くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

そろそろ皆飽きてきたんでしょう、「龍馬伝」の過剰演技?

2010年07月25日 | Weblog
「龍馬伝」、ここにきて視聴率が下降気味だとか?

謹皇党の一件がピークを過ぎてしまったこともあるのだろうが、どうだろうか、このクソ暑い時に、あの過剰な演技に
視聴者がウンザリし出したのでは?

なんで、皆あそこまで力んで、大げさにする必要があるのだろうか?これは個々の役者による偶然ではなく明らかに、演出によるものだ。

岩崎弥太郎のあの大げさな語りも、最近はハナについてきて、お前一寸黙ってろといいたくなる。

福山の龍馬の演技は相も変わらず、オーバーアクションの一本調子である。

加えて、その周囲もまた、それに合わせて大仰な演技ばかり繰り広げる。

一時期、バブルの前後くらいにはやった小劇場の三文芝居をTVを通して見せられているような気持ちにさせられる。あの手の芝居は本当に苦手だった。似通ったような演技と演出で、何が良いのか、面白いのかわからない。小汚く狭い劇場でしばしば他人のオナニーを見せられているような不快な思いをしたものである。客も客でサクラじゃないかと疑いたくなるようなリアクションを見せ、これまた鬱陶しいことこのうえなし。

そんなに嫌いなのになぜ見に行った? 私は「芝居」一本やりだったのだが、周囲にはその手が好きでしまいには自分も出てしまうようなのが何人もいて、向うもこちらが毛嫌いしていることを承知でチケットを買わせたり、ただでよこしたりしてくる。まあ、こちらも目くじら立てて嫌っていたわけではなく、向うも冗談かからかい程度で私を読んだのだが。「龍馬伝」にはその手の臭いがする。その最たるのが、先週の丸山遊郭での薩長のさや当てだ。互いに薄汚い獣のように、薩摩、長州と吠え合う。以下に足軽程度の武士のはしくれのような連中も中にいたとはいえ(厳密にいえば、彼らが「侍」ではない)、あれはないだろう。次郎長ものでも、あんな下品な喧嘩は見たことがない。

いくらなんでもそれはないと思ったもう一つが、外国人を含めた長崎の物珍しさに、驚くあの様は、馬丁匹夫の類でも衆目のあるなかあそこまで大騒ぎすることはなかっただろう。

何もかもが、過剰なのだ。映画風の画面に繰り広げられる劇画チックな展開や、史実とはとっくにおさらばしてしまったような人物描写。どれもこれもtoo muchなのだ。この暑さのなか、毎週毎週ブタの角煮やとんかつでは、食欲も続くわけがない。

最初は面白いと思ったが、持続性のない演出、ここらあたりで少しテンションを下げてはいかがだろうか? そうでなくても、幕末維新の動乱そのものは更にヒートアップしていくのだから。


コメント
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