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短歌

宮崎日日新聞より(2010年1月20日)

2010-01-30 20:59:37 | Weblog
  短歌のご縁で親しくお付き合いをさせて頂いているFさんから、宮崎日日新聞の1月
20日掲載の宮崎市在住の歌人足立尚彦氏が書かれている「まがたま音信」の記事を
先日の碗琴コンサートでお会いしたときに頂きましたのでアップします。
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        『作歌を持続させる場』

 「笹井宏之が歌集「ひとさらい」を出版したのが2008年1月。歌壇の注目を集めつつ26歳の若さで急逝したのが
09年の1月、ちょうど1年前のことである。笹井は「未来」で加藤治郎に師事していたが、インターネット上のブログや歌会、
携帯電話の投稿サイト、地元の佐賀新聞の投稿欄でも活動した。
 
今、私は佐賀新聞での笹井宏之の活躍の全容を知ることができる。佐賀在住の友人が04年にまでさかのぼって資料を丁寧に
まとめ上げてくれたからである。佐賀新聞の文芸欄には本名の筒井宏之で投稿していたらしい。彼は選者の中の
塘健(つつみ けん)におびただしい数の作品を採られている。選評も面白いので一つだけ紹介しよう。
次の作品は06年3月20日付の塘健選歌欄で二席になったもの。
  
☆命より重たいものばかりの部屋できみはベーコンエッグをちぎる   筒井宏之
  
 この作品に対して塘健はこう語る。「命より重いものはないと言ふ理想論の虚偽と、人命のたへられない軽さの現実世界への、
反語的な告発か。ベーコン・エッグを『霊魂の卵焼き』と訳せば、目前の生活に苛立ちながら、しかもその倦怠に浸つてゐる
日本そのものの姿が、ぬるりとした卵黄の食感と共に浮きあがる」と。
  この歌は上句の韻律の悪さからか歌集「ひとさらい」には収められていないのだが、初期のころからこんなスリリングな歌を
作っていたのかと私は驚いた。また、根気よく読み続けた選者がいたことも、笹井宏之が作歌をやめなかった要因になっているのだと思った。
佐賀新聞ではほかの3人の選者にもたびたび採られている。
  新聞の文芸投稿欄は勉強(こういう言い方は好きではないが、ほかに言葉が見つから
ない)の場として、作歌を持続させる場としても有り難い場所なのだ。」
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と書いてあるが、私も足立氏の仰るように「作歌を持続させる場として有り難い場所」という考え
方に共感を覚えた。私の場合怠け者なので、毎週締め切りが来るので作品の善し悪しは
二の次にしてなんとか作歌を続けることができているからだ。

☆たましひの重さだらうかわれの死後軽くなるといふ四十グラムが(洋子)

碗琴コンサート(1月24日)

2010-01-25 20:37:54 | Weblog
 受付と献花を済ませたあとに時間があったので、宏之さんの作品や歌評などが掲載された歌誌などが展示されているコーナーに行った。
読みたかった「かばん」のR・Aさんの「ひとさらい」の歌集評やその他すぐ開けられるように付箋をつけていてくださったので、
ひととおり目を通すことができた。新聞はもとより「未来」「かばん」「歌テクル」の他にも「玉ゆら」などもあり、改めて宏之さんの
短歌界への影響力の凄さを感じた。

 ステージには、宏之さんがフルートを奏でている大町煉瓦館でのポスターと宏之さんが気にいられていた西日本新聞に
掲載された写真が飾られていた。
最初は、碗琴で「千の風になって」「大きな古時計」や宏之さんのすきだった「ハナミズキ」を演奏され、四季のしらべは
「さくらさくら」から「荒城の月」8曲メドレーで演奏その中に「精霊流し」も心に沁みて初めて聴く美しい音色に聴き入った。
 
 碗琴は、五十年ほど前に、有田の和久陶平さんにによって考案、演奏されていた   
のを2002年より高音や低音、半音を奏でることのできる有田焼を宏之さんのお父さまが追加され、
そのまま演奏を引き継がれているそうだ。碗琴の茶碗集めに筒井家の茶碗
もかり出され、宏之さんも手伝われたらしい。猫のミータンが使っていたお碗も
立派な楽器として活躍している。さすが筒井家。猫の器も素敵だった。
演奏されている碗琴を目でかぞえたら31個あった。私の好きな窯元の器も混じっていた。

次にオカリナで、アメイジング・グレイズ、有田焼横笛で、十五夜お月さんを演奏された。

そのあとの「有田磁器太鼓の連鉢・大皿」では、泉山の採石場で発破をかける
前の半鐘や石が砕け落ちる様を窯に火が入り炎が大きくなり焼き上げる情景を
イメージした演奏は迫力があった。音もさることながら皿には柿右衛門風の絵付けが施してあり、
焼き物好きの私はぞくぞくするような感覚だった。

次は宏之さんの弟の孝徳さんのギター・ピアノ伴奏(CD)によるオカリナ演奏で「浜辺の唄」や
「涙そうそう」など演奏され最後にまた碗琴演奏があった。有田焼きのオカリナと横笛も
を聴くのは、初めてだったが、美しい音色に聞き惚れてしまった。ご家族で、音楽を愛し、
愉しまれて親子の絆を深められていたとしみじみと感じた。

お父様の演奏の合間に宏之さんが作曲された「少女」「桜」「生命の回廊」のCDを流された。
お父様にプログラムに書かれている宏之さんの年譜を丁寧に説明していただき、どういう状態で作られたかなどを想いながら、
感慨深く聴きいった。宏之さんは歌人のイメージしかなかったが、CDを聴くうちに宏之さんは立派なミュージシャンだったという発見をした。
お父さまは、宏之さんに優しく話しかけるようにお話をされ、また宏之さんとの思い出を辿るように一曲一曲丁寧に演奏をされ、
宏之さんもお父様もご家族も皆様も会場の皆様も一体化したような雰囲気だった。
私も、宏之さんの短歌やお話したことなど思い出してあっという間に二時間
が過ぎていた。宏之さん素敵なご縁をありがとう。お父様素晴らしい演奏をありがとうございました。
宏之さんにお父さまや皆様の気持ちが伝わったような冬空の青が、ツヴィンガー宮殿の屋根と響きあって綺麗だった。
素晴らしいコンサートの興奮さめやらぬまま有田をあとにした。

☆冬用のふとんで父をはさんだら気品あふれる楽器になった(笹井宏之)
☆ミータンのお碗綺麗に洗つたら半音奏でる楽器になつた(洋子)

※ 写真は宏之さんがよくフルートの練習をされた相撲場で、向こうに見えるのが宏之さんがよく登られた英(はなぶさ)山。

あらかしコンサート

2010-01-23 20:09:25 | Weblog
 昭和42(1967)年に有田町の坂の下遺跡から縄文時代の人々が食料として蓄えていたアラカシの実が大量に出土し、
翌年7月にそのうちの1粒が突然発芽した。その後、県立博物館東側の庭で成長し、10mを超える大木になった。
(発見されたアラカシの実は、九州大学理学部のC14測定で4,000年前のものと判明)
その樹の下で年3回行われる「あらかしコンサート」を愉しみにしている。
 
「第12回あらかしコンサート」が23日午後2時半から、今回は特別に県立美術館ホールで行われた。
開催中の特別展「近代との遭遇」の”応援企画”として女性3人組「楓雅(ふうが)」が来演。
明治時代に米欧諸国を歴訪した岩倉使節団が米国ボストンでの「世界平和記念国際音楽祭」
(1872年)で聴いた名曲など演奏された。
楓雅はバイオリンとビオラ、ピアノで編成し、九州を中心に歴史的建造物や教会、
離島でのコンサートなどユニークな活動を展開している女性3人のグループだった。
今回は特別展にちなんだ楽曲を準備。岩倉使節団が”見聞”した「世界平和記念国際音楽祭」
のプログラムにあったモーツァルト作曲「魔笛」から「夜の女王のアリア」や、ヨハン・シュトラウス作曲
「春の声」などを予定。ピアソラ作曲「リベルタンゴ」、葉加瀬太郎作曲「情熱大陸」、楓雅のオリジナル楽曲なども演奏されて
大いに盛り上がった。


☆秋の陽を言葉のように雫しくるアラカシは古い辞書かもしれぬ (早川志織)

☆すつぽりと私を抱(いだ)きてゐるやうなアラカシの影をしばし纏へり(洋子)


吟行歌会

2010-01-17 07:27:33 | Weblog
 16日は、背振の修学院で吟行歌会だった。

『背振山積翠教寺修学院 〜百花ほころぶ祈願道場〜
 【修学院】は、慶長5年(1600)佐賀藩祖鍋島直茂公の助力によって下宮の積翠寺に再興された背振山の司寺です。
肥前国の最北東に位置するため、「佐賀城鬼門除け・肥前国安穏祈願寺・三蜜祈願の道場」と定められていました。
 本尊は【不動明王】で、祈る者をことごとく救おうと中央に立っておられ、また、霊験あらたかな
【延命地蔵尊】は、家運安穏・女人安産・子孫繁栄・学業成熟・交通安全のご利益があり、
特に『子どもの延命守護』においては多くの信仰をあつめ『子育地蔵』として広く親しまれております。
 正月や2月の修正会・4月の御経会にも多くの参拝者が訪れ、4〜5月にかけて樹齢400年を越える
四季咲きツツジや多種の花々に境内は彩られ、この時期、参拝者にとって絶好の花見頃となり『桜の寺』としても有名です。』

と案内に書かれている由緒あるお寺で、吟行をしてその後お寺の部屋を借りて歌会だった。
期待した蝋梅は、花季がややずれていて期待はずれだった。
珍しかったのは、廊下に伊能忠敬の作った地図の原本の複製のようなのが貼ってあったので
お尋ねしたら、伊能忠敬がこのお寺に泊まったらしいとのことだった。
東背振インターから少し登ったところで、数日前の雪がまだ道路沿いに残っていた。

☆蠟梅の香の人生を とどまらずこばまぬ時空のなごりとして(塘健)『蠟梅』
☆ひむかしははるかなる海不覚にも風雲児なる言葉おもひいづ(塘健)『東』
 庭園の見える廊下での歌会での席題「蠟梅・東」

☆山茶花の紅を点せる借景は背振山系銀の冬景色(洋子)





御正忌

2010-01-16 20:31:07 | Weblog
 1月16日(新暦に直して)は、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の祥月命日です。

浄土真宗の真面目なもんとではないのですが、お付き合いで去年からお寺の勉強会に二ヶ月

に一度参加させて頂いて親鸞や釈迦の基礎的なことを学んでいるので、生まれて初めて御正

忌にお参りさせて頂いた。 

一人居て喜ばば二人と思ふべし二人居て喜ばば三人と思ふべしその一人は親鸞なり

☆明日ありと思ふ心のあだ桜 夜半 ( よわ ) に嵐の吹かぬものかは(親鸞)

☆異端説く子との縁切りし親鸞の血汐聞こゆる御正忌けふ(洋子)


虹の架け橋

2010-01-14 07:52:37 | Weblog
筒井(笹井) 宏之さんに捧ぐ「虹の架け橋」


1 歌詠むは瞑想に似ると言ふ君の目に光りつつ降る春の雨

2 病む君とわれを繋ぎし短歌てふ虹の架け橋「ひとさらい」を読む

3 「ひとさらい」の批評会に笹井氏とまたねと言ひて笑顔に別れき

4 借りもののからだだつたと氷上の星になりたる笹井宏之さん

5「またね」とふあなたのこゑがききとれず哀しすぎるよ二十六歳

6 沈黙の光の中に君逝けり梅の蕾のふくらむ朝に

7 雨いついか雪に変はりて金輪際(こんりんざい)詠へぬあなたを想ふ玉響

8「ひとさらい」は神の異名かかかる世は見えざるものに操られつつ

9 悲しみが歌となりゆく寒の夜にはるかに星の生るる気配す

10 さくらさくらさびしさに色はなけれども鏡の奥に葉桜の緑(あを)

11 今生に君のいまさぬ夏は来てゆらぎつつ佇つひまはりの群れ

12 夭折の友を想へば彼岸花不意打のごと咲き初めにけり

13 胎内に戻りし君か母を恋ふ歌はなびらのやうに遺して
   
14 短編のあなたの生は畢(をは)れどもあなたの歌は読み継がれゆく

15 フルートに「浜辺の唄」を吹く君の夢のほとりをさりがたくゐる


☆拙い歌ですが、宏之さんに届きますように☆






碗琴コンサート

2010-01-13 10:11:23 | Weblog
 昨日、筒井(笹井)宏之さんのご両親様から「碗琴コンサート」の
案内のお葉書をいただいた。去年1月24日に旅立たれた宏之さんの一周忌を迎えるにあたり、
音楽が好きだった宏之さんのためにご両親が思いたたれたそうだ。
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タイトル  「碗琴コンサート」~ 筒井(笹井)宏之さんに捧ぐ ~

 ●日  時  平成22年1月24日(日) 午後1時30分~3時30分

 ●会  場  有田ポーセリンパーク ツヴィンガー宮殿

           有田町戸矢  TEL:0955-41-0030

 ●プログラム 1.笹井宏之楽曲集 【SaSa-Note】 より 
 
             「生命の回廊」「桜」他 2001年~2005年夏の楽曲鑑賞

           2.碗琴・オカリナ・連鉢による≪有田磁器のしらべ≫ 他      演奏:筒井孝司(宏之さんのお父様)
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  碗琴の生演奏を聴くのは初めてで、宏之さんを想いだしながら宏之さんの世界を宏之さんや、
宏之さんファンの皆様と一緒に堪能したいと思いますので、
24日は何があっても参加させていただきます。

☆内蔵のひとつが桃であることのかなしみ抱いてい一夜を明かす(笹井宏之)「ひとさらい」


☆薄墨の英(はなぶさ)山を借景に君想ふなり相撲場は秋

☆歌詠みにふけてまどろむ泉山未来への星が流れゐたりき(洋子)



人間は秋に生まれた

2010-01-11 21:10:52 | Weblog
「人間は秋に生まれた」

十月の風景の中にいれば

僕にはそれがわかる

低い空の燃え出しそうなあの月と

黒い林に吸い込まれて行く

あの虫達の声にさそわれて

人間はたったひとりで生まれて来たんだ

広い草原に足をふんばって

立ちあがってみたとき

人間は自分というものが

好きでたまらなくなってしまったんだ

自分の影が自分の立っているこの草原に

はてしなく広がっていたから

だから人間はみんな秋が好きなんだ


杉山隆の歌文集「人間は秋に生まれた」より

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     杉山隆短歌

☆性慾のこと語りつつ友と吾れ揺れ止まぬ夜の羊歯を瞰てをり

☆うつ伏せに草に寝たれば草の香は渦巻きて吾を呑み込むごとし

☆夭折者の手記を読みつぐ図書室の床にしきりに鳥影は過ぐ

☆歎異抄読みゐる少女の眼に遇へり烈しき光を吾は恐るる

☆カンニングする人の指われは見つその緊張に遊ぶごときを

☆地震(なゐ)太く轟き過ぎし夜半にして青春に入る思ひひそけし

☆わが傍にニーチェ読みゐる女子学生の鋭き鼻の影ノートに映る

才能を惜しまれながら、18歳で夭折した杉山隆の作品は時を経ても色あせない。


☆追伸のかはりにひとつ蝋梅の光のつぼみ添えへて送らん(洋子)

柿右衛門様式絵皿

2010-01-10 10:43:12 | Weblog
 Tさんから、陶次郎工房の川原留雄さんの柿右衛門様式の絵皿をいただいた。川原さんは、かつて柿右衛門窯の濁手の赤絵付けの第一人者だったが、今は退職して自分で窯を開かれている作陶歴60年のベテランだ。絵柄は鳳凰と岩菊の柿右衛門様式の伝統的なもので、径20センチの皿だ。私とTさんとは親子ほど年の離れた短歌の友人で、Tさんと川原さんは少年飛行兵のいわば戦友である。去年の戦友会で川原さんが、自分で一筆一筆手描きされた絵皿を参加者全員に配られたそうだ。その余りを、幹事のTさんが頂かれたので、それを私がいただいた。陶磁器の大好きな私にとってビッグなお年玉で飛びあがるほど嬉しい。しおりには、一級技能士をはじめとして、卓越技能者として労働大臣表彰、全国伝統工芸品産業功労者表彰、伝統工芸品産業功労者として九州通産局長の表彰、勲六等瑞宝章や佐賀マイスターにも認定と数々の陶歴が書かれている。今年は、早速Tさんに陶次郎窯に見学に連れていってもらう約束をした。
 幼い頃から絵を描くことが大好きだったという川原さんは昭和24年に柿右衛門窯に入社して江戸後期から断絶していた"柿右衛門様式「濁手(にごして)」技法"の復活に尽力したことで広く知られる12代、13代柿右衛門に師事するところから、絵付けの世界に入り、当時有田の大手の窯は分業制でしたから、絵を描くことにこだわった川原さんには、自らの手で一つの作品を始めから仕上げまで描くことができる柿右衛門窯は魅力的でした。しかし、そこにはひとつのジレンマがありました。「柿右衛門にいくには自分の欲しい絵を棄てなくてはいかん。やっぱり職人は自分の欲しい絵を棄てて、そこの絵に没頭しなくてはいかん」そうした思いを胸に川原さんは柿右衛門で絵筆を取ってきました。「40年近く勤めてきたけれど、やはり自分自身の絵は描けませんでしたね。会社の"柿右衛門の"スタイルでしか描けませんから。自分がどう描いても、柿右衛門のやきものとしか残らないですし…」自分の名前の付いた作品を残したいということで、柿右衛門窯退職後、陶次郎という銘で作品づくりを始めた川原さんですが、優秀技能者として表彰経験をもつほどの卓越した技術を後進の育成にと請われ、指導の方に忙殺されてなかなか作品づくりに時間を割くことができないというのが現状らしい。
川原さんの絵描きの基本は写生で、子規と同じで短歌にも通じる物があるのではと思った。

☆朱の色はカーマインとぞ皿の菊ミルキーホワイトしづかに点る

☆韓国に帰ることなき陶工の墓は寄りあふ祖国にむきて

☆子規恋し柿たわわなる飛ぶ鳥の明日香の里にぶらり降り立つ

☆二尺とふ子規の目線の確かさよ雨に濡れゐる薔薇を切りつつ