かねてより行ってみたかった、京都市内の寺社へ。(3/16参拝)
新幹線を降りたあと、京都駅から近鉄で丹波橋へ。
そこから京阪電車に乗り換えて、淀駅へ向かいます。
朝9時前という時間帯が良かったのか、
あるいは通勤通学のみなさんと逆方向に移動するからか、
車内はこんなかんじで貸し切り状態。
駅前では、河津桜がきれいな花を咲かせていました。
徒歩数分で、式内社與杼神社(与杼神社)へ。
天気予報は晴れでしたが、あいにくの曇り空。
天気予報においては、
必ずしも、「晴れ」=「青空」ではないのよね。
雲量(空に占める雲の割合)が1割以下だと「快晴」、
2~8割で「晴れ」、9~10割になると「曇り」なので、
雲8割の空なんて、ほぼ青空が見えない・・。
なので、どこが晴れなんよ?と思えるこんな日でも、
一応、予報としては「晴れ」の範囲内だったらしい。
今後は、雲量の予報も参考にして行動しよう。 ( ・ω・ ́)
(帰宅後に確定後の天気を見たら、「曇り」に変わってた(笑)。)
まあ雨じゃなきゃいっか、と気を取り直して境内へ。
・・ん?
拝殿、絶賛お直し中~( ̄□ ̄;)!!
マジすか。
↑これを見に来たんですが・・。残念。
まあ、しゃーない。
社殿修理に遭遇することは滅多にないので、
これはこれで意外といいかもという気もしてきた。
足場が鉄パイプじゃなくて木材だから、それほど違和感ないのかな。
入母屋造・こけら葺屋根のこの拝殿は、重要文化財。
宮司さんにお伺いしたところ、今秋には修復工事が終わる予定だそうです。
入口には2本のイチョウの木に渡した大注連縄がありましたが、
こういう注連柱的なものって好きです。
どれぐらいの重さがあるんだろう?
本殿
三間社流造りで、屋根は銅板葺き。
この「三間社流造」という言葉を社殿の説明でよく見ると思いますが、
正面の柱間が3間(柱4本)あるものを、「三間社(さんげんしゃ)」と言います。
「流造り(ながれづくり)」は、全国で最も多い本殿の建築様式のひとつで、
切妻・平入りで屋根が曲線的に反っており、
正面側の屋根が前に長く伸びて向拝(こうはい)となったものの事です。
御祭神:豊玉姫命、高皇産霊神、速秋津姫命
子取り狛さん。
チビっ子は可愛いしがみつきタイプで、
けなげに親狛さんを見つめるの図。
相方の玉取り狛さん。
社伝によれば、
応和年間(961~963年)、備前国(佐賀県)佐賀郡河上村の與杼日女神社より、
淀大明神として勧請したことに始まるとされますが、
延喜式(901年~)に記載があるためそれ以前より鎮座していたと考えられています。
元の鎮座地である宮前橋付近(桂川右岸)より、明治35年に当地へ社殿移築・遷座し、
本殿、拝殿の二棟が国の重要文化財に指定されました。
しかし昭和50年に本殿が全焼し、本殿の指定解除。
拝殿は類焼を免れ、現在に至る。
本殿が5年後に再建されるまでの間は、伊勢神宮より「由貴御倉(ゆきのみくら)」を拝領して、
もとの本殿敷地内に仮本殿として安置。
末社
日大臣社(ひだいじんしゃ)
宮司さんによると、
御祭神は日大臣で、薬の神さん。(≒少彦名命)
こちらのお社だけ神明造り。
なにやら他と雰囲気が違うのは、
実はこれが、前述の「お伊勢さんから拝領した由貴御倉」だからなのです。
以前の日大臣社は、本殿が焼けてしまった際に類焼したため、
仮本殿としての役目を終えた由貴御倉を、
日大臣社に転用したのだそうです。
この社殿にやたらと惹かれたのは、それが理由だったのかなーと
あとで思いました。
拝殿の向こうに本殿があって近寄れない・・
という配置が多いなかで、
こちらはダイレクトに本殿を拝めるので、ちょっとうれしい。
あちらに見えるのは、末社の川上社・豊丸社・長姫社。
お稲荷さんなのでチラっとだけ。
本殿の左手に、江戸時代の豪商、大阪淀屋ゆかりの高灯籠。
早咲きの桜がきれい。
ちょっと気付きにくいですが、
神輿庫の壁面に鬼瓦などが飾ってあります。
これらは天明2年(1782年)の瓦で、かつて旧神輿庫に使用されていたものです。
旧神輿庫は、1700年代後半に建てられたと推定される割拝殿を、
昭和15年に改修したものだったそうですが、
老朽化により現在の神輿庫に変えたとのこと。
1782年製の瓦を間近で見られて幸せでした。
曇天だし工事中で落ち着かないしで、状況はイマイチだったのにも関わらず、
境内には神々しさが溢れ、とても清らかでした。
自分を見つめ直せるというか、
心穏やかになれる場所だと思います。
それでは、つづいて木嶋坐天照御魂神社へと向かいます。
(與杼神社 御朱印)