くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

高校入試制度: 内申点と子供の将来

2010年04月26日 | Weblog
まだまだ先のことだが、子供の行き先を考えると、どうしても高校入試というものを考えざるを得ない。

そして、私から見てその場合の大きな問題は「内申点」である。

内申点が受験に占める比重は、都道府県によって異なる。10%程度のところもあれば、ほぼ半分を占めるなどというところもある。また、いまだに相対評価を実施しているところが一部(私の知るところでは一か所)ある。

試験の点数がボーダーで拮抗した場合、内申点の高い者が勝者となることは言うまでもない。

私は内申点というものを徹頭徹尾否定するつもりもない。入試は水ものであるという。実際、その通りで、余裕で合格するはずの力を持った者が当日の「雰囲気」に呑まれてしくじり、模試などの結果からみて到底合格するはずのない者が勝ち残るというケースは、中学入試、大学入試では珍しくない。良い意味悪い意味両方での「一発屋」を防ぐためにも内申点は意味があるのかもしれない。

ただし、その比重をどれほどにするのかという点に関しては、議論の余地もあるだろうし、だからこそ地域によって区々なのであろう。要は、内申点の取れない者から見たら、どこに暮すかによって、受験の運命を大きく左右されることになる。

内申点が取れる取れないにはそれなりのもっともな理由があることは確かだ。普段の学内での試験成績の良し悪し、授業態度、課題への取り組み等、その評価項目はおおよそ妥当なものである。試験成績だけでは、生徒の「伸びしろ」は見えてこないものである。

ところが、現実において、保護者や生徒自身は、教師との人間関係のあり方が内申点に大きな影響を与えると考えている。考えているというか恐れているというべきかもしれない。教師と良好な人間関係を構築できれば、内申点に有利に作用するという認識は、今も昔も変わらないし、それは事実であると私は考えている。小学校でもそうだが、中学校でも前述したように成績評価はテストの点数だけでは決まらず、数字には現すことのできない評価基準というものがある。が、これがクセモノなのである。例えば、生徒の学習意欲は、各教科の評価項目に必ず含まれているが、一体何をもって「意欲」を測ることができるのか。人は個々において「表現方法」が異なる。見た目で意欲が読み取れる生徒もしれば、そうでないものもいる。反抗期真っただ中であろう中学生、特に男子生徒なら尚更だ。そうした生徒の十人十色の個性や精神的発育状況を加味して、一体どこまで正確な評価ができるのであろうか。

プロの教師ならできる?

だが、そのプロも所詮は人であり、感情の生き物だ。人の好き嫌いもあるはずだ。気にいった生徒もいれば、そうでない生徒もいるはずだ。コミュニケーションを取りやすい生徒もいれば、そうでない生徒もいるはずだ。

そうした人間関係あるいは人間感情が内申点に影響を与えることはないのか? 「ある」という証拠はないが、自他の成績等を比較して「ある」と感じたことのある生徒や保護者は多いのではないだろうか。それは勘違い的な認識に過ぎないと一蹴されてしまえばそれまでだが、普段の学校生活で、あの教師はえこひいいきをしている、あの生徒はひいきされていると複数の生徒が感じるというケースは決してめずらしくはあるまい。

そうした状況で、教師の感情の入り込む余地のある内申点が、高校入試という一人の子供の将来をも左右しかねない一大事に少なからぬ影響を及ぼしうるというこの現状、私は、子の親として「恐怖」を感じざるを得ない。

内申点をうのみにするほど私は今の学校、教師を信用してはいらいし、信頼もしていない。
もっと言えば今の公教育に大したことは期待していないし、大したものだとも思っていない。だから、そんな学校、教師に我が子の将来を左右されてはたまったものではない。

加えて、子供の通う学校のレベルが他校に比べて高ければ、絶対評価でもやはり不利に働く可能性がある。その点は学校や教委、文科省も理解しており、そうした学校間格差を少しでもなくそうとの努力がないわけではないが、それで格差が解消されると考えるのはナイーブ過ぎるし、そう期待している保護者などそうはいないであろう。

というわけで、私は子供に中学受験をさせようかと考えている。ただ、中学受験には功罪あるし、本人の意思、やる気は重要である。強制ではうまくいかない場合が多い。かくいう私も中学入試経験者で幸いにして志望校に合格したが、かりに失敗したとき、その後の子供へのメンタルケアは大変である。11,2歳の子供が挫折を乗り越えることができるか否か、子供の精神発達状態は一人一人大きな差があるため我が子のそれを見極めることも大事である。息子の闘争心の無さは若干気になるところではある。やはり本人の何が何でも志望校にという信念が「岩をも通す」ことがあるのが、入試である。ただ、いったん受験競争の真っただ中に放り込まれれば、それなりにやるのではないだろうかと期待するのは、親ばかか?

いずれにしても、一般的な意味での公教育を経験したことがなく、高校受験も経験していない私としては、小学校時代の同級生の多くが親とともに内申点で泣き笑いをするさまを見ているだけに、「我が子をこんなバカらしいシステムのくびきにかけたくはない」と思うのである。これは経験したことのないもの、外からしか制度を眺めてこなかった者の偏見であろうか?

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