駄菓子屋通いより少し前、もう少し小さい頃だと思う。私は母の買い物によくついて行った。毎日「お使いカゴ」を抱え、主婦が買い物に出るのが午後の3時頃。小さな商店はにわかに活気付く。
「きゅうり、ちょうだい」「あいよー、持ってきなー」
母がお金を差し出すと、八百屋の天井から所々、ゴムで吊り下げられた竹の籠をぐいーんと引っ張って、受け取った金を入れる。じゃらじゃらっとかき回しておつりを手渡すと、籠はボヨヨーンとまた元の位置で揺れた。おばちゃんの紺色の大きな前掛けの前で、きゅうりは新聞紙にくるくるっと包まれ、お使いカゴに投げ込まれる。
「奥さん、大根のいいのが入ってるよ。」「今日はいいわ。」「あいよ、また来てねー。」「お嬢ちゃんいくつ?」照れてる暇はない。トントンと流れるようにおばちゃんの口から飛び出してくる。やっと、年を言おうと顔をあげたら、「あ、奥さんいらっしゃーい。今日は何にする?」大声が行き交う元気な店だった。
家からは川の土手を少し歩く。片側は崖がそそり立つ土手の道。隙間だらけで所どころに木の節穴が小さく開いた橋を渡る。20cmくらいの粗末な縁があるだけで、欄干もないような古い板の橋。穴から下を覗き見れば、いつも川藻が揺れていた。
橋を渡り、細い急坂を登って角を曲がると小さな写真館。もう少し行くと和菓子屋、薬屋、魚屋、八百屋、肉屋と並んでいた。店屋の他は古い住宅街だったから、静かな細い路地で歩きやすい。私はきっと弾むように歩いていただろう。
環七沿いの小さな町。おそらくこの大きな道路に分断されたであろう小さな町だったから、あっという間に町は掻き消えた。八百屋が店を閉めたのはそれから5~6年もしないうちだったのではないだろうか。しばらく空き家だったが、気付くとセブンイレブンに変わっていた。
長年賑わった界隈の最後の時代を私は見ていたのかもしれない。
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Lilac-garden 駄菓子屋世代のストーリー より2回目 (写真はみろく公園のクリスマスローズ)