ミネラルウォーター 飲んでる。
-----
今日は風も穏やかで快晴。窓からはモノスゴイ良い景色が拝めます。
おはよーぐると。
朝、日記を書くとはコレいかに…。こちらへ来てからモノスゴイ勢いで生活が規則正しくなっていて、勤めていた頃の朝は、1分でも多く眠っていることに命をかけていた(←また大袈裟)ワタシが、朝は7時にきらりーんと起きて、今朝なんて、お祝いに頂いたホットサンドトースターでホットサンド作るわ、サラダまで作っちゃうわで、おっとっとを送り出して、この時間にして、既に皿洗いを済ませて洗濯まで済ませちゃってるから、あれまー驚き。健康的すぎて不健康な気さえする今日この頃です。我ながら。どーなんだろ。
これだけ生活ががらりと変わることは、人生、そーそーあることじゃないなぁと感じます。まぁ、慣れ…の部分を差し引いたらどっちの生活が自分に合っているかは、やってみないと分からないモンだなとも思ってて。
毎日、通勤電車に揺られて会社へ行って、忙しく仕事したり、夜は飲みに行ったり。そんでもって酔いどれてバカやったりとか、仕事のことで悩んだり怒ったり。そんな自分も、未だに嫌いじゃないし、それはそれでとても楽しかった…と思う。気づけばそういう生活を8年も続けていたわけで、そういう生活を他の生活と比べて選んでた訳じゃないから、会社を替わったり仕事が変わったりしても、少なくとも「社会人」で居ることは当たり前のことだった…のです。
昔、学生から社会人になったとき、ワタシは「社会に外側から触れる人」から「社会に内側から触れる人」になった…みたいなことを感じたその感覚を未だによく覚えていて。
妊娠、結婚を機に、ワタシはまた「外側から触れる人」になったような感じがする。もう社会人になったばかりの頃のように、社会に対する使命感だとか、世の中変えてやるゼ的な熱い闘志はナイ…なくなったというより、それは穏やかになにか別の温度、形になって介在している、のかな。今の一番の使命が、お腹の子を大切に、元気に生んで育てる…ことであり、家庭を守る…ことである以上、やっぱりワタシは風船のような「社会」に、外側からつんつんと触れる人であるのだ。
大きく世の中を変えることはできなくても、ワタシは、「社会人」になったとき、社会の「内側」に居ることを、そしてその内側で、必死にその風船の大きさや形、なんなら色までも変えてやろーじゃねーか!みたいな自分を誇りに思っていたし、ワタシを日々頑張らせていたのは、そういう、精神論の部分って結構大きかったんじゃないか、とも思うわけで。
でもって、なにが言いたいかと言うと…。(←実は自分でもよく分かってないとかは気づかない方向で。)
生活や環境の変化とともに、自分の価値観や考え方なんかも柔軟にしておかないと、窮屈になりそうだ、みたいなよーなこと。
「自分てばこーあるべき」とか、今までの生活で培われた自分を頑なに守ろうとするとシンドイだろーな、みたいな。
で、自分がどーかって言うと、それは実際よく分からない。(なんじゃそりゃ。)あまりにここ数ヶ月急激な変化がありすぎて、ものすごーく自分を俯瞰してる。他の誰でもなく自分のことなのに、なんだ、ホレ、幽体離脱?じゃなくて、えーっと。自分のその変化の全てをものすごく高い位置から眺めているような。そんな不思議な感じ。
思い悩んでるわけでもなく。全てに納得してるわけでもなく。beforeもafterも、その全てを「ふふーん。」「ははーん。」と眺めている、ような感じ。なの。