水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

京都1 與杼神社 <京都府京都市伏見区淀本町>

2016-03-27 | ├ 京都(ひとり旅)

 

かねてより行ってみたかった、京都市内の寺社へ。(3/16参拝)

 

 

 

 

 

新幹線を降りたあと、京都駅から近鉄で丹波橋へ。

そこから京阪電車に乗り換えて、淀駅へ向かいます。

朝9時前という時間帯が良かったのか、
あるいは通勤通学のみなさんと逆方向に移動するからか、
車内はこんなかんじで
貸し切り状態。

 

 

 

駅前では、河津桜がきれいな花を咲かせていました。

 

 

徒歩数分で、式内社與杼神社(与杼神社)へ。

 

 

 

天気予報は晴れでしたが、あいにくの曇り空。

天気予報においては、
必ずしも、「晴れ」=「青空」ではないのよね。

 

雲量(空に占める雲の割合)が1割以下だと「快晴」
2~8割で「晴れ」、9~10割になると「曇り」なので、
雲8割の空なんて、ほぼ青空が見えない・・。

なので、どこが晴れなんよ?と思えるこんな日でも、
一応、予報としては「晴れ」の範囲内だったらしい。

今後は、雲量の予報も参考にして行動しよう。 ( ・ω・ ́) 

(帰宅後に確定後の天気を見たら、「曇り」に変わってた(笑)。)

 

 

 

まあ雨じゃなきゃいっか、と気を取り直して境内へ。

 

・・ん?

 

 

拝殿、絶賛お直し中~( ̄□ ̄;)!!

 

 

マジすか。

 

 

これを見に来たんですが・・。残念。

まあ、しゃーない。

 

 

社殿修理に遭遇することは滅多にないので、
これはこれで
意外といいかもという気もしてきた。

足場が鉄パイプじゃなくて木材だから、それほど違和感ないのかな。

 

 

入母屋造・こけら葺屋根のこの拝殿は、重要文化財。

宮司さんにお伺いしたところ、今秋には修復工事が終わる予定だそうです。

 

 

入口には2本のイチョウの木に渡した大注連縄がありましたが、
こういう注連柱的なものって好きです。

 

 

 

どれぐらいの重さがあるんだろう?

 

 

 

本殿

三間社流造りで、屋根は銅板葺き

 

この「三間社流造」という言葉を社殿の説明でよく見ると思いますが、
正面の柱間が3間(柱4本)あるものを、「三間社(さんげんしゃ)」と言います。

「流造り(ながれづくり)」は、全国で最も多い本殿の建築様式のひとつで、
切妻・平入りで屋根が曲線的に反っており、
正面側の屋根が前に長く伸びて向拝(こうはい)となったものの事です。

 

 

御祭神:豊玉姫命、高皇産霊神、速秋津姫命

 

 

子取り狛さん。

チビっ子は可愛いしがみつきタイプで、
けなげに親狛さんを見つめるの図。

 

 

相方の玉取り狛さん。

 

 

社伝によれば、
応和年間(961~963年)、備前国(佐賀県)佐賀郡河上村の與杼日女神社より、
淀大明神として勧請したことに始まるとされますが、
延喜式(901年~)に記載があるためそれ以前より鎮座していたと考えられています。

 

 

元の鎮座地である宮前橋付近(桂川右岸)より、明治35年に当地へ社殿移築・遷座し、
本殿、拝殿の二棟が国の重要文化財に指定されました。

しかし昭和50年に本殿が全焼し、本殿の指定解除。

拝殿は類焼を免れ、現在に至る。

 

 

本殿が5年後に再建されるまでの間は、伊勢神宮より「由貴御倉(ゆきのみくら)」を拝領して、
もとの本殿敷地内に仮本殿として安置。

 

 

末社

日大臣社(ひだいじんしゃ)

宮司さんによると、
御祭神は日大臣で、薬の神さん。(少彦名命)

 

 

こちらのお社だけ神明造り。

なにやら他と雰囲気が違うのは、
実はこれが、前述の「お伊勢さんから拝領した由貴御倉」だからなのです。

以前の日大臣社は、本殿が焼けてしまった際に類焼したため、
仮本殿としての役目を終えた由貴御倉を、
日大臣社に転用したのだそうです。

 

 

この社殿にやたらと惹かれたのは、それが理由だったのかなーと
あとで思いました。

 

 

 

拝殿の向こうに本殿があって近寄れない・・
という配置が多いなかで、
こちらはダイレクトに本殿を拝めるので、ちょっとうれしい。

 

 

あちらに見えるのは、末社の川上社豊丸社長姫社

お稲荷さんなのでチラっとだけ。

 

 

本殿の左手に、江戸時代の豪商、大阪淀屋ゆかりの高灯籠。

 

 

早咲きの桜がきれい。

 

 

 

ちょっと気付きにくいですが、
神輿庫の壁面に鬼瓦などが飾ってあります。

 

 

これらは天明2年(1782年)の瓦で、かつて旧神輿庫に使用されていたものです。

旧神輿庫は、1700年代後半に建てられたと推定される割拝殿を、
昭和15年に改修したものだったそうですが、
老朽化により現在の神輿庫に変えたとのこと。

1782年製の瓦を間近で見られて幸せでした。

 

 

曇天だし工事中で落ち着かないしで、状況はイマイチだったのにも関わらず、
境内には神々しさが溢れ、とても清らかでした。

自分を見つめ直せるというか、
心穏やかになれる場所だと思います。

 

 

それでは、つづいて木嶋坐天照御魂神社へと向かいます。

 


(與杼神社 御朱印)
 

 

 

 

 

 

 


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