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今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。

『ドリフターズ』~“死狂い”への道

2011年11月04日 | マンガ
【死狂いの物語】



豊久「こいが薩州の刀法じゃ、一撃になんもかも込め後の事なぞ考えるな」
エルフたち「あ、あの、その一撃が外れたり、よけられたらどうすれば……」
豊久「さぱっと死せい。黄泉路の先陣じゃ。誉れじゃ」


『ドリフターズ』(作・平野耕太)が滅茶苦茶面白いですね!!ヤングキング・アワーズで連載中ですが。『ドリフターズ』は、歴史上の英傑、天才、あるいは大悪党たちが、何故か定期的に異世界に迷い込み、そこでの再起とも復讐とも言える行動に駆られる『物語』。関ヶ原の合戦で島津の“捨てまがまり”となった島津豊久は、死線の果てで“漂流者”となって、その異世界に迷い込み、死したはずの織田信長、那須与一らと合流して“国盗り”をはじめる。対するは、異世界の侵略国家であるオルテ帝国、それから黒王と呼ばれる怪物と復讐に駆られた“漂流者”たちを率いたローブの男(…男だと思うよ?)。
しかし、漂流者たちは、なとな~く日本人に偏りがあるように思います(笑)まあ、当然というか、それは日本のマンガだから…ではなく、この物語は“サムライ”を描くのがテーマだからだと思われます。サムライというか…『死狂い』と言う言い方を僕はするのですが、『葉隠』に代表される「死すことの武士道観」というか……「死にたがりの戦闘狂」を描くのが目的だからだと思います。

平野耕太先生の前作『ヘルシング』も僕は好きなんですけど、こっちの方がその何倍も好きですね。『面白い』。…何が違うのか?単純には読み易さだと思うんですが、『ヘルシング』って非常にアクの強い物語でしたよね。そして、これが重要なんですが…『ヘルシング』には“爽やか人”な人が基本的にいない。皆無。仮にいたとしてもすぐ死ぬ。(`・ω・´)
…だから、読む人を選ぶというか、その爽やかじゃなさ…いわゆる“非モテ感”に!(`・ω・´) …こう、拒絶とは言わないまでも、胸焼けというか胃腸に違和感というか、まあ、そういう不快な感覚を覚える人も、少なくなかったんじゃないかと思うんですよ?

それが『ドリフターズ』になってみると…これはどうしたことでしょう?この物語では“爽やかな人”たちが溢れているではありませんか。(`・ω・´)(←ほんとかよ!?)
…いや、島津豊久は爽やかだと思います(笑)これに沿って織田信長なんかは「いつものキャラ」ではあるんですが、豊久にひっぱられて、どこか良い人感が出ているというか、引き出されるんですよね。こういうドス黒い信長の“明るい面”が。その意味で豊久はすごくよくできた主人公と言えます。
少なくとも『ヘルシング』を読んで『ドリフターズ』を読んだ人は、テーマも内容もほとんど同じものを描いているにも関わらず、その、ある種の“空気”の変わり様に驚嘆すら覚えるのではないでしょうか。

それくらい島津豊久という主人公はよくできたキャラで、それこそ暗きを払う少年マンガのヒーローの風格すら持つのですが、では、彼は平野耕太作品の異分子かというと、まったくそんな事はない。むしろ、平野耕太作品の『ヘルシング』的なものの延長上に間違いなく居り、一つの到達点のキャラだと思うんです。
少年マンガのヒーローのような“爽やかな”主人公と言いましたが、彼は「(読者を含め)周りが引く程の戦闘狂」であり、好戦的で、死を厭わない。そして独特の殺陣哲学を説いて~独特と言っても彼の中の“常識的”な武士道という事ですが~人々に不思議な感化をもたらします。
『ヘルシング』が描かれなかったら、このキャラクターは生まれなかったと思います。それくらい地続き感があって……「ああ、そうだよねえ。戦闘狂の物語を突き詰めて行ったら“ここ”に来るよねえ」というか、自分的に、そういう納得を感じさせるものがあります。



『ヘルシング』の少佐は僕も非常に好きなキャラで、その物語のほとんど総てを持って行った、平野耕太作品を代表する名キャラクターでもあると思います。しかし、今のこの話に沿って言えば少佐は「まだ、足りない」という話ができると思ってます。
ちょっと、説明が難しいのですが…少佐はまだ「戦争(いくさ)に振り回されている」というか…あ、先に念のため言っておくと、少佐がダメなキャラという事ではなくって、狂い方の話というか……戦闘狂キャラクター論みたいな変な話なんですが(汗)

何と言えばいいか…僕の言葉で言うと少佐は“戦争中毒者”であり、豊久は“死狂い”って事なんですけどね。(※死狂いって言うと、単に「死にたがり」の事も指しますけど、ここでは葉隠武士道的なものを含みます。……葉隠って言っちゃうと変に『葉隠』の解釈論みたいな話に行ってしまう気もするので、隠語的な意味合いで『死狂い』と言っている感じですね)

“中毒者”なんです、少佐は。彼にとって“戦争”とは、興奮するものであり、悦楽であり、ハレの日であり、祭りであり、非日常であり、自分の存在理由の確認なんですよ。だから自分が「そうである」事の宣言を高らかに謳うし、だから戦争をせずにはいられない。そして彼は「だからこそ」の魅力を持っている。
しかし、豊久はそうじゃない。…ん~…なんか豊久に過度な仮託をしているような気もしてきましたが(汗)この「さぱっと」した感覚は、そういう事だと思うんですが、彼にとって“いくさ”は宿命使命であり、誇りであり、日常(日々心得るもの)であり、確認するまでもない“確”とした自分そのものなんです。

多分、僕の『読み』ですが、豊久が少佐を見たら「道理もわきまえずに、いくさん逸るのは、青か。子供じゃ。いくさあ、やる時にやって、死す時に死せばよか」…とでも言うんじゃないかなと。「掻き取るのは、たやすか」とか言っているシーンもありますね。…と言いつつ、かなりしょうもない事で、斬りかかるとも思いますが(笑)
しかし、いくさで自分の確認をする必要がないから、その分、豊久は他のものを観て気持ちを振り分ける。だから彼は「優しい」(笑)意外と視野が広い(笑)ここらへんが、彼の異質さではないかと思います。何の悪気もなく「さぱっと死せい」とか言いますけどね(笑)何か気に触ったら「根切りじゃ」とか言い出しますけどね(笑)

「平和な日常など俺には無意味だ…もっと戦いを!」とか言っているキャラクターが、一周したら馴染まないはずの世界とコミットしたと言うか……「高度に精神統合してしまった狂人は、人格者と区別がつかない」と言うか…。いや、少佐は狂人と思えるでしょうけど、豊久はもう狂人とは思えないですよね。(実際、狂人じゃなく、作中であったように「死生観が違う」だけですけが)でも、彼らは根は同じ者のはずなんですよ(作者の分身という視点的にも)。その一周感が『愉楽しく』あります。
『ヘルシング』を、少佐を描ききらなかったら、島津豊久というキャラクターは生まれて来なかったでしょう。どろっどろ、グロッグロの戦闘狂が集い狂宴する『ヘルシング』の中から、眩いばかりの、それこそヒーローと見紛うばかりの主人公が現れた。爽やかな戦闘狂、優しい気配りできる戦闘狂というのは、ちょっとした痛快事です。
まあ、それくらい『ドリフターズ』の島津豊久は魅力的で、今のこの作者にしか描けないような独特のカッコ良さを持っています。今が読み時。


ドリフターズ 1巻 (ヤングキングコミックス)
平野 耕太
少年画報社

今週の一番『BE BLUES』~龍ちゃんがリア充なのは仕方がないというか当然

2011年10月30日 | マンガ
【10月第1週:HUNTER×HUNTER No.317◆返答】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10529.html#708
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



今週の一番『BE BLUES』画とドラマの両輪が回る充実の物語

(↑)以前、書いた記事ですが、この通り、画とドラマの両輪が回る『BE BLUES』(作・田中モトユキ)が絶好調な分けですが、これに加えてヒロインたちも大体、スタートラインに並ぶ形になって来て、ますます、隙のない布陣になっています。
まあ、幼馴染の優希ちゃんが中学生になった時、「丸い丸い、顔が丸い!(`・ω・´)」としつこく言い立てている者も、一部ネット界にはいたわけですが(←お前だ)そこも一段落ついて、ラブコメ的にも楽しくなっています。
『BE BLUES』は、将来を嘱望されるサッカー少年である一条龍ちゃんが、その才能と努力で「18歳で全日本の代表入り」という自らの計画を着実にこなして行く物語……かに見えたが、龍ちゃんは事故により大怪我を負い、長いリハビリから回復はしたものの、その煌めくような身体能力は失われてしう。全日本代表になるという彼の“計画”も失われてしまったのだろうか?しかし、それでも龍ちゃんはサッカーを目指すという物語。

…というか、あれですね。今回は「アンナちゃん、可愛いねえ(=´ω`=)」という話なんですけどね。龍ちゃんと同じく、事故で足に重傷を負って歩行さえ困難になり、フィギュア・スケートの選手となる夢を諦めかけていた女の子なんですが、同じ境遇だった龍ちゃんが地道なリハビリを続けて、回復し、かつての煌めくようなプレーをまた見せてくれたり、回復しない所は、回復しないなりに、努力と工夫で障害に立ち向かって行く様が、すごく励みになっている子で、龍ちゃんの一挙手一投足に一喜一憂する、なかなか良い子なのです。
まあ、龍ちゃんが「かつて失われたもの」を持った、そこから復活し、また自らの夢を叶えるべく突き進んでいる。そういう主人公だという事を、常に思い起こさせるアンカーみたいな子と言えますね。

それで今回「(やっぱり大好き!)」とロシア語で告白しているようなんですが……いや、まあねえ、この『物語』が、序列一位ヒロインにして“幼馴染子”である優希ちゃんを揺るがせにする事はないだろうなあ…とは思うのですが、田中モトユキ先生、女の子キャラ可愛いのですけど、あんまり三角関係的な事もしないので、(『リベロ』も『鳳』も『あおい坂』も特に無かったですよね?)ちょっとこの構図は楽しみだったりします。まあ、実際は、まだあまり三角顕在化していませんが(汗)
…龍ちゃんと優希が二人揃って、こういう事に相当鈍いようですね。二人共、夢への“復帰”に懸命すぎて、そういう事に気持ちが振り分けられないという事だと思いますが。…そこは“隙”というより、ある“強固さ”に観えてしまいますが……どうなるでしょうね。

そこはそれとして優希ちゃんですが、この話の1話前でいきなり寝衣姿で龍ちゃんの部屋に乗り込んできて、ちょっとビビりました。(´・ω・`)



え?なに?さっきまでシャワー浴びてて、そこから龍ちゃんの部屋に直行しているように見えるんですけど…?

お隣さんって言っても家つながっているわけじゃないよね…?いや、毎朝玄関から龍ちゃんを出迎えていたとは思うけど、それと風呂上りにほいほい部屋に来る事は別問題に思うぞ?…どういうレイアウトでここに来てるの?などと、勝手に狼狽えたわけですが。
…まあ、落ち着いて観てみると、上着羽織っているワケで、風呂上りにつっかけ姿で隣に言って玄関から入れてもらったようですね。省略されているのでノータイムでこっちに来ているように錯覚しましたが(汗)…あ~、それなら…まあ、日常生活として普通に、あるあ……あるのか!?(`・ω・´)

…というか、龍ちゃんも、全く普通の体なんですよね(汗)という事は、わりといつも、こんな感じという事ですよね。……すごいよ。なにかいろいろすごいよ、龍ちゃん。(´・ω・`)
まあ、ともかくアンナちゃん“この間合い”の人を相手にしないといけないわけですよ。それは、ちょっとね。妄走豊かな僕でも、ちょっと突破するイメージが持ちづらいですね。アンナちゃん、かわいそうです。(´・ω・`)でも、がんばって欲しいです。


BE BLUES!~青になれ~ 2 (少年サンデーコミックス)
田中 モトユキ
小学館

『預言者ピッピ』の2巻が出てますね…。

2011年10月27日 | マンガ
【コンピュータの反乱】

預言者ピッピ(2)
地下沢 中也
イースト・プレス

預言者ピッピ (1)
地下沢 中也
イースト・プレス

『預言者ピッピ』(作・地下沢中也)の2巻が出ていますね。待っていた………ような?待っていなかったような?(´・ω・`)(←)…いや、もう何かホント、続刊は半ば以上あきらめていた『物語』なので、呆けてしまうような嬉しさです。
昔、コミック・キューという、今ひとつ、刊行時期がよくわからない(調べる大体年1くらいで出していたみたいですね)マンガ雑誌があって、その中で一番『面白い』と思っていた作品でした。この雑誌、毎回何かのテーマ(特集)に沿った読切マンガを掲載するのがウリで、『預言者ピッピ』は、確か、手塚治虫特集の時に初掲載されてたんですよね。なんで、その時は、この少年ピッピを鉄腕アトムと重ねて観ていたような所がありました。いや、僕の気のせいかもしれませんが…。

『預言者ピッピ』は、世界中の地震の発生時間を“予測”するため生み出され、世界のあらゆるデータの集積と計算をつづけるコンピュータ・ピッピの“予言”の『物語』。ピッピは、人間とのインターフェースと、おそらく人間的な五感の情報収集のために、人間の少年の姿をしています。
より正確に地震の時間を予測するために、地震以外の予測や開発をするため、ピッピは自らに課せられた入力制限の解除を求め、人間たちは一部の反対者を除いて、ピッピに全てを与え始める。そうしてピッピの予測は精緻を極め、人間に対して全知を告げる“預言者”と化して行く…と言った展開をして行きます。

一人の人間の死の予言を巡って、人間たちがピッピを神にも等しき預言者として扱いはじめる頃、ピッピは人類の終焉の予測を告げ始める………あたりから、いろいろ出来事あるのですが………まあ、そこらへんでペンが止まってしまって、今日に至りますね(汗)
でも、途中、未完とは言えとても好きなマンガです。作者の地下沢中也先生は『パパといっしょ』なんかで、コメディな、独特のキャラクターの芝居を描いて、その“空気”でぐいぐい読ませる人で、ハードなSFであるこの物語でもその威力は遺憾なく発揮されています。まあ、ほんと、この続刊は何年後になるのか、そも完結するのかどうかも分かりませんが、ぼんやりじっくり、その続きを待ちたいです。




今週の一番『囚人リク』~ホクロおじさんの謎(´・ω・`)

2011年10月24日 | マンガ
【9月第4週:アラゴ 最終話 みんなで】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10528.html#707
【漫研】
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男臭さ爆発マンガ、『囚人リク』(作・瀬口忍)を毎週楽しみにしています。ケンカというか腕っ節はからっきしの主人公・リクが、囚人たちのヒーローにして関羽か張飛か如き豪傑のレノマや、椿、を“気持ち”だけで屈服(?)させていく様はかなり痛快!!w…というかね、レノマも、椿も、もうすっかりリクの“男の子”にメロメロですよ?(´・ω・`)
『囚人リク』は隕石の落下により壊滅的な被害を受けた日本で、無実の罪に問われて極楽島刑務所へ収監された少年・栗田 陸の『物語』。とりあえず刑務所からの脱獄を目指しているようです。仲の良かった警官を殺害したと、リクを罪に陥れたのは現警視総監の鬼道院であり、彼の殺人現場をリクは目撃しています。警視総監に復讐を果たすとしたら、その距離は絶望的に遠いです。

…まあ、そこはそれとして…今回は、謎の(?)ホクロおじさんについて書き留めておきたいと思います(´・ω・`) いや、第31話の椿の過去話で“下界”と言われる…まあ、何か、ブルジョアが安穏と享楽的に暮らす外の世界に“出る”時、看守として椿の入管をしたおじさんなんですが…。その時は椿の事を「性根の座ったいい目をしているな」とか、かっこいい事言っている、いいおじさんに見えるんですよね。



しばらくすると、椿が出場する地下闘技場のイベントに、また、ホクロのおじさんが現れます。この人は、ライオンと素手で闘う(!)という非道な闘技を楽しみ「椿は何でこのファイトから闘争できないのか?クイズ」に、「妹が人質にとられているから?」とか非道に答えています。…多分、同一人物ですよね?同一人物だから、入管の際に知った椿に妹がいるという情報から答えを導き出しているはず。…入管の時とは打って変わって、随分、酷い人です。…これも人生なのでしょうか?(`・ω・´)



そうして椿が闘技場から逃走した、その4年後、椿を捕まえに来たのは……やっぱり、このホクロおじさんなんですよね。…多分、同じ人ですよね?何しろホクロの位置が同じだし。…おっさん、入管やっていたんじゃないの?まあ、入国管理…じゃなくって、これは“流通管理”というお仕事で、どうも警察が取り仕切っているようなので、おじさんが出世(?)すると刑事さんになる…のかな?
…にしても、ですね。彼が同一人物だとして、以前、椿に会っていた事とか、クイズで儲けさせてもらった事とか、このおじさん、まったく言及せずに憮然とした体で椿を捕まえるんですよね。その無関心さは、3者が非同一人物である事を疑わせる程です。…でも、同一人物でしょう?マンガの作法として、何となく、同じ位置のホクロのおっさんは、椿の人生と縁があるんだ……では、筋が通らない。…せめて、椿にも同じ位置にホクロがあれば「ああ、同じホクロ同士で引き合ってるんだね…」とか思えるけど………いや、思えないよ?何を言っているんだ僕は(´・ω・`)

…そんなワケで、同一人物なのでしょう。そうすると、この場面場面を人繋ぎにすると入管のおっさんが、椿の入管チェックをして、闘技場に足を運んだら偶然そいつで、ちょっとそれで賞品貰えたりして、それで4年後になって逃亡罪の少年を捕まえてみたら、あの時の少年じゃないか…と。
いや~なんか、数奇ですねえ?そういう事もあるかなあ~まあ、数奇ではあるんですけど。でも……数奇な事だとして「だから、なに?」と思ってしまいます。(´・ω・`)いや~?なんでしょうね?「いい目をしている」なんて、かっこいい事を言うおじさんでも、一皮むけば人間が殺される闘技場を楽しむ、不感の人間だったり?そんな事も忘れてしまう無関心の人間だったりするよ?哀しいよね?みたいな話なんでしょうか?
あるいは、リクの生い立ちにも、レノマの生い立ちにも「信じたおじさん」という人がいるのですが、この人が椿にとっての「おじさん」と言う事なんでしょうか?……謎です。何か気になってしまったので、ここに書いておきます。(´・ω・`)


囚人リク 3 (少年チャンピオン・コミックス)
瀬口 忍
秋田書店

今週の一番『めだかボックス』~球磨川の変

2011年10月18日 | マンガ
【9月第3週:AKB49 第52話 サヨナラの気持ち】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10527.html#706
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



この週、『めだかボックス』キャラクター人気投票で球磨川くんが絶対のぶっちぎりで一位でした!!
第二位 黒神めだか(主人公)992票!第一位 球磨川禊 3854票!!いや~、僕もこれまで数多の連載の人気投票見てきましたけど、ここまでの、っ超ぶっちぎりは記憶にありませんね。文字通り桁が違う…!いや、一位が1000票代後半で、二位が900票代くらいの大差はあるんですけど、トリプルスコア超えてますからねえ…。少なくとも『めだかボックス』の読者の中では、相当な人気と考える事ができると思います。
『めだかボックス』は……支持率98パーセント、完全無欠の生徒会長・黒髪めだかちゃんが「何時何時どんな相談でも受ける!」という公約の完遂に奮闘する話…かな?完璧であるが故に色々至らない所があるめだかちゃんに対して、幼なじみの善吉くんや、その他学園の仲間たちが影に日向にめだかちゃんをサポートします。

しかし、球磨川くんの魅力ってどこにあるんでしょうねえ?(´・ω・`)(←)…いや、球磨川くんって物語のフェーズごとにキャラが多少…いや、かなり変わっている所があって「どの球磨川くん」がウケてるのか?とか考えたりもするんですよね。いや、どの球磨川くんも相応に愛されているからこの得票数なんでしょうけど。
ぶっちゃけて、言うと、僕は球磨川くんの好きな面と、嫌いな面の差がけっこう激しい所があります。実は僕は『』(カッコ)付けをやめて本音を吐露した球磨川くんはあまり好きじゃない。逆に今の「必敗」の人生を愉しみながら、その実かなり美味しい所を持って行ってしまう球磨川くんは相当好きです。

今週の一番『めだかボックス』そっか。球磨川くんってカッコつけてたのかw
この括弧をはずした言葉は球磨川くんの本音で、括弧をはずした球磨川くんは本当の球磨川くん……という事に観えるんだけど、しかし、上に述べたようにその球磨川くんは、既にマイナスの球磨川くんではないのですよね。大義を持って誰かを護り助けようとする球磨川くんで(最新号では、それ故負けそうですよね)彼が“この気持ち”を抱える事になったマイナスの球磨川くんがいるはずで、その球磨川くんも間違いなく球磨川くんで、それは括弧セリフ上にも顕れている事ではないかと思うんですよね。
もう少し突っ込んだ所を言うと、気持ち悪い男である球磨川くんは、本当の球磨川くんなんだけど、自分が気持ち悪い男と気づいた時、球磨川くん格好をつけて、その気持ち悪い男を“演じる”事にしたと。括弧をつけて。だから球磨川くんが“仮面”と言う事にしてしまったモノも、やはり本当の球磨川くんで、また、演じる事を決めた本音の球磨川くんも、本当の球磨川くんと…そんな感じ?ややこしいですかね?(汗)

(↑)球磨川くんがカッコを外した時の記事で、今、読み返してみても、カッコを外す事が“予定されていた”のがショックで「…いや?カッコをつけていた球磨川くんもまた球磨川くんなんだよ?僕はそう思うな!(((`・ω・´))フルフル!」と必死な様子が見て取れます(汗)それくらい、何か、嫌だったのですよw

少女不十分 (講談社ノベルス)
碧 風羽
講談社

しかし、最近、西尾維新先生の新刊『少女不十分』を読んだのですが、ここで語られた…おそらく西尾作品に通底するテーマを、球磨川くんは「少年マンガ(ジャンプマンガ)的にちょっと形を変えて」シャウトしている事が分かります。(『少女不十分』については、また別に記事を書こうと思っています)故に、球磨川くんは、西尾作品の“代弁者”であり、ひいては『めだかボックス』の…少なくとも代表的体現者ではあるのでしょう。

また、『めだかボックス』の中で球磨川くんは共感しやすいキャラだったと言えるのでしょう。僕が嫌がっている、あの本音の吐露がけっこう効いているのでしょうね。
何だかんだ言って『めだかボックス』は“人気様”の心情を僕なりに慮るとすれば、けっこう感情移入しずらい“偏りのある者”たちで溢れかえっていると思います。そこが西尾作品の魅力なんでしょうけど、そこを“人気様”が感知してくるかどうかは分からないワケで…。
本当はそこらへん、善吉が調整するべきものだようにも思うのですけど、彼は……いや、ちょっと置いておきますか。彼についてはまた改めて語る事もありそうですwそんな展開になってますよねw

まあ、そんな中で出た球磨川くんの本音は、多くの人の共感と安心を与えるものだったのは確かでしょう。その上で、次に彼に付加された「必敗しながらサクセスする」物語は「いや、もうそれほとんど勝ちやん?わざと負けてない?」というか、ギャグというかコミックにまとめられたものではあるけれど、共感したキャラクターの在り様として痛快だったのだと思います。
…というか、球磨川くん、受賞で涙流しているけど…これが彼が一番欲しかったものかもしれないなあ。

ちなみに、今、僕が作中で一番好きなのは安心院さんです。(`・ω・´)ちなみに、彼女がなにか“変な本音”を吐露する事があったら、僕はまた嫌な顔をするんだろうなあ~って思います。(`・ω・´)


めだかボックス 11 (ジャンプコミックス)
西尾 維新
集英社

今週の一番『ハヤテのごとく!』~水蓮寺ルカってどんな娘なんだろう?

2011年10月10日 | マンガ
【9月第2週:魔法先生ネギま! 337時間目 力になりたい!】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10526.html#705
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



『ハヤテのごとく!』(作・畑健二郎)で、ナギと新キャラ・水蓮寺ルカとの同人誌対決…のような?違うような?何かが行われていました。元々はどちらもマンガの内容は“お粗末”というか「レベルたけぇ」設定だったと思うのですが、方やルカは才媛ヒナギクの助言を得て、方やナギは自らのマーケティングの才に頼り、目標とする売上部数を得ようと奮闘します。…という展開なんですが、ルカの向上や、ナギの売り方などに、様々、話題、賛否があったかと思いますが、そもそも大元の所で「なんで、この展開が在るのか?」という事にひっかかりを覚えた人も多いんじゃないかと思います。
…いや、多くは無い気もしますけど(汗)このブログに訪問される方とか、マンガを理屈っぽく読んだりする方なんかは、感じたりなかったでしょうか?……いや、いいんだ!僕は感じたの!(`・ω・´)-3 (←あ、切れた)

そもそも、この水蓮寺ルカさんって、かなり謎のキャラなんですよね。僕のキャラクターの『読み』において、どういう位置の娘で、どういうキャラの娘なのか、判然としない。予想はするんですけどね。あまり、しっくりこない。まあ、これからする話も予想の一つに過ぎないんですが…。
当初、主人公のハヤテくんと接触し、スーパーアイドルの描きと共に、けっこう鳴り物入りでその登場を宣言される。~これ重要です。基本「何かをさせるつもりのキャラ」宣言がされたようなものです~そうして、しばらく女の子と誤解されたハヤテくんと、誤解が解けるまでの絡みのエピソードが描かれる。そうして、マンガ描きという趣味においてナギと意気投合し、現在に至るワケですが…。「そういう娘がどうして出てきたのか?」よく分からない…のです。
また、畑健二郎先生は、非常にキャラクターを“記号的”に描く作家さんだと思うのですが、ルカにはその記号性を感じない所があって~キャラを記号的に描く特性である「分かりやすさ」が得られていない。※このへん要議論としても、ちょっとそのまま話をすすめます。~……結果、鳴り物入りのキャラの割に「場を持って行くパワー」を感じられないというか、インパクト低いのですよね。たとえばハヤテの対ヒロイン・天王州アテネ様とかと比べると。

にも関わらずルカは、そこに“棲む”事に相当に気を使われていたと思います。今、一番人気のヒナギクだって、けっこう無造作に置かれたように思えるんですけど、このルカさんはハヤテくんとの絡みを長回しに細かく描いいて…ハヤテのごとく・ファミリーの一員に恙無くなれるように配慮されていたように思える。しかし、にも関わらずその動作にはあまり指向性が感じられないのです。
大きく扱われる割に「ハヤテのごとく!」のグランドストーリーのキー・キャラには見えない。ハヤテくんの女の子誤解編の後は、特に前とつながりなく、ナギとの同人誌対決編と、ランダムにハヤテの日常を一部を担っているように見える。まあ、そうやって“日常”に入り込んで、時機が来たら「実は、この娘にはこんなすごい設定が!」と言って驚かすパターンがあると言えばあるんですが…本当にそんなキャラなのか?ん~どうですか?僕が何をそんなにgdgd考えているのか分からないですかね?(汗)

ただ、それでも今は彼女はナギの対キャラ(ライバルキャラ)として在るのかなあ?と考えています。ここらへん『漫研』内で色々話しあったのですが、まあ、元々、ルカは“マンガ描き”の人として出てきている事みても、ナギの対関係でこの娘が在ると観る事が妥当に思えます。
これはつまり「ナギのキャラとしての瑕疵に対して、何らかの補強をするために置かれた」と言っているのですが、実は、それも…ナギの瑕疵って何?という話になると、僕は首を傾げてしまうのですけど(汗)しかし、それでも、これまで得た情報から考えて行くと、そう考えられる。
…まあ、仮にナギが自立していない子、ハヤテに依存した子だとしましょう。~これも難しい話ですけど、ナギが自立していない/依存があると言えばそう思えるし、そうではないと言えばそうではない気がするんですよね。でも、そうだと考えて~そこから考えると、彼女がナギに無いものを持っているというか…ルカの持つ設定は、ナギとの対比(比較)のために置かれているものだと思えます。

既にアイドルとしての自己を確立していて、しかし、それでも尚、マンガ家としての確立を目指している。ナギと同じスタートラインに立っている子なのに、実は全然まるで先を行っているキャラとして設定されている。その同じスタートラインだった同人誌においても、今、また、先を行かれてしまった。そうやって、ナギを打ちのめすような、みじめにさせるような、そういうジョブを持ったキャラ…と考えると、その与えられた設定は全てその方向を向いているように見える。…なので、今は「そういう、事かなあ~?」という『読み』の元、この水蓮寺ルカさんを眺めています。
(↓)ここらへんの話は『漫研ラジオ』のハイライトで話しています。

▼USTREAM:ハイライト:『ハヤテのごとく!』の話題

あと、それに付随して…というか、こっちの方が、もっと大きな注目点なんですが、それまで『ハヤテのごとく!』(あるいは畑先生のマンガ)には“物語を進めるキャラ”がいなかったんですよね。“物語を留める”~日常を回る~連載を続ける~そういう機能を持ったキャラは居ても、進める、終わりに向かうキャラはいなかった。(`・ω・´)
…いえ!天王洲アテネは“当然”そのキャラなんですが!!彼女の事はこの物語が終わる頃に、また評したいと思いますが、彼女はハヤテの設定の開陳はしたものの、物語を進めるに足らなかった…という見方を僕はしています。比してルカは、ちょっとナギを変えた…と思うんです。(最近、見たナギはそんな変わってなかった気もするけど(汗)まあ、のび太もね、そんな変らないワケでね)それは物語を進めたと言え、またルカはその使命を果たしているのではないかと思うんです。

そうしてみると、最初に言ったルカの“記号性”の希薄さ、ハヤテのごとくにおける異質さは、その役目の機能を果たすのに貢献しているように思える。この娘が「分かりづらい」のは、“変わってゆく”事を持った白紙を持ったキャラだからで、それ故、記号的なワッペンを貼れない(貼りきれない)と。逆に日常を回るキャラは“変らない”のがその使命であり、故に「分かりやすい」、故に記号的なワッペンは貼りやすい…という事かと。
要するにルカは、回りに比してキャラが希薄に見えもして、異質で、ぎこちなさも感じるけど、逆にそれは生きて動いているキャラとも言えるって事です。いえ、記号キャラだって当然、生きて動いているのですが…その生態は節足動物と軟体動物程も違うと言えばいいですかねwまあ、ちょっと、この娘が“変な子”である事に気づいたので、ちょっと、気にしています。


ハヤテのごとく! 29 (少年サンデーコミックス)
畑 健二郎
小学館

『超弩級少女4946』~“護る”という事/セカイを護る物語

2011年10月06日 | マンガ
【ヒーローの条件】



まな「私とあのヒトを逢わせてくれた、だから私は…死んでも人類を護る」

ミコト「やっぱり、あなたは私と同じね。なぜならあなたは、マコトを殺した相手を絶対に許さない」


(『超弩級少女4946』第27話より)


『超弩級少女4946』(作・東毅)の最終巻買って来ました。いや、良かったです。とても真っ当な…“護る”という物語が描かれていたと思います。しかし、それにしても……センリくんと玖海ちゃんが…ふうん。まあ……ねえ?………いや、やっぱそこは納得いかねえ!!(`・ω・´) 玖海ちゃんは“お兄ちゃん”一筋ちゃうんかい!!?
ところで、『超弩級少女』は、身長40メートルオーバーのヒロイン・衛宮まなが、背は低いが人並み外れた正義感を持ったヒーロー・飛田マコトと出会ってしまう『物語』。超身長差ラブコメにして、人類を脅かす宇宙生物(怪獣)と戦っているお話で……クライマックスは、マコトを転生前から千年に渡って待ち続けた怪獣の統率者・日輪ミコトが登場し、彼女と人類存亡をかけた戦い(ラブコメ)に突入しています。

『超弩級少女4946』“護る”という事/ヒーローの条件
ともかく現在進行形で正義を成す国…と思われている米国は、同時に“正義の逆説”の代表格のような扱いも受けているわけで、ヒーローというものの別の角度の見え方を『受け手』に見せていると言えます。
…ここらへんの視点としては、国交省の土田さんも、かなりそんな感じな気がします。実はモンタナは「現実には正義が無かった(これまでの自分のセカイでは出会えなかった)という体験」から諦観を抱えた少女なんですが、土田さんは彼女よりはもう少し“超能力/超解決力を持たない正義の味方”というものが、どういうモノなのか知っていて、それを選んでいる人のように観えます。

(↑)以前の紹介記事でも書いたのですが『超弩級少女』は、様々な角度のヒーローというか、正義の味方というか……“護るもの”、“護ること”の意味を描いている『物語』で、これは間違った護り方ではないか……いや、「間違った」とは言いたくないんですが……ともかく、ちょっと、疑問を投げかけられる護り方(全ての護り方に疑問を投げかける事もできるんですが)、そこを全て飲み込んで「それらが描かれていること」が良かったです。
それは、長らくヒーローものが好きな…ヒーローの絶対的に正しい所も、相対的に間違ってる所も、恐ろしく自分勝手な所も、途方もなく慈しむかと思えば素晴らしく狭量だったりする所も、全部ひっくるめて、長らくヒーローものを愛してきた僕の感覚として、すごく納得の行く描きだったんですよね。
最終巻で、「自分たちだけ」助かるためにまなを殺そうとする米軍も嫌いじゃないというか……あの、艦隊司令の人を観ても「自分が」助かるためには、そんな事しないと思えるのですけど、彼らも“護るもの”があるから、そういう決断にも行き得たと言うかね。



そういう意味で、この巻は国交省の土田さんが特に良かった…というか、ここで土田さんの良さが一気に炸裂していた感じがします。彼は、マコトのように“選ばれたヒーロー”ではなく、特別な力を持たない無力な人間なのだけど、それでも自分がヒーロー~護れる者~である事を目指し、衛宮まなが兵器ではなく、ヒーローであってくれる事を願った人間だったと思うんですよ。だから、この『物語』が生まれたと言ってもいい。
どこまで努力してもセンリくんや、玖海ちゃんのように、一刀両断に正義を執行する力は手に入らないのだけど(それ故、少年マンガの主人公にはなれないのだけど!)、それ故、策略を持った悪い大人に見えるかもしれないのだけど、そういう者には、そういう者の意地がある所を見せてくれています。

それら“護る意志”の様々な交差交錯がある中、クライマックスで一つの方向に向かうのは「誰かを好きになる事を突き詰めると、結局、世界全部を好きにならざるを得ない」、「誰かを護る事を突き詰めると、結局、世界全部を守らざるを得ない」という“すごい”結論に至るからなんですよねw

そして、それは真のラブコメだと……すごいw「キミとボク」ではじまるセカイ系は、そこに至るべき…!とでも言うか、『ヴィンランド・サガ』、ヴィリバルド神父が言った「それは差別です」は、「いやぁ?人はそこから全てを愛し得るんだよ?」というか(僕は、元々、「凡てを愛せないとダメ~差別即悪~」という考え方に乗っていない人ですけど)、おとぎ話的ではあるんですけど、その在り様がキレイにまとまっていたと思います。

…ん、ちょっと、構成余りしましたけど(汗)あと、センリくんがスーパーヒーローを目指す切っ掛けになった“あの娘”ですが、真言の最期を見た“あの娘”という所も好きです。『つながって行く物語』というか。基本的には“愛”の横の拡がりを主体に描いた物語ですけど、縦の繋がりも描かれていますね。僕は、この物語ではセンリくんが一番好きで、彼の事も(妄想的に)もう少し語りたかったんですけどね~。まあ、別の機会に。


超弩級少女4946 6 (少年サンデーコミックス)
東 毅
小学館

『りびんぐでっど!』~単行本1巻発売ですが、あ、灰田さんの血色が治ってる?

2011年10月03日 | マンガ


今週の一番『りびんぐでっど!』~本格連載ですが、この灰田さんの血色の良さはどうなんでしょう?

(↑)上記記事参照。「あ!灰田さんの肌の色が治ってる!!(`・ω・´)」いや~、顔色悪くなって、ほんっと!よかった!wああ…うん、丁度よい色合いじゃないでしょうか?しかし、単行本の表紙、そんなマミった感じの表紙で大丈夫なんでしょうか?……まあ、内容見れば、この娘が真っ二つにされたり、首が落ちたるする内容なので~あくまでハートフルコメディですが!~読者にその心構えといか、前フリの役目は果たしているのかな?


りびんぐでっど! 1 (少年チャンピオン・コミックス)
さと
秋田書店

今週の一番『常在戦陣!!ムシブギョー』~勇気を持つものの描き

2011年10月02日 | マンガ
【9月第1週:HUNTER×HUNTER No.313◆一言】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10525.html#704
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



『常在戦陣!!ムシブギョー』(作・福田宏)を毎週『愉楽しみ』に読んでいるんですが…最近、休載中ですね。そろそろ戻って来る頃のはずですが…。
『ムシブギョー』は享保年間(…かな?)に江戸に跋扈しはじめた“巨大な虫”たちを退治する公儀組織“蟲奉行”に入った月島仁兵衛くんの『物語』です。すごく、気持ちの良い物語です。最近は……どうやら、既に西日本は“蟲”によって壊滅されているらしく、人類決戦の様相を醸しだしてきています。日本以外の国々は……いや、地球は今、どういう状況なんでしょうね?



この回(第33陣◆上からも下からも)ですが、巨大な地下の空洞となっている蟲の巣の虜にされた主人公の仁兵衛とヒロインのお春殿が、二人で協力し合って蟲の巣から脱出しようというエピなんですが……素晴らしいですね。どう言えば分かりやすいですね?「ああ、まだ、『未来少年コナン』って全然やれるじゃん?!」という言い方だと、どうでしょうか?

いや、当に、そこには“お春殿”を只管守る事しか考えていないコナン(仁兵衛)と、“仁兵衛”を只管信じ抜くラナ(お春殿)がいたんですよね。
にこやかに笑顔で無謀な脱出計画を語る仁兵衛に対して「素晴らしいです!ついて行きます!」とばかりに笑顔で仁兵衛に掴まり、そして仁兵衛の指示に一生懸命従って足手まといにならないように努めるお春殿。その「絶対の信頼関係」には胸が空くものがあります。
多数の巨大蟲に囲まれとても助かりそうにない。この絶体絶命のピンチに「仁兵衛様がいれば大丈夫!」と固く信じているお春殿と、「お春殿は必ず守る!(守れない事は考えない!)」とやはり固く信じる仁兵衛の二人は、天然の、バカップルなんでしょうか?……僕は、この時、二人が天然かどうか?「いや、実は二人とも不安を抱えているんだよ」と言えるかどうか?はっきり分からない、判然としない描きがすごく好きです。

二人が不安を抱えている描写なんて全く見せなくていいですね。いや、少しでも見せたらダメというわけでもないですが、しかし、その描写は微細であれば、あるほど、僕の好みです。逆に、天然のバカなのかどうか分からないより、不安を感じている所を見せた方が、より感動する人も多いと思います。
…でも、僕はそこらへん、かなり逆というか、そこは僕が想像するから画面上には出してくれるなというか、まず先に、それを出さない仁兵衛、出さないお春殿が見たいんだと思ってしまう。

たとえば、ここで仁兵衛は、けっこういつにも増して明るい振舞いをしているように見えるのですが、それは、やはりこの場で「自分がお春殿を守らなくてはならない、その為にはお春殿を不安にさせてはならない」と考えるから、という部分はあるはずです。「誰かを怯えさせる」事、そのものが既に仁兵衛の「守る意志」の負けというかね。
対してお春殿は、本当に無邪気にこの場の仁兵衛に全幅の信頼を寄せられるか…というのは分からないのですが、しかし、仁兵衛に笑顔で「どうか御安心ください。お春殿は必ずお守りしますから!」と言われたら、もうそれに応えるしか無い。そして、その信じると決めた、それを実行できるという意志の貴さがたまりません。信じるしかないと言ったって、それで信じ切れる程人間って単純ではないですからね。一応、この連載でも自称・火鉢派の僕ですが、このお春殿は惚れる!!(`・ω・´)

そして、それは彼らが画面上に“不安”の要素を全く見せない事によって、その“信じる心”の純粋性が表現されると思うんです。実を言うと、この回、仁兵衛とお春殿にそれぞれ一画ずつ、不安を感じたと“解する事”ができるシーンがあるんですが、そこらへんが限界の配分じゃないかと思います。
「仁兵衛もお春殿も本当は不安なんだけど、お互いの事を思ってそれを表に出さないようにしているんだ」という事を、マンガの作法として“誰にでも分かるように”描いてしまうと、いや、それは表に出さないようにしている不安が外に漏れちゃってるじゃん?というか、僕ら(観客)にバレちゃってるじゃん?というか、揚げ足取りみたいに思う人もいるかもしれませんが、どういう形であれ描いてしまえば、その不安は“顕現”されてしまうんですね。
僕は「この場に不安など無い!!」という彼らの強い意志にしびれているので(ああ、この話も『認識戦』なんだ)そうで無い要素を見せてほしくないんですよね。

それは『送り手』がどうしても「不安に感じている事を伝えたい」のならば、ちょっと二律背反の命題になるかと思うんですが……んんん、僕は、そこは伝わらなくっても天然と解されるなら、天然って事でいいんじゃないかと思うんですよね?それくらい、僕は「不安から立ち上がる力」よりも、「それを超えて信じ切る心境に到達した美しさ」の方が見たいという人という事なんですが。そこにこそ破邪顕正は宿るだろうと言うか。

実際には連載第一話で仁兵衛は巨大蟲を前にして一歩も動けず役目を果たせなかった事が描かれているので、天賦の才で、この「揺るがない心」を手に入れているワケではない事は明らかなのです。
それを超えて「人を守るなら笑顔で守る」という域に達している仁兵衛、そうである仁兵衛を理解し全身全霊の一身を賭して、その心に応えようとするお春殿のその描きが、ともすると、ただの天然カップルに見えてしまう、それ程の純粋さを持って描かれている、この配分配合がかなり僕好みの一回でした。……というか、この配分配合の描きをしてくれる福田宏先生だから『未来少年コナン』がやれる今日稀有の人だと評してもいるのですけどね。早く、復帰してもらいたいです。


常住戦陣!!ムシブギョー 3 (少年サンデーコミックス)
福田 宏
小学館

『HUNTER×HUNTER』~最期の軍儀

2011年09月27日 | マンガ
今週(少年ジャンプ2011年42号)の『HUNTER×HUNTER』(作・冨樫義博)、王メルエムと棋士コムギの最期の軍儀、その描きが至高でした。※以下、ネタバレ全開です。



メルエム「コムギ…余を愚弄するか…?心して答えよ。戯言にはつきあわぬぞ」

コムギ「はい。ワダす、軍儀でふざけた事ないです」

メルエム「わかった。貴様負けたらやはり死ね…!!」


この「王の問い」に、どれほどの者たちが“必死”の答えを返して来たか?ある者は狼狽え、戦慄し、萎縮し、己の生を拾うために頭を垂れ、あるいは己の不屈を示すために敵意を向ける、その「王の問い」を…相手がコムギだからと言って一切その在り様を変える事なく、「貴様負けたら、やはり死ね…!!」と言い放つ、その「王の問い」に……ただ、真っ正直に、真正面から、答えること。気持ちは軍儀に集中したまま、答えること。
最強の存在であるが故に誰にも並び立てるはずがなかった、その場所に、軍儀を通して並び立ち、対局を進める者がいること。



メルエム「黙れ!!考えさせろ!!」



おそらく人類最強であるネテロ会長に(「最強はジンじゃないか?」と予想する人もいるかもしれませんが、『HxH』は戦闘能力の高さは価値の一つに過ぎない…という描きをしているマンガなので……多分、あそこのが戦闘力地上最強を決めるバトルでいいんじゃないか………「まだ上が…!」とか言う必要がないマンガじゃないかと思ってます)読み勝ち、はるかに凌駕してみせた。その時でさえ、一拍も動作を止めなかった者が“長考”させられること。
戦闘力では誰一人足元にも及ぶ事がなかった者が、また負けるかもしれない。「黙れ!!」と声を荒げ、狼狽させる。そういう相手が目の前にいること。



コムギ「ワダすが…こんなに…幸せでいいのでしょうか?ワダすに……ワダすみたいな者に…こんなに素敵な事がいくつも起きて、いいんでしょうか…?」

己の全身全霊をかけて勝ちたい相手に、認めてもらえること。相手もまた、同じ気持ちであってくれたこと。互いに、並ぶ者のなかった、孤高にして孤独だった者たちが、今、ここで邂逅すること。その邂逅によって、既に孤高であるその場所の、はるかな先を垣間見ること。そこに昇って行けること。

この星の王である事よりも、最強である事よりも、自らの生命よりも、全てを引き換えにしても至りたかった“そこ”に至れる幸せを、この場面は見せてくれています。焦がれるような気持ちと恍惚を一息に、胸いっぱいに味わう、そんな1話でした。


HUNTER×HUNTER 29 (ジャンプコミックス)
冨樫 義博
集英社