じんくに、今を若々しく生きる 

日々の出来事や想い出等をUPしていきます
   ここの画像は、今までにドライブ旅行に行った時の物です

がん検診で引っかかった!

2016年07月31日 14時05分40秒 | 日記
7月3日の町のがん検診を受けた

胸・胃そして大腸の3つ検査してもらいました


今日結果が届いた、3通の封筒が来た中の1通が他の封筒に比べると


少し厚めだ、嫌な予感


1つ目の封筒を開封、異常なし・・・・よしよし

2つ目の封筒を開封、異常なし・・・・やれやれ

3つ目の封筒を開封、要精検の文字、嫌だねぇ~


胸と大腸は良かったが、胃が要精検だ

胃カメラを飲まないといけない


胃の要精検の通知書がこれだ




8月に入ったら病院へ行こう。

ノスタルジックな温泉街が残るあ四万温泉に行ってきました

2016年07月24日 20時07分26秒 | 旅行
四万温泉は、ノスタルジックな温泉街が現存する所です


私、世代にとっては非常に懐かしい古き良き時代の昭和の風景を残す温泉街です


まず、四万温泉入り口の少し手前にある、群馬県指定天然記念物の


四万の甌穴を見ようと立ち寄りました











昨日の大雨の為、水量が非常に多く甌穴は見ることが出来ませんでした







普段はこのように見られるのです








四万温泉入口に到着しました







ここから、車は温泉街へと入っていきます、


しばらく進むと、桐の木平駐車場に着きます、ここが一番広い駐車場です


ここに車を止めて、温泉街を散策しようと思います



共同浴場のひとつ「河原の湯」です






千と千尋の神隠しの油屋のモデルにもなったと言われる


宿があります



これがその宿です






なるほど、赤い橋等雰囲気がありますね







今回泊まった宿の案内図です






客室にある露天風呂です





露天風呂とは名ばかりの様です



夕食の一部分の写真です、まあ~、美味しかったです







この後も、温泉に入り次の朝も入り帰路に着きました

デジカメの日付の設定を間違えました、2015→2016が正当です

月日と時刻は正常です










今、大河ドラマで大人気、真田丸(上田城)。

2016年07月18日 10時10分58秒 | 旅行
NHKの大河ドラマで今人気の真田丸、その真田氏の城の上田城へ

人気の高さが伺えますツアー客や一般見学者がどっと訪れています

上田城 南櫓・北櫓・東虎口櫓門、

真ん中の入口になっているのが東虎口櫓門です





真田石

東虎口櫓門右手の石垣にある高さ約2.5m・幅約3mの大石。

真田信之(信幸)が松代城移封にあたり

父・真田昌幸の形見として持っていこうとしたところ、

微動だにしなかったという言い伝えが残っています。






眞田神社

眞田神社の設立当初の名前は「松平(しょうへい)神社」であり、

明治12年(1879)頃に旧上田藩藩士・町民によって設立され、

藩主であった松平氏をまつる神社でした。

その後、上田城の二つの櫓が再建され、城跡公園として体裁が整ってきた

昭和28年に「上田神社」と名を改め

真田、仙石、松平の歴代上田城主を合祀、

さらに昭和38年には「眞田神社」と改称され、今日に至っています。










真田井戸

眞田神社の境内に残る直径2m・深さ16.5mの井戸は

真田井戸と呼ばれています。

この井戸は抜け穴になっており、城北の太郎山麓の砦や

上田藩主居館(上田高校敷地)に

通じていたという伝説が残っています。












西櫓

西櫓は寛永3~5年(1626~1628)にかけて仙石氏によって建てられた、

上田城で江戸時代から現存している唯一の建物です。











西櫓すぐ横の急な階段で下へ降りて、尼ヶ淵を見てみたいと思います








下から見た西櫓






南櫓










尼ヶ淵

上田城南側の崖下にはかつて千曲川の緩やかで深い分流があり、

天然の堀となっていました。

崖面がもろく崩れやすい性質だったことから築城以来保護対策が行われ、

大規模な石垣が設置されています。

この場所を「尼ヶ淵」と称したことから、

上田城は別名「尼ヶ淵城」とも呼ばれていました。












隅欠(すみおとし)

本丸に見られる「隅おとし」は上田城の特徴のひとつです。

上田城本丸の北東(丑寅)の方角は鬼門にあたることから

土塁の隅を切り込み「鬼門よけ」としたものです。