森の空想ブログ

綾神楽復元の取り組み<1>練習風景 森があって神楽があったーⅢ 「第22回綾照葉樹林文化シンポジウム」 


*写真は第21回「綾照葉樹林文化シンポジウム」にて。

照葉樹林文化の町・綾町に一曲だけ伝えられていた「綾神楽」に出会ったのは、四年前。第19回「綾照葉樹林文化シンポジウム」に講師として招かれ、「森と神楽」について講演したときのことだ。この日、私は前日から徹夜で椎葉・嶽之枝尾神楽を見て一睡もせずに山を下り、会場へと駆けつけ、「森の神・荒神」について語ったのである。たぶん、私は山と森の精霊神の「ことば」を語ったものであろう。参加者からは、熱烈かつ親しみをこめた共感の意思表示をいただいた。
その夜の懇親会に先立ち、「綾神楽」が披露されるまで、私はその存在さえも知らなかった。そして、夕闇迫る川辺で舞われた一曲の神楽は、まるで飛鳥のような鮮やかさで私たちの眼を奪ったのである。この日から、「綾神楽全曲復元」への活動が始まった。
続く第20回、第21回のシンポジウムで、私は綾神楽の歴史、地理的背景、古資料、復元のためのテキストなどについて提言した。その経緯は、そのつどこのブログに連載してきた。
今年はその理論的構築を元に、復元の一歩を踏み出す時である。
綾神楽を伝えてきた神職の皆さんとも協議を重ね、現存する一曲をもとに、「綾の文化活動」「研究活動」としての神楽復元についての了解もいただいた。

以下、今年の取り組みの記録。綾神楽復元の一歩が踏み出されたのである。



綾の照葉樹林文化を提唱してきた故・郷田實前町長の自宅に仲間たちが集まった。郷田前町長の長女で「綾照葉樹林文化シンポジウム」の牽引者・郷田美紀子さん一家の心づくしのもてなし。



まずは、「綾神楽」の分解から開始。*これについては19日のシンポジウムで報告予定。
御神屋の設営・足の運び・所作・舞り振り・採り物の意味などを図面化し、「言葉」に置き換えてゆく。古来、「口伝」「秘伝」として伝えられてきた神楽をこのような形で図像化することで、参加者全員が情報を共有し、後に続くものたちに伝えてゆくことができるという発想である。
ビデオカメラで詳細に記録し、スマホでその場から発信できる現代において、手間隙のかかる作業だが、参加者必須の仕事として科しておきたいと思う。



練習開始。
現存する一曲は、宮崎の神楽では「清山」「一番舞」「奉仕者舞」「奉賛舞」「初三舞」などと呼ばれる神迎えの舞である。綾神楽では「清山」と表現しておこう。
御神屋を祓い清め、八百万の神々の降臨を請う。
二曲目は「花の舞」。少年または女性の舞い人が清浄に舞う。御神屋を清めて結界を画定する舞。
三曲目が「地割」。劔の霊力で地霊を鎮め、神楽が舞われる御神屋を踏み固める。
この三曲が「式三番」であり、神楽の基本形である。
今年は、「花の舞」の習得に絞り込んで練習を開始。二人の女性が参加してくれた。



「礼」。
神楽は礼から始まる。この礼の作法は、魏志倭人伝に記される「大人の敬う所に見(あ)うときは、但(た)だ手を搏ちて以って跪拝に当(あ)つ 」という古式の礼法に適うものである。



正面に進み「採り物=御幣と鈴」を採り、いざ、開始。



舞う。
神楽の基本運動は「舞い=旋回」である。「踊り=跳躍」とは根本的に異なることに留意。
「神楽ステップ」というべき「舞の所作=足の運び」が身につくと、舞い姿が美しくなる。



「反閉(へんばい)」。大地を踏み固め、地の霊を鎮める儀礼。舞い進むごとに繰り返される。





「花の舞」の中段では、盆を手に舞う。盆には榊と米が乗せられている。榊は山霊の象徴。米は稲魂であり豊作祈願の意が込められている。印を切り、榊を後方に投げる所作が入る。今回は男性の舞人がつとめることにした。



鈴と扇を採って舞い納め。

これで「花の舞」一曲の姿が立ち上がってきた。細部の詰めが残るが、これからは練習を重ねながら仕上げてゆくこととなる。

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