甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

おばあさんの昭和天皇

2024年05月13日 08時09分40秒 | 戦争と平和

 孫引きは絶対にいけない! あれほどゼミ担当のK先生に教えていただいたのに、あいかわらず孫引き人生です。だから、ちゃんとした道を切り開けないんだよなあ、まあ仕方ないから、土曜日の新聞(2024.5.11土曜の朝日新聞・原武史先生の連載記事からです!)から孫引きしますね。

 戦後のお召列車をとりまく雰囲気が抜き書きされています。

 どの駅でも駅員の全部が硬直した気をつけの姿勢をとっていたし、踏切りには黒山の群衆――旗を手にした村民、子供、女たちが遮断器に固く身を押し付けていた。畑の百姓は顔をあげて列車をながめ、たちまち腰低く最敬礼するのだった。〈マーク・ゲイン『ニッポン日記』井本威夫訳〉

 こんな風に昭和天皇の戦後巡行が始まったそうです。米国人記者のゲインさんはお召列車に乗ってその風景を目撃していたそうです。


 列車だけでなく、自動車を使う場合もあったそうです。

 1947年の8月15日、昭和天皇は秋田から羽越本線で酒田市の本楯まで来られたそうで、そこからおクルマに乗り換えたそうです。

 自動車は庄内平野を南下し、酒田を経て鶴岡へと向かった。その途上、現在の東田川郡三川町に詩人、茨木のり子の祖母、大瀧光代の家があった。同日、のり子はたまたま祖母の家に滞在していて、祖母と一緒にあぜ道に並び、自動車が来るのを待った。

 茨木のり子さんのおばあさんが山形の方だなんて、知りませんでした。てっきり愛知県の人だと思ってたら、そうじゃなかったみたい。いよいよ天皇様が来ますよ。どうなるんだろう。

 「真夏の草いきれのなかを、帽子をあみだにかぶったMPがガムを噛みながら、大股ひらいてスクーターを走らせ、その先導の後にジープに乗った天皇が、手の届きそうな近さをゆるゆると走り去った。天皇はジープの中で、このときとばかりはきわめて人間ふうに熟睡していたのである」〈『茨木のり子集 言の葉2』〉


 ああ、天皇様、うたた寝されてたんですね。それをのり子さんは見たそうです。そりゃ、もちろん、人間ですから、寝てしまう時だってありますもんね。

 新聞の原武史さんは、
 天皇が乗った自動車はメルセデス・ベンツのはずだったが、のり子はジープだと思った。それは自動車が尊大に振る舞う米兵のスクーターに先導されていたからだろう。
と書いておられます。まるで、米軍に拉致されているように見えたのかもしれません。

 このあと、おばあさんは何だか不機嫌になったそうです。列車を熱狂的に見送るパターンではなくて、米兵に連れ去られる天皇みたいな姿があったからでしようか。

 ああ、のり子さんのおばあさん、素直に見送りたかったのに、そんな風になってしまった天皇さま、大変でしたね。無理して回ってたんでしょうね。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。