精神世界(アセンションについて)

このブログの内容は、色々なところから集めたもので、わたくしのメモであって、何度も読み返して見る為のものです。

ベトナム戦争後“枯葉剤”が日本に埋められている

2018年03月05日 | 人口削減

行き場を失った枯葉剤が国有林に埋められている


世界遺産・屋久島の遊歩道にも枯葉剤埋設現場の看板が立つ


「ここに薬剤(2・4・5T)が埋めてあります。定期的に植物の状態を観察していますので立ち入らないで下さい」

 石畳の遊歩道脇に「立入禁止」の看板が控えめに立っていた。

「町議会で質問され、柵がつくられるようになりました。その前は何もない状況でした」

 屋久島町環境政策課長はこう振り返る。
「2・4・5T剤」(以下、245T)とは、ベトナム戦争の対ゲリラ作戦で米軍が撒いた枯葉剤の成分となる薬剤だ。
枯葉剤はベトナムの森林を死滅させただけではない。
残留するダイオキシンが、ベトちゃん・ドクちゃんに代表される強い催奇性の毒性を持つことが明らかになっている。

 現場は市街地からも近い「憩いの森」として住民に親しまれている。
この森の一角に約3.8tの245Tが埋められたのは’72年。10m間隔で13個の穴の底にビニールを敷いて薬剤を置き、その上にセメントを流してビニールで覆い、土に埋めたという記録がある。
その後’85年に上部のみ生コンで覆ったというが、本当かどうかは誰も確かめられない。

 そういった埋設地が、全国の国有林に現在判明しているだけで54か所もある。
埋められた薬剤の総計は粒剤(顆粒状の薬剤)が2万5062kg、乳剤(液体状の薬剤)が2132リットル。
現在は林野庁の職員が年2回、足を運んで視認するだけだ。


「実は、日本も米軍の枯葉作戦に中間製品の供給という形で協力していたのです。ニュージーランドやオーストラリアで加工され、最終的にベトナムに運ばれていました」と解説するのは、『真相日本の枯葉剤』(五月書房)の著者で、旧日本軍の化学兵器に詳しい原田和明氏。

 国内で生産を担ったのは、戦前毒ガス原料の中間剤を製造していた三井東圧化学(現三井化学)の大牟田工業所だ。

「国会で枯葉剤中間製品の製造が暴露された際、内需がなかったことからベトナムでの使用が疑われた。そこで内需を無理やりひねり出すため、林野庁が一部の245Tを除草剤として散布し始めたのでしょう」と原田氏は指摘する。


までに散布された薬剤の量は、枯葉剤生産時にできる副産物の塩素酸ソーダが5280t、245Tも570tに上る。
ところが’71年4月にベトナムでの枯葉剤作戦が中止されると同時に、林野庁も245Tの使用を中止。このとき不要になった薬剤が行き場を失い、全国の国有林に埋められた。




「日本最古の上水道」として知られる熊本県宇土市の轟水源上流には枯葉剤埋設地が


林野庁職員として大分県の祖母・傾山系に配属されていた加藤久次氏(仮名)は、当時の様子を振り返る。

「245T散布の際、講堂に職員が集められて講習会が開かれ、『地域住民から聞かれたら人体には影響がないと言え』と指示されました。
『塩素系の薬剤で、原料は塩と同じだから人畜無害』と、メーカーから派遣された社員が実際に薬剤を舐めてみせたことも」

 宮崎県の民間団体がまとめた資料には、散布に従事した職員10人のうち肝臓がん、肝機能障害、肺がんで死亡した者が7人いるとの記述があるが、実態は不明だ。

「国有林に埋めたら、もう誰にもわからない。林野庁は『犯罪の予防等』を理由に明かさないからです」と加藤氏は説明する。

 記者が林野庁の資料をもとに、埋設地とされている自治体に場所を把握しているかどうか聞いたところ、54か所中15か所だけだった。
’99年以降は埋設地の調査も中止され、今もその状況はよくわからないままなのだ。


全国54か所の国有林リスト

【枯葉剤の埋設処理状況】

1.北海道夕張市
2.北海道遠軽町
3.北海道広尾町
4.北海道音更町
5.北海道清水町
6.北海道標茶町
7.北海道本別町
8.青森県中泊町
9.岩手県久慈町
10.岩手県野田村
11.岩手県雫石町
12.岩手県岩泉町
13.岩手県宮古市
14.岩手県西和賀町
15.福島県会津坂下町
16.群馬県東吾妻町
17.群馬県昭和村
18.山梨県甲府市
19.愛知県設楽町
20.愛知県豊田市
21.岐阜県下呂市
22.岐阜県下呂市
23.広島県庄原市
24.愛媛県西条市
25.愛媛県久万高原町
26.愛媛県宇和島市
27.愛媛県松野町
28.高知県四万十市
29.高知県四万十町
30.高知県いの町
31.高知県大豊町
32.高知県安芸市
33.高知県土佐清水市
34.佐賀県吉野ヶ里町
35.長崎県五島市
36.熊本県熊本市
37.熊本県宇土市
38.熊本県芦北町
39.大分県玖珠町
40.大分県別府市
41.宮崎県日之影町
42.宮崎県西都市
43.宮崎県宮崎市
44.宮崎県宮崎市
45.宮崎県小林市
46.宮崎県小林市
47.宮崎県都城市
48.宮崎県串間市
49.鹿児島県肝付町
50.鹿児島県湧水町
51.鹿児島県伊佐市
52.鹿児島県伊佐市
53.鹿児島県南九州市
54.鹿児島県屋久島町

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2 コメント

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埋設枯れ葉剤 (原田和明)
2018-04-02 15:45:28
「埋設枯れ葉剤」に関心を寄せていただいて、ありがとうございます。私は、転載された文中に登場する「真相・日本の枯葉剤」の著者の原田と申します。
岡山県には枯れ葉剤が埋められたとされる場所はありませんが、1968-71年の間に100トン以上の枯葉剤が岡山県に出荷されていたという統計資料があります。そのほぼ全量が岡山県内に散布されたと理解しています。
文中では埋設地を列挙していますので、枯葉剤を埋め捨てにしたことが今日的な問題であるかのように受け取られるかもしれません。しかし、埋設量は当時散布された量のわずか1%程度に過ぎず、散布された枯葉剤こそ問題だと考えています。それで、1970年前後にどのような環境異変があったのかに注目して調査をしています。
ところが、中国地方での「日本版枯葉作戦」の実態に関する情報が乏しく、情報収集に苦戦しているところです。
地味な研究ですが、こうしてブログでとりあげていただくと励みになります。ありがとうございました。
原田和明様へ (ひみちゃん)
2018-09-22 10:38:30
『真相日本の枯葉剤』(五月書房)の著者で、旧日本軍の化学兵器に詳しい原田和明様
コメントありがとうございます。

>1970年前後にどのような環境異変があったのかに注目して調査をしています。

との事、
私は岡山県民です。
参考になるかどうかは全く分かりませんし、見当はずれかもしれませんが、

私は1960年生まれで、1972年の春(12歳の時)に突然アトピーになりました。
その後40年近くアトピーに悩まされました。
それまでは何の兆候もありませんでした。
自宅のお水は、今でも井戸水です。

中学生になったばかりの時ですね。
小学校から中学校へと日々の場所も環境も変わったので、そのせいでアトピーになったのかもと思っていました。

アトピーは全国的にありますし、枯葉剤との関係はないかもしれません。

枯葉剤を散布するなんて、本当に狂ってるとしか思えません。

散布後、何年も残留するものなのでしょうか?
豪雨などで浸み込んだ枯葉剤が水道水の中に含まれる可能性はあるのでしょうか?

もう40年近く前の事で、情報もなかなか集めれなくてご苦労されてると思いますが、
今後の世界の平和の為にも頑張ってください。

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