甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

独裁を拒否する方法、暴走を止める方法

2023年03月09日 20時28分04秒 | 私たちの社会・世界

 今回のロシアによるウクライナ侵略、それは伝統的な侵略の方法でおこなわれました。露骨でズサンな方法ではあるけれど、帝国主義的な、独裁国家ではよくやる手口だったのかもしれません。

 侵略する相手のところに自国の手先を送り込み、相手の国の不安要素を広げ、いつでも侵略できるようにするのです。ウクライナ東部にどれくらいのロシア系住民が住んでいて、そこにどれくらいのロシア系の人たちが送り込まれたのか、地続きならではの不安要素でした。

 ここでも、人は国家の楯として使われていました。その楯が危険だから、という理屈はおかしい。危険であれば、母国に帰ればいいのに、楯はそこにあることに意味があって、人のくさびは抜くことができませんでした。今もそのくさびを守るために侵略国家は戦闘を続けています。相手の国の兵士のことなんか知らない。あくまでも自国の市民を守る、という理屈ですね。

 だったら、無駄な戦争はやめて、自国の民族が平和に暮らせるように交渉するのが当たり前でしたが、独裁国家はこの21世紀においても、戦争を仕掛けることが正当なのだ、とうそぶいています。ロシアの人々は、立ち上がる気力もなくて、自国から逃亡しているようです。



 たぶん、理屈にならない理屈を「捏造」して侵略するということは、また起きるんでしょう。人間社会があと何百年続くのか、私にはわかりませんけど、そんなに長く続いているのであれば、何百年経っても、独裁者は同じようによよその国を侵略するために、さも自分たちに正義があるかのような、変てこな理屈をこねるでしょう。

 人間社会において、権力者は独裁者になりたがるものなんだろうな。人々は愚かなことばかりしているし、利益に血眼だし、こちらが何かしてあげると大喜びだし、権力者にすり寄って来るし、バカばっかりと思えてくるでしょう。

 本当であれば、そんな独裁者を排除するシステムを社会としては持つべきなのです。そして、人々に自分たちの政治を、自分たちでずっとコントロールしたいという気持ちを持つ。それは大事なことだと思います。

 でも、簡単なことではありません。私だって、何度も何度も政治というものがイヤになりました。何度投票しても私たちの求めるものは実現しません。いつも、私たちと違うルールの中で「勝手に決められる」ことがどれほどたくさんあるでしょうか。



 二十年、三十年ほど前には、世界は一つになるために、国家という枠など取っ払って、自由に行き来できる世界が来るような気がしていました。グローバル社会が到来する、と素直に信じていました。

 つい何年か前です。でも、今では、やはり世界は自分たちの小さな枠にとどまり、自分の生活に追われ、人のことなんか考えてられない。そういう社会になったのだ、ということを思い知らされています。どうして世界は縮まったんだろう。不安な国家がたくさんありましたもんね。その不安国家から次から次と難民が生まれ、世界全体が不安になったような気がします。

 やはり、基本は、安定した地域が世界中に広がって、自由に行き来できる、そういうことが必要でしたけど、基本がなっていないんだから、2023年も小さくまとまるしかありません。グローバル社会なんて、夢のまた夢でした。



 一人一人はみんなバラバラになりました。そんな中でも、私たちの国は、経済は不振、自動車産業さえ危ない、政治は既得権益のある人たちの専有物となってしまい、少数意見はもみ消され、野党は政府への反対を言うだけで、自分たちも結構甘い汁を吸っているのかもしれないのです(もっと政府批判や個人攻撃ではなくて、やるべきことがある気がするんですけど……)。

 何もしない、話題だけの変てこな政党が現われたかと思ったら、そこのふざけた候補者は、何もしないのに当選してしまい(youtubeなどで名前は売れてたみたいだけど)、国民の税金を何もしないままに何千万ともらっているということでした。

 私たちは、そんな余裕がある政治を認めてしまっている。そして、どうにもできないから、「もう政治なんか知らない。興味ない」と無関心・ノータッチになるしかなくなっている。

 かくして、人々の無関心をいいことにして、既得権益のある人々は、自分たちのいいように法律を作り、お金儲けをしている。知らぬは有権者のバカどもだ、ということになっているみたいです。


 権力は、常に人々の監視によって、不正がないのかチェックしていたとしても、それでも不正をやらかしてしまうものなのです。それくらい、権力を持つ者は、甘い罠に陥りやすい。

 私たちは、「それはいかんじゃないか」と言わなきゃいけないし、「そんなのは反対だ」と意志表示しないと、好きなようにやられてしまう。

 なのに、私たちは無関心にさせられてしまっている。この流れは、よくない方向です。ダメなものはダメと言えなくなっています。


 世界では、独裁国家が営々とその権力を伸ばそうとしている。確かにその流れはあります。でも、一人の人間の時間というのは有限ですから、スターリンだって、毛沢東だって、プーチンだって、チャウシェスクだって、習近平だって、いつかはこの世からいなくなります。

 その時に、人々はどうするのか、国家は変われるのか、それは簡単に手に入れられるものではなくて、たくさんの犠牲が生まれるのかもしれない。

 できれば、人の命が奪われずに、平和に独裁者を引退させられたら、それは素晴らしいんですけど、そんなことができるんだったら、みんな世界で独裁者を倒しているでしょう。簡単にできないものなんです。


 私たちは、権力者が立とうとも、自分たちには関係ない。私は私の道を行く、だなんてうそぶいてたりするけど、本当は、自分たちの声が届き、社会に生かされ、自分たちも社会の中で何か一翼を担っている連帯感を味わいたいと思っているんです。

 その素朴な思いを、どうして実現できないのか。

 それは、みんながバラバラでいるからなんだと思います。もっと強い流れが生まれたら、権力者たちものんびりしていられなくなる。みんなで一つの声。うねりを作って行かなきゃいけない。簡単なことではないけど、みんなが自分たちの社会をどうしたいのか、意見を出し合えたらなと思うんです。

 シンプルでなきゃダメだから、とりあえず「戦争はイヤ」、当事者同士話し合いなさい。これはみんな同じ意見!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。