![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/b0/6c04ca3bdcd03536152f78ec28a6fa31.jpg)
表紙の写真:6月28日受信 チョコット「おすわり」できるようになったそうだ。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/b0/6c04ca3bdcd03536152f78ec28a6fa31.jpg
@08年5月16日夜、受信した写真。 https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/fc/8962a0fe624093f884df5be6683119e8.jpg
@08年5月1日夕方の写真。 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/46/9f8fae20553db3c5facb2f48f0d73861.jpg
寝返りは、一方通行(右手側だけ)。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/2a/c5718baf9ca8e0f4a302bb244638cdec.jpg
@08年2月18日夕方、
垂水人形を見ている孫の写真を送ってきた。
(上の写真のアドレス) https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/c2/a2c7de8921cb63d5d8a4820c2c6c4e13.jpg
(ひな人形についてのメモ) http://blog.goo.ne.jp/kouka-h/e/8712b6fef4f8ee5c04526fa78329f869
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@08年2月13日夜、
垂水人形の写真を送ったら、お返しに実優の笑顔を送ってきた。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/00/a7977d0c6d3eeb7b829ccde7edbe98db.jpg
(以下のアドレスのような写真を、携帯にて撮影送信した。)
正面から http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/20/72959667403f87cda88b59e1f3babc7a.jpg
見おろし http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/55/e17f7913c3bc578e4df04f160de61092.jpg
<垂水人形について>
http://blog.goo.ne.jp/kouka-h/e/bc6c81c4e44cd892f4c7c446c0ae4cdb
@2月7日、携帯(電話)をワンセグに変更、契約方法も「ダブルホワイト」に変更(つまり21時までは通話料込みの契約料金)した旨の返信画像として送られてきた。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/af/b0276d25e5c046ff9f4d7a521b0f606d.jpg
@08年1月も下旬にさしかかる頃。
久し振り?に嫁にメールすると、昨日写真を送りました、ということだったので、愉しみにしていた。
おもしろい?流れの4枚の写真。しきりに愛想笑いをするようになったそうだ。
@12月20日(SZ の誕生日)、
長男家族の独立記念日。
http://blog.goo.ne.jp/kouka-h/e/b1d574b497431f1e80b23149051ee5be
@12月17日(月)
職務の合間に嫁の実家を訪ねた。
生後2ヶ月になろうとする孫の視線が、さらにしっかりと定まってきた。
(写真)http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/f9/2302985e5b3700cf1f0ff48d6d97a862.jpg
20日には、鹿児島を離れていく孫の生育を強く願う。
@12月9日。
照国神社へ宮参り。
(表紙)新装なった大鳥居と「斉鶴(さいかく)」の前にて。 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/0a/b18e0b21f010c8fd08a769915c3c52f9.jpg
(神殿前にて)http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/3b/370e450673c18f1aec2183adf799cb96.jpg
(親子水入らず)http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/37/fc0115830071320c6f09d6c72e870a5b.jpg
孫は、さかんに手足を動かすようになってきていた。父親(私の長男)と会えて嬉しそうだったそうだとか・・・。
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@勤労感謝の日。職務帰りに孫の顔を観に行くと、一ヶ月になろうとする孫は、しっかりと見るようになってきたようだ。向けられた写真機を珍しそうに見入っていた。 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/84/7385177cb5e6c4e8064d9d41d5343989.jpg
********以下、11月5日01時35分まで
@予定日夜から陣痛が始まったらしい。その翌日、愛育病院(鹿児島市谷山方面)のすぐ近くで職務をこなし終えた私は、すぐに携帯を覗いた。すると、緊急時にしかメールなどよこさない妻からのメールがあった。 これは!と思って文面を読むと、「女の子が生まれた」旨の連絡であった。受け時刻は12時58分、指導終了間際(私が生徒と真剣勝負を終えようとする頃)に受けたことになる。 <嫁はもっと苦しい大変な格闘をしていたわけだが、私も恥じる指導ではなかった。ただ、指導中もうすぐ生まれるんじゃないか?と(生徒が考え込んでる最中に)頭をかすめたが、(生徒の)手が動き出すとすぐにその内容解読作業に思考を切り替えられた。>
すぐに妻に電話した。私のその日の職場は、愛育病院から車で5分とかからない。しかし、当然、妻も行きたい!ということだった。妻に甲南高校正門前の「葉っぱ屋」にて花束を買っておくように指示し、20分弱かかって居宅下の駐車場に着いた。そして、妻を載せて折り返し愛育病院へ向かった。 病院へ着けたのは14時前後だったと思う。
2階ベビールームでガラス越しに覗くと、すぐ目の前に我が初孫の姿があった。名札は、嫁の名になっていた。私は写真を、妻はビデオムービーと一眼レフのカメラの両方で写真を(タクサン)撮った。気のツオイ妻は、看護婦さんへ向こう向きだった孫の顔をこちらへ向けるように頼んで(指示して?)写真を撮った(チョコット冗談あり)。
そうしていると、嫁が廊下を(看護婦さんとともに)歩いてきた。「もう歩けるのか?」が私の第一声だった。「はい~」と、やつれてはいるが幸せそうな笑顔で嫁が応えてくれた。そして「ちょっと検査受けてきます。病室は3階ですから・・。」などと簡単な会話を交わして別れた。私と妻はしつこくガラスに顔をくっつっけていたが誰からも咎められなかった。
しばらくして、病室へ行くと嫁はもうベッドにいた。出産時付き添っていただいた実家の方々はお昼頃それぞれの職場に向かわれたそうだ。 聞くところによると、出生時刻は、11時00分だった。2と9に(暗記のための)関係をこじつけられる出生年、月、日、時刻だなあ・・ということで3人の意見が一致した。
父親となった(私の)長男は、近江八幡市の工場に休暇申請し、たぶん11月1日に帰り着ける、ということだった(これは妻から聞いたのかもしれない。)
<どうも妻と嫁がダブッテしまう。まだジイサンとは呼ばれたくないから記憶力が薄れたと思われるようなことは書きたくないが、それほど嫁にも馴染んでいるということを言いたいワケです。>
と、いろいろありまして1日の夕刻、長男は帰ってくるとすぐに病院へ向かったそうです。その日、私は車を空けておいたのですが、(夕刻の渋滞を嫌ったのか?)自家用車も使わず、長男は我が子と対面を果たし、22時を過ぎても帰ってきません。
「とうに病院は閉まっているはずだ。」と誰にともなく(私が)発言すると次男が「お兄ちゃんは甲南高校の正門前で友達と話している。」という情報を(自信ありげに)還してきました。 帰宅した我が息子の表情は、幸せ満面で、幼子の頃以来と思えるような晴れ晴れしいものでした。それを観た私たちも久方ぶりの極上級の幸せを感じました。5月の長男夫婦の結婚報告式で感じた(息子が伴侶と結ばれたことを祝福してもらえたという)幸せは、彼らの行く先の多くの不安定要因がその幸せをいくぶん減じていたわけであるが、新しい命を目の当たりにするというコトは本当に筆舌に尽くしがたいと再認識した。
我ながらシツコイ文章だ、と感じるのは疲れた証拠だろう・・・。明日の職務のためにも眠ることにしよう。
以上、11月5日01時35分 (11月23日23時以前の公開写真)http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/9d/2ea182a29ce721defde43f69998a658a.jpg
(11月5日22時以前の公開写真) http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/bd/71366ceb864b05477192464f7e26e704.jpg
(11月8日0時30分以前の公開写真) http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/82/9d2011132a2e8f4298d3ceb9e59d04c1.jpg