甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

生きて帰って来た男/小熊英二 2015 岩波

2015年09月25日 22時29分58秒 | 本と文学と人と
 8月の初めに、近鉄のナンバ構内の本屋さんで何気なく買ってしまった本でした。389ページもある、定価940円(税含まず)の本でした。慶応大学の先生で、私と同世代の方です。国会前のデモに参加したり、新聞で記事を書いていたり、いろいろ目にするチャンスのある方でしたが、この人の本を普通の本屋さんで買ったのは初めてでした。

 タイトルに惚れてしまったし、お父さんのことを書いておられるということで、この先生の書くモノは信用しているので、迷わず買いました。1ヶ月以上経過して、324ページまで読みました。あと少しで読み切ると思われますが、まあ、私としては早いほうです。本当ならもっと時間がかかるはずですが、おもしろいので、ここまでこられたという感じです。

 小熊さんのお父さんは、実家は新潟だけど、お父さん(小熊さんの祖父)が北海道で一発当てて、お祖父さん(ひいお祖父さん)は岡山出身とかで、北海道・岡山・東京と回って、戦時中は兵隊にとられて満州に行かされたそうです。

 すぐに戦争は終わったけれど、ソ連軍がやってきて、日本軍は労働力としてソ連軍に提供されることになったというのです。いわゆるシベリア抑留ですが、そんなムチャクチャな論理で無理矢理シベリアで強制労働と思想教育を受けることになったそうです。

 そこでの苦労が済んだら、数年後に帰国、戦後の混乱は経験しなかったけれど、何の生活保障もなくて、しかもビジネスチャンスは逃しているので、どのようにして生きていくのかわからない時期に死病とされた結核を患い、当時の原始的な治療で肺に有効とはいえない外科手術を受けて、片肺状態にさせられて5年の療養所生活を送らされてしまうのです。

 やっと療養所を出たら、仕事はなかったけれど、どういうわけか声を掛けてくれる人がいて、スポーツ用品の外商部のお仕事をすることになり、ここで結婚やら、東京西部の立川での日々やらが語られて、英二さんが生まれ、仕事は発展的な解消をし……という戦中戦後を生きた男の人の人生をその証言と共にたどるということをつづけてきました。



 そして、ずっと思い続けているのは、小熊さんはお父さんに何度も何度も取材して、少しずつお父さんの人生をまとめ、整理して整然とならべているけれど、ここまでくるのにたくさんの時間を要しただろうなということでした。それが、今さらながらうらやましかった。

 私は、それをするチャンスがあったと思われますが、あまり父に取材することはなくて、とうとう父はむこうの世界へ行ってしまって、ただ伯母や母から聞かせてもらうだけです。もっと父に、あれこれ聞けばよかったのに、それをしませんでした。

 それが情けないやら、悲しいやら、それで、小熊さんのこのお仕事に敬意を表したくて、すごくありがたいなあと思いながら読んでいます。たぶん最後まで同じような気分はつづくと思います。

 特にここと抜き出すことはなくて、ただただうらやましい。こうした父の人生を息子として一緒にたどれることって、父としてはうれしいですよね。うちの子は私に取材してくれないかな。……私には、語れる人生なんてないかな。あるのかな、わかりませんね。なんでもいいから、とにかく語ってあげなきゃいけないのかも。

 そんなことはあまり期待できないので、こうしてブログに書き散らして、いつかうちの子が見るときのために、どこかにまとめておけば、それでいいですか。

 ああ、自分のことを語らず亡くなっていく親たちって、たくさんいるでしょうね。私は、だれも聞いてくれないけど、あれこれチャンスがあるたびに書いておいて、いつかまとめてプリントアウトしなきゃいけませんね。まだ、早いかな。とはいえ、そんなに語るべき歴史が私にあるかどうか、それは不安ですね。

 今からでも、何か語るに足る自分というのを無理矢理、虚勢でもいいから、作って行かなくちゃいけないですね。



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