楊貴妃伝説 2012-09-30 | 名所 楊貴妃は、戦乱を逃れ日本海を渡って唐の国より山口県油谷の里に辿り着いたと云えられている。 玄宗皇帝の愛妃・楊貴妃の歴史ロマンにちなんで「楊貴妃の里」が作られ、大理石の楊貴妃像が真西(西安方向)に向かって立っている。 所在地 山口県長門市油谷向津具下津
-明るい方へ- 2012-09-25 | 写真 金子みずゞ生誕100年を記念して生家跡に造られた金子みずゞ記念館 復元された「みずゞの部屋」 明るい方へ、 明るい方へ。 一つの葉でも、 陽の洩るとこへ。 藪かげの草は。 明るい方へ 明るい方へ。 翅は焦げよと 灯のあるとこへ。 夜飛ぶ虫は。 明るい方へ 明るい方へ。 一分もひろく 日の射すとこへ。 都会に住む子等は。 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれ、、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったと伝えられている。 童謡を書き始めたのは、20歳の頃からで、「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛される。 みずゞの生涯は決して明るいものではなく、23歳で結婚するが文学に理解のない夫から詩作を禁じられ、さらには病気、離婚と苦しみが続き26歳という若さでこの世を去ることになる。 所在地 山口県長門市仙崎1308
津和野物語(其の参) 2012-09-22 | 名所 多胡家老門 津和野町郷土館 喜多屋(石州和紙) アンティックドール美術館 軍医として、そして文学者として ・ ・ ・ 第1展示室は、上京するところから始まり、生涯を閉じるまでを映像や著作、遺品、直筆原稿などで紹介している。小憩ホールからは三本松城の石垣を眺望できる。 森鴎外旧宅(国指定文化財) 森鴎外(本名森林太郎)は文久二年(1862)一月十九日この家に生まれ、明治五年(1872)十歳で上京するまでこの家で過ごした。 この建物は嘉永六年(1854)に発生した火災の後に建てられたと伝えられる、 この他、西周旧宅、嘉楽園(物見櫓・馬場先櫓)など散策したが津和野は急ぎ旅ではなく2~3日滞在すれば、また見る目も変わるだろう。
津和野物語(其の弐) 2012-09-20 | 名所 「藩政時代の面影を残す城下町」「山陰の小京都」といわれる津和野 本町通りから殿町通りへ 掘割、白壁、石州瓦 津和野は江戸時代津和野藩の城下町として栄えたまち 養老館(津和野藩校)島根県指定史跡 郷愁に満ちた山陰の小京都を満喫する津和野
津和野物語 (其の壱) 2012-09-18 | 名所 津和野城跡出丸跡から津和野大橋方面を望む。 津和野城は鎌倉時代に吉見頼行公が30年かけて築城したもので三本松城とも呼ばれる。 出丸は、1600年津和野に入城した坂崎出羽守直盛が津和野城改築の折に築いたもので別名「織部丸」ともいわれる。 出丸は門を入ると右に番所があり石垣に沿って堀が巡らされていた。 昔の侍は偉かった、この山城歩いて登城した。 出丸門から本丸門まで約250メートル、約10分、「殿 残念じゃ 雨が降ってきたので 帰るゎ」
月見台 2012-09-14 | 名所 旧月見台(須磨離宮公園) この地を月見台と称するのは旧・武庫離宮建造の際、かねてより須磨の名勝とされていた在原行平ゆかりの「月見の松」付近に石灯篭や傘形四阿舎「傘亭」を建てたことによるとある。 四阿舎の屋根は六角形の竹穂葺きで作られていたが太平洋戦争の空襲で焼け落ち立木に似せた青銅鋳物の支柱のみが残っていた。 古来、月見の名所は静かな水面に月が映える眺望の良い場所が選ばれ、この地も「遠く波間に淡路島を望む庭内第一の景勝地」と記録されていると案内される。