2013年4月22日、渡邊さんの当園での生活が始まりました。
今から3年前になるんかぁ。
渡邊さんの担当になったのは竹丸サブリーダーでした。
園での生活が始まって程なくして、渡邊さんは竹丸サブリーダーと一緒に奥さんの待つ家に帰りました。私達は、この日初めて渡邊さんの家に行きました。
家に上がった渡邊さんは嬉しそうでした。あまり笑う人じゃなかったけど、奥さんの笑顔を見て笑よっちゃったです。
逆光でわかりにくいけど、
ほら。
この頃は自分で食べよっちゃったんよなぁ。
コップも持てたんよなぁ。
人は老います。
誰だってそうです。
赤ちゃんの時はなんにも出来なくて、段々と出来ることが増えていきます。
そして今度、老いると段々と出来ないことが増えていきます。
誰だって順番なんです。
私達の仕事は介護です。
だけど、介護の仕事だけしていたら、私達の側で老いていく人とそのご家族さんに何も伝えることが出来なくて、
なんとなく歩けなくなって、
なんとなく寝たきりになって、
なんとなく認知症になって、
なんとなく話せなくなって、
なんとなく食べられなくなって、
なんとなく死んでいくんだと思うんです。
私は本気で思うことがあるんです。
介護を丁寧にすることは当たり前のことで、本当に私達に求められているのは、その人に出会った時から最期まで、その人の大切なことを一緒に大切にして、その人が最期を迎えた時、ご家族さんと一緒に泣き笑いが出来る時間を重ねることだって。
大切にすべきことを丁寧に繰り返すことで、ご家族さんも私達も目の前の老いを実感し、大切な人が死にゆくということをを一緒に考えることが出来ると思うんです。
竹丸サブリーダーは、渡邊さんやご家族さんと丁寧に時間を重ねました。渡邊さんの大切なことを最期まで大切にしました。
私達は渡邊さんの大切なことを知らなかったけど、渡邊さんの大切な場所である家に帰る度に奥さんからたくさんの思い出話を聞きました。この思い出話が、私達に大切にすべきことを教えてくれるんです。
竹丸サブリーダーは、何度もなんども渡邊さんと一緒に家に帰りました。介護にはこの時間が必要なんです。自分の目で見て聞いて感じるんです。
渡邊さんといったら、何をおいても鮎と酒なんですよ。奥さんかが何回も教えてくれちゃったです。
朝だろうと昼だろうと夜だろうと、狂ったように鮎を取り、その度に家族も付き合わされる。
お酒が好きで、お酒が入るとじょう舌になって、家族を困らせたこともしばしば。
この二つで、かなりのネタが渡邊さんにはあるんです。
こんなネタが、私達には宝物なんです。
竹丸サブリーダーは、ご家族さんから教えてもらった渡邉さんの大切なことをずっと大切にして、その繰り返しの中でご家族さんは家族の老いを実感してきました。
家の玄関を上がるのが難しくなって、
コップが持てなくなって、
声が出なくなって、
目が開かなくなって、
痩せていって…、
一緒に実感してきたから、ご家族さんはお父さんの最期の迎え方も具体的に考えることができたんじゃないかと思います。
なんか、す~と入るというか。
よぉ生きたと思えるというか。
今までの時間の積み重ねが、別れは悲しいことだけど納得に繋がるんだと思います。
私は、”冥土の土産的介護”は何の意味もなさないと思っています。
最期だからせめてっておかしいんですよね。
明日、その人の命が消えても後悔しないように、出会った時からずっと大切にするんです。これはね、すごく大切なことなんです。
渡邉さんは、3月12日、ご家族さんに見守られながら当園で最期を迎えました。
最期を迎えるまでの渡邉さんの日常、これまでと変わることない時間が流れました。
2月27日、関東で生活しておられる息子さん家族が帰省されました。毎年、お盆には帰省して家族写真を撮るんです。この日も家族写真を撮りました。
何かの儀式のように息子さんがお父さんの頭をさっぱりさせちゃったです(笑)。初めてのお父さんの散髪。こんな思い出もいいもんですよね。
3月2日、85歳の誕生日を奥さんと一緒にお祝いしました。お父さんの好きなお酒をお酌しました。
3月5日、竹丸サブリーダーと一緒に家に帰りました。何度も一緒に帰った渡邉さんの大切な場所です。渡邉さんの大切にしてきたこと好きなことをたくさん教えてもらいました。
3月8日、奥さんと一緒に渡邉さんの最期の迎え方を考え、私達が為すべきことを約束しました。休みの職員も集まってくれました。ありがたい。
3月10日、竹丸サブリーダーとお風呂に入りました。「えぇ湯じゃ、気持ちがえぇ」こんなことを言よってですね。
飲み込むことが難しくなっても千福はお膳にありました。大好きな鮎も焼いてくれました。飲んだり食べたりは難しいけど、見たりにおいを嗅いでもらいたい。こんな気持ちが大切ななんだと思います。最後はたった一口でもいいんです。最後の一口は栄養補助食品じゃなくて、好物でありたい。竹丸サブリーダーと厨房職員は、最期まで渡邉さんのことを思っていました。
部屋の壁には、渡邉さんとの3年間の思い出写真で溢れています。全部、竹丸サブリーダーが日付やコメントを書いた写真は、一枚から始まって壁一面に増えていきました。これも気持ちだし、思い出話もできる。
3月12日。奥さんと一緒に身体を拭きました。奥さんと一緒に身体を拭くことが出来てよかった。
そしてその日の夜、ご家族さんに見守られながら渡邉さんの心臓は動くのを止めました。
身体が動かなくなって、話せなくなって、目も開かなくなって、食べることも難しくなって、布袋腹だったお腹はペタンコになっていました。
これが、人が老いて最期を迎えるということです。
身体は、段々と最期を迎える支度をします。
家族は、側で時間を重ねながら気持ちの支度をします。
私達は、その手伝いをするんです。
私は、大切な人が最期を迎えた時、大切にしてほしいことがあります。
通夜と葬儀に参列してほしいんです。
葬儀の最後、柩に花を入れている時の家族の涙。この涙を自分の目で見てもらいたいんです。
その涙の意味を噛み締めて、自分達には何が出来たのか考え、その人やご家族さんから教えてもらったことを大切にすると、約束して欲しいんです。
老人ホームでは、誰かが死んで部屋が空けば、また誰かが来てです。
人の死を流さないように、そして、慣れないようにしないといけないんだと思うんです。
柩には、竹丸サブリーダーがご家族さんに相談して、部屋の壁に張っていた思い出写真やご家族さんが最後の誕生日に贈った色紙を入れさせてもらいました。
竹丸サブリーダーは、渡邉さんの大好きな千福も持ってきていました。その千福を、みんなで口に運びました。ご家族さんが、「酔っ払って途中で寝んとうにしんさいよ」と、涙を流しながら微笑みながら声を掛けよっちゃったです。私達もボロ泣きしながら笑いました。最期まで、竹丸サブリーダーは渡邉さんの好きなことを大切にしていました。素敵な介護士だと思いました。
3月29日、渡邉さんのが当園で最期を迎えたことについて振り返りをみんなでしました。私は、自分の想いや感じたことを自分で言葉にすることは大切なことだと思います。でね、私は当園の職員のいいところは、言葉にするときに涙が流れることだと思っています。大切な人が死んだら涙が流れるってことは当たり前です。こんな当たり前の感性とというか感情を持ち続けてほしいと思います。当たり前の感性と感情で人のことを想う当園の職員は素敵だと思います。そして何と言っても、涙を流しながら笑い話ができることが一番素敵だと思う。
私達の介護観や死生観は、教科書やマニュアルから学ぶんじゃなくて、大切な人の死とご家族さんお涙と微笑みから学ぶんです。渡邉さんの担当が竹丸サブリーダーでよかったって、心から思う。渡邉さんとご家族さんから教わったことをずっと大切にしよう。渡邊さん、ありがとうございました。ご家族さんもありがとうございます。元気でおってくださいね。
合掌