
その子は四つ目の黒の多い♀の小犬だった。
場所は東京都大田区雪が谷大塚の近くに、
私は両親と共にの借家に住んでいた。
父が大阪朝日新聞から東京朝日新聞に転勤に
成ったからだ。こんなふうに書くと
東京も大阪も同じ朝日だろうと思う方も多いかも知れないが
元々は違う会社だったような事を私は父から聞かされていて
会社の中でも、大阪派・東京派と別れているような事を
耳に挟んだ記憶があるような気がする。
二人の姉を祖母に預けて、私だけが東京に連れてこられたのには
理由があった。私には重度の障害があり、
お医者さんからは長生き出来ないと宣告されていて
小学校の入学もしていなかった事と、
当時、小児麻痺の権威の小林先生という方が慶応病院に
居られるとの事で、全国各地から、大勢の障害のある方が
患者として集まって居られた。
勿論、私もその中の一人だった。
小林先生の診察には長ーい長ーい時間が、かかった。
朝、診察券をだして、実際に診察を受けるのが、夕方4時頃
その間に3本立ての映画を見て新宿中村屋のあんまんを
食べてと、母と二人の時間が、私には楽しかった。
そんなある日の事、借家の横のあき地に、小さな箱に詰められた
小犬たちが捨てられていた。
寒い日の事で殆どの小犬にはもう命が無かったけれど一匹だけ
生きている子がいた。
「メリー」と名付けて父はとても可愛がった。いつも懐に入れて
寝るのも一緒。食べる時も自分の物をメリーに分け与えていた。
私はメリーを通して、いつもは厳しくて、頑固で強いばかりの
意外な一面を知る事になった。
多分、父の動物好きは私に引き継がれたのだろう。
だけど残念ながら、メリーは3ヶ月ほどしか生きる事が出来無かった。
しかし私はお医者さん達の予想に反して今も、障害こそ在るけれど
毎日を元気に過ごしている。
この年になってもメリーの事は忘れない。当時に私は7歳だったけれど・・
そして父が動物好きと知った、驚きも、あの四つ目愛らしい顔と
父がメリーに向ける嬉しそうな顔。ずっと心に残っている。
場所は東京都大田区雪が谷大塚の近くに、
私は両親と共にの借家に住んでいた。
父が大阪朝日新聞から東京朝日新聞に転勤に
成ったからだ。こんなふうに書くと
東京も大阪も同じ朝日だろうと思う方も多いかも知れないが
元々は違う会社だったような事を私は父から聞かされていて
会社の中でも、大阪派・東京派と別れているような事を
耳に挟んだ記憶があるような気がする。
二人の姉を祖母に預けて、私だけが東京に連れてこられたのには
理由があった。私には重度の障害があり、
お医者さんからは長生き出来ないと宣告されていて
小学校の入学もしていなかった事と、
当時、小児麻痺の権威の小林先生という方が慶応病院に
居られるとの事で、全国各地から、大勢の障害のある方が
患者として集まって居られた。
勿論、私もその中の一人だった。
小林先生の診察には長ーい長ーい時間が、かかった。
朝、診察券をだして、実際に診察を受けるのが、夕方4時頃
その間に3本立ての映画を見て新宿中村屋のあんまんを
食べてと、母と二人の時間が、私には楽しかった。
そんなある日の事、借家の横のあき地に、小さな箱に詰められた
小犬たちが捨てられていた。
寒い日の事で殆どの小犬にはもう命が無かったけれど一匹だけ
生きている子がいた。
「メリー」と名付けて父はとても可愛がった。いつも懐に入れて
寝るのも一緒。食べる時も自分の物をメリーに分け与えていた。
私はメリーを通して、いつもは厳しくて、頑固で強いばかりの
意外な一面を知る事になった。
多分、父の動物好きは私に引き継がれたのだろう。
だけど残念ながら、メリーは3ヶ月ほどしか生きる事が出来無かった。
しかし私はお医者さん達の予想に反して今も、障害こそ在るけれど
毎日を元気に過ごしている。
この年になってもメリーの事は忘れない。当時に私は7歳だったけれど・・
そして父が動物好きと知った、驚きも、あの四つ目愛らしい顔と
父がメリーに向ける嬉しそうな顔。ずっと心に残っている。
凄く良いお話。。でも壊してはいけないお話。。
ありがとうございます
昔は四つ目の犬と言いました。私達だけかも。。知れませんが
いいお話ですね。