木原早苗の『言の葉ブログ』

言葉は心と心のキャッチボール

『N子ちゃん』

2012年08月11日 | 言の葉
N子ちゃんが貴重なお休みを割いて
東京に出て来ました。

彼女は社会人になってから、改めて
医学の道に進み直し、今立派な医師となって
活躍しています。医学部入学のため予備校に通って
いた頃何年か一緒に暮らしたことがあり、ほとんど
家族の感覚でいますが。

志を持って進むのに、遅すぎるということはない
という私の母は、彼女の最大の理解者でした。
そんなこともあり、今は亡き母への思いを大切に
訪ねて来てくれるのでしょう。

途中から医者になった彼女も、すっかりベテラン
になり責任ある立場で仕事をしている姿は胸熱く
なるものです。

会えば、すぐお互い一緒に暮らしていた時の顔になり
感覚が蘇るのですが、それぞれが刻んだ時間を垣間見る
のも味わいがあるものです。

「日々修行ねー」と言葉に出ることを、お互いいっぱい
かかえてのおしゃべりも楽しいもの。


N子ちゃんファッションと呼んでいる、ちょっと
ボーイッシュで素敵な服をさらりと着こなして
現れましたが、そこにしっとりとした落ち着きが加わり
印象的でした。

刻む時間に色々な事があるものです。
どんなに志を持ってなった職業でも、時には
疲れ果て、また迷いが生じることもありましょう。
そして悟ったり、また新しい気持ちになったり・・・
私も、その繰り返しです。

別に何も言っていませんでしたが、
気持ちの修養が、彼女を成長させたのか
美しく見えました。

羽田まで送り、にっこり手を振る彼女の姿に
次の時まで、またお互いに良い時間を重ねましょうと
祈りながら、私も子供みたいに手を振ったのでした。





6 コメント

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東京に出てくる…… (正俊)
2012-08-20 02:15:42
早苗さん、大変親しい方が東京に出て来られて、良かったですね。早苗さんは、ご出身が、北海道の釧路あたりだったような記憶(ラジオの放送 で、大楽毛の地名を紹介して言われた覚えがあって)がありますが。その方も、そちらの地の人でしょうか?「違っていましたらすみません!」根無し草?の身といたしまては、故郷、田舎のある人は羨ましいです。言の葉的に言えば、訛りですね。早苗さんは、記憶してないと思いますが、欽ドンの時に、北海道出身の私の小学校時代の友人の口癖と同じ言葉を言っていました。その言葉、半可くさい…なんですが。………
正俊さんへ (早苗)
2012-08-21 12:54:16
思い出しました。
欽ドンの中で大楽毛の地名が出てきたことを。
札幌生まれの道産子の私は、欽ドンの葉書に
その地名を見つけ嬉しかったのです。へー珍しい名前だねーと欽ちゃんやパジャマ党のみんな驚いたと
思います。いっぺんに記憶がよみがえりました。
そう、彼女は釧路の近くの人なんですよ。
色々なことを覚えていてくださって本当にありがとうございます。そ・し・て・大笑いしました。ハンカクサイ・・・
またよろしくお願いします。
めんこい欽ドンの早苗ちゃんへ (籾山幸士)
2012-08-22 22:58:45
おばんでしたー。
半可くさい僕がハッチャキこいてラジオ「欽ドン」ば採録(1977年春の録音より)
ほれ読んでみれ。
欽「3代目の笑い姫こと早苗ちゃんは欽ドンをやめてからもう暇で暇で、
カンガルー相手にあやとりをして毎日暇をつぶしています。
オーストラリアに居るんですって。
カンガルーの欽一も元気です。
…って何だよ」
※この週は文ちゃん京子ちゃんマリちゃんがゲストだべさ。
籾山幸士さんへ (早苗)
2012-08-25 12:40:26
北海道弁のオンパレードに脱帽です。
丁度、オーストラリアに行っている時の欽ドンで早苗のことがギャグになったと皆に笑われたこと、またまた思い出しました。コメントを頂き、お蔭さまで楽しいです。いいものですね。ありがとうございます。
今でも気持ちは”めんこい”ですよ(笑)
訂正と質問 (籾山幸士)
2012-09-02 23:48:47
ご返信どうもありがとうございました。
僕だけバカ丸出しですねぇ(さすが欽ドンリスナー)。

ところで先の書込で「1977年春」と書きましたが、「1978年春」かもしれません。
オーストラリアに行かれていた時期はいつ頃でしょうか?
幸士さんへ (早苗)
2012-09-05 10:23:56
わざわざ、ありがとうございます。
1977年にオーストラリアに行きましたので
翌年の春でしょうか。
本人全然気がつかないことで・・・
返信遅くなり失礼しました。
お元気で!

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