弓道修行日記

このブログに、弓道修行する中で、学んだこと、考えたこと、試行したこと等を書き残し弓道修行の友とする。

尖閣映像公開とハル・ノートの教訓ー真実の情報公開は大切であるー真珠湾攻撃の主犯はルーズベルト

2010-11-24 | 意見発表
尖閣映像公開とハル・ノートの教訓ー真実の情報公開は大切であるー真珠湾攻撃の主犯はルーズベルトです。

東大の先生が尖閣ビデオを公開すべきと言う、主張をされ、その重要性を大東亜戦争の開戦発端となったハル・ノート、それは国民に、世界に公開しておくべきだったのだという主張、確かにそう思います。


【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 尖閣映像とハル・ノートの教訓2010.11.24 03:04産経ニュース

「 沖縄の尖閣諸島沖で発生し、日本側の完敗を以(もっ)て終つた中国漁船衝突事件について、論評・提言の類は殆(ほとん)ど出尽くし、今は敗北といふ結末の事後処理の段階に入つている様に見える。処理の焦点の一つは、中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突してきた現場のビデオ映像が11月上旬、巷間に流出した出来事の意味と、その責任問題である。

 この新事態のために、事件の最大の論点である、中国の国家意志を体して行動した疑いの濃い漁船(むしろ工作船か)による我が国の主権侵害という大問題が、作為的に影を薄められ、ないしは問題のすり替へが生じている。これははなはだ危うい事である

 この事件の処理をめぐつて、筆者は当初から、あのビデオは政府の方こそが進んで国民に向けて公開すべきだつたとの強い意見を抱いていたので、以下、その根拠について書く。

 ≪ビデオ非公開で69年前を想起≫

 9月8日に石垣海上保安部が逮捕した中国人船長を、那覇地検が24日になつて外交的配慮(といふ越権行為)を以て釈放し、仙谷由人官房長官がこの処置を政府として了承すると言明した時点で、そのビデオは船長の裁判に提出さるべき証拠資料としての意味を失い、従つて機密性も失つたと見みなされる。 そうである以上、政府は国益の見地を第一に重視し、ビデオに映つた全場面の公開を決断して事件の真相を国民に知らしめるべきだつたその上で更(さら)に、自然の経過として同じ映像が国際社会の広く知る所となり、事件の責任の所在については国際社会がその判断を下す、といふ方向に事態を持つてゆくべきであつた。この方策は今からでも遅くはない。やればできる事である。
 この方式による外交的解決を我々に示唆しているのは、我々が残念ながら生かすことなくして終つた或る歴史の教訓である。

 今から69年前(1941(年昭和16年))の同じ11月、我が政府は野村吉三郎、来栖三郎という2人の大使を米国に派遣し、泥沼に陥つている日支事変解決のための日米交渉に当たらせていた。交渉は4月半ばに始まり、7箇月を経過しながら妥結の曙光(しょこう)は見えて来なかつた。戦争回避を至上命令としての日本側の度重ねての譲歩的妥協案に対し、米国側は日本国の苦しい内情を完全に読み抜いての上で、時間稼ぎの冷たいあしらいを続けていた。そして11月26日、その傲岸(ごうがん)酷薄によつて史上に悪名高いハル・ノートを突きつけてきた。

 ≪実質、宣戦布告の外交文書

 これは、国務長官ハルの名を帯びてはいるが、実は米国務省に喰ひ込んでいたソ連の情報工作員が起草したという事実が後年、暴露されたことで、二重に有名になつた外交文書であるこの文書の怪奇な性格についての穿鑿(せんさく)は今はおくが、その文面を見れば、これは明らかに交渉打ち切りの最後通牒(つうちょう)であり、事実上の宣戦布告だつた。戦争を以ての脅迫を含んでいない、外交交渉上の要求という外見を有しているだけに、一層、狡猾(こうかつ)悪質な挑戦状だつた。
 この文書を受け取つた、時の外務大臣、東郷茂徳は、回想記『時代の一面』の中で、その時受けた衝撃を〈自分は目も暗むばかりの失望に撃たれた〉と、以下綿々と断腸の思ひをつづっており、これは読む者をして深甚の同情を覚えさせる悲痛な感慨の吐露である。

 筆者もまた、外相としての東郷の開戦前夜及び終戦工作での尽瘁(じんすい)と苦衷に対する敬意、そして戦後の悲運への深い同情を持ち続けている者であるが、それでもなお、彼のこの時の政治判断に一抹の不審と遺憾の念を禁じ得ない。

 ≪公表せず米開戦意志を隠蔽≫

 東郷は、ハル・ノートが既に戦争を意味する事を明白に認識したにもかかわらず、〈交渉は御前会議で正式に決定するまでは外務省側で打ち切ることはできないので、出先に対しても交渉決裂の印象を与えぬようにとの注意を与へた〉と書いて、その章を締めくくっている。是によつてみれば、東郷はハル・ノートの内容を国民に向けて公表するといつた発想を全く有していなかつた。その内的動機は敢へて臆測しないが、これで結果として、米国の断乎たる開戦意志の恐ろしさを国民の眼から隠蔽することになつてしまつた。
 もしこの時、外務省がハル・ノートのせめて摘要(てきよう)でも国民に公表していたら、国民の激昂は収拾・鎮静の限度を超えていたかもしれないが、しかし、当時の日本は輿論(よろん)のみで開戦の時期を早める様な政治形態にあつたわけではない。
 より重要な事として、国民が知り得た日米交渉決裂の真相は外国の通信網経由で海外に溢(あふ)れ出、広く国際社会の知る所となり、日米戦争は実は、真珠湾の奇襲を以て始まつたのではない、ハル・ノートの挑発こそが日米開戦の号砲だつたのだ、との認識を世界に広め得たであろう。その結果として、大東亜戦争の原因は全て日本の侵略的意図にあるといつた世界の誤認を予防する効果は十分にあつたはずである。(こぼり けいいちろう)」

では、どうしてハリ・ノートという挑発が出されたのでしょうか、そこを追求する必要があると思います。「実は米国務省に喰ひ込んでいたソ連の情報工作員が起草した」と書かれていますように、ソ連の工作員はルーズベルトを洗脳したのです。そして一言で言えば金儲けのために、ドイツを戦争に持ち込みたかったのです。ドイツは戦争をしたくなかったの応じなかった。そこで同盟国日本を先ず戦争に持ち込もうとした、それが日米交渉でアメリカの要求は譲歩しても譲歩してもなお譲歩を迫り、どうしても日本を戦争に巻き込みたい、最後にルーズベルトは日本がどうしても譲歩できない案、ハル・ノートを出したのです。
これを出した夕食の席で、ルーズベルトは明日戦争が起きると明言したと言うことです。日本人はこのことを知り、植え込まれている自虐史観を取り払う必要があると思います。
ルーズベルトは真珠湾攻撃が大きくなることを願っていました。航空母艦は全部よそに対比させ、真珠湾にいる戦艦は一種の生け贄だったのです。
真珠湾で戦死されたアメリカ兵はルーズベルトの殺されたのです。
真珠湾攻撃の主犯はルーズベルトです。


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