3分間スピーチ

~我思う故に我あり~
1200文字程度で徒然語る

小説所感

2007-12-28 11:31:02 | 小説
死生観
アヒルと鴨のコインロッカー


内容
引っ越してきたばかりの椎名は隣人の河崎に声をかけられ、強盗をするはめに。徐々に河崎の正体、過去が明らかになっていく。

所感
死んでもまた生きなおすことができるというブータンの教えに僕も賛同だ。
伊坂氏ならではの洒落た台詞は顕在だった。オチも個人的には最高である。


死後
時生


内容
突然目の前に現れたその男は、未来のことを予知し、俺はあなたの息子だという。どうしようもない人間だった彼に、いろいろと教え、成長させる。

所感
死後の人生、僕は生まれ変わると思っている。この物語は時間をさかのぼるという設定だが、なかなかおもしろい考えだ。でもそれを考察していくとどうしてもタイムパラドックスに陥ってしまう。だからあまり現実的ではないが、そもそも死後を考えることが現実的ではないような気もするので、いろんな考えがあっていいじゃないかという結論。

この本では、今の自分を親のせいにする男がいて、それを改心して、すべては自分のせいだと変化していく物語。
誰かの責任にしてる時点で無責任な人生だなと思う、身の回りに起こるすべてのことは自分の責任だと僕は思うからだ。


なるほど
宮台真司これが答えだ!―新世紀を生きるための100問100答


内容
宮台が質問に回答するという形式。
「共同体の枠組みの中で迷惑をかけなければ何をしても言いという意味での自由」
「物質的満足を得た今日の成熟社会では、何が幸福で何が不幸かという判断の難しい時代になってきた。これを乗り切るには舞ったりという感覚が必要なのだと」
『まったりとにニヒルは根本的に違う。ニーチェはニヒルを最大の敵だといっている』

何度も読み返したい本である。


不思議
記憶の棘 (出演 二コール・キッドマン)


内容
死別したはずの夫が、幼い子供としても戻ってくる。
信じられないが、その子に惹かれていく。
しかしその子供はかつて時分が隠れて不倫をしていたことを知り、妻であった女性に、今回のことはすべて妄想であったと打ち明ける。

所感
自分が一人の女性を愛してなかったことを知り、それに納得がいかず、生まれ変わってきたと打ち明けたことはそれ自体が嘘であったと白状する。
何とも切ない話のようだが、客観的に見れば自業自得であったといえる。


暗い過去
白夜行

内容
暗い過去を持つ二人。二人は暗い過去を引きずりながら成長する。男は暗闇を、女は逆に華やかな生活を。しかし、二人は深いところで結びついていた。

所感
幼い頃に、悲惨な体験をした二人が起こす事件。
幼い頃の経験はとても重要で、人格形成に関わる。


ゲイ
メゾン・ド・ヒミコ 通常版

内容
ゲイの集う老人ホーム。そこには偏見や差別があって、それと格闘。
家族にゲイをばらさずに乗り切る人。家族を捨てた人。ゲイにはさまざまな問題がある。そこに、ゲイの父に捨てられた娘がホームにやってくる。
娘は次第に偏見をなくしていく。

所感
ゲイの人に対する偏見は自分は持っていない。ゲイの辛さも分かる。
だからなんてことはない映画だ。訴えるものがない。


まったり
終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル


内容
オウム事件に絡んだ著書。オウムの事件は時代の鏡といって、誰しもがサリンをばら撒く存在になりえると書いている。
終わりなき日常を生きるのに必要な知恵は、この終わらない日常を脱出する方法ではなく、この時代を自覚し生き残る術を見つけると書いている。
裏技として、自殺があるとも。

所感
終わりなき日常。この言葉に特別な感情を持つ。本当にその通りだと思うからだ。それを生き残るには、自覚してまったりと世間と調和しながら生きていくことが大切であると。そう、すべては深く考えこまないことだ。
社会に罪をかぶせられなくなった現代、罪をかぶせるべきは自分自身で、自己責任という言葉通り、個人で格差が出てくる。これはとても残酷な社会だ。今まではムラ社会だったが故、だれかが面倒を見てくれた。
この社会生き残るにはコミュニケーションだと力説している。

うーん。
四日間の奇蹟


内容
障害をもつ子の世話をする主人公。その子はピアノで病院を慰問している。ある病院に慰問しに行った際、主人公は中学の同級生真理子に出会う。
そこで事故がおき、真理子は意識不明。子供は無事だったのだが、中身は真理子。
真理子は最期、主人公にピアノを弾かせるようとする。

所感
体が入れ替わったとき、思い浮かんだのは東野圭吾の秘密。どうしてもそれと被る部分があり、幻滅した。それ以上の感想も当然ない。


代わった小説ではあるが
推理小説


内容
小説を出版社に送り、その小説を買い取らなければ小説どおりの殺人事件が起こす犯人。それを暴き出す刑事。
最後は衝撃の結末。

所感
最後まで嘘をつかないという、フェアな小説ルールを破ったとき、幻滅した。それもあくまでも小説の中に書かれていたことではあるのだが。
なんとも変わった小説だが、期待していたほど面白くなかった。

いわゆるミステリー
青の炎


内容
主人公は愛する母、妹のため、元夫の殺害を決行。それは完全犯罪かに思えたが、友人に見つかり、それをネタにゆすられる。その結果、その友人の殺害も決行する。
最終的に、事件の容疑者になりそうなとき、彼のとった行動は、自殺。
殺人の最も根本的なものだった母と妹を守るために、そいうう行動をとった。

所感
最後自殺した方法が交通事故だったわけであるが、これはどうも好きではない。運転手に迷惑を掛けているからだ。誰かを守るために赤の他人を苦しめてはいけない。
伊坂氏の作品を読んで、いわゆるこのようなミステリー本を読むと、なんかあんまり面白くない。ストーリが単調な気がしてしまう。

仕事納め

2007-12-27 19:56:35 | 社会
今日で仕事納めとなりました。本来明日までだったのですが、明日は仕事もなく、雑務も任せられないため、急遽変更になりました。

初めて社会人となった私ですが、もともと社会になじめないのではないか、ましてや営業ならなおのこと、マナーも身につけてからなるべきだとか、無駄に構えていたことをとても後悔しています。

大学を出て、普通就職する際、ほとんどすべてが社会人未経験で、そもそも先輩社員はそういう目で、新卒を見て、ある程度許容してくれるはずだし、新卒も始め辛く思うだけで、なんのことはなく、人間誰しも慣れが出てくるものです。何年経っても、その慣れが出てこないという場合を除いて、大抵の人間に適応能力はあるのだと思いました。

大の恥ずかしがりで、人前で話すこともままならない私が、今や上司に社会人に会っているよとお褒めのお言葉を頂くまでになりました。

習うより慣れろという大法則を忘れていたのです。
面接で通りさえすれば、何事も順応できてくるものです。その面接で通るかどうかが問題な人は、まずは派遣をやってみてはいかがでしょうか?
比較的、人数が足りていない派遣の仕事は、面接もぱっと終わって、ぱっと決めるという流れです。いくつかぶち当たると必ず、面接に通るはずです。その職場で、建研を積ませてもらって、自信をつけて、次の面接に活かせば、普通に社会人として勤めることもできるのです。

学生時代の理論的な勉強より、社会に出て実践的な勉強ができるのも、非常に魅力的です。ある職場で、学ぶことがなくなれば、次の職場に移るという、転職を繰り返せば、おそらくどこにいっても通用する社会人になるのではないでしょうか?

なるたけ早く社会人になるといいはずです。私自身卒業してから2年のブランクがあるのですが、非常にもったいない過ごし方をしていたような気がします。

来年仕事の目標として、より責任を感じて仕事が任せられるような、またそれに応えられるような人材になれればいいと思います。経済学部だけにお金の流れを把握できるポジションにつければ、面白いかなと。

結婚式にて

2007-12-25 20:40:08 | 持論
先輩の結婚式に先週招待されました。そこで感じたことをつらつらと綴ろうかと。
挙式から出たのですが、もっとも感動したものがバージンロードです。特にその彼女とは面識もなく、なんの感情もないのですが、どういうわけか父に手を添えられて歩く、花嫁姿を見て、なんだかウルルンきました。

一人の女性が、嫁ぐとは、すなわち我が子が巣立つ思いで、親族はきっと涙するのでしょう。私は客観的に見ても、感情移入をしてしまったのか、感動してしまう場面でありました。

一方新郎ですが、今までヤンキー街道を歩いてきた人なのですが、サプライズプレゼントとして、指輪を歌ったとき、言葉に詰まっていました。こみ上げてくるものがあるのは当然ですが、人柄が人柄だけに私は心底驚きました。

この年にして、妙に涙もろくなっている自分がいます。そして、感動しやすくなってきました。とても幸せなことで、環境に恵まれているような気がします。

新郎の友達の仲には、未だに変わらず、やんちゃな人もいます。
人間、どのようにして変わるものか?と自問して得た答えが、結局は本人の資質なのではないかと思います。環境や親の教育はもちろん、本人に与える影響は大ではありますが、最終的に自分で考える能力を本人が身につけているかということです。

こればっかりは、努力や本人のセンスによります。環境や親のせいではなく、自分自身の問題です。答えのない哲学にはなりますが、人間は、本人の資質によって、如何様にも変われると説きたいです。

いつまでもお幸せに。

私も早く結婚して、家族団欒、真昼間公園の芝生で、愛妻弁当を頂くという夢を叶えたいですね。

クリスマスとは

2007-12-25 00:17:15 | 持論
結婚式という慣例的な行事に、誘われて実家に帰っていた私ですが、本日イブの日にお友達とお食事をするために、福岡市内に戻ってきました。

バスを降りて、街に出てまず思ったこと。それは、人が多し。いわゆるイブの日なので当然なのか、私は福岡を侮っていました。驚くほど人が多い。

いつもの金曜日、土曜、日曜、散々街を闊歩しましたが、東京に比べ人の数の少なさに、ほっとして、同時に哀しくもあったのですが、今日の市内を見て、不思議なことに安堵しました。

福岡も十分人がいて、そこそこの経済が生まれてるのではないか。そのような思いで、侮っていた自分を恥じました。
街はイルミネーション。カップルは我先にと写真を撮る。

どうして写真を撮るの?常々私は思っているのですが。思い出は胸に刻むものじゃないか?そのように考えてしまうのです。私が単に天邪鬼な性格の故、マスゲームみたく、一様に同じ行動をとるのは好きではない。やらされている感が否めないのだ。

そんな私が、今日街に出ていること自体、謎なのですが。あえて街に出て学んだことが冒頭にあることです。いつも物事を斜めに見ては、世の中を知ったような態度で、行動する自分を、久しぶりに反省しました。

結論として、普段しないこと、すなわち非日常的なことをして、刺激を得れば、人間何か学ぶことがあるのではないかと思いました。だから、クリスマス、正月はあえて外に出ようとすることが大切なのかなと。普段引きこもってる人ほど、外に出れば、大きなものを得ることができる気がします。

「書を捨て、街に出よう」

ガリレオ

2007-12-17 21:40:59 | 社会
今期一番ホットなドラマ「ガリレオ」を見て、学んだことを書こうかと思います。

私は、ドラマにせよ映画にせよ、必ず原書から読む性質なのですが、今回は、あまりの過熱ぶりに思わず、テレビを見てしまいました。

話はよくできていて、専門的な理論を用いて、現実では無理があるだろうと言わせない、そこに最も興味を抱きます。

毎回、セリフとして、「実に面白い」と福山雅治が言うわけですが、このセリフを言わせるものは一体何なのだろうと考えたとき、「未知のものに触れたとき」と私は解釈しています。

実際今までの人生を振り返って面白かった瞬間といえば、みんなで何かをやり遂げた、充実していたとき等挙がるのでしょうが、個人としてやはり何かに傾倒するきっかけとして、今までの人生では得られなかった、新しい存在、すなわち未知のものを発見したときが挙げられると思います。

私は社会に出て、三週間経つのですが、入社当初と比べ、明らかに楽しみがありません。このように言うと、生意気に聞こえるかもしれませんが、あくまでも当初と比べたときにです。それは何故かと言うと、単純にノウハウを知ってきたからだと思います。

ある程度、マニュアルがあり、その結果ルーティーンになってしまうという悪循環に陥ってしまいます。ふと、そう考えたとき、お先真っ暗で、このままだと人生自体つまらなくなるという恐怖感を覚えました。

そして、きれいな子を見て、モチベーションを上げている自分が尚更情けなくなり、同時に嫌悪感をも覚えました。
人間、未知のモノなんて、永遠に存在するわけで、福山と私の違いは単純に好奇心の問題です。

成長とは好奇心。よく言われる言葉ですが、改めて実感するいい機会になりました。私はこれから、「実に面白い」と心の中でぼやきながら生活していく決意をしたのであります。結果、人間としての味も出てくるはずなのだから。

お金は銀行に預けるな

2007-12-16 17:08:05 | 小説
タイトルである「お金は銀行に預けるな」を読みました。
私は経済学部出身で、それなりの知識もありましたが、より深く正確な知識をつけたいと考え、本を手に取りました。

内容としては、日本人は諸外国に比べ、リスク資産をとらない傾向にある。それは、金融の知識をつける機会を、学生時代に得られないことに原因がある。
統計では、日本人のリスク許容度は、外国と遜色ない。それでも、リスクをとっていない原因が、前述の理由に加え、住宅ローンという負債を抱えているからだ。彼らは、不動産投資をしていて、他に投資する余裕がないと著者は分析している。
今すぐにでも、解約をして、家は賃貸をしながら、余裕資金を投資信託に回したほうが、長期的に見た場合、必ずリターンが返ってくる。そのためにはまず、金融リテラシーを身につける必要があると。

著書を読んで、一番納得したのは、個人投資家は機関投資家のカモである、という点だ。現に、私はちょっとした資金で株式投資をして、見事なまでに打ち負かされたのだ。それが余裕資金であれば、問題はないと思う。しかし、人間、余裕資金なんてものは、そもそも存在しないわけで、どんなお金であろうと必死で防衛するものである。

1万円を儲ける喜びより、1万円を損する悲しみのほうを、人は重視するらしい。その点を踏まえれば、投資信託なんて以ての外だと思うのだが、著者が言っているのは、10万円の儲けの機会損失をして、1000円の儲けで喜ぶ、こんな情けない話があるであろうか、ということだ。

しかも、その貯蓄に回したお金で、銀行はインターバンクを通じて利益を得、さらには国債を購入している。その利ざやで儲けている。
私たちが直接国債を購入すれば、それだけで、銀行の定期預金よりも利率がよくなるのにである。

投資信託というものは、いまや何百種類もあるわけだが、中でも個人的に目を引いたものは、SRI投資信託といって、社会的責任投資という、環境や従業員を大切にして、経営を行なっている企業に投資する、というものだ。

これであれば、日本にお金を預けるのではなく、直接我々の手で、よりよい社会にしていくための投資ができるのではないか。損得も重要だが、このようなボランティア精神で投資することに、大人の投資ができるのではないかと思った。

かくいう私は、そのような余裕資金がなく、まだまだ実践には程遠い存在なのだが、近い将来、必ず、投資信託を始めるであろう。その気にさせてくれた、本書に感謝しています。

アインシュタインをして今世紀最大の発見と言わしめた「複利」の大きさも改めて実感次第であります。

余裕

2007-12-15 21:24:29 | 持論
今しがた、ひとりでご飯を食べに行ってきました。
そこでのひとコマなんですが、店長らしき人物とパートのおばちゃん2人がいて、店内が賑っているのか、てんやわんやで、お客様から少々きついおしかりも受けたりして、店長が大変苛立っているように思われました。

私は、パートのおばちゃんなんだし、多少のミスは許してあげなよと思ったりしていたのですが、店長はそうは思わないようで、露骨に苛立ちを表していました。

私は、パートのおばちゃんのミスや、客のクレームは全くといっていいほど気にならず、気になったのは店主の、その態度です。

おそらく店長は、お客に迷惑を掛けているパートに対して不満を持っていたようですが、その露骨な不満が、お客である私を一番嫌な気分にさせました。

人間、余裕がないと何もできないし、それが周りの迷惑にもなってしまい、そのような余裕を持ち合わせてない人とは、付き合うべきではありません。余裕がないと焦りが伝わり、こちらまでせかせかしてしまうのです。

ではどのように振舞うべきなのか。店主が私であったらと置き換えて考察してみます。

まず、大前提として、怒るべきは自分自身です。パートのおばちゃんが捌けない奴、それは自分の面接時のミス、もしくは指導不足が挙げられます。そして、パートの人数不足は明らかに自分のシフトミスではありませんか。

次に、パートのおばちゃんなんだから、多くを要求するのは酷な話ではないか。私自身バイトで仕事をしていても、責任なんて感じないし、雇用側に対して、働いてやってるという考えをします。そもそも、雇用主側にとっても利益があるから、パートとして雇っているわけで、都合のいいときだけ責任を押し付けるのはいかがなものかと思うのです。

私が店主として、今回のような出来事に遭遇したときは、笑顔を振りまくでしょう。
焦りは確実にパートにも伝わり、負のスパイラルになることは間違いありません。
かくして、強がりでもいいから笑顔で余裕を振りまこうと努力します。そして、店を閉めた後、説教ではありませんが、もっとこのようにすればいいんじゃないと忠告をします。お客様の前で、あのような態度をとる店主は、即刻やめたほうがよろしいでしょう。少なくとも、あなたの店は繁栄しません。

今回、余裕をキーワードにしたいと思います。人間、落ち着けば大抵のことはできます。そして余裕があれば、相手にも好印象です。ぜひ、強がりでも構わないので、実践することをお勧めします。

曲者

2007-12-13 20:23:45 | 持論
曲者であることの効用を語りたいと思う。

私は、へそまがなりな性格の持ち主で、周りも似たような人物が自然と集まる。
最近、このひねくれは果たしてお得なのだろうかと議論を交わしている。

まず曲者の代名詞として、お笑い芸人を上げることができる。彼らは、世の中を斜めに見て、おもしろおかしく振る舞い、結果、それを我々はおもしろいと感じる。この点が曲者である最大の効用と言えるだろう。笑いはギャップ。そのギャップを突くことに、ひねくれ者であることは必要条件だ。

次に恋愛における効用を説明したい。皆さん、ヤクザの恋愛術というものはご存知だろうか。簡略して説明すると、まず女性に否定的なイメージを持たせて、通常の対応をする。女性からすると、それだけで男性がプラスに変換したような錯覚にとらわれる。昔、スラムダンクで桜木のリバウンドを安西先生が誉めたお言葉と非常に良く似ている。

前置きが長くなったが、曲者は人も斜めに見ているので、誰にせよ否定的な面を探そうとする。そして、徐々にプラスしか見えなくなり、女性側からすると、それをやさしさに感じて、往々に勘違いをしてしまう。その点でも、曲者であることの効用が垣間見える。

ただ物事はそうそううまくいくものでもなく、負の面も相応にある。

まず一番の負の面として、人から変わり者扱いをされ、敬遠されがちになることである。親しめば、とてもいい奴になるのだが、その第一関門のハードルが高い。それを超えられないと、親しくされないばかりか、嫌われてしまうだろう。

次に、社会にそぐわないという面もある。これは、馴れ合いの世界についていけない性格に問題がある。曲者は、自身を曲者として認識していれば、ある程度対応できるが、自覚のない場合、周りがおかしいのであって、自分は間違っていないという、負のスパイラルに陥り、結果浮いてしまう。

皮肉屋=ユーモアと世間が認識を持ってくれれば、有難いのですが、そうも言ってられないので、空気を読んで臨機応変に対応することが、曲者の生きる道だ。なんせ、世間的にはマイナーな存在なのだから。

受け入れてくれるかどうかは、相手次第ではなくて、自分の力量次第である。
空気を読みながらも空気を読まない役に徹することができるかどうかが鍵である。
健闘を祈りたい。

話の長い人

2007-12-11 19:56:37 | 持論
今日の営業で、非常に困る人物に遭遇しました。
結論を言えば、話の長い人です。なぜそのような人物がはびこるのか考察してみます。

まず、彼らには話すことが得意だという自負があります。私に言わせれば、その時点で、彼らは幻想を抱いています。なぜなら、本当に話のうまい人は、要点だけをまとめ、できるだけ短時間で相手に思いを伝えようとするからです。
いくらご託宣を述べられても、聞き手を考慮しない話し手は、結局あきれられるのが当然でしょう。

次に、彼らは大抵自慢することが好きです。人間誰でも自慢することは気持ちの良いものですが、彼らは人一倍好きなのでしょう。聞き手があれば、迷うことなく話し続けるわけです。私の考えでは本当の自慢は心に秘めておくべきです。それを話すことなく相手が感じ取ってくれることで、悦に入る。それが至極の自慢ということにはなりませんか?

そもそもの前提として、彼らは「聞き手は私の話を聞いて、さぞ幸せだろう」と勘違いしていることが一番の問題です。すなわち、彼らの長い話を回避できるか否かは、聞き手の態度次第であると考えることもできます。しかし、それをなかなか表面に出せない場面、今では空気が読めないと罵られる時代ですからなおさら、そのような場面は多いと思われます。

皆さんの感情としては、話し手が空気が読めてないとなるのですが、多くの場合、話し手は自分より立場の上の人がほとんどですから、それは口が裂けても言えないと考えられます。

話の長い人は詰まる所ただのKYです。私は話が長い人を見ると、その人の顔の面白い点を考えて、相づちを打ちながら、ひたすら心の中でネタにしています。非常に腹立たしい出来事なのですが、そこで苛立ちを出せば、話し手に屈服した感が私の中に芽生えるので、そこだけは貫いています。

話し上手は聞き上手、この言葉を身にしみて感じます。話がうまくなりたい人は、まずは聞き役に徹してみましょう。さすれば、真の話し上手になる日は近いはずです。

金は天下の回り物

2007-12-10 21:26:07 | 経済
不景気不景気とよく言われるのですが、これは果たしてなぜでしょう。
結局、個人消費が減少で、お金の流れが悪くなり、景気後退を招いているのに、あたかも他人のせいだと言わんばかりの世の中。

「貯蓄しないと不景気だからね」

蓋し名言ですが、塵も積もれば理論も用いれば、あなたのせいで景気は悪くなってしまうのだ。貯蓄する理由として、今後の収入が不安定だからとなるわけですが、これは負のスパイラルで、巡り巡って、使わないから、収入が不安定になるのである。

少子化対策として、お偉いさんたちが議論していますが、これはごもっともで、消費が増えない限り、経済は成長しません。少子化対策について、議論する前に、国民自身が消費してくれれば、何の問題もないわけです。

日本人は貯蓄を趣味にするほどの倹約家であります。この自分至上の考えが、自らの首を絞めているという現実に気付いているのでしょうか?

その貯蓄を株式などの投資に回すことで、明らかに世のためになります。その貯蓄は結局は国債を買うという、あまりに無意味なループが行なわれていることに気付けば少しは変わるものでしょうか?

「金は使わないと入ってこないからね」

母親が昔、ぼそっと言っていたのですが、若い頃でしたので何を意図して言っているのか理解できませんでしたが、今になってそれが、味わい深いお言葉であったことが分る。

これを念頭において、私に貯蓄という趣味はない。しかし私のような資産のないような若造が、そのようにしていても、実にチリツモ理論である。ここで頑張って消費していただきたい世代が、団塊の世代である。

彼らはおそらく、相当の資産を築いてあるだろう。それを孫に遺すとかいう、不経済なことはやめて、自分たちの老後に精一杯消費して欲しい。ひいては、それが孫のためになると考えれば、浪費も厭わないのではないか。しかし、このような心情にならないのが、人間の性、いわんや、じい、ばあの性である。

今現在、貯蓄で資産を築いている方、もしくは築こうとしている方、金は天下の回り物と考え、浪費とまではいかないまでも、惜しむことなく消費を楽しんでみてはいかがでしょうか。それも世のため人のため。ボランティア精神でどうぞ。。