吉城園の秋 2012-11-29 | 写真 吉城園は奈良公園の一角にあり、万葉集にも詠まれた吉城川に隣接する庭園である(奈良県有形文化財) 庭園は自然の地形を巧みに取入れ建物と一体となった主庭と杉苔を中心とした離れ茶屋の閑静な庭園からなる。 所在地 奈良市登大路町60-1番地
江戸時代の面影を残す寺内町今井 2012-11-26 | 名所 称念寺を中心とした寺内町今井は、完全な城塞都市で江戸時代初期には、東西600メートル、南北310メートル、周囲には環濠土居を築いた戸数1100軒、人口約4000数百人を擁する財力豊かな町であったと考えられる。 内部の道路で見通しのきくものはなく、ほとんどが一度屈折させてある。これは、敵の侵入に備えて、その遠見、見通し、弓矢・鉄砲の射通しを不可能にしたものであった。 これらは当初、軍事目的のためにつくられたものであるが、江戸時代中頃は富裕な商人の生命、財産等を外部から守るというものに変貌した。 9つの門からは木橋を通って濠を渡り、外部の道路に続いている。 所在地 奈良県橿原市今井町
天空の城(竹田城) 2012-11-23 | 名所 竹田城は、天守台をほぼ中央に置き、本丸以下、二の丸・三の丸・南二の丸が梯郭式に配され、大手口を防御する枡形部に沿う北千畳郭と搦手口のある南千畳を双翼とし、さらに天守台の北西部には花屋敷と称する一郭がある。 規模は南北約400メートル、東西約100メートルである。 所在地 兵庫県朝来市和田山町竹田213
女川町は今 2012-11-22 | 写真 震災・津波等による被害者数は、死者597名、行方不明者277名、住宅・建物被害3271件(復興庁データ) 女川町では住宅再建支援事業などの復興計画が進んでいる。
西郷頼母邸(武家屋敷) 2012-11-19 | 日記 会津藩松平家譜代の家臣で、代々家老職を務めた千七百石取りの家柄だった。 江戸時代中期の和様建築の粋を集めた豪華かつ壮大な屋敷は、敷地2400坪を誇り38室もの部屋を擁していた。 四脚門や式台玄関、冠振りぐじに九曜の紋章を付けた鬼瓦などは格式高い西郷家ゆえに許された特権であった。 所在地 福島県会津若松市東山町大字石山字院内1番地
金沢ぶらり旅 2012-11-16 | 旅行 金沢城跡 兼六園 犀川 にしの茶屋 長町武家屋敷跡 浅野川 ひがしの茶屋 前田利家像 加賀といえば1488年「長享の一揆」があり、一世紀にわたり藩主のいない「加賀は百姓の持ちたる国」であった。
藤田記念庭園 2012-11-08 | 写真 弘前市出身の藤田謙一(実業家・貴族院議員)が東京から庭師を招いて造らせた景趣の庭園 総面積は6600坪で高さ13メートルの崖地をはさんで高台部と低地部からなっており、高台部は岩木山を眺望する借景式庭園で洋館、和館が建ち、低地部は池泉回遊式となっている 【洋館】(国指定登録有形文化財) 【水琴窟】 所在地 青森県弘前市大字上白銀町8-1
恐山 2012-11-05 | 旅行 恐山は、下北半島の中央部に位置する外輪山であり、高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場の一つである。 下北地方では「人は死ねば(魂は)お山(恐山)さ行ぐ」と言い伝えられているという。 恐山自体が火山であり境内には温泉が湧いている。
久能山東照宮 2012-11-03 | 写真 晩年を駿府で過ごした徳川家康が1616年に死去した後、遺命によってこの地に埋葬された。 明治時代以降では50年に一度、社殿を始めとした諸建造物の漆塗り替えが行われており、近年では2006年に社殿の塗り替えが行われた。(写真は2011年撮影) 2010年に、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定された。 久能山(標高216)は、もともと日本平と共に海底の隆起によって形成されたもので長い年月の間に浸食作用などのために硬い部分のみが残り現在のように孤立した山となった。
きなりの郷(下北山) 2012-11-01 | 日記 きなりの湯 下北山村、きなりの郷内の奥にある温泉、とてもよい湯だった。上北山にも何軒か温泉があるが泉質がかなり違う。 大台ヶ原に近づくほど紅葉はあざやかになる。 所在地 奈良県吉野郡下北山村池原1026