水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

京都3 天龍寺-1 <京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町>

2016-04-02 | ├ 京都(ひとり旅)

 

京都つづき。

 

 

 

 

 

 

臨済宗 天龍寺派大本山 霊亀山天龍寺

 

 

天龍寺は、1339年に吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、
夢窓国師を開山として足利尊氏が創建しました。

 

 

平安時代初期、
この地には檀林皇后(52代嵯峨天皇(786-842年)の皇后)が開いた
檀林寺がありましたが、その後廃絶。

 

 

後世、88代後嵯峨天皇(1220-1272年)と、
皇子である亀山天皇がここに離宮を営み、「亀山殿」と称しました。

その後、足利尊氏が96代後醍醐天皇(1288―1339年)の菩提を弔うため、
亀山殿を寺に改めたのが、天龍寺です。

 

 

足利尊氏と後醍醐天皇。

このお二方、色々あって敵対した同士だから、
菩提を弔う=怨霊を鎮めるという意味合いですよね。

 

 

 

天龍寺は、創建以来8回の大火に見舞われたそうで、
現在の堂宇の多くが明治期の再建となります。

 

 

かつての境内地は、今の10倍の広さだったそうです。

 

 

門をくぐって左手に勅使門。(府の指定文化財)

 

 

 

寺内最古の建物で、桃山時代のものです。

 

 

あぁ、めっちゃ好み・・。

桃山様式っていいわ。

 

 

 

細かくて見事な彫り物が施されているのに、華美すぎない。

派手な彩色がされていないから、いいのかな。(*゜▽゜)

 

 

 

 

重厚で美しい扉。

 

 

 

よく見ると、土壁に瓦が埋め込まれていました。

 

 

 

素敵

 

 

天龍寺境内で最古の美しい建物ですが、立ち止まる人はほとんどいなかったので、
ゆっくりと眺めることができました。

 

 

 

参道右手にはお寺が並んでいます。

こちらは弘源寺

 

 

 

 

慈済院

 

 

さきほどの弘源寺とともに、元治元年(1864年)の兵火を逃れたため、
室町様式あるいは徳川期のものが残ります。

 

 

 

水摺福寿大辨財天

本堂に安置されている弁財天像は、天龍寺を開山した夢想国師が彫刻したものだそう。

 

 

 

 

 

八幡大菩薩

 

 

あまり時間がなかったので、外からのみ。

 

 

庫裏(くり)

 

 

 

台所兼寺務所の機能を持ちます。

 

 

 

幹がうねってます。

なんか踊ってるみたい。

 

 

姿かたちが見事な素晴らしい松で、しばらく見入ってしまいました。

 

 

 

庫裏の中に入ると、正面にどーんと控えている達磨さん。

この達磨図は前管長である平田精耕老師の筆。

 

 

さて、参拝受付より中へ。

(拝観料500円)

 

 

その2へつづく・・。

 

 

 

 

 


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