森の空想ブログ

名月の下、神楽の音楽と現代音楽が響き合った 日本のルーツ音楽発見の旅 

昨日もお知らせしましたが、本日、宮崎市橘通りのバー「ぱーく」にて「MIYAZAKI神楽座」主催の「三上敏視の神楽ビデオジョッキー」(詳細は昨日までのブログで紹介)が開催されます。皆さん、お誘い合わせ、お出かけ下さい。
それに先立って開催された「MIKABOX/FUULMOONコンサートIN平塚川添遺跡」の模様をレポートします。三上さんの活動を俯瞰的に理解してもらうことが目的ですが、このコンサートでの感動をいち早く皆さんにお伝えし、今宵の神楽ビデオジョッキーへとお誘いしたいという意図もあります。すなわちこの企画は、筑後川に沿った古代遺跡の上でのコンサート、そして黒潮の潮音を聞く日向市のバーから霧島山系を望む都城の瀟洒なレストランへ、最後はオドのタチバナのアワキハラの地名にちなむ(かどうかはわからぬが、宮崎市内には小戸神社、阿波岐原、橘通りという古代神話に由縁する地名が存在する)、宮崎市橘通りの地下バーでの一夜へと連続した企画なのです。なにやら、古代の響きが聞こえてくるようではありませんか。

     ☆☆☆

名月の下、神楽の音楽と現代音楽が響き合った 日本のルーツ音楽発見の旅 MIKABOX/FUULMOONコンサートより



筑後平野夕景。写真右下は平塚川添遺跡。この遺跡は、壱岐原の辻遺跡、福岡市板付遺跡、佐賀県吉野ヶ里遺跡などと連環する北部九州の弥生時代を代表する遺跡で、筑後川と小石原川に挟まれた大規模な扇状地を利用した天然の環濠を巡らせた集落遺跡である。復元された建物群は、筑後平野の風景に溶け込み、この地域一帯が古代と現代がタイムスリップしたような空間となっている。


リハーサル風景


篝火が焚かれ、雲間から月が出た


満席の客 演奏が始まった



まずは、ボーカルに高遠彩子、コントラバスに飯田雅春を迎えた「MIXABOX」のナンバーから。オリジナル曲にジャズナンバーや子守唄を思わせる静かな曲などが織り込まれ、客を、三上ワールドへといざなう。

高遠彩子(たかとおあやこ)は横浜生まれ。幼少のころから歌唱の才能を発揮していたが1999年、細野晴臣に見いだされ、ボーカリストとしての活動を開始。「還太平洋モンゴロイドユニット」に参加後は海外のジャズフェスティバルに数多く参加し、山下洋輔、Giullietta Machineとのコラボレーション等、ジャンルを問わない自由なスタイルのアーティストとして活動中。4オクターブに達するというその高い声は、人声というよりも、鳥の声または笛の音のようで、これこそ神を呼ぶシャーマンの歌声を思わせる。
飯田雅春は、大阪生まれ。ジャズ、タンゴ、ブラジリアン、クラシック、民俗音楽、現代音楽等多彩な音楽表現をもつクリエーター。現在は東京に拠点を置き、多くの音楽家とも競演。飯田が奏でるコントラバスの響きは、地霊を呼び覚ます通奏低音のようにその場の気配や音と響き合いながら、流れ続ける。




ステージ後半は、背景に設えられた大型のスクリーンに神楽の場面が映し出され、三上さんの「神歌」シリーズが始まる。神楽の「神歌」とは、「神楽歌」「唱教」「問答」など種々あるが、いずれも神を招き、神と交信し、宇宙の真理と人界の交わり、神代の物語と土地神の神秘などを語るものである。

三上敏視は、愛知県生まれ。現在は札幌と東京に拠点を持ち活動中。1980年、札幌で元はちみつぱいの和田博巳を中心に結成されたバンドに参加、その後1995年に細野晴臣の「還太平洋モンゴロイドユニット」に参加、伊勢市猿田彦神社で開催された「猿田彦大神フォーラム」の「おひらきまつり」等に出演したことを機縁に全国の神楽取材を開始。日本の音楽、芸能のルーツとしてのその奥行きの深さに衝撃を受け、取材を続ける。この間「別冊太陽」(平凡社)で「お神楽」を出版。2004年から高遠彩子をボーカリストに迎えて「MIKABOX」を結成。酒場などで「神楽ビデオジョッキー」を企画したり、各地で演奏活動を展開。2009年には「神楽と出会う本」(アルテスパブリッシング)を出版するなど精力的な活動を続けている。

筆者(高見)は、猿田彦大神フォーラムその他でご一緒する機会が多く、その間の三上さんの活動を目撃してきた。もちろん、宮崎の神楽伝承地を訪ね、一晩中、一緒に神楽を見続けたこともある。
その膨大な取材データの中から各地の神楽の場面を映像として再構成し、巨大スクリーンに映しながら演奏をするというスタイルは三上さんの独創であり、説得力を持つ。多様な魅力と情報量を有する神楽の「見方」のひとつであり、新しいジャンルのアートと位置づけることもできよう。実在しない大きさの神楽の一場面を見るだけでもその迫力に圧倒され、引き込まれてゆくが、映像とともに流れる三上さんの、時には「語り」のような、またある時には修験者の呪文のような音楽は、観客を次第にスピリチュアルな世界へといざなうのである。

私は以前、猿田彦大神フォーラムで、三上さんの公演を見ながら、細野晴臣さんと、
「三上さんの取り組みは、新しい日本の音楽の方向性を切り開く可能性がありますね」
と話し合ったことがある。その時、細野さんは目を細めて
「うん、僕も期待しているんだよ」
と仰っていた。そのときから、すでに15年ぐらいの時間が流れているが、その間の三上さんの取材量の蓄積と取り組みが、いま、結実しつつあるようにみえる。
朝倉・平塚川添遺跡公園でのコンサートの後、日田で三上さんと合流し、阿蘇から高千穂を越えて日向へと向かった。秋の色に染まり始めた阿蘇の草原は、一面のススキが銀色に光り、揺れていた。日本のルーツ音楽発見の旅にふさわしいコースであった。

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