鐵屋+Cafe ~島々ノ文化ノ風ガフク~ 現代アート 鉄彫刻家

鉄彫刻家の創作な日々と鐵屋+Cafeの島風な日々。『紅い鉄』『土へ還る鉄』を暮らしへと♪島文化薫るカフェとアートな鉄。

1年間の展示からギャラリーへ 帰還

2018年05月31日 09時51分26秒 | 創作・活動 


三重県文化会館にて
1年間展示。
ギャラリー帰還直前に、
想いを振り返る。
ギャラリーで1ヶ月展示後、
名古屋大須の七寺さんにて
[祈り]をテーマに2週間程、
展示予定。
搬出日6/24日
慰霊の日の次の日ともあって、
今一度、振り返ってみる。

以下、長文、
1年前のブログ記事より。

今日は、慰霊の日。
この世の平和を祈り、
命どぅ宝という言葉の
重みを今、この胸に刻みます。

今一度、沖縄戦を
知っていただきたく、
分かりやすい記事がありましたので、
貼り付けさせていただきます。

以下、関連記事抜粋。

一般住民を巻き込み、20万あまりの尊い命と財産や、沖縄の文化財、自然がことごとく奪われた沖縄戦は、太平洋戦争で、唯一、日本国内の一般住民が地上戦を体験したという、まさに地獄そのものでした。

沖縄戦における20万人を越す戦死者のうち、約半数に近い、じつに9万4000人余りの戦死者が、兵隊以外の一般県民や子供です。この沖縄戦で、沖縄防衛第三十二軍司令官牛島満中将と同参謀長の長勇中将が糸満の摩文仁で自決した日が昭和20年6月23日の未明とされているのです。そしてこの日を、日本軍の組織的戦闘が終結した節目としてとらえ、沖縄慰霊の日が制定されました。

この6月23日の「慰霊の日」、沖縄戦の戦没者の霊を慰めて平和を祈る日として、本土復帰前は「休日」と定め、各行政機関や学校、企業に定着していましたが、1972年の本土復帰後は当然日本の法律が適用となって「慰霊の日」は「休日」としての法的根拠が無くなってしまったのです。

しかし1991年、地方自治法が改正され、「慰霊の日」を「休日」と定める県条例が公布された事によって正式に「慰霊の日」は「休日」と定められました。この間、「休日」として法的な根拠の無い時期もありましたが、毎年々々、6月23日は沖縄県の公休日とされてきたのです。もちろん今でも、県庁や各市町村役場、公立の小・中学校、高校などは「公休日」です。

一方最近の民間企業では、この日を休業日とする会社はめったに見られなくなっています。それだけ、経済面では内地との関係が密になっていると言うことなのでしょう。

毎年この日は、糸満市摩文仁の平和記念公園において午前11時50分から沖縄県、沖縄県議会主催の「沖縄全戦没者追悼式」が行われ、正午の黙祷などにより戦没者の御霊を慰めるとともに世界の恒久平和を願う沖縄県民の思いを世界に発信しています。また同時に、沖縄県内に散在する各地の慰霊塔などでも一斉に慰霊祭が行われます。

戦争体験者が少なくなる中、今もなお沖縄県内には大量の不発弾が残されており爆発事故が後を絶ちません。手榴弾などは、さびついてひび割れた状態で、住民の目に触れる場所にむき出しでさらされているものもあり、日常、身近な危険にさらされ続けています。加えて、広大な米軍基地の重圧を強いられ続けている我々沖縄県民の現状を考えるとき、6月23日、慰霊の日の持つ意味を、もう一度、考え直してみたいと思います。

今年2月に発表した
インスタレーション作品
[鉄の雨の詩](写真上)
作品製作、中々と踏み切れなく、
鉄を扱う者としては、
とても重くのしかかるテーマでした。
天上から250個あまりの
鉄塊が降り注ぐ様は、
異様な不安感、不快感を与えてしまうだけになるのかもしれないと、
リアリティの向う側にある
景色を作る必要があるのでは、
空と海の境界線を作り、
天を仰ぐそのモーションに、
光りが注ぎ、
海底へと、大空へと、
二面ある世界を作りたいと、
製作は始まりました。
そして、戦争という
民衆がある一定方向に
ベクトルを向かわせた正義を、
僕なりの表現で、
伝えたかった。
鉄の加工技術を持つ僕は、
おそらく、その戦時に居るならば、
その技術を遣い、
戦争に加担していただろうという
答えは明確で、
それ故に、鉄の雨という言葉が、
僕の心に突き刺さったまま。
そこに戦争の怖さがあることを
テーマとし、
インスタレーション作品から、
美術展出品作品へと
作品製作は続きました。
二人展での、
このテーマへの反響は、
想像以上で、
沢山のメッセージをいただきました。

そして、
皆さんの関心の高さと、
その重要性、緊急性には、
重いタスキを渡されたようで、
受け止める時間が必要でしたが、
作品を通し、
想いが届き、響き、
共有出来たことは、
とても、嬉しかったです。
そして、インスタレーション作品
[鉄の雨の詩]に繋げた作品
[鉄の雨の詩 
~鉄打つ僕と鉄の雨に打たれた君~]
(写真中、下)の製作へと。

より多くの皆さんに
メッセージを伝えたく
三重県美術展出品として作品製作。
鉄の雨の250個程の鉄塊を使って、
雨の向う側に存在してる物体が
何なのか?その正体を探したくて、
見えない形を何度も何度も
頭の中で描き、
それを壊したり、
また、形を描いたりしながらでした。
出品〆切の1週間前くらい?
ぼやっと輪郭が見えてきて、
完成時の作品とは程遠い
形をイメージしていたけど、
製作し始めてました。
後がないので、製作しながら、
見つけていくという感じ。
時間もなく、
運搬条件の事もあったので、
分離型にすることに、
合わせてる時間もなく、
一回だけ、合体し、
強度テストしたくらいで、
完成は、搬入先。
そんな最後の最後まで、
形の見えない作品でしたが、
彫刻部門の最優秀賞という
光栄な評価をいただき、
会期中のご来場者様からも、
メッセージをいただいたりと、
二人展と同じく、
みなさんの関心の高さと
みなさんそれぞれの想いを
感じることができました。


今後も、
このテーマと向き合い、
作品製作、発表をして参ります。

今日は、慰霊の日。

慎んで、願い、祈り、
同じ過ちが
二度と起きてはならない、
起こしてはいけないと、
鉄の雨は降らせてはいけないと、
この胸に刻みます。

最後まで読んでくださり、
ありがとうございます。

鉄彫刻家 今岡秀則

大阪天王寺 一心寺仁王門

2018年05月30日 14時25分29秒 | 日記・エッセイ・コラム





祖父母、父、兄の眠る
大阪天王寺にある
一心寺仁王門(山門)の
仁王尊/阿形像と吽形像は、
名古屋寺町芸術大賞展の
審査員のおひとり、
彫刻家 神戸峰男氏が
創られたと今日知った。
これも何かのご縁なのか?

僕が22、3歳の頃に、
新しく建立された記憶が
あるのですが、
いつも仁王門とは
別の門からだったので、
次のお墓参りの時には、
仁王門をしっかりと
感じてみたいも思う。

写真が無いので、
[一心寺仁王門]で
検索してみてください。

#急に身が引き締まってきた
#迫力ある仁王尊像
#彫刻
#写真が無いので検索で探してみてください
#次のお墓参りの時にじっくりと感じてみたい



名古屋寺町芸術大賞展 2018/6/2~

2018年05月29日 15時29分23秒 | アート・文化

#名古屋寺町芸術大賞展
第1期 2018年6月2日(土)-15日(金)
第2期 2018年6月16日(土)-28日(木)
会場 ギャラリー かんしょ
10:00-16:00 ○水曜日休廊
入場無料
⚫会場には駐車場がございません。
最寄りの公共交通機関を
ご利用ください。
⚫初日6/2(土)は、
16時開場となります。
18時より、表彰/レセプション

お問い合わせは、
祈りのまち大須・
南寺町芸術祭共同事務局
ギャラリーかんしょ
460-0018
名古屋市中区門前町5-11
TEL/FAX 052-331-6665
http://www.kansho.net
検索🔎 寺町かんしょ

展示は、
入選/入賞作品となります。
選外作品は、
6/25日から
会場/大須仁王門通 門前町(南寺町)界隈で
はじまる
[七夕銀河の芸術祭]への
出展となります。(出展希望者)
名古屋寺町芸術大賞展は、
6/2の審査次第です。

七夕銀河の芸術祭の詳細は、
後日改めて。

#名古屋寺町芸術大賞展
#七夕銀河の芸術祭

その、集合体が僕だった。

2018年05月26日 18時50分30秒 | アート・文化





作品 [その、集合体が僕だった]
第69回三重県美術展/彫刻部門 入選
今岡壱心 作 今展最入選入賞年少者


第69回みえ県展
5/19~6/3迄
三重県文化会館
熊野移動展
6/19~24迄
※入賞作品、熊野地区入選作品。

ぜひ♪