森の空想ブログ

神楽セリ歌採集の旅から(1) 高千穂・秋元

神楽セリ歌採集の旅から
(1)
高須千穂・秋元


写真/高千穂・秋元風景

神楽セリ歌とは、夜神楽が舞われる御神屋の両端に陣取った観客の間で歌われる「掛け合い歌」である。
神楽の音楽には、太鼓・笛・摺り鉦などによる「神楽囃子」、神を招き神楽の由縁や神意等を語る「唱教」と「問答」、賀詞(神歌)を歌いながら舞う「神楽歌」、観客がはやし立てるこの「セリ歌」がある。神楽囃子、唱教・問答、神楽歌が舞人(=祝子・奉仕者・社人などと呼ばれる神楽の遂行者)によって奏されるのに対し、セリ歌は観客の音楽であり民衆歌である。
このセリ歌は、神楽の主祭神が降臨した後、夜半を過ぎ、神楽が佳境に入る頃、高く、美しい声で歌われる。御神屋の向こうとこちらから、セリ歌が響くと、神楽の場が一気に華やぎ、一層、賑わいを増すのである。
古くは、男組と女組に分かれ、掛け合いで歌われたという。
アジアに広く分布する「歌垣」の名残をとどめるこのセリ歌も近年は歌われる機会が少なくなり、消滅が危惧されている。
ミュージシャンであり、全国の神楽を取材している神楽研究家でもある三上敏視氏からの、
「今のうちに採集しておきたい」
という申し出を好機とし、高千穂・椎葉・諸塚・米良と巡る取材の旅に案内人として同行することとした。毎年、神楽に通い、交流を深めている地域の方々に三上さんが連絡をとり、私からも協力をお願いした。

九州の西方を北上中の台風が、東シナ海の真ん中あたりで急に進路を東に変え、北部九州を横断する進路を取った。夜半には天草・有明方面に上陸し、一気に速度を上げて四国へと抜けるという予報だったが、生温かい風が、ゆるく吹き、霧雨のような細かい雨が断続的に降るだけだった。その細雨にけぶる闇に描き出された影絵のように、一人、二人と神楽の伝承者たちが集まって来た。
秋元地区は、高千穂盆地の西方、諸塚山麓に位置する静かな集落である。高千穂神楽の古風を伝えるといわれる秋元神楽を伝える。清澄な音楽と神楽歌。厳粛に降臨する神々。神楽宿に集う人々。神楽が後半にさしかかるころ、村の女性たちによってセリ歌が歌われ、古老がそれに和す。神楽終盤になると、女性たちが肩を組み円陣を作ってセリ歌を歌いながらはやし立てる。秋元神楽には、消えかけているセリ歌が古い形を保ちながら残されているのである。
この夜は、秋元集落の東方の高台にある農家民泊「蔵守(くらもり)」にお世話になった。亭主は飯干金光氏。豪放快活でありながら繊細な気配りも忘れない金光さんは、村の内外の人たちから慕われ、今年から秋元神楽の保存会長を務めることになった。蔵守には牛小屋を改装した「ギャラリーくらんでら(蔵之平)」も隣接している。このギャラリーの開設時には、「秋元エコミュージアム」のアートディレクターとして私も手伝いをさせていただいた。今宵は、その秋元エコミュージアムの主宰者・飯干敦志さんも参加してくださり、囲炉裏を囲んだ。
酒がうまい。


写真左/農家民泊「蔵守」
写真右/ギャラリー「くらんでら」

 今宵さー 夜神楽を せろとてきたが サイナー
 せらにゃそこのけ わしがせる ノンノコサイサイ

高千穂の神楽セリ歌は「のんのこ節」と呼ばれ、高千穂地方全域とその周辺部に分布する。
秋元のセリ歌の名手・飯干貴美子さんが歌ってくださり、金光さんが空き箱を利用した即席の太鼓で拍子をとり、それに皆が和した。

 神楽太鼓と 水唐臼は サイナー 
 いつもドンドコなるばかり ノンノコサイサイ

 神楽せるより 川せきなされ サイナー
 川にゃ思いの 鯉(恋)がすむ ノンノコサイサイ

 粋な誰かさんの 神楽舞う姿 サイナー
 枕屏風に 描かれたい ノンノコサイサイ

 枕屏風に絵を描くよりも サイナー 
 枕並べて寝てみたい ノンノコサイサイ

 今宵サ ヨバイどんは棚から落ちて サイナー
 猫の真似して ニャァと鳴く ノンノコサイサイ

昔、神楽といえば一年に一度の「村のまつり」であり、数少ない男女の接触機会でもあった。それを楽しみに遠く山を越えてくる客も多かったという。また、村の中でも、この夜かぎりは無礼講。許されぬ恋の成就の日であり、女の家に忍び込む「よばい」の夜でもあった。そしてこの夜に授かった子は「神楽子=神の子」として村で大切に育てられたという。他所からの血の導入を喜ぶ「貴種願望」に裏打ちされた風習は、他の地域と断絶した山深い村の血族間の結婚による「血の濃度」の忌避、家同士の格差や身分制度などによる恋愛の限界などから開放される唯一の機会であった。そしてその夜は、多くの出会いと別れの物語が生まれる、切ない一夜でもあった。


写真/ギャラリーくらんでらの囲炉裏を囲んで

神楽の舞人(高千穂では奉仕者殿=ほしゃどん。他の地域では祝子=怜人=社人などと呼ばれる)は、村の女性たちの憧れの的でであった。またほしゃどんに選ばれた若者も、恋人や意中の人に晴れ姿を見てもらうために、師匠のもとに通い、稽古を重ねた。そして神楽本番の夜。鍛えた舞い姿を見てもらうはずの女の子の姿が客席に見えぬ。なんと、その娘は、他の男とともにすでに藪に消えていたのである。男は、先ほどまで掛け合いでセリ歌を歌っていたライバルであった。
古くは、神楽は家の長男が後継者であり、神楽を伝承する家も決まっていた。神楽の伝承者になれない次男・三男や一般の家の男どもは、裏方として祭りを支えることとセリ歌を歌うことで、神楽の参加を許されたのである。練達の裏方仕事をこなし、美しい歌声を響かせることも、異性に対するアピールであった。
よばいの失敗談や隠れ忍んだ藁小積の中の暖かさ、月夜の森の明るさと静けさなど、囲炉裏の周りは艶っぽい話で盛り上がり、貴美子さんの歌声が一層響いた。このころ、台風は、温帯低気圧に変わり、高千穂の上空を通過した模様であった。

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