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今週の一番『銀の匙』~机の上じゃない学びと体験

2011年09月20日 | マンガ
【8月第2週:叢鋼(やしろ学)】
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【漫研】
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『銀の匙』(作・荒川弘)を『愉楽』しく読んでいます。何か事情があったのか、受験勉強に集中しながらその進学が上手く行かず、農業高校に入学する事になった、八軒勇吾くんの“新たな体験”に満ちた物語。荒川先生は、大ヒットした『鋼の錬金術師』を描き終えた後、次はどんな物語を描くが注目されていたワケですが、ファンタジーとは全く違った毛色のこの連載は意外……という事もないですかね?wある意味「さもありなん」という感じというか、「鋼の錬金術師」らしい冷静さ?のようなものを感じたりもします。
しかし、この連載、パッと見、華がないのも確かな所で、少年サンデー的にはもっと他の期待を……ほら、『3×3アイズ』が当たったら、ウチでは『ブルーシード』を描いて欲しい?みたいな?期待をしていたと思うのですが、部数が落ちているという話の少年サンデーがそんな懐の深くっていいのかいな?(何か情報集めると、そも荒川先生がサンデーに連載決めたのは、ファンタジーと別のものをやれたからみたいですね)などと下らぬ勘ぐりをしてしまったりもしました。

しかし、連載が始まってみれば、些事はふっとぶというか「面白ければ全て善し」という感じです。そう、銀の匙だけに些事!!(`・ω・´)(←)
先ほども言ったように“華”…一見で多くのファンを巻き込むモノはほとんど無く~そもそも、主人公の八軒くん自身がモチベーションを喪失していてストーリーを牽引できる状態にない。~は、あるのですが、一人一人のキャラクターの描き、と、夫々のキャラに宿っている不思議なパワーの在り方~逆に周りの登場人物はモチベーションの塊みたいな奴が多い~が素晴らしく、楽しくページをめくれるんですよね。

何よりこの物語は机の上では得られない学びと体験に満ちている。それは試験勉強に明け暮れていたであろう八軒くんの知っている“学び”とは違うものであり、ひいてはインターネットの検索で得られる“情報”とも違った、“学び”と“悦び”があって。生きた学びって言うんですかね。それがこの物語の大きなウリのようです。
この週も、うっかり轢き殺しちゃった鹿を「美味しくいただいてしまおう」という話をしているのですが『銀の匙』では、こういう動物の命の取扱いに関した出来事が多い。…いや、正確には僕の方でインパクトを持って受け止めていて『銀の匙』というと、こういうエピソードという印象を持ってしまうという事ですね。

実は「鹿を解体してみるか?」というこのエピが起こった時、もう随分昔のマンガですが、西森博之先生の『今日から俺は!!』で、主人公の相棒・伊藤くんのお母さんが、子供の教育のために豚を連れてきて、息子さん(伊藤くん)に豚の息の根を止めさせて、食べさせようとする…というエピソードがあったのを思い出したりしていました。いやぁ、あの時は相当「どん引き」したので、かなり印象に残っています(汗)「私たちが食卓でお肉を口にするとはどういう事か?」って、伊藤くんのお母さん、それは大変な正論ですけど…「豚を絞めろ」は、“日常を守られた者”たちにとって、ハードル高過ぎ…って(汗)
このエピソード自体は、ヤンキーマンガで突き詰めるようなテーマでもなく、お母さんの暴走的なギャグとして処理せざるを得なかったわけですけど、“これ”が農業高校を舞台とした『銀の匙』では、もっと地続きのリアルとして描ける所がある。


家畜の獣医さん「(獣医になる夢を叶えるために必要なものを問われ)まあ、学力・学費はもちろんだなぁ、体力もいるね。あとは私の持論だけど…

殺れるかどうか。

特に経済動物を相手にしている家畜獣医なんて、しょっちゅう命の選択を迫られるしね。獣医になる夢を持って農大に入って、その選択を迫られた時に「やっぱりだめだ」ってなる人はやはりいるよ。だからと言って獣医になるのをあきらめた人がダメって事は無い。世の中にはどういう「殺せない・殺させたくない」ってやさしい人達が頑張っているから、助かってる命がたくさんあるんだ」

(『銀の匙』』第6話より)

(↑)この獣医さんのセリフは『銀の匙』がはじまって、一番印象に残っているセリフなんですが、いい言葉です。ここで生きる事と他の生命を奪う事の話を長々とするのは控えますが、そういう動物の生命を人間が扱うという最前線だから出てくる重さを感じずにはいられません。こんないいセリフを出されてしまうと、作品としての華がどうとか、サンデーの補強がどうとか、論う気は完全に失せてしまいますねw

ひいて言うと、八軒くんは受験勉強に明け暮れていた少年なワケですが、今の世の中で「受験勉強ばかりが全てではない」なんて話は、そんな大きな意味は持たない気もしていて~勿論、作品の中にそういうメッセージは含まれるでしょうが~さっきも言ったように、情報なら、ぱっと検索で得られてしまう、そういう速い?軽い?僕たちに対して、この『物語』は経験と実感の悦びを送って来ているように感じます。
あるいは、自分の生きる世界の実感…のようなものを回復させる『物語』を描こうという時、たとえば自分を「殺らなければ殺られる」状況に追い込む物語とか、けっこうあるんですが、いや~?まず、自分の食べているものから考えてみようよ?というか「とりあえず、自分で育てた豚を殺して食ってみたら?」というか、殺被殺のドギツさは、別に非日常じゃないよ?というか……………ん~何か、話がずれて来ている気もしますね?(汗)

まず、机の上では得られない体験による実感の悦びのようなものが『銀の匙』では描かれていると思うんです。生命を取り扱う事が多いのは、たまたまというか、たまたまでも無いかもしれませんが(どっちなんだ?)農業高校が舞台だから…なんでしょう。
でも、その上で、その舞台に対して真摯とでも言うか、「タマゴかけご飯うめえええええ!」とか「鹿、バラして食ったらうめえええええ!!」という殺して得られる悦びが明るく描かれているのを僕はとても気に入っています。


銀の匙 Silver Spoon 1 (少年サンデーコミックス)
荒川 弘
小学館


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1 コメント

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Unknown (taida)
2012-03-26 00:33:00
この「殺れるかどうか」というセリフを見るとエドの「殺さない覚悟」を思い出します。
普通の漫画家の描く「殺さない」と荒川先生の描く「殺さない」では言葉の重みが違うように感じる…銀の匙を読んだ上でハガレンを読むと作品の深みが少し理解できそうです。
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