく。
とりあえず母は落ち着いてくれたようだが、その場をしのいだだけと言える。
抗がん剤を続ければ疲れる、疲れないに関わらず食欲がなくなるのは必至だし
抗がん剤を止めてもいつか必ず食べられなくなっていくのだ。
今後の母のことを考えると深い絶望感に襲われ、暗澹たる気持ちに落ちていく。

最新の画像もっと見る