この写真を撮影したのが2001年。
アメリカがアフガニスタンに対して空爆を開始した時でした。
その頃僕はアフガン入りを狙って隣国パキスタンのペシャワル(アフガン国境から約70Km)に滞在してました。しかしアフガン入りはかなり困難な上に交通費がとんでもなく高く(1500ドル)悩んでる時、偶然見た新聞で難民の子ども達がレンガ工場で働いている記事を目にしました。
翌日レンガ工場が多いカルハラという場所に行き、働くアフガニスタン難民の子ども達を取材しました。
それが僕の紙面デビューとなりました。
「チャイルド・レイバーの現実」という週刊朝日の巻頭グラビアで3ページ。
数日後自分の撮影した写真が掲載された雑誌を手に取り、写真を見た時「これで多くの人に見てもらえる」と感じた事は今でもはっきり憶えています。
僕らの写真は「取材」「帰国」「売り込み」「掲載」「人に見てもらう」この5つが揃って初めて1つになるのです。
アメリカがアフガニスタンに対して空爆を開始した時でした。
その頃僕はアフガン入りを狙って隣国パキスタンのペシャワル(アフガン国境から約70Km)に滞在してました。しかしアフガン入りはかなり困難な上に交通費がとんでもなく高く(1500ドル)悩んでる時、偶然見た新聞で難民の子ども達がレンガ工場で働いている記事を目にしました。
翌日レンガ工場が多いカルハラという場所に行き、働くアフガニスタン難民の子ども達を取材しました。
それが僕の紙面デビューとなりました。
「チャイルド・レイバーの現実」という週刊朝日の巻頭グラビアで3ページ。
数日後自分の撮影した写真が掲載された雑誌を手に取り、写真を見た時「これで多くの人に見てもらえる」と感じた事は今でもはっきり憶えています。
僕らの写真は「取材」「帰国」「売り込み」「掲載」「人に見てもらう」この5つが揃って初めて1つになるのです。
僕の写真の力ではなく彼らの力ですよ。
僕はただ彼らの声と姿を伝えるだけなんです。
それに現場で出会った人達から僕はいろんな事を教わっています。
これからも写真を通じて関わって行きたいです。
PEACEさんが関心持ってくれてほんとうに嬉しいんです。
これからもがんばれます!!