京都つづき。
臨済宗 天龍寺派大本山 霊亀山天龍寺
天龍寺は、1339年に吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、
夢窓国師を開山として足利尊氏が創建しました。
平安時代初期、
この地には檀林皇后(52代嵯峨天皇(786-842年)の皇后)が開いた
檀林寺がありましたが、その後廃絶。
後世、88代後嵯峨天皇(1220-1272年)と、
皇子である亀山天皇がここに離宮を営み、「亀山殿」と称しました。
その後、足利尊氏が96代後醍醐天皇(1288―1339年)の菩提を弔うため、
亀山殿を寺に改めたのが、天龍寺です。
足利尊氏と後醍醐天皇。
このお二方、色々あって敵対した同士だから、
菩提を弔う=怨霊を鎮めるという意味合いですよね。
天龍寺は、創建以来8回の大火に見舞われたそうで、
現在の堂宇の多くが明治期の再建となります。
かつての境内地は、今の10倍の広さだったそうです。
門をくぐって左手に勅使門。(府の指定文化財)
寺内最古の建物で、桃山時代のものです。
あぁ、めっちゃ好み・・。
桃山様式っていいわ。
細かくて見事な彫り物が施されているのに、華美すぎない。
派手な彩色がされていないから、いいのかな。(*゜▽゜)
重厚で美しい扉。
よく見ると、土壁に瓦が埋め込まれていました。
素敵♪
天龍寺境内で最古の美しい建物ですが、立ち止まる人はほとんどいなかったので、
ゆっくりと眺めることができました。
参道右手にはお寺が並んでいます。
こちらは弘源寺。
慈済院
さきほどの弘源寺とともに、元治元年(1864年)の兵火を逃れたため、
室町様式あるいは徳川期のものが残ります。
水摺福寿大辨財天
本堂に安置されている弁財天像は、天龍寺を開山した夢想国師が彫刻したものだそう。
八幡大菩薩
あまり時間がなかったので、外からのみ。
庫裏(くり)
台所兼寺務所の機能を持ちます。
幹がうねってます。
なんか踊ってるみたい。
姿かたちが見事な素晴らしい松で、しばらく見入ってしまいました。
庫裏の中に入ると、正面にどーんと控えている達磨さん。
この達磨図は前管長である平田精耕老師の筆。
さて、参拝受付より中へ。
(拝観料500円)
その2へつづく・・。